2015年04月04日

2015年4月の始まり


皆さま、こんにちは。

春光うららかな季節を迎え、益々ご清栄のことと存じます。

2015年 第3番の月も過ぎていくことで、
2015年の約25%が過ぎたことになりますね。

2015年の4分の1の時間が過ぎ去って行きましたが
4月という新しい区切りに際して 心機一転
各々を進化深化させて参りましょう。

(…といいつつ実際の更新が遅くなりましたけれど、
 ハプニングで書き置きしていた記事が消えてしまい
 2回目を書くのが少し億劫になっておりました。。
 その時の感性で走り書きしているところがあるので
 2回目では内容も少し変わってきますが気を取り直して)





樫の木の 花にかまはぬ 姿かな 芭蕉


(華やかな桜の季節にあっても 樫の木はいつもと
 変わらず堂々とした姿であるものよ。)




日本の各地で桜が優雅に咲き誇る季節、
拙宅の眼前でも変わらず桜は咲いています。
(昨年度も桜の句で述べましたように)

知る人ぞ知る桜の名所という風情でしたが
歳月を経るにつれて集まる人々も増えました。

葉桜に変わって遠来の花見客も来なくなった頃、
地上一面に散らされた花びらとともに
眺める桜見が個人的には最も風情を感じます。

真夜中に誰もいない中での月夜の桜、
雨天で人がいない中の桜の佇まいも。

(それって単に人混みが好ましくないだけじゃないの?
 とご指摘を受けそうですが、否定はできませんね…)


そして言うまでもなく桜以外の木々も
桜ほど分かりやすい表現をしないものの
色々な表情を見せてくれてくれます。


周りの喧騒に浮かれ惑わされることなく
常に変わらずに堂々と屹立する木々に触れると
人間より悠に長い年月を生きる生命体の偉力に
畏怖と尊敬の念を自然と抱かされるものです。

人世においてはお祝いの雰囲気も色濃い4月ですが
過度に流されることなく、揺るぎない信念を持って
堂々と大地を踏みしめて参りましょう。

麗らかな時も苦難の時も久しく在り続ける木々を想い、
自らを支えて下さる遍く助力に報いて行かれますように。



穏やかな創造の光を浴びて 万物が活力を漲らせる季に
皆さま方と温かい時間を共有できることは幸いです。

長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々の日々のお心遣いに
毎月のことながら感謝を述べさせて頂きます。


春光の中、4月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆様と共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます。


posted by laluz at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2015年03月22日

芸術との共振


皆さま、こんにちは。

麗かな「春」という時候になりましたが、
皆さまも日々健やかにお過ごしのことと思います。

各々の歩んできた一つの道を卒業して
新しい方向へと舵を切る 喜ばしい季節。

時期的にもおめでたい空気に包まれますし
諸々に対して心からありがたい気持ちになれますね。

ここで新たな道に踏み出す皆さまには
心からお祝い申し上げる次第です!


そういうおめでたい空気の中
のんびりと春のアート散策をしておりました。

今回のセットメニューは以下の通り(今回もリンクは張っていません…)。

・「 グエルチーノ展」国立西洋美術館@上野
・ 「新印象派展」東京都美術館@上野
・「ルーブル展」 国立新美術館@乃木坂
・「ワシントンナショナルギャラリー展」 三菱一号館美術館@丸ノ内


・・・というアート内容です。


今回はいつもに比して観覧先が少ないながら
筆舌に尽くしがたく深い知的時間を得られました。

特に「グエルチーノ展」は秀逸という言葉では陳腐過ぎて
どう形容すればよいのか… ただ崇高な力に圧倒されます。

グエルチーノ(1591-1666:本名はジョヴァンニ・
フランチェスコ・バルビエーリ)はイタリアバロック美術を
代表するイタリア美術史における著名な画家のひとり。

出品作品の多くはチェント市立絵画館の収蔵ですが、
そのチェントは2012年5月の地震で大きな被害を受け、
当絵画館はいまだに閉館したまま。震災復興支援を兼ねて
開催された本展ですが、大震災を経てきた日本の方々は
その痛みを共有することが出来ることでしょう。。


ドイツの文豪ゲーテはグエルチーノの絵を観るため
わざわざチェントを訪れ、グエルチーノの作品について
「彼の筆の軽妙さ、円熟さただ驚嘆の他はない」と
『イタリア紀行』に書き残しています。

この時ゲーテが見た≪聖母のもとに現れる復活したキリスト≫
(1628-30年 チェント市立絵画館)

guercino.jpg

『聖母はキリストの前に跪きながら、えも言えぬ心情を籠めて彼を見上げ、彼女の左手はキリストの気味の悪い、画面全体をいためるばかりの傷のすぐ下に触れている。キリストは自分の左手を母の頸(くび)のまわりにおき、母をよく眺めようとして、体をいくぶんそらせている。これはキリストの姿勢に、あえて不自然とまではいわないにしても、何かしら異様な感じを与える。それにもかかわらず、この像は限りなく気持がよい。母を眺めている哀愁を帯びた眼差しは独自のものであって、あたかも自分や母のうけた苦悩の思いが復活によって直ちに消し去られることもなく、高潔な彼のたましいの前に漂っているごとくである』岩波文庫(相良守峯 訳)

…芸術全てに言えることですけれど、時空を超えて
偉大な才人と対話できるというのは至高の味わい。

ゲーテはこの作品の前で何を思い、何を感じ、
その後の思索にいかに消化・昇華させていったか
それらを深く想いながら遍く奇蹟が心で共振します。

guercino_.jpg
グエルチーノ《聖母被昇天》1622年?チェント サンティッシモ・ロザリオ聖堂

その迫力と対峙しなければ伝わらないところも多いですが
参考までにインターネットミュージアムの取材レポートはこちら。
『グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家』




芸術とは 対象との魂の共振とも言い得る体験ですが
自らの心身を清浄に整えて 声なき声に全六感で応えてみると
日々どの瞬間さえも芸術的な体験領域でしかありません。

心身を清浄に整えるという見地では 身の置き所も
人気の少ないのんびりしたところの方が好ましいですが
真にリラックスできればその時空は芸術的対話の場に変じます。

今春から「アマン東京」が開業する(した)ので、
プレオープンのうちに滞在しておりましたが、
人口密度が低く 時間の流れがゆったりしていて
思索を自由に遊ばせ深めていくには良質な空間でした。

特別なおもてなしを頂けたことも全て必然ながら
これもひとえに皆さま方の日々のご支援の賜物です。


aman_tt.jpg

aman_t.jpg

aman_t0.jpg
高さ約30mを誇るロビー天井部の吹き抜け。
障子や行灯のように和紙から紡ぎ出される柔光は
荘厳ながらも優美な空間を作り出しています。


aman_t2.jpg
ライブラリーの書架。反対側も対称的にディスプレイされています。

蔵書セレクションも興味深いものが多かったので
リフレッシュウォーターをサーブしてもらって
ゆっくりと読書が楽しめる空間は個人的に好印象です。

プレオープンだったので誰もいない空間でのんびりできましたが
正式オープンした今はさすがに貸切状態ではないでしょうね…



aman_t3.jpg

aman_t6.jpg

リビングルーム。あえて豪奢ではなく落ち着ける空間。
他に書斎スペースもあって長期滞在には良い感じです。



aman_t7.jpg

部屋に備えてくれている本の一部。
百人一首を対英訳と読み返しましたけれど
和歌の心を英語で表現するのは難しいですね…


…と、ホテル評論ではないので(要望はありますのでまたいつか)
本題に戻すと、徹頭徹尾「自ら」こそが主役であり
人生の物語の主人公であると意識していさえすれば
周囲の事象・時間に振り回されることもありません。


自分の人生は自らのみが脚本家であって
そのシナリオをいかに綴っていくかは各々次第。

アマン東京に限らず、秀逸な滞在先というものは
静かな時間の中で 自分の(至高の)思考の力を
確かに気付かせてくれる、すなわち人生の主役は
自らであり 周囲の為にも良き脚本を綴っていこう
という意識にさせてくれる芸術空間そのものです。

グエルチーノのような崇高な絵画との対話だけではなく
遍く万物、石や木々に至るまで、自己との関わりの中で
確かに共振することが出来れば、人生を綴っていく上で
良き導きが自然と降りてくることでしょう。



皆さまの人生に良き一節を連ねる一助になっていれば
幸いこの上なしですが、少なくとも私においては
皆さまとの時間は有り難い導きの顕現です。

いつも本当にありがとうございます。


posted by laluz at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アートな話

2015年03月02日

2015年3月の始まり


皆さま、こんにちは。

2015年第2の月も過ぎていきましたね、

今までの記事でも書き触れておりますけれど
グレオリウス暦2月は私の誕生月らしいので
個人的には特別に感慨深く大切に思う月。

常々「全ては相対的なもの」と書き連ねていますし
あくまで緩やかな区切り・節目の意味しかありませんけれど
何はともあれ2015年2月という満ち足りた日々を見送り、
温かい創造の光が差し込む季節を迎えることになりました。

受験生にとっては人生を左右し得る試練のイベントが
2月にありましたけれど 先月にも書き記したように
各々の理想・イメージを現実のものとされるよう
心からお祈り申し上げるのみです。



梅が香や 見ぬ世の人に 御意を得る  芭蕉


(梅の香りが漂う中 お会いしたことはない
偉大な先人たちから 深い知見を得られる素晴らしさよ。)



『徒然草』第十三段に「ひとり、燈のもとに文をひろげて
見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。」と
ある点を鑑みますと、梅の香りが漂う季節に書物を広げ、
遠い時代・世界にいる先人から見識を得る素晴らしさを
謳っているものと字義的には思えます。

ただ、初対面の人と会うに際して詠まれたという状況を
併せて考えると「梅の香が漂っている春のこの日に、
世に知られるあなたのお目にかかることができました」
と面識を得られたことへの謝辞でもありましょう。

というわけで、この場においてもその2つの意味合い、

すなわち「春が近づく頃合いに、お会いしたことのない
才人・識者の高尚なる知見を(書物等で)得られるのは
この上なく素晴らしいものだなぁ」という感動と、

新しい季節において、今まで存じ上げる機会のなかった
聡明な方々との光栄なるご縁に対しての謝意という
2通りの意味合いを込めて引用したいと思います。



兎も角も長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々の諸々のお心遣いに
いつもながら感謝申し上げる次第です。


優しい創造の光が差し込む3月も素晴らしき出会いで充ちていることを

皆様と共に心から喜びたいと思います。



いつもありがとうございます。


posted by laluz at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2015年02月04日

2015年2月の始まり


皆さま、こんにちは。

久方ぶりの更新になってしまいましたが
その隙に2015年の初月も過ぎていきましたね、

私においても 恒例儀礼の神宮参拝から1ヵ月経過、
まだ1月しか経っていないことを有り難く感じます。

簡単に1ヵ月といえども約2,600,000秒もありますので
1秒の価値を高めて時間の流れを意識していけば
なかなかに多様なことが思索・体験できる長時間です。

成人式やらセンター試験やらと人生の節目となるイベントが
1月にはありましたけれど どのような経路をとられるにせよ
時間の客観的長さそのものは万人に対して等しく同じ。

その時間の密度なり価値なりを能動的に規定していくことで
各々の理想・イメージを現実のものとされるよう
心からお祈り申し上げるのみです。



まづ祝へ 梅を心の 冬籠り  芭蕉


(来るべき春を今からまず祝うがよい。厳しい冬に堪えつつじっと冬籠りする梅の花は、他の花より早く咲くように。)


(本来は来るべき春を想って厳しい冬を越えようという感じながら)
もう立春ですので、句のニュアンスとはやや異なるものの
「まず春を祝おう」という意図は通ずるものがあるでしょう。

また各種受験やら新しい道に向かう準備やらで
篭って力を蓄えておられる方々も多い時期。

他の花たちに先んじて春の訪れを寿ぐ梅の心のように
試練の冬を乗り越えて 輝ける春をお迎え下さればと思います。


兎も角も長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々の諸々のお心遣いに
2015年も変わらず感謝申し上げる次第です。


新しい春の訪れとともに素晴らしい出会いで充ちている2月を

皆様と共に心から喜びたいと思います。



いつもありがとうございます。


posted by laluz at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2015年01月04日

「 新年の誓い 」. .



皆さま、こんにちは。

初詣・新年の誓いをされたことでしょうか。

毎年初の「新年の誓い」でも書いておりますが
当方も平穏に神宮参拝することが出来ました。

元日の恒例儀式として「精神を純化する」
という意味合いを、参拝する毎に強く感じます。





ただ、自分1人で全てを背負えるものでもなく。

今回の滞在においてでさえ、本当に多くの方々に
過分なる待遇・おもてなし・御配慮を頂きましたし、
従前からご信頼・ご支援下さる皆さま方については
申し上げるまでもなく偉大な導きと感じています。


ブログ記事においては、宇宙空間を漂いながら
浮世を静観するような視点を取っていますけれど
皆さまへの感謝の念が揺らぐことはありません。

神宮には、1年(或いは生前全て)の感謝を
申し述べに参りますが、その意味合いと同等に
皆さまに対しましても心からの御礼を申し上げます。


神宮(内宮)の御神体は「八咫鏡(やたのかがみ)」
とされますが、「神聖性」に向き合うことはすなわち
「鏡」前の「自ら」に向き合うことでありましょう。

自らを曇りなき「鏡」のように磨きあげれば、
周囲のどんな小さな光源さえも集光されて、
人の世を明るく照らしていくように感じます。


来年2016年にお礼参りするのが待ち遠しい程ですが
ひと先ずは2015年の至高なる一期一会のご縁に
感謝して、日々楽しんで参ろうかと思います。

改めて宜しくお願い申し上げます!



めづらしき 光さしそふ さかづきは
 もちながらこそ 千世もめぐらめ  (紫式部)


(美しい月が射し込んで光を添えている盃――この満月が大空を永遠に巡るように、盃は皆の手から手へと巡って栄えを祝福し続けるでしょう。)

posted by laluz at 09:48| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2015年01月03日

「2015年」の始まり



年頭にあたり、謹んでご挨拶申し上げます。

旧年中は並々ならぬご厚情を賜り、御礼申し上げます。

本年もご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します。

 




 松立てて  空ほのぼのと  明る門  



夏目漱石の詠んだ有名な句ですけれど、
輝ける新年の到来を優しい気持ちで感じられますね。

ほのぼの(仄々)とは、古典においては、
「かすかに明るくなるさま」という意ですけれど
近現代では「ほんのり心の暖かさが感じられるさま」
という意味でも用いられています。

シンプルなだけに各々の精神・思考に応じて
奥深い解釈をすることもできますが 兎にも角にも、

新年に確かな信念を立て、心気を新たにすることで
また1年、精神の門は栄光に照らされましょう。


この2015年という尊い月日を通して、

各々の「人生」で 各々が理想とする「入門」の上に
あるいは新天地への大いなる「門出」に際し、

優しき祝福の光が 変わらず在りますように。



それでは、年頭のご挨拶まで。

皆様の益々のご清栄を、心よりお祈り申し上げます。



posted by laluz at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2014年12月31日

2014年の終わり



皆さま、こんばんは。

いよいよ2014年を見送って、
2015年を迎える時となりましたね。

2014年も 皆さまには公私にわたって
大変お世話になりました。

もともと時間の流れが緩やかなタイプですけれど
2014年は一層に時間が濃密であったように感じ、
良い意味で本当に長い時間を味わわせて頂きました。

元日から次の元日まで、あるいは生誕日から
次の生誕日までの「1年」という時間単位が
年を経る毎に長く感じるのは至福なこと。

あらゆる時間について有り難く敬意を払えば
ただの1分さえもが至高の閃きを与えてくれ、
1ヵ月を1年間に感じるほど充実感に溢れます。

私と時間を共有している生徒さんやご家庭、
関係諸子の方々全てに心から御礼申し上げます。

私との時間について意義を感じ、言葉以上の
何かを学びとって下さる皆さまの知性と寛容さに
私自身も多くのことを教えられています。

在り難きご縁が続いているのは光栄の極み、
私という現象が各進化の一助になっていれば幸甚です。

2015年も至高の時間の集積であると確信しつつ、
各々「意思の力」を高めていく日々を
思うがままに楽しんで参りましょう!


この1年の御高恩に対して御礼申し上げるに
言葉は無力ですが…万事悉くありがとうございます。


posted by laluz at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾