2017年03月04日

2017年3月の始まり



皆さま、こんにちは。

2017年第2の月も過ぎていきましたね、

毎時この時期に書き触れておりますけれど
個人的には感慨深い誕生月の如月を見送り、
優しい創造の光に包まれる時季を迎えました。


受験生にとっては人生を左右し得る試練・関門が
2月にありましたけれど 各々の理想・志望を
力強い意志で現実のものとされんことを
心からお祈り申し上げるばかりです。



このほどを 花に礼いふ 別れ哉  芭蕉


(此の程お世話になりました御礼を 桜にも言うような、そんなお別れです。)


桜の季節に 芭蕉が滞在先を去る際、滞在中の
おもてなしを含め、有意義な時を過ごせたことに対し
「お世話になりました」と桜に頭を下げる情景。

桜が情緒ある空間を提供してくれたことへの
直接的な謝意もあると思いますが、桜にお礼を
言いたくなるほど滞在先・主人の心遣い自体も
素晴らしかったのだろうことが伝わってきます。

桜の木にまで礼を言いたいほどこの滞在は素晴らしく
あなたに対する心からの感謝は申し上げるまでも
ありません…と、とても知的な別れの挨拶ですね。

…とはいえ、この「剽竹庵」は芭蕉門人の岡本木白
(師・芭蕉の死後は「苔蘇」と号す)の庵なので
正直そこまで堅苦しいものではないでしょうが、
だからこそウィットに富んだ優しさが際立ちます。

「このほど」という解釈がなかなか難しいですけど
それはそれで各々の感じるままで良いのでしょう。


私にとっても「お別れ」を申し上げることが多い時期、
特に3年以上(長い場合は6年を超えて)お付合い
下さったご家庭とのお別れは趣深いものがあります。

個人的には「お別れ」という概念が厳密にはなく
あらゆる星たちが各々の軌道上を動いていく過程の
お近づきだったり遠ざかりだったりする事象に
ことさら感傷的になったりしませんけれど、

「このほど」の長さを考えると、時の流れを
改めて考えさせられることになります…本当に。


特に家庭教師で長らくお伺いしてきた場合は、
長年慣れ親しんだ備品あらゆる全てに謝意を抱きます。
ワンちゃんネコちゃん、庭先の花 木々にも同様に。

もちろん 授業が終わっても軌道が重なったまま
ご縁が続く方々も少なからずいらっしゃいますが、
それも全て 付かず離れず絶妙な距離を取りつつ
万事ご配慮下さる方々の御高徳の故です。

卒業後に生徒さんなりご家庭なりに私から
コンタクトを図ることは100%ありませんので
「永遠の別れ」となる場合もありましょうが、

何れにせよ「滞在中」の諸々のお心遣いに対し
深く御礼申し上げる気持ちに変わりありません。

医師や薬剤師・研究者など各々の目標に向かい、
大学でさらなる進化を遂げて行かれますように。



兎も角も、星たちの運行過程でそれぞれが
互いの重力やらハプニングやらで引きあったり
あるいは離れたりするのも運命の妙と感じる季節。

長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々の諸々のお心遣いに
いつもながら深く感謝申し上げます。


麗らかな春光が、天地を遍く照らしていく3月も

変わらず素晴らしき出会いで充ちていることを
皆様と共に心から喜びたいと思います。



いつもありがとうございます。


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2017年02月04日

2017年2月の始まり



皆さま、こんにちは。

早くも2017年の初月が過ぎていきましたが、
皆さまにおかれましては益々ご清栄のことと存じます。

(…毎年「新年の誓い」という題目で書いておりましたが
推敲してから…と思ってるうちに時宜を過ぎてしまいました。
そろそろかな…とチェックして下さった方々には
ご期待に沿えず、お詫び申し上げます。)


…と、「新年の誓い」の記事は更新できませんでしたが
当方は恒例の神宮参拝を終え、2017年の至高の日々と
素晴らしい2018年の開幕に御礼申し上げた次第です。

昨年度は春にも神宮に訪れておりますので
(AMANEMも予定通りリサーチしておりました)
1年毎の区切りという意味合いは薄れましたが、
元日の恒例儀式として「精神を純化する」
という意味合いは全く変わることがありません。

神宮には、1年(或いは生前全て)の感謝を
申し述べに参りますけれど、その意味合いと等しく
皆さまに対しましても心からの御礼を申し上げます。


去る1月はセンター試験・成人式と、
人生の節目となる行事がありましたけれど、

どのような経路にせよ、志が確かなものである限り
目的地へ近づいているのは確かです。与えられた日々が
充たされたものであるようお祈り申し上げます。




薦を着て 誰人います 花の春  芭蕉


(こもをきて たれひといます はなのはる)

(素晴らしい初春の日、薦(こも)を着たみすぼらしいどこかの方がいらっしゃる。あのような方こそ徳の高い御仁なのだろうなぁ。)



当時、西行の作とされていた『撰集抄』に示される
「遁世者こその徳性」を思い返して詠んだ句。

芭蕉は西行法師を崇敬しており、『撰集抄』も
憧れを持ちつつ西行の視点を追っていたと思いますが、
後世の研究で実際は西行の作品ではなかったと判明…
それはそれで哀愁を感じますが、句としては深いです。

華やかな装いの人々が多い街中で、みすぼらしい姿の
人が佇んでいる、そのような方こそ真の「花」なのだと
そういうニュアンスで讃えているわけですね。

人間という存在は必ずしも強くはないので
不安や恐れを虚飾で覆って隠そうとするもの。

晴れやかな装いの人々でも、その実のところ
精神的には未完成であるように見える反面で、
外装を全て取り払った隠遁者こそ内面が輝いて
見えると。そういう芭蕉の隠遁・厭世観でしょう。

ただまあ、この句については京都の俳人たちに
巻頭に持ってくる句ではないと批判されたように、
一般的にはなかなか理解されにくいところです。

実際 TPOに応じて最低限、周囲に不快感を
生じさせない配慮は為すべきが知的態度でしょうし、
美辞麗句や虚飾に塗れずとも場の空気に一体化する
ような立ち居振る舞いをすることは知性の現れ。

過酷な登山にタキシードで臨むのが滑稽であるように
適切な時・場所・状況に応じた装いを計算する能力も
また当人の内面を露わに映し出すものと思います。

…と、芭蕉の句意について批判しているわけではなく。

外見の華やかさではなく、内面から放たれる輝きこそ
真実の「花」、というところに核心を置くならば
まさしく現代の我々にとっても心に響くでしょう。

わざと汚い恰好をするのでも、あるいは
ムリして豪奢な装いをするのでもなく、
各々の在るがまま自然体で内面の輝きを
放てばそれで宜しいではありませんかと。


このブログ的なものを何故か読んで下さっている皆さまは
きっと、社会的地位(収入・肩書・学歴etc)において
尊敬を集める何らかの拠り所をお持ちの方が多いでしょうが、

(元教え子でも、最難関大に在籍していれば
それだけで一目置かれたり、医師の卵として
 将来を期待されたりということがあるでしょう…)


それも「外装」の一要素でしかないのは同じです。

それらの社会的地位を全て取り払って残るものこそ
内面の輝きの源だとイメージすれば、芭蕉の当句も
きっと より身近に感じられるでしょう。

あらゆる「外装」を除いて考えた時でも
自然と解き放たれる内面的魅力があるのなら
それこそまさしく「真実の花」です。



…と、いつになく長くなりましたね。
いずれにせよ、春の訪れはもうすぐそこに。

もうすでに春の気分を麗らかに楽しんでおられる方も
厳しい寒さの中を頑張っておられる方も、
新しい春の巡りに際して、各々の「花」を
優雅に雄大に咲かせて下さいますように。


春の訪れとともに素晴らしい出会いで充ちている
2月の日々を皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます。



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2017年01月05日

「2017年」の始まり




年頭にあたり、謹んでご挨拶申し上げます。

旧年中は並々ならぬご厚情を賜り、御礼申し上げます。

本年もご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します。

 




 石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも
  


石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨
いはばしる たるみのうへの さわらびの もえいづるはるに なりにけるかも

(雪解け水が激しく流れ落ちる岩の傍でワラビが芽を出す春になったことだなぁ。)



「万葉集 巻八 1418番」
志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこび)の御歌。
早春を迎えた喜びの心を詠んだものとされています。

暖かい初春の歌というよりは、困難が氷解して
激動の中に新しい芽が息吹く安堵・歓喜…でしょうか。

いずれにせよ 2016年の全てを糧にしながら
新たな年に遍く芽吹きを心から慶びましょう。




この2017年という尊い月日を通して、

今まで凝り固まってきた難題などを氷解させながら

雄大に進化変容して行かれますように。




それでは、年頭のご挨拶まで。

皆様の益々のご清栄を、心よりお祈り申し上げます。



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2016年12月31日

2016年の終わり


皆さま、こんばんは。

いよいよ2016年を見送って、
2017年を迎える時となりました!

2016年の日々も 皆さまには
公私にわたって大変お世話になりました。

毎年同じことを申し述べておりますが
2016年も有り難い日々を過ごせましたのは

ひとえに皆々様の温かいご支援のお蔭と
ただただ感謝するばかりです。



去年今年 貫く棒の 如きもの


(こぞことし つらぬくぼうの ごときもの)



高浜虚子の句です。元日に挙げるのがベストでしょうが
この記事を書いているのもあと少しで正月という時なので
この文章を読まれる頃には時宜に適うでしょう。

年が変わる瞬間、ほんの少し前は既に「去年」で
もう今は「今年」という一つの節目に際して、
その底流に雄大に流れている「摂理」はまるで
土台を支える棒のように一貫してそこに在ると。

時々・日々・月々・年々・・とそれぞれの時間尺度に
沿って刻々と変容は繰り返されていきますが、それでも
万象を貫く「理」はいつもそこに在ります。

自ら、あるいは宇宙全体を貫く棒=「理」を
何とするかは各々の思想・世界観によるでしょうが
それが何であれ自らが規定する確かな拠り所があれば
どのような変容(能動的・受動的問わず)に際しても
重心が大きくブレることはないでしょう。

2016年2017年という小さな節目にあっても
いつもそこにあって変わらないものに想いを致し、
どのような激動であっても自らの方向性を狂わさない
確かな支点として 絆を新たにして下さいますように。

…と、ちょっと表現が分かりにくいですね…
とはいえ「変わらないもの」「激動」「方向性」
「絆」という言葉に対して全ての含意を説明するのは
あまりに長くなりますし、読まれる方の感じるままに。


2016年の日々から学ぶところが多々あったと思いますが、
それら全て自らを確かに支える精神の幹として
2017年の日々も存分に吸収して参りましょう。


兎にも角にも 2016年の終わりに際し、

私と時間を共有している生徒さんやご家庭、
関係諸子の方々全てに心から御礼申し上げます。

この1年間の御高恩に対する謝意を
言い尽くすことはできませんが…
2016年 ありがとうございました。



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2016年12月04日

2016年12月の始まり



皆さま、こんにちは。

とうとう2016年の約93%が過ぎ去りましたが、
皆さまお変わりなくお過ごしのことと存じます。

皆さまの御蔭で2016年も至福の日々を重ねながら
此度の師走を迎えることができました。

今までと これからの全ての「ご縁」に
心からの感謝を申し上げるばかりです。




なかなかに 心をかしき 臘月哉
  芭蕉



なかなかに こころおかしき しはすかな

(世の中は忙しそうに動くという師走だけれども 世俗を離れてみると)かえって風情あるものです… 師走というものは。



「臘月(ろうげつ)」とは、十二月の別名。
句では「師走(しわす)」と読ませています。

wikipediaの記述を参考にしますと…

「臘」=「つなぎあわせる」という意から、新年と旧年の
境目となる旧暦12月のことを「臘月」と称するそうです。
元々は「臘祭」という中国の習慣で、年末に神と祖先の
祭祀を一緒に(つなぎあわせて)行うことに由来するとも。



年末行事やら新年準備やらで周囲せわしくバタバタと
動く時期でもある師走ですけれど、巨視的に見ると、

冬ごもりをして春に備え、新しい年が祝福された日々
であるように願って様々に準備・儀式を行う人間
あるいは諸々の生物の営みは、生命の連関の中で
脈々とつながれていくもの、

本当に愛おしく趣深さをより強く感じる季節です。

寒さが厳しくなってくる時期だからこそ、
生命の温かさや優しさが一層に感じられる
時期でもあるでしょう。


「臘月」といえば、時期的に次の言葉も
目にする機会が多いかもしれませんね。

「看々臘月盡」(みよみよ ろうげつ つく) 

「よくよく観なさい もう十二月も終わってしまう。」
月日の流れは速いもの、日々をよく見なさいという禅語。



禅師・虚堂智愚(1185〜1269)『虚堂録』に
収録されている言葉です。

1年の12月があっという間に終わるのと同じく、
人生もあっという間に終わってしまうもの、
ぼんやり生きず 日々をしっかり見て生きよ、と。


ただ、前後の文脈から考えるともっと「深い」です。

「香林因みに僧問う。萬頃の荒田、是れ誰をか主と為す。
林云わく。看よ看よ臘月盡く。」という流れで説かれます。

香林禅師に一人の僧が尋ねた。
「この広大な荒地は、誰のものですか?」と。
そこで師が答えた。「看よ看よ臘月盡く」と。



一読しただけでは「意味」が分かりませんね。
この荒地は誰のものですか?という問いに
「見なさい、もう12月も終わるぞ」との答え。

ポイントは「荒田」です。字義通り荒れた田畑ではなく
未だ平穏な境地に至っていない、荒れた心を暗示しています。

この僧は修行中の身で、おそらく清浄な境地に至れば
雑念に迷うことない「自らの心」を知覚できると考えたかも
しれませんが…その境地に至る前の「雑音にすぐ乱される心」
というのは、いったい誰に帰属するものなのでしょうか?
という趣旨のことを問いたかったのでしょう。

これに対して、禅師は「そのような些細なことに囚われて
日々の大切なことを見失うな。人生はすぐに過ぎ去る」と
諭したのでした(と、私は解釈しています)

生とは何か?悟りとは何か?を難しく考えながら
知的ぶって歩いているうちに、すぐ傍にある叡智に
気づかずに通り過ぎてしまうのは浅ましい様です。

そもそも忘我の境地に至り、自らの心を万物と
渾然一体にしてその境界の意識さえなくなった時、
「自らの心」というものは果たしてあるのかどうか。

「自らの心」と知覚できるうちはまだ未完成でしょう。
(究極には「完成」という概念さえありませんけれど)


…というわけで、俳句から脱線しましたが「臘月」。

今まさに「2016年終わりの『臘月』」であっても
各々の人生に幕を降ろし、次の世界につなげていく
(かもしれない?)「人生の『臘月』」であっても
満ち足りた心境で安らかに過ごせるならば至上です。



実際、その御肩に大勢の人生がかかっていて
企業・病院などなど各種組織の経営・人的管理に
文字通りご多忙を極めるご父兄各位もおられましょうが、

それにしても人生の臘月は必ず訪れますので、
各々の大切なものをふっと見失わないように
師走だからこそ平静を心がけて2016年を見送り
この上なく優しく2017年を迎えて下さいますように。


2016年の最終章も素晴らしいご縁に充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます!




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2016年11月04日

2016年11月の始まり



皆さま、こんにちは。

2016年 第10番の月も過ぎました。
2016年の約83%が過ぎたことになりますね。

収穫の秋を見送りながら冬の到来に備える月ですが、
皆さま 極上の晩秋を楽しんでおられることと思います。

(昨年の冒頭部そのまま流用しました…1年とは早いもの)



物いへば 唇寒し 穐の風  芭蕉

(ものいえば くちびるさむし あきのかぜ)

( 何か言うと 秋風で唇が寒く感じる季節だなぁ。 )


解釈が分かれているので良くも悪くも有名な句です。

これは句の前詞に

座右之銘 人の短をいふ事なかれ、己が長をとく事なかれ

と添えられているので、それを受けて解釈するかどうかで
説が分かれています。一つは長らく通説とされてきた解釈で、

「他者の短所を悪く言ったり、自らの長所をことさら
説明しようと口を開くと唇が寒くなるものだ。」という
自戒・訓戒の意味を込めたものと捉えるアプローチです。

何やら人の長所短所をことさらに口にすると
肌寒い秋風が吹くように虚しい気がするものだと。

これはこれでなるほどと納得できますし、
俳聖の訓告とすれば説得力もあるというもの。


ただ…芭蕉の句はシンプルの極致を志向していて
そのような下世話な戒めじみた意図はない気もします…。

この句の成立年が正確に分かっていないことも
句の解釈に影響を与えているかと思いますが、
元禄4年という一説に従えば、50歳で世を去る3年前、
47歳頃の作。。「生と死の連関」を追究していた頃の
芭蕉のスケールとしては「口は災いのもとだぞ」的な
そんな小市民的な訓戒をあえて句にするかなぁとも。

季節の移り変わりを旅路の肌身で感じ、自然・宇宙を
洗練された簡潔さで詠んだ俳聖の世界観からすると
「秋風が唇を寒がらせる季節になったのだな…」と
秋風にたたずむ侘び寂びを17文字に圧縮しただけのような。

そう捉える解釈がもう一つのアプローチですが
あくまで個人的には後者の方が好ましいですね。

ただ芭蕉研究者ではないですし、膨大な文献精査など
行っていないので実際のところは分かりません。
句に触れる人それぞれ感じるまま心に響くものがあれば
それこそ芭蕉の句の味わい方だろうと思います。


もちろん「口は災いのもと」という訓示は
いつの時代にあっても有用であることは確かです。

適切な時に適切な対象に適切な分量だけ!というのは
何も「発話」に限ったことではありませんけれど。
料理にせよ調薬にせよ。。およそ人生の営み全てに
多かれ少なかれ当てはまるでしょう。



というわけで11月、肌・唇も寒さを感じる季節ですが
在るがまま 黙々と秋の収穫を終えられますように。

季節の移り変わりが在るがまま自然であるように
各々の進化も在るがまま自明でありましょう。




この11月も素晴らしいご縁で充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。


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2016年10月05日

2016年10月の始まり



皆さま、こんにちは。

2016年 第9番の月も過ぎました。
2016年の約75%が過ぎたことになりますね、

皆さまにおかれましては
大いなる収穫の秋をお過ごしのことと存じます。

(6日11時半に続きを更新完了しました。未明か午前中には〜
と記していた為、早めにチェック下さっていたらすみません…。)





月か花か 問へど四睡の 鼾哉   芭蕉

(つきかはなか とえどしすいの いびきかな)

( 月か花かと風流の道を問うても「四睡図」のように返って来るのは
 ただイビキのみ…という境地こそ風流そのものかな。 )



『四睡図』とは豊干禅師、寒山、拾得、虎が
一緒に寝ている様子を描いた禅画で、禅の真理、
妙なる境地を示すとされる画題として有名です。

*芭蕉が句を捧げた「四睡図」は第50代・羽黒山別当の
天宥(宥誉)の筆によるものですが、ご参考までに
国立博物館所蔵の国宝・重要文化財を閲覧できるサイト
「e 国宝」の「四睡図」解説ページを付しておきます。



寒山・拾得(かんざん・じっとく)は二者だけでも
禅図の主題として有名ですし、森鴎外『寒山拾得』
『寒山拾得縁起』でも触れられていますように、
大衆への訓示として広く親しまれてきました。

この3者については鴎外『寒山拾得』をご覧になると
なんとなく概観できるでしょう(参考:青空文庫の作品ページ)。


「羽黒山」は出羽三山の1つで、「月山」のところで
出羽三山に以前触れました(「2016年6月の始まり」の回)。

天宥法印には「追悼句文」にも次の句を添えています。


 その玉や 羽黒にかへす 法の月(のりのつき) 

(法印の魂は羽黒山に返っておられる、
 迷いの闇を明るく照らす真如の月として。)



さて、天宥法印は稀有な政治力・指導力で
羽黒山の発展・地域振興に力を尽くしましたが、
旧来慣行に囚われず半ば強行に改革を進めた事もあって
反対派からの訴え工作等の結果、幕府裁定で敗訴、
新島に流刑とされ7年後の1674年、82歳で入滅。


「客観的」には無念な最期であったと思われますが、
悟りに至った高僧においてはそのような状態にあっても
「四睡図」のように皆と和気藹々、笑みを湛えながら
眠っているような境地にあると称えているのでしょう。

風雅の道を究める芭蕉において、「風流風雅とは?」と
問うても、ただイビキで応えてくれるような無我の境地を
天宥『四睡図』に改めて見たことと思います。

「風流とは?」と問うこと自体「風流ではない」という。
「悟りとは?」と問うこと自体「悟りの境地にない」という。



…と、禅の公案を考える記事のつもりはないので
この辺りにしますけれど、いずれにせよあらゆる喧噪や
試練の時があっても、心安らかに虎を手なずけるような
心持ちで、緩やかに生きていけるのは至上です。


生き急いでも生き急がなくても、終息は万人に
訪れますからね。せいぜい数十億秒の命数なので
(100年=約31億5,570万秒)、1秒1秒を慈しんで
余命を楽しむに越したことはありません。

…とまあ、一見ネガティブというか厭世的に聞こえる
かもしれませんが、目標達成までの必要時間を考えて
今求められる最適行動を逆算するのは合理的思考です。

ならば、どのように「終息」するかしたいかを考えて
今の健康状態・精神状態を規定しつつ、突然の別れに
なって喚かないように周囲に日々感謝しながら生きる、
というのは「理」に叶っているでしょう。

そうする方が案外、何かと上手くいくものですし。



…と、そのようにのんびり考えられるのも全て
皆さまの大いなるご支援ご厚情によるものです。

万物が各々に与えられた「使命」に沿って
生命力を縦横に生やし栄やしていく季節において、

長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々のお心遣いなど諸々に
毎月のことながら感謝を述べさせて頂きます。


この10月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます!




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