2015年07月05日

2015年7月の始まり


皆さま、こんにちは。

2015年 第6番の月も過ぎました。
2015年の約50%が過ぎたことになりますね。。

更新記事草稿自体は用意していたものの
予想外に授業続きで時間が開いてしまいましたが…
皆さまも日々充実されておられると確信しています!



愚に暗く 茨を掴む 蛍かな   芭蕉


(ただ蛍をとりたい一心で暗闇に手を伸ばすと
 愚かにも手痛い棘をつかんでしまったよ。。 )




前月に続いて「蛍」の句ですけれど趣は大きく違います。

暗闇と思慮の暗さ、蛍の光と理想とを掛けながら
寓意的に人間を説いているような句でしょうか。

周囲の状況・総体を見ることなく私欲に走ると
痛い目を見ると言う俗的な警句ともいえますけれど
人の誤ちと蛍光との情景を想起すると趣深い句ですね。


実際に自力で掴み取ることが有意義なことも多いですが
手に取らないからこその「美」「徳」もあります。

そもそも「蛍の光」など手に掴めるものではなく
(蛍を捕まえたからと言ってその風情までは掴めませんし)
光が映える総体の中でいかに「活かす」かこそ重要です。

にもかかわらず闇雲に手を伸ばしてしまい、蛍どころか
イバラを掴む結果になるのは智に暗いと言えましょう。。



その「光」が本当に欲しいのか、ただ一瞬の気まぐれなのか。

心から熱望するなら状況を把握・熟考しながら
その光の領域に近づけるように思考しなければ。

…確かに、何も考えずにふわふわと機に臨んで
あるがままの変に応ずるのは楽しいものですし、

そもそも人間というものが完璧な存在でない以上
失敗することは進化の前提にありましょうけれど
それでもなお、闇雲に行動した結果の単なる失敗と、
思考した上での失敗では過程が全く違いますよね。

自分だけの「痛み・損失」なら猪突猛進でもいいとして
周りを巻き込むような失敗ならば、最善を尽くした上
それを回避するに越したことはないでしょう。

無知の闇の中を手探りで失敗すること自体は
何ら責められることではないと思いますけれど
知恵の光で周囲を照らせる方がきっと良いはず。

蛍の光や七夕の星空など闇の中の静かな光を
身近に感じる季節において、急ぎ過ぎることなく
志向する光の方向へ手を伸ばして下さいますように。


7月も素晴らしい出会いで充ちていることを

皆様と共に心から喜びたいと思います。



いつも本当にありがとうございます。



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2015年06月03日

2015年6月の始まり


皆さま、こんにちは。

2015年 第5番の月も過ぎました。
2015年の約42%が過ぎたことになりますね。。


兎にも角にも、皆さまの温かいご支援の下で
「ラルース進学塾」という試みも4年間という歳月を
のんびり存在し続けていることになります。

4年という歳月以上に永く至上の時間を過ごせましたが
それもこれも、各方面各位のご厚恩を賜った故と
心より御礼申し上げる次第です。




己が火を 木々に蛍や 花の宿   芭蕉

(蛍たちは 自ら光を放ちながら木々枝々に佇んでいる、
まさに花の宿に宿っているようだ。 )



自分の発する光を「花として木々に宿す」様が
夜の静けさの中にぽうっと浮かぶ花に囲まれた中で
蛍たちが「花の宿」で休んでいるように感じられると。

漢詩の倒置修辞「錯綜顚倒之法(さくそうてんとうのほう)」
によった句で俳句表現としては独創的手法を試しています。
その点で、句としてまとまりが悪いと評されたようですが
個人的にはとても穏やかな空気を感じる一句です。

そもそも蛍の光の明滅乱舞には一様なまとまりなどなく
(カオス系として突き詰めれば「一様性」を定義し得るとしても)
ランダムな光の点在を表現するのに「句の曇り」は
むしろ効果的だとさえ言えましょう。

人世においても、山あり谷ありの周期の中を
喜怒哀楽の配合バランスを色々と変えながら
各々のペースで意識的あるいは無意識に志向する
どこかへと向かって歩んでいくものです、

その中にあって、経済的に華やかな外的環境にあることは
とても有意義ですし、自他をより多く引き上げられる
資財は持っておくに越したことはありませんけれど、

自らの輝きで周囲を照らすことで、その者がいる場所は
そのまま精神的に和み華やぐ時空間となるというのも
やはり知的かつ高尚な現象でありましょう。

この句の蛍たちのように、自らの放つ光で
周囲を華やがせ生を寿ぎながら、それでいて
自分たちも安らぎ落ち着いている在り方は
とても素晴らしいものだなと思います。



「自らの知性をもって周囲を照らす」というのが
ラルースの趣旨でありますけれど、

各々の知力をもって時宜に適う「花(喜びや安心etc.)」を
周囲に添えつつ自らも楽しんで下さればと思います。


ということで、長くお付き合い下さっている方々だけでなく
もう卒業されて医師・研究者の卵として邁進している教え子、
あらゆる面でご支援下さっている各方面の皆々様に
改めての感謝と敬意を申し上げる次第です。


4周年ということでお祝いのお心遣い・お言葉を
ご丁寧に下さった方々には改めて感謝申し上げます。

5年目も輝かしい出会いに充ちていることを
皆さまと共に 心から喜びたいと思います。



いつも本当にありがとうございます。



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2015年05月02日

2015年5月の始まり


皆さま、こんにちは。

先月初のご挨拶以来となってしまいましたが
漲る陽光とともに日々充実されておられるはず。

2015年第4番の月も過ぎていきました、
2015年の約33%が経過したことになりますね。

2015年の3分の1の時間を終えたわけですけれど
強まる日差しとペースを同じくするように
第2ステージの4カ月を溌剌と楽しんで参りましょう。




何の木の 花とはしらず 匂かな   芭蕉



(何という木の花の匂いか分らないが、神妙な花香が漂っているものだ。)




西行法師の「 何事の おはしますかは知らねども
 かたじけなさに 涙こぼるる 」を踏まえた句。

ともに伊勢の神宮を参拝した際に詠まれたとされています。

西行の句は有名ですが、その真意を解するには
なかなか奥深いところがあります。そもそも西行法師は
仏道に身を置いていましたので、神道の神々の霊験に
無節操に涙したというわけではないでしょう…。

「本地垂迹(日本の神々は様々な仏が化身として現れたとする考え)」
の見地から神々の先に「仏=宇宙の根源」を見たかもしれません。

ただ、西行は出家者とは言え…武人・歌人としても
自由に才覚・思索を遊ばせた才人でもありました。
仏教宗派の垣根にも厳格には囚われず、ひいては伊勢に移って
神仏習合の中で真理を追究していたものと考えます。


宗派・教義を超えて、遍く万物の中に美しさを見出し
歌に詠んだ西行法師という認識下で、芭蕉の句を改めますと…

神宮神域の霊妙さは確かに筆舌に尽くしがたいものの
単に神宮の聖域を詠んだだけの句とは思えません。

神宮の花に限らず、どこにでもある名もなき花も
その適所において美しく雅な香りを漂わせます。
木々だけではなく人物においても当てはまりましょう。


どのような人かは存じ上げないけれど、品位ある所作、
あるいは優しき心配りなどをされる人物には、まさに
崇高・清澄なる芳香を感じ取れるものです。

心身を安らかに仄かな香りにさえ感覚を澄ませていると
何物・何者かは存じないものの精妙なる気品を漂わせて
周囲を温かく穏やかに包んでいる存在に気付けます。

人間が「万物の霊長」と言い得るのは、
万物の細部にさえ宇宙を想起できる叡智あればこそ。

忙しく生きていると見落としたり、気づき難いことも
ありましょうが、深呼吸して嗅覚を研ぎ澄ませてみると
いつもそこにある温かい「香」を再確認できましょう。


力強い創造の光に包まれて 万物が生命力を高めるように
皆さま方の温かい御心に包まれていることは日々幸いです。

長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々よりの日々のお心遣いに
(あるいは未だ存じ上げない方々の御配慮にも)
毎月のことながら感謝を述べさせて頂きます。


新緑の光の中、5月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆様と共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます。



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2015年04月04日

2015年4月の始まり


皆さま、こんにちは。

春光うららかな季節を迎え、益々ご清栄のことと存じます。

2015年 第3番の月も過ぎていくことで、
2015年の約25%が過ぎたことになりますね。

2015年の4分の1の時間が過ぎ去って行きましたが
4月という新しい区切りに際して 心機一転
各々を進化深化させて参りましょう。

(…といいつつ実際の更新が遅くなりましたけれど、
 ハプニングで書き置きしていた記事が消えてしまい
 2回目を書くのが少し億劫になっておりました。。
 その時の感性で走り書きしているところがあるので
 2回目では内容も少し変わってきますが気を取り直して)





樫の木の 花にかまはぬ 姿かな 芭蕉


(華やかな桜の季節にあっても 樫の木はいつもと
 変わらず堂々とした姿であるものよ。)




日本の各地で桜が優雅に咲き誇る季節、
拙宅の眼前でも変わらず桜は咲いています。
(昨年度も桜の句で述べましたように)

知る人ぞ知る桜の名所という風情でしたが
歳月を経るにつれて集まる人々も増えました。

葉桜に変わって遠来の花見客も来なくなった頃、
地上一面に散らされた花びらとともに
眺める桜見が個人的には最も風情を感じます。

真夜中に誰もいない中での月夜の桜、
雨天で人がいない中の桜の佇まいも。

(それって単に人混みが好ましくないだけじゃないの?
 とご指摘を受けそうですが、否定はできませんね…)


そして言うまでもなく桜以外の木々も
桜ほど分かりやすい表現をしないものの
色々な表情を見せてくれてくれます。


周りの喧騒に浮かれ惑わされることなく
常に変わらずに堂々と屹立する木々に触れると
人間より悠に長い年月を生きる生命体の偉力に
畏怖と尊敬の念を自然と抱かされるものです。

人世においてはお祝いの雰囲気も色濃い4月ですが
過度に流されることなく、揺るぎない信念を持って
堂々と大地を踏みしめて参りましょう。

麗らかな時も苦難の時も久しく在り続ける木々を想い、
自らを支えて下さる遍く助力に報いて行かれますように。



穏やかな創造の光を浴びて 万物が活力を漲らせる季に
皆さま方と温かい時間を共有できることは幸いです。

長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々の日々のお心遣いに
毎月のことながら感謝を述べさせて頂きます。


春光の中、4月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆様と共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます。


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2015年03月22日

芸術との共振


皆さま、こんにちは。

麗かな「春」という時候になりましたが、
皆さまも日々健やかにお過ごしのことと思います。

各々の歩んできた一つの道を卒業して
新しい方向へと舵を切る 喜ばしい季節。

時期的にもおめでたい空気に包まれますし
諸々に対して心からありがたい気持ちになれますね。

ここで新たな道に踏み出す皆さまには
心からお祝い申し上げる次第です!


そういうおめでたい空気の中
のんびりと春のアート散策をしておりました。

今回のセットメニューは以下の通り(今回もリンクは張っていません…)。

・「 グエルチーノ展」国立西洋美術館@上野
・ 「新印象派展」東京都美術館@上野
・「ルーブル展」 国立新美術館@乃木坂
・「ワシントンナショナルギャラリー展」 三菱一号館美術館@丸ノ内


・・・というアート内容です。


今回はいつもに比して観覧先が少ないながら
筆舌に尽くしがたく深い知的時間を得られました。

特に「グエルチーノ展」は秀逸という言葉では陳腐過ぎて
どう形容すればよいのか… ただ崇高な力に圧倒されます。

グエルチーノ(1591-1666:本名はジョヴァンニ・
フランチェスコ・バルビエーリ)はイタリアバロック美術を
代表するイタリア美術史における著名な画家のひとり。

出品作品の多くはチェント市立絵画館の収蔵ですが、
そのチェントは2012年5月の地震で大きな被害を受け、
当絵画館はいまだに閉館したまま。震災復興支援を兼ねて
開催された本展ですが、大震災を経てきた日本の方々は
その痛みを共有することが出来ることでしょう。。


ドイツの文豪ゲーテはグエルチーノの絵を観るため
わざわざチェントを訪れ、グエルチーノの作品について
「彼の筆の軽妙さ、円熟さただ驚嘆の他はない」と
『イタリア紀行』に書き残しています。

この時ゲーテが見た≪聖母のもとに現れる復活したキリスト≫
(1628-30年 チェント市立絵画館)

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『聖母はキリストの前に跪きながら、えも言えぬ心情を籠めて彼を見上げ、彼女の左手はキリストの気味の悪い、画面全体をいためるばかりの傷のすぐ下に触れている。キリストは自分の左手を母の頸(くび)のまわりにおき、母をよく眺めようとして、体をいくぶんそらせている。これはキリストの姿勢に、あえて不自然とまではいわないにしても、何かしら異様な感じを与える。それにもかかわらず、この像は限りなく気持がよい。母を眺めている哀愁を帯びた眼差しは独自のものであって、あたかも自分や母のうけた苦悩の思いが復活によって直ちに消し去られることもなく、高潔な彼のたましいの前に漂っているごとくである』岩波文庫(相良守峯 訳)

…芸術全てに言えることですけれど、時空を超えて
偉大な才人と対話できるというのは至高の味わい。

ゲーテはこの作品の前で何を思い、何を感じ、
その後の思索にいかに消化・昇華させていったか
それらを深く想いながら遍く奇蹟が心で共振します。

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グエルチーノ《聖母被昇天》1622年?チェント サンティッシモ・ロザリオ聖堂

その迫力と対峙しなければ伝わらないところも多いですが
参考までにインターネットミュージアムの取材レポートはこちら。
『グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家』




芸術とは 対象との魂の共振とも言い得る体験ですが
自らの心身を清浄に整えて 声なき声に全六感で応えてみると
日々どの瞬間さえも芸術的な体験領域でしかありません。

心身を清浄に整えるという見地では 身の置き所も
人気の少ないのんびりしたところの方が好ましいですが
真にリラックスできればその時空は芸術的対話の場に変じます。

今春から「アマン東京」が開業する(した)ので、
プレオープンのうちに滞在しておりましたが、
人口密度が低く 時間の流れがゆったりしていて
思索を自由に遊ばせ深めていくには良質な空間でした。

特別なおもてなしを頂けたことも全て必然ながら
これもひとえに皆さま方の日々のご支援の賜物です。


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高さ約30mを誇るロビー天井部の吹き抜け。
障子や行灯のように和紙から紡ぎ出される柔光は
荘厳ながらも優美な空間を作り出しています。


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ライブラリーの書架。反対側も対称的にディスプレイされています。

蔵書セレクションも興味深いものが多かったので
リフレッシュウォーターをサーブしてもらって
ゆっくりと読書が楽しめる空間は個人的に好印象です。

プレオープンだったので誰もいない空間でのんびりできましたが
正式オープンした今はさすがに貸切状態ではないでしょうね…



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リビングルーム。あえて豪奢ではなく落ち着ける空間。
他に書斎スペースもあって長期滞在には良い感じです。



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部屋に備えてくれている本の一部。
百人一首を対英訳と読み返しましたけれど
和歌の心を英語で表現するのは難しいですね…


…と、ホテル評論ではないので(要望はありますのでまたいつか)
本題に戻すと、徹頭徹尾「自ら」こそが主役であり
人生の物語の主人公であると意識していさえすれば
周囲の事象・時間に振り回されることもありません。


自分の人生は自らのみが脚本家であって
そのシナリオをいかに綴っていくかは各々次第。

アマン東京に限らず、秀逸な滞在先というものは
静かな時間の中で 自分の(至高の)思考の力を
確かに気付かせてくれる、すなわち人生の主役は
自らであり 周囲の為にも良き脚本を綴っていこう
という意識にさせてくれる芸術空間そのものです。

グエルチーノのような崇高な絵画との対話だけではなく
遍く万物、石や木々に至るまで、自己との関わりの中で
確かに共振することが出来れば、人生を綴っていく上で
良き導きが自然と降りてくることでしょう。



皆さまの人生に良き一節を連ねる一助になっていれば
幸いこの上なしですが、少なくとも私においては
皆さまとの時間は有り難い導きの顕現です。

いつも本当にありがとうございます。


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2015年03月02日

2015年3月の始まり


皆さま、こんにちは。

2015年第2の月も過ぎていきましたね、

今までの記事でも書き触れておりますけれど
グレオリウス暦2月は私の誕生月らしいので
個人的には特別に感慨深く大切に思う月。

常々「全ては相対的なもの」と書き連ねていますし
あくまで緩やかな区切り・節目の意味しかありませんけれど
何はともあれ2015年2月という満ち足りた日々を見送り、
温かい創造の光が差し込む季節を迎えることになりました。

受験生にとっては人生を左右し得る試練のイベントが
2月にありましたけれど 先月にも書き記したように
各々の理想・イメージを現実のものとされるよう
心からお祈り申し上げるのみです。



梅が香や 見ぬ世の人に 御意を得る  芭蕉


(梅の香りが漂う中 お会いしたことはない
偉大な先人たちから 深い知見を得られる素晴らしさよ。)



『徒然草』第十三段に「ひとり、燈のもとに文をひろげて
見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。」と
ある点を鑑みますと、梅の香りが漂う季節に書物を広げ、
遠い時代・世界にいる先人から見識を得る素晴らしさを
謳っているものと字義的には思えます。

ただ、初対面の人と会うに際して詠まれたという状況を
併せて考えると「梅の香が漂っている春のこの日に、
世に知られるあなたのお目にかかることができました」
と面識を得られたことへの謝辞でもありましょう。

というわけで、この場においてもその2つの意味合い、

すなわち「春が近づく頃合いに、お会いしたことのない
才人・識者の高尚なる知見を(書物等で)得られるのは
この上なく素晴らしいものだなぁ」という感動と、

新しい季節において、今まで存じ上げる機会のなかった
聡明な方々との光栄なるご縁に対しての謝意という
2通りの意味合いを込めて引用したいと思います。



兎も角も長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々の諸々のお心遣いに
いつもながら感謝申し上げる次第です。


優しい創造の光が差し込む3月も素晴らしき出会いで充ちていることを

皆様と共に心から喜びたいと思います。



いつもありがとうございます。


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2015年02月04日

2015年2月の始まり


皆さま、こんにちは。

久方ぶりの更新になってしまいましたが
その隙に2015年の初月も過ぎていきましたね、

私においても 恒例儀礼の神宮参拝から1ヵ月経過、
まだ1月しか経っていないことを有り難く感じます。

簡単に1ヵ月といえども約2,600,000秒もありますので
1秒の価値を高めて時間の流れを意識していけば
なかなかに多様なことが思索・体験できる長時間です。

成人式やらセンター試験やらと人生の節目となるイベントが
1月にはありましたけれど どのような経路をとられるにせよ
時間の客観的長さそのものは万人に対して等しく同じ。

その時間の密度なり価値なりを能動的に規定していくことで
各々の理想・イメージを現実のものとされるよう
心からお祈り申し上げるのみです。



まづ祝へ 梅を心の 冬籠り  芭蕉


(来るべき春を今からまず祝うがよい。厳しい冬に堪えつつじっと冬籠りする梅の花は、他の花より早く咲くように。)


(本来は来るべき春を想って厳しい冬を越えようという感じながら)
もう立春ですので、句のニュアンスとはやや異なるものの
「まず春を祝おう」という意図は通ずるものがあるでしょう。

また各種受験やら新しい道に向かう準備やらで
篭って力を蓄えておられる方々も多い時期。

他の花たちに先んじて春の訪れを寿ぐ梅の心のように
試練の冬を乗り越えて 輝ける春をお迎え下さればと思います。


兎も角も長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々の諸々のお心遣いに
2015年も変わらず感謝申し上げる次第です。


新しい春の訪れとともに素晴らしい出会いで充ちている2月を

皆様と共に心から喜びたいと思います。



いつもありがとうございます。


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