2015年11月04日

2015年11月の始まり



皆さま、こんにちは。

2015年 第10番の月も過ぎました。
2015年の約83%が過ぎたことになりますね。

収穫の秋を見送りながら冬の到来に備える月ですが、
皆さま 極上の晩秋を楽しんでおられることと思います。



物ほしや 袋のうちの 月と花  芭蕉


( 布袋尊の背負う袋の中にはあらゆるものが詰まっているのであろうが、その中にある花鳥風月の心こそ願いたいものだ。 )


日本には本当に様々な神仏がおわしますし、
それぞれに篤く崇敬されています。
民間信仰の中で定着していった七福神の一柱
「布袋尊」も福徳の名高く参拝されていますね。

大きな袋を背負ったふくよかな姿で描かれる
布袋(ほてい)ですが、中国の唐時代に実在した
高僧がモデルとされています。伝説的な逸話から
弥勒菩薩の化身とされ 信仰されていったのでしょう。

片手で天を高く指さして微笑しながら背負っている
布袋尊の大きな袋には、人々の喜捨による施し物が
入っているとされますが、芭蕉はその中においても
月や花など自然を愛おしむ風流の心こそ願いたいもの
…と 詠んだのでした。



さて、この「袋」にあらゆるものを入れているから
「福徳」というわけではないでしょう。物を貯え、
多く所有する人は確かに富裕ではありましょうが、
そのまま福徳高いと言えるわけではありません。

人々の喜捨により、自然と袋に入っていくからこその
「福徳」であって、自ら「貯め込もう」と働きかけるか、
財について全く意識していないかの違いでしょうか。

(随分と前にも「お金が欲しい!」と常に思っている人は
 それほど大きなお金は集まらないというようなことを
 書き述べたと思いますが、その辺りと同趣旨です。)



天を指差しながら微笑むその姿は、まさに「全ては
与えられている」という理を説いてくれているよう。

「全て」自分の袋に入っているのだから、あとは
それを感謝しながら「引き出して用いる」のみ。

芭蕉においても物財を物欲しく思うのではなく
風流の心こそ持ちたいものだと詠んでいますが
そこは俳聖の謙遜でしかないでしょうね。。

布袋尊の袋に 月花を観る感覚は 本当に美しいです。



というわけで11月、悲喜交々が交錯する現世ですが
各々の在るがまま 収穫の秋を楽しんで下さいますように。

喜怒哀楽の全ては各々の有する器量の袋に詰め合わせて
いるだけなのですから、必要な時に必要な分だけ
自らの手で 引き出して参りましょう。



いつもながらこの11月も素晴らしいご縁で充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。


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2015年10月03日

2015年10月の始まり


皆さま、こんにちは。

2015年 第9番の月も過ぎました。
2015年の約75%が過ぎたことになります。

皆さまにおかれましては 申し上げるまでもなく
充ち足りた実りの秋をお過ごしのことと存じます。

( しばらく「2014年」になっていたようでご指摘下さいました
 前年度の記事を再編集して上書きするとこういうミスが出ます…
 この誤植に限った事ではありませんがご丁寧にありがとうございます!)




行く秋や 手をひろげたる 栗の毬   芭蕉


( 心地よい秋が過ぎ行くのを名残惜しむように 栗たちも
 イガを広げてそれを引き留めようとしているようだ。 )



栗たちも毬(いが)を開いていく秋の季節。
毬とは外敵から身を守るためにあるものですが、
栗たちもその毬を開いて秋の行く手を邪魔しているようだと。
そういう 柔らかで微笑ましい一句です。

この句に触れたときの個人的な第一印象としては
いつもは毬で身を守り心を開かない栗さえも
秋が過ぎ行くにつれて別れを惜しんで手を広げているよ
…というような雰囲気を勝手に感じていましたが
この句が詠まれた状況を考えると上述の解釈が
なんとなく妥当かなというところでしょうか。


もう昔になりますが、初めてマンダリンオリエンタル東京に
滞在した際、この句を添えたメッセージカードが置かれていて、
とても微笑ましく思ったのを一層に懐かしく思います。

ウェルカムフルーツetc.に季節の句を添えた礼状のおもてなしは
一時の和みを提供してくれますが、この句を選ぶ意図が
なかなかに面白いと感じたもの(・・毬なの?的な)。
今も適宜に訪れますが時季の句のチョイスを楽しむという
味わい方もあるので 個人的には落ちつける滞在先ですね。



いずれの解釈にせよ 秋の柔らかさと栗のイガの対比、
秋独特の物寂しさなど ふんわりと纏めてある上品な句。

緩やかな心持で世の生命体を眺めていると
浮かんでは消えていく条理の中でも生を謳歌して
雄大な時の流れに充たされているように思えます。

悲喜交々の現世においては時に人間もイガをまとって
心身を外周からガードしたくなることもありましょうが
栗たちさえ秋にはイガを広げて別れを名残惜しみます。


受験や家事・職務など各々に課せられた任務において
疲労困憊することもありましょうし、だからこそ
周囲に対して刺々しくなることもありましょうが、

そういう時こそ不器用ながらも殻を開いて参りましょう。
別れを惜しむ時が来てからイガの心を開くのではなく
時間を共有できていること自体を楽しんで
各々在るべき道を歩んで下さいますように。



・・と、月初の挨拶だけになって久しい上に
記述内容もややワンパターン化していますが
まあ…叡智が行き着くところは「なんとなく
ひとつのところ」に収束していきますからね・・
良い意味でのワンパターンだと善解して下されば。


この10月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます!


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2015年09月03日

2015年9月の始まり


皆さま、こんにちは。

2015年 第8番の月も過ぎましたね。
2015年の約67%が過ぎたことになります!

前回のご挨拶の頃は夏も盛りでしたけれど
今や秋の訪れを感じてすっかり涼やかな時候です。
(去年の文章そのままですけれど1年は早いもの…)

私にとっては1年で最も忙しくなってしまう夏季、
本当に長時間を共有した生徒さんも多い今夏でしたが
皆さまもこの上なく充ち足りた夏の日々を
お過ごしだったことでしょう!

アート散策やら生徒さんの発表会など相応に
足を運んでいるのですけれど、記事化しないまま
月日だけが過ぎ去って今さら更新も…という状況です。

これだけ更新頻度が少ないとわざわざご訪問下さる方も
顔なじみの方々くらいだろうし、まあいいかなと思うものの
先月は夏休みの影響かまた来訪者が急増していたので
(閲覧者でないだろう数値は差し引いて考えても)
最低限は更新しなければ…と思いを新たにしていたりもします。


とりあえず怒涛の夏を終えて一息、
風流な秋をゆっくり味わいたいところです。。



雲をりをり 人をやすめる 月見かな 芭蕉


( ときどきで雲に隠れてしまう名月も だからこそ
  月を見る人をやすめてくれるというものだな。 )



夏とはまた違った表情を味わえる秋の月。
2015年の中秋の名月は9月27日ですけれど
ふと見上げる月はどの瞬間でさえ格別なもの。

雲ひとつない冴え渡る月夜も趣深いですが
雲の間を妖しく浮かぶ深紫の月もまた味わい深い。

そうして雲・風や虫たちの歌声やらが織り成す
4次元のアートは時を忘れて魅入ってしまいます。

この句は、雲に隠れる月だけでなく月見の人々の
動きや心情風景までも想起させてくれる風流な詩です。


月に限った事ではありませんが、「隠れる時」「見えない時」
があるからこそ「現れる時」「見える時」が引き立つもの。

森羅万象において「隠れる」というのは人間の感覚基準で
計られた相対的な判断でしかありませんが、だからこそ
「静・動」「陰・陽」というバランスの上でこそ
事象の本質に近づくことが出来るといえましょう。



音楽も「休符」があってこそ活きるものですが
(「良い音を出す」の先の「良い無音を出す」?)
人の営みも「いかに休符を置くか」が鍵と思います。

学問にせよ受験勉強にせよ、あるいは恋愛・友人関係でも
いかにバランスよく静と動のリズムを掴んで楽しむかという。

一番身近でおそらく人生で最も長く付き合うであろう営み
「呼吸」のリズムはまさに「静と動」の究極の形!

月を見ながら深呼吸するだけでわくわく心躍るような
私のような者はストレスなど溜まりようがないのですが
遍くリズムと同調させながら「呼吸を楽しむ」わけです。


おそらく一つの大きな休符であろう「心停止」の時まで
いちいちストレスなど感じていて何か上手くいくなど
あまりないでしょうから(適度な緊張感は必要としても)、

気合いを入れるべき時はこの上ないほど集中し
休める時にはこの上なく意識集中の鎖を外して
遍く万物の営みに意識をやんわり向けてみる。

日本の秋はそのリズムを身近に感じやすい季節です。

勉強や人間関係においても、目標やら動機やらが
暗雲に隠れて見えにくくなる時がありましょう、

ただ月は変わらずそこにあるように確かな信念があれば
自ずとまた姿を現すもの。そういう時こそ焦り過ぎず
周囲に意識を向けてみるとまた新しい気付きがあると思います。

2014年9月のご挨拶で以下のように書き記しましたが
再び引用して終わりに致しましょう(手抜きではないですよ…)


来る「中秋の名月」に限った事ではありませんが
「在ることが当たり前」と思ってしまいがちな
周囲のあらゆる形象の中に込められた愛情を慈しみ
今まで歩んで来た道を追憶する時間を持つのは大切です。

月だけではなく、本当にあらゆる形象をとって
各々の「生」を後押してしてくれていることを、
周囲の遍く人々が支援して下さっていることを、
じっくり感じ入れば 必然と実り多き秋となりましょう。



9月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。



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2015年08月03日

2015年8月の始まり


皆さま、こんにちは。

2015年 第7番の月も過ぎましたね。
2015年の約58%が過ぎたことになります!

月初のご挨拶のみの更新が続いておりますが…
皆さまのお陰で充ち足りた時間を過ごしております。
皆さま方も日々充実されておられることでしょう。


夏休み期間ということで今年も例年に違わず
授業続きの日々ということになっておりますが
ご信頼下さるご家庭には微力を尽くすのみです。

といっても私自身は何を行うわけでもなく
ご当人の潜在能力を引き出すように心掛けるだけで
褒められるべきは全力を尽くす生徒各人でしかありません。

タイトなスケジュールの時は正午から25時まで
授業していたりしますが、勉強が楽しいといって
1日15時間くらい勉強している子たちもいます。

一般的には「すごい」ことなのかもしれませんが
本来「学び」とは楽しいもの…ゲームに興じるのと同じです。

(「研究・開発」レベルになってくると楽しいだけでは
 済まない「作業」が相応に入ってきますけれども…。)


今まで解けなかったレベルを突破でき、どんどん進化していく。
ハマると寝食を忘れて自分のレベルをあげたくなる
RPGゲームのように、「限界突破」していく過程を
各々と共有できるのは本当に感慨深いものです。

自らが望むがまま壮大に進化して行かれますように!



世の夏や  湖水に浮む  浪の上   芭蕉



( 世は 真夏の暑さにうなされている中、ここは
まるで涼やかな湖の波に浮かんでいるかのようだ。 )



湖上の涼亭に招かれた際の挨拶吟ではありますけれど
現実的な「亭」を句の中には一切読みこんでおらず、
個人的には涼やかなまでの精神的平穏を詠んでいるとも
感じるので、時宜に適うかなと引用した次第です。

とりあえず「暑いと脳が感じる」時期ではありますけれど
その暑さも相対的なもの。世界にはもっと暑い地帯もあります。
所詮は相対的な外的要因の一つに内的平穏が乱されるのは
あまり知的な… 少なくとも優雅な様子ではないでしょう。

もちろん人智を超えた自然の偉力を前にして
ただただ祈ることしかできない状況もありますし
全て「所詮は外的要因」と片づけるのも無責任ですが
それを踏まえても「所詮は人間の小さな感覚」の残影。

(もちろん 熱中症等のサインなど身体からの
 SOSを無視せよといっているのではなく)


自らが理想とする領域・目的に 精神を確置して
その実現のために意識を研ぎ澄ませていれば
外界の要因に不本意に動かされることはないもの。

受験生の方は暑さだけでなく雑音や雑念も入りやすい時期
ですが、自らの信念を拠所に 涼風漂う湖上の人の如く
泰然と各々の道を歩んで下さればと思います。

自分の核にある「情熱」を太陽の大いなる「暑熱」と
リンクさせながら熱烈なる8月を楽しんで参りましょう!


8月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。



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2015年07月05日

2015年7月の始まり


皆さま、こんにちは。

2015年 第6番の月も過ぎました。
2015年の約50%が過ぎたことになりますね。。

更新記事草稿自体は用意していたものの
予想外に授業続きで時間が開いてしまいましたが…
皆さまも日々充実されておられると確信しています!



愚に暗く 茨を掴む 蛍かな   芭蕉


(ただ蛍をとりたい一心で暗闇に手を伸ばすと
 愚かにも手痛い棘をつかんでしまったよ。。 )




前月に続いて「蛍」の句ですけれど趣は大きく違います。

暗闇と思慮の暗さ、蛍の光と理想とを掛けながら
寓意的に人間を説いているような句でしょうか。

周囲の状況・総体を見ることなく私欲に走ると
痛い目を見ると言う俗的な警句ともいえますけれど
人の誤ちと蛍光との情景を想起すると趣深い句ですね。


実際に自力で掴み取ることが有意義なことも多いですが
手に取らないからこその「美」「徳」もあります。

そもそも「蛍の光」など手に掴めるものではなく
(蛍を捕まえたからと言ってその風情までは掴めませんし)
光が映える総体の中でいかに「活かす」かこそ重要です。

にもかかわらず闇雲に手を伸ばしてしまい、蛍どころか
イバラを掴む結果になるのは智に暗いと言えましょう。。



その「光」が本当に欲しいのか、ただ一瞬の気まぐれなのか。

心から熱望するなら状況を把握・熟考しながら
その光の領域に近づけるように思考しなければ。

…確かに、何も考えずにふわふわと機に臨んで
あるがままの変に応ずるのは楽しいものですし、

そもそも人間というものが完璧な存在でない以上
失敗することは進化の前提にありましょうけれど
それでもなお、闇雲に行動した結果の単なる失敗と、
思考した上での失敗では過程が全く違いますよね。

自分だけの「痛み・損失」なら猪突猛進でもいいとして
周りを巻き込むような失敗ならば、最善を尽くした上
それを回避するに越したことはないでしょう。

無知の闇の中を手探りで失敗すること自体は
何ら責められることではないと思いますけれど
知恵の光で周囲を照らせる方がきっと良いはず。

蛍の光や七夕の星空など闇の中の静かな光を
身近に感じる季節において、急ぎ過ぎることなく
志向する光の方向へ手を伸ばして下さいますように。


7月も素晴らしい出会いで充ちていることを

皆様と共に心から喜びたいと思います。



いつも本当にありがとうございます。



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2015年06月03日

2015年6月の始まり


皆さま、こんにちは。

2015年 第5番の月も過ぎました。
2015年の約42%が過ぎたことになりますね。。


兎にも角にも、皆さまの温かいご支援の下で
「ラルース進学塾」という試みも4年間という歳月を
のんびり存在し続けていることになります。

4年という歳月以上に永く至上の時間を過ごせましたが
それもこれも、各方面各位のご厚恩を賜った故と
心より御礼申し上げる次第です。




己が火を 木々に蛍や 花の宿   芭蕉

(蛍たちは 自ら光を放ちながら木々枝々に佇んでいる、
まさに花の宿に宿っているようだ。 )



自分の発する光を「花として木々に宿す」様が
夜の静けさの中にぽうっと浮かぶ花に囲まれた中で
蛍たちが「花の宿」で休んでいるように感じられると。

漢詩の倒置修辞「錯綜顚倒之法(さくそうてんとうのほう)」
によった句で俳句表現としては独創的手法を試しています。
その点で、句としてまとまりが悪いと評されたようですが
個人的にはとても穏やかな空気を感じる一句です。

そもそも蛍の光の明滅乱舞には一様なまとまりなどなく
(カオス系として突き詰めれば「一様性」を定義し得るとしても)
ランダムな光の点在を表現するのに「句の曇り」は
むしろ効果的だとさえ言えましょう。

人世においても、山あり谷ありの周期の中を
喜怒哀楽の配合バランスを色々と変えながら
各々のペースで意識的あるいは無意識に志向する
どこかへと向かって歩んでいくものです、

その中にあって、経済的に華やかな外的環境にあることは
とても有意義ですし、自他をより多く引き上げられる
資財は持っておくに越したことはありませんけれど、

自らの輝きで周囲を照らすことで、その者がいる場所は
そのまま精神的に和み華やぐ時空間となるというのも
やはり知的かつ高尚な現象でありましょう。

この句の蛍たちのように、自らの放つ光で
周囲を華やがせ生を寿ぎながら、それでいて
自分たちも安らぎ落ち着いている在り方は
とても素晴らしいものだなと思います。



「自らの知性をもって周囲を照らす」というのが
ラルースの趣旨でありますけれど、

各々の知力をもって時宜に適う「花(喜びや安心etc.)」を
周囲に添えつつ自らも楽しんで下さればと思います。


ということで、長くお付き合い下さっている方々だけでなく
もう卒業されて医師・研究者の卵として邁進している教え子、
あらゆる面でご支援下さっている各方面の皆々様に
改めての感謝と敬意を申し上げる次第です。


4周年ということでお祝いのお心遣い・お言葉を
ご丁寧に下さった方々には改めて感謝申し上げます。

5年目も輝かしい出会いに充ちていることを
皆さまと共に 心から喜びたいと思います。



いつも本当にありがとうございます。



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2015年05月02日

2015年5月の始まり


皆さま、こんにちは。

先月初のご挨拶以来となってしまいましたが
漲る陽光とともに日々充実されておられるはず。

2015年第4番の月も過ぎていきました、
2015年の約33%が経過したことになりますね。

2015年の3分の1の時間を終えたわけですけれど
強まる日差しとペースを同じくするように
第2ステージの4カ月を溌剌と楽しんで参りましょう。




何の木の 花とはしらず 匂かな   芭蕉



(何という木の花の匂いか分らないが、神妙な花香が漂っているものだ。)




西行法師の「 何事の おはしますかは知らねども
 かたじけなさに 涙こぼるる 」を踏まえた句。

ともに伊勢の神宮を参拝した際に詠まれたとされています。

西行の句は有名ですが、その真意を解するには
なかなか奥深いところがあります。そもそも西行法師は
仏道に身を置いていましたので、神道の神々の霊験に
無節操に涙したというわけではないでしょう…。

「本地垂迹(日本の神々は様々な仏が化身として現れたとする考え)」
の見地から神々の先に「仏=宇宙の根源」を見たかもしれません。

ただ、西行は出家者とは言え…武人・歌人としても
自由に才覚・思索を遊ばせた才人でもありました。
仏教宗派の垣根にも厳格には囚われず、ひいては伊勢に移って
神仏習合の中で真理を追究していたものと考えます。


宗派・教義を超えて、遍く万物の中に美しさを見出し
歌に詠んだ西行法師という認識下で、芭蕉の句を改めますと…

神宮神域の霊妙さは確かに筆舌に尽くしがたいものの
単に神宮の聖域を詠んだだけの句とは思えません。

神宮の花に限らず、どこにでもある名もなき花も
その適所において美しく雅な香りを漂わせます。
木々だけではなく人物においても当てはまりましょう。


どのような人かは存じ上げないけれど、品位ある所作、
あるいは優しき心配りなどをされる人物には、まさに
崇高・清澄なる芳香を感じ取れるものです。

心身を安らかに仄かな香りにさえ感覚を澄ませていると
何物・何者かは存じないものの精妙なる気品を漂わせて
周囲を温かく穏やかに包んでいる存在に気付けます。

人間が「万物の霊長」と言い得るのは、
万物の細部にさえ宇宙を想起できる叡智あればこそ。

忙しく生きていると見落としたり、気づき難いことも
ありましょうが、深呼吸して嗅覚を研ぎ澄ませてみると
いつもそこにある温かい「香」を再確認できましょう。


力強い創造の光に包まれて 万物が生命力を高めるように
皆さま方の温かい御心に包まれていることは日々幸いです。

長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々よりの日々のお心遣いに
(あるいは未だ存じ上げない方々の御配慮にも)
毎月のことながら感謝を述べさせて頂きます。


新緑の光の中、5月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆様と共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます。



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