2020年02月03日

2020年2月の始まり



皆さま、こんにちは。

2020年の初月が過ぎていきましたが、
皆さま 益々ご清栄のことと存じます。


去る1月は(最後の)センター試験・成人式と、
人生の節目となる行事がありましたけれど、

世上では 新型コロナウイルス(2019-nCoV)
対応で関係各位各所は大変なご苦労をされて
おられることと存じます。受験生に限らず
疲労は溜め込まないよう休息は確保しつつ
手洗い等の予防措置を怠らないことが肝要です。

節分を経てまた新たに始まる季期が
平穏に充たされたものでありますよう
お祈り申し上げるばかりです。




袖ひぢて むすびし水の こほれるを
 春立つ今日の 風やとくらむ



(夏には袖を濡らしながら掬っていた水が
 冬に凍っていたのを、立春である今日の今頃
 春風が解かしているのだろうか。)



『古今和歌集』(巻一 春歌上2)
紀 貫之の和歌です。

「袖ひつ」は夏の情景を、
「こほれる」は冬の情景を、
「春立つ」は春の情景を 表します。

夏から秋冬そして今や立春と…本当に
早い(速い)ものだなぁと感じる方も
多くいらっしゃることでしょう。

現実社会(正確には現代社会)に生きていると、
好むと好まざると"タイムリミット"を
要所要所で意識させられますし。
その終節が心臓停止と言えましょうか。


このような物言いは何か自分はそうではないけど…的な
ニュアンスを感じる方もおられるかも知れませんが、
うーん、果たしてどうなのでしょう。

先生は最近どんなことにハマってるの?とか、
どんなことを考えて生きているの?とか聞かれた場合
(相手によりますが)対極思考の例を出しつつ
「時間が存在する」という立場の対極に立つと
どうなるか考えてるかなぁと答えます。

時間が存在しない、或いは過去現在未来という区別は
排他的ではなく"共時に存在"しているという次元観の
獲得と言いましょうか。これがなかなか難しいんですが
夢の中では興味深い示唆・講義(?)を得られたりして、
それをメモしながら更に探究…という。趣深いパズルです。

とか書いていますと「オカシイ人」にしか
思えないので(否定も出来ませんけれど…)
この辺で止めておくとして、兎も角そういう訳で

昔ほど「時間」に振り回されないと言いますか、
速いとも遅いとも特に思わないと言いますか、
ただただ「今・現在」が幸せで有り難いなぁ
としか感じていないというのが本音です。



脱線はこの辺りで今月の和歌に戻りますと。

夏冬春が"同時"に詠み込まれていて。
今春の情景も"想像"しているに過ぎず。

秋そのものは明示されないものの、必然に
夏冬の以降間に秋の情景は想起されますよね。


すなわち去年の夏(過去)から今の立春(現在)
そして新しく始まる春(未来)に渡る"水"の
変移を完全な心証風景として詠んでいる美。

去年に限らず幼少の情景さえ想起されるなら
まさに三十一字に悠久の過去現在未来という
「時」を包み込んだかのような優雅を感じます。



あー そこに着地したかった故の時間のお話ね…
なるほど。。と思われるかは兎も角そんな感じで
個人的には趣深く感じられる名歌の1つです。


それでは、今回はこの辺で。


2020年立春に際し、各々にとっての「春」が
麗らかに訪れる時を 祝福申し上げます。

適時適切に為すべきことを為していれば
自然の摂理に従って"水"が流れ出ずるように
各々の目指すべき道も開かれるでしょう。




掛替えなき2月の日々もまた
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます。


(2月も世界情勢が許す限り 16日前後に
 もう1回更新できれば良いなと思っています)
posted by laluz at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2020年01月15日

芸術との饗宴


皆さま、こんにちは。

「新年の誓い」の表題で年頭更新していたのも
ここ数年はスルーしていますけれど・・

皆さまも初詣・新年の誓いをされたと思います。
当方も無事に神宮参拝することが出来ました。

元日の恒例儀式として「精神を純化する」
意味合いを参拝する毎に強く感じますが、
今回で継続15年目になるということで
平穏に御礼参りできることに有難さも一入です。

※「私は特定の主義宗派を信奉・執心していない」旨を適宜に申し述べておりますが、「聖大なる自然力」を感じる地には ただただ敬意を以て感謝申し上げるというスタンスです。


さて、伊勢の神宮に限らず 日本の神社仏閣は
その教義宗派を別にしても、伝統祭祀祭儀などの
無形文化財・工芸や建築における芸術性の
奥深さも筆舌に尽くせないものがあります。

遺跡・建造物や彫像図画etc.が国宝指定である
場合も多いですし(教科書に掲載されていたり)、
"日本史の謎"に迫る上でも知性が磨かれます。

その意味では、神社仏閣探訪はアートに交わる旅と
言えるものです。今回の巡礼旅においては特に
「光と闇」の対照が印象深いものでした。

アート探訪は変わらず足を運んでいますが
「芸術との〜〜」という表題での更新は
久しく無かったので (2015年03月22日以来)
少しばかりご紹介しようと思います。

※神域など写真を撮れない場所が多いので少し物足らないと思いますが…


御礼参りの順に挙げれば・・

・外宮(豊受大神宮/多賀宮/土宮/風宮)
・内宮(皇大神宮/荒祭宮/風日祈宮/滝祭神 /大山祇神社)
・猿田彦神社 /佐瑠女神社
・月読宮/月讀荒御魂宮/伊佐奈岐宮/伊佐奈弥宮
・倭姫宮
・伊雑宮 /佐美長神社(佐美長御前神社)
・瀧原宮/瀧原竝宮 /若宮神社/長由介神社(川島神社)
・月夜見宮

・天河大弁財天社
・石上神宮
・飛鳥坐神社(・飛鳥寺・橘寺)
・石舞台古墳
・大神神社
・桧原神社
・龗神神社(八大龍王弁財天) 
・狭井神社/ 三輪山 登拝


(* 摂末社・所管社は全てを列記していませんが、概ね上記の通り。)

御朱印集めはしませんし、ご利益の願掛け等も
一切しないので、純粋に御縁を頂いたところへ
御礼を申上げに参るという巡礼の旅です。

人間社会でも御世話になった恩人方々へ
謝意を伝える場合、この人だけでいいかぁとは
通常ならないのと同じ感覚でしょうか。

(ご利益祈願される場合は、所縁ある寺社1所に
 された方がいいでしょうね、誰彼と構わず
 願い事ばかりする者は信用されないのと同じで)



・2020年元日 内宮の大篝火
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・猿田彦神社の篝火
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闇と光のコントラストが美しい 伊佐奈岐宮/伊佐奈弥宮
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倭姫宮(漆黒の静寂の中に鎮まる)
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・伊雑宮 (未明の光が幻想的。深奥に誘われるほどの"神気")
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・ほぼ初日の出@佐美長神社(すごく柔らかく優しい光)
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・ゼロ磁場?の影響か捻れる木々たち(瀧原宮)
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・柔らかい時空間(天河大弁財天社)
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・神鶏の声の夜明け(石上神宮)
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・清鎰な光(飛鳥坐神社 奥の社)
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・悠久の時を感じる光(石舞台古墳内 玄室)
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・・などなど、大いなる自然の優しさ・
奥深さを感じる写真に恵まれましたが、
不意に「動画モード」になって "風" が
自然と撮れている場面が多々ありまして
(サイズ的に)上げていないのも結構あります。

(写真がない場所の多くは そのためです。三ツ鳥居の前では必ず"風"だったり)

神宮の御垣内参拝は大晦日〜元日の一夜のみ
日付を跨いで聖域内に参入できるのですが
神秘的な篝火に闇が照らされ「美しい」と
表現することさえ畏れ多いほどでした。
(撮影できないのでご紹介できませんが…)

三輪山の登拝も撮影禁止ですので写真は
ありませんが、頂の磐座はすごい "場" です。

神社仏閣への巡礼は 礼節を重んじる立場上
三輪山もスーツで登拝、しかしネクタイを
外したままという痛恨のミスもあったり。。



「法悦のマグダラのマリア」(1606年/個人蔵)
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2016年に西洋美術館で世界初公開された
カラヴァッジョの"Mary Magdalen in Ecstasy"
大阪あべのハルカス美術館に来ていました。

"光と闇の対照"の締めに相応しい美しさ。


大いなる自然・宇宙の理 を前に、
畏れ多い"力"を前にして、ただただ
在り難き日々に感謝を捧げていると、
光と闇の織り成す「饗宴」に招かれた感じです。

プラトンは偉作『饗宴(Symposium)』で、

"愛"の極致に近づく時、あらゆる"美"が同一不二であることを悟り、
突如として生ずることも滅することも増すことも減ることもない
独立自存して永久に独特無二の「美そのもの」を観得する…


…と エロース(愛)に関して語ります。
(師ソクラテスの言葉として)

明暗・美醜・貴賤・新旧という相対性を超え
ただ「在り難きが在る "全き美"」への崇敬。

そんなことを漆黒無人の静寂の聖域で
なんとなく「饗宴」的に諭された旅でした。


2021年にお礼参りするのが待ち遠しいですが
今年も様々な場所や生命体(或いは非生命)との
心躍る出会いが結いて行かれるんだろうなぁと
相も変わらず日々ワクワクしています。

2020年の素晴らしい時空に感謝しつつ
皆さまとの御縁を大切に歩んで参ろうと思います。


改めて本年も宜しくお願い申し上げます!


posted by laluz at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アートな話

2020年01月05日

「2020年」の始まり



年頭にあたり、謹んでご挨拶申し上げます。

旧年中は並々ならぬご厚情を賜り、御礼申し上げます。

本年もご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します。

 



 
新しき 年の初めに 豊の年
 しるすとならし 雪の降れるは
  



新 年乃婆自米尓 豊乃登之 思流須登奈良思 雪能敷礼流波

あらたしき としのはじめに とよのとし しるすとならし ゆきのふれるは



( 新しい年の初めに実り多い年になるだろうと
告げる吉兆に相違ない。この降り続く雪は。)




『万葉集』巻第十七 3925」葛井連諸会
(ふぢいのむらじもろあい)の和歌。

年末年始は大寒波到来という予測ながら
大混乱はなく何よりでした。もちろん
雪国の方々は大変だったと思います…

(雪が降るかなと予測して 今回の和歌を引用した草稿を
書いていたところ 前予想ほど雪日という感じでもなく。

差し替えようと思いましたけれど、4〜5日に寒気がまた
戻ってくるとのことでしたので、「吉兆の雪」のまま更新しておきます。)




10月の和歌で紅葉を"幣"に例えたように、

日々の何気ない些細な事象の全てが
自分への餞(はなむけ)と受け止めて

自らが吉兆の顕現であるかの如くに
2020年も輝かしく楽しんで参りましょう!




それでは、年頭のご挨拶まで。

皆様の益々のご清栄を、心よりお祈り申し上げます。



posted by laluz at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2019年12月31日

2019年の終わり


皆さま、こんにちは。

いよいよ2019年を見送って
2020年を迎える時となりましたね。

2019年の日々も 皆さまには
公私にわたって大変お世話になりました。

毎年毎回 同じことを申し述べておりますが
2019年も有り難い日々を過ごせましたのも
ひとえに皆々様の温かいご支援のお蔭と
ただただ感謝するばかりです。



冬ながら 空より花の 散りくるは
 雲のあなたは 春にやあるらむ



冬なのに空から花が降ってくるのは、雲の向こう側は春なのだろうか。



古今和歌集(巻六330) 清原 深養父
(きよはらのふかやぶ)の和歌です。

清原深養父は 平安時代中期の歌人
(中古三十六歌仙の一人)で
清少納言の曽祖父(高祖父との説も)。



ちらちらと雪の降ってくる様を
花びらが舞い散るに喩えて、

雲の下は厳しい冬だけれども
雲の向こうには春がすぐそこに
来ているんだなぁという優しい和歌。 

まあ、雪国の方々からすれば
所詮は雪の怖さを知らない貴族の戯言よ…
と冷笑を浴びるのかもしれませんけれど、

寒い日々の細やかな心配りなどを
花の温かさのように感じることは
きっとあることでしょう。

「雲のあなたは 春にやあるらむ」
という語意とは完全にズレますが、

寒い中でも背筋を正しながら、
優しい花のような笑顔の人物なら
まるで「あなたは春にやあるらむ」と
周囲を温かい気持ちにさせるはず。

現実の季節がどうであっても
周囲や自分の心境・心持が厳寒の
大吹雪なら人生は冷たいままでしょうし。

そういう意味では、結局のところ
自分の心持次第で、ある程度は
優しい季節を近づけたり遠ざけたり
できるものかなと感じますね。


大掃除やらで身の回りの整理をされた方も
そうでない方も、少なくとも「精神」は
一新して2020年の訪れを心待ちに。

2019年が万事順調だった方も反省点が
多かった方も、2020年は素晴らしい日々
になると確信とともに寿ぎましょう。

自分自身はもちろんのことながら
周囲にも「春」を感じさせるように
優雅な日々を楽しんで参りたいものです。


兎にも角にも 2019年の終わりに際し、

私と時間を共有している生徒さんやご家庭、
関係諸子の方々全てに心から御礼申し上げます。

この1年間の御高恩に対する謝意を
言い尽くすことはできませんが…
2019年も本当に有難うございました!


posted by laluz at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2019年12月20日

価値観の転換


皆さま、こんにちは。

中旬と申し上げていた
12月の2回目更新です。
(下旬になってしまいすみません…)

このラルースの塔でも適宜書いて
来た「対極思考」ですけど、

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感情論としてはNO だけれども、YES の立場になり切って考えてみると、状況はどう見えるか?そのように変化していくと考えられるか?現状で存在する(と考えられる)メリット・デメリットというものは、どう変化するか?ということを「壮大なスケール」で考える試み、それが「対極思考」の核心です。(2012年05月01日

要するに、今まで見ていた景色や状況を正反対の立場から眺めてみると、今までの思考スタンスは変わりうるのかどうか?という思考の検証です。
「対極思考」のポイントは、あらゆる事象に対してさまざまな思考が存在するということを知り、そのどれについても執着することなく自由に思考を行き来することができるかどうか?が「脳の柔軟性」を極端に高めるということです。

先入観に囚われることなく自由な発想で色々な角度から事象を探究してみることは(もちろん人間心理についても同様です)、今まで気づきにくかったことを浮かび上がらせ物事の微細な美しさを知ることにも繋がります。(2012年04月25日

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・・・というように述べました。

非合理的な常識・固定観念に囚われず、
視点・焦点を柔軟に変化させながら
全容を俯瞰して観ようとすることが、
知能を大いに刺激するということです。


そのことに関連して、何かコツとか
先生が意識していたことはありますか?
という質問など受けることもあります。

そう問われてふと思いつくのは
藤子・F・不二雄のSF作品など
"価値観を揺さぶるようなテーマに
多く触れること" が一つに挙げられます。


藤子・F・不二雄(藤本 弘)
(1933年12月1日 - 1996年9月23日)は
言わずとしれた『ドラえもん』の作者。

『パーマン』『キテレツ大百科』
『エスパー魔美』など子供向けの作品で
有名な漫画家ですが、SF短編として
奥深く哲学的な作品も多く遺しています。


この"SF"はScience Fiction ではなく
Sukoshi Fushigi(スコシ フシギ)とのこと。


SF短編だけでも110編を超える中で
そのほとんどが秀逸なのですけれど
個人的に印象強く残っているものを
ご紹介してみようと思います。


ミノタウロスの皿 (1969年)

宇宙船が故障してしまい、地球のような惑星「イノックス星」に不時着した主人公は、そこで偶然出会った少女・ミノアに助けてもらう。この星では、牛のような姿をした"ズン類"が世界を支配しており、ミノアたち人間は"ウス"と呼ばれ、"ズン類"に食用、愛玩用として飼育されていたのだった。主人公は喜んで食べられようとするミノアを助け出そうと説得に奔走するが…

…という、人間と家畜の立場が逆転した世界のお話。

人が牛豚などの家畜を当たり前に食べている中、
それが逆だったら?と、価値観の転換を
考えさせられる作品です。

今の私は ほぼ菜食("卵"は頂きます)に
なっていますし、昔から食肉は好きではなかったので

個人的には衝撃という訳でもありませんが
この作品が50年前に書かれたことは驚きです。



ヒョンヒョロ (1971年)

ある日、マーちゃんは「お星さまを拾った」「円盤に乗ったウサギさんを見た」と言い出すが、両親は子供の戯言だと信じなかった。その後、マーちゃんは「ウサギさんから貰った手紙」を両親に見せる。手紙には「脅迫状。ヒョンヒョロを差し出さないと誘拐するてす。マーちゃんどの」といった内容が書かれていた。またも大人は信じなかったが、彼らの前にうさぎのような異生物が姿を現し、ヒョンヒョロを要求するが……


子供の話をまともに信じようとしない
大人の浅はかさや、身勝手さへの警鐘
とはいえ、衝撃的な結末です。

個人的はかなり印象深い作品。



カンビュセスの籤 (1977年)

紀元前500年頃、ペルシア王カンビュセスは5万の軍勢でエチオピア遠征を企てたが、やがて食糧が尽き、乗馬も草木も食べ尽くした兵士たちが生きるために選んだ手段は、10人が1組となって籤(くじ)を引き、当たった1人を糧食とする残酷なものだった。籤に当たった兵士・サルクは逃亡するも見知らぬ空間にさまよい、力尽き倒れたところをエステルという女性に救われる。

翻訳の機械が直り、ようやく会話が出来るようになると、互いの境遇を知る。ここは人間同士の終末戦争で荒れ果てて植物も育たない、23万年後の未来の地球だった。1万年の冬眠のたびに籤で1人を選び、食料(ミートキューブ)にして生き延びるという手段をとってきた結果、エステルが最後の1人となっていた。

この話を聞いたサルクは、自分に出されていた食料が"人間"であると知り愕然とする。エステルは2本の籤を差し出し、どちらが食料になるか籤引きで決めると言い、「籤を引いて」とサルクに詰め寄るが…


「何故そこまでして生き延びなければならないのか」
「私達には生き延びる義務があるの」

…というセリフからも「生きるとは?」
を考えさせられる 名作と思います。

"生きるためには食べなければならない"
という固定観念に囚われずに柔軟に
"じゃあ食べずに生きられる身体になろう"
と思える自分はなかなか特異かもながら…

生命倫理を考える上でも秀逸な題材です。



流血鬼 (1978年)

「マチスン・ウイルス」に感染すると吸血鬼のようになる奇病が日本にも広まり始めたある夜、吸血鬼たちがウィルスをガス状にして散布し、主人公たち以外は感染してしまう。両親や近隣住民も吸血鬼と化した街から、秘密の洞穴に逃げ込むと木杭と十字架で吸血鬼たちへの抵抗を始めるが… 吸血鬼の正体は、ウィルスの感染によってより強い生命力を得て進化した新人類であり、ウィルスを感染させて新人類を増やすために吸血を行っていたという驚愕の事実を明かされる・・


吸血鬼=殺人者と見なして、心臓に杭を打つ少年に対し、
「私たちが吸血鬼ならばあなたは流血鬼」と。

吸血鬼を殺して血を流す流血鬼(人間)であるより
人を殺したりせず「血を吸うだけ」の吸血鬼の方が
良き存在ではないですか??

…と、これまた価値観を揺さぶって
考えさせられる作品ですね。

リチャード・マシスンの小説『地球最後の男』
が元になっているとされていますが、
藤子F作品の結末の方が素晴らしいです。


さて…あらすじの分だけどうしても
長くなるのは仕方ないとしても
まだ4作品しか挙げていないのに
このペースは長くなり過ぎですね。

本当にまだまだご紹介すべき名作は
枚挙に暇ないのですけど、

間引き (1974年)
耳太郎(1976年)
未来ドロボウ(1977年)
ぼくは神様 (1977年)
創世日記(1979年)

この辺りは、大人にも子供にも
有益な学びが与えられる名作かと思います。


日々の"当たり前"に縛られずに
柔軟に思考思索していくと同時に、

日々の"当たり前"にこそ掛け替えなき
幸せの鍵が隠されているのだと気付くこと。

「価値観の転換」とは、自分が
未だ気付いていなかった本当の価値を
見出す "きっかけ"にもなります。



"人は失ってみて初めてその価値に気づく"
的なことは、古来から言われてきますが、
どうせなら失う前に気付けた方が嬉しいですよね。

日々支えて下さる周囲全てに
改めて意を配りながら
楽しく歩んで参りましょう。

それでは、今回はこの辺で。

有意義な年末をお過ごし下さいね。


posted by laluz at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 「脳」の使い方

2019年12月04日

2019年12月の始まり



皆さま、こんにちは。

2019年の約93%が過ぎ去りましたが、
充実の日々をお過ごしのことと存じます。

皆さまの御蔭で2019年も平穏に過ごせ
無事に師走を迎えることができました。

知覚出来るもの出来ないもの問わず
諸々の必然が 本当に有難いです。



おほぞらの 月の光し きよければ
 影見し水ぞ まづこほりける



(大空の月の光が清らかに冴えるので
 その月影を見た水が何よりまず凍ったことよ。)


『古今和歌集』巻六 316
作者は不明ながら綺麗な和歌ですね。


2018年12月は「張り詰めた寒気で 全てのモノが襟を正すがごとく、水が張っていない地面さえも 月光に照らされて氷のように白く研ぎ澄まされていく情景」として西行の、

さゆと見えて 冬深くなる 月影は
水なき庭に 氷をぞ敷く


を引用しましたけれど、
身が引き締まるほどに冴え渡る月
というところに通ずる趣があります。


"影見し水" の語意については解釈が分かれる点も
あるようですが、ここでは素直に「月を見た水」
と捉えておきます。


月を見る"水"とは何かについては
「月と水」に関連して2018年度に
触れたので(例えば2018年7月の始まり
今回は深入りしませんが、

シンプルに"水"=湖・池の水面が
静かに凍っていく情景を捉えても
美しい冬を感じられると思います。


神域聖域・祭祀遺跡etc.において
心身が凍るほど引き締まるというのは
体感される方も多いでしょうし、

現実においても、人格的に高潔で
凛とした佇まいの中に、圧倒される
オーラを感じさせる賢人というのは
今も昔もおられましょう。

ただ、この"凍り付く"というのは
冷徹な感覚というのでもなく、
思考停止状態に固まるものの
どこか落ち着くような優しさを
確かに感じられるというような。



この「澄み渡るほどの冷気で心身が凍り付く」
体験で個人的に思い入れが強いものが一つあります。

(詳しく書けませんが)天下人らによって
受け継がれて来たとされる御神剣を
握らせて頂く御縁があり、

その時の感覚は今でも忘れ得ぬほどの
圧倒的なプレッシャーというか…
それこそ澄み渡る神気を前にして
心身が凍り付くという感覚でした。

汝はこの剣を握るに足る者か?と
問われているかのような威圧感、
それでいて見守るような優しさと
吸い込まれそうなほどの美しさ。
身体はともかく精神は畏れ多く震えました。

今は世俗を離れてのんびり生きている
身ですが、心身にハリがなくなりそうな時は
当時の感覚を思い起こしてピンと張り詰め
改め直す契機にしています。



…と、脱線してしまいましたが

冬の月は、1年の疲れや達成感で
緩みがちな心身をピンと張り直して
くれる、冷たくも優しい光です。

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<2019年神迎祭 境内の月>


2018年12月のまとめをあえて流用しますが、

ただただ「寒さに襟を正す」ことで
精神の再調和を意識的に行えば
それに越したことはありません。

日々 心が乱された方もそうでない方も
来る2020年を前に 心音を整えながら
年末を過ごして参りましょう。



それでは、今回はこの辺で。

2019年の最終月も清き時間に充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。


(今月の中旬更新は未定ですが…簡単でも何かしら更新したいと思っています)
posted by laluz at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2019年11月17日

映画のお話 #6



皆さま、こんにちは。

9月以来の月2回目更新ですけど
今回は久々に映画のお話に致します。

(「名言の英語」にする予定でしたが
いまいち短く纏めきれなかったので)


映画のお話 #6 は昔の映画(20世紀後半)で
特に印象深かった作品は?と自問してみて
思い浮かんだ名作を挙げてみようと思います。

*「ラルースの塔」で挙げて問題ない範疇でといつも添えますが、これは名作であっても残酷・残虐・卑猥な描写が激しいものや前提知識がないとやや偏った印象になる…ある意味では「有害になりうる」ものはこのページではあえて挙げない趣旨です。

ただ、今回は考えさせられるというか
「楽しい」作風ではない(ものが多い)ので
小中学生には基本的にお薦め致しません。

設定上、目を背けたい描写もありますし。
精神性が高くなった時には一度観て
おくべき名作かなとは思いますけれど。



ショーシャンクの空に
(The Shawshank Redemption,1994年/アメリカ)


冤罪によって投獄された主人公が、腐敗した刑務所の中でも
希望を捨てずに生き抜いていくヒューマン・ドラマ。

「希望」という正にそれだけを
徹底的に描くための絶望状況というか。

Redemption=贖い(あがない)
鑑賞後この意味を考えてみると良いと思います。

間違いなく映画史に残る作品の一つながら…
興業的には成功とは言えなかったのも分かる気が。
気分転換に観るか〜という娯楽映画ではないですね。



グリーンマイル
(The Green Mile,1999年/アメリカ)


「ショーシャンクの空に」と同じく
原作スティーブン・キング&監督フランク・ダラボン。

大恐慌時代、死刑囚が収監されている刑務所を舞台に、
死刑囚と看守たちとの心の交流を描く中で
人間の本質と罪について考えさせられる作品。

全くハッピーエンドではないですけど
グルーンマイルの方が「解り易い」かも。

「グリーンマイル=監獄から電気椅子に
向かって続く 緑色の通路」のこと。

ネタバレなのでうっすらと書きますと…
奇蹟の力を持つ者が無実の罪で死刑に
なる結末だけ見ると納得できませんが
天に還ることを望んでいた面もあるので
冤罪だけ取り上げて批評するのはどうかなと。


イエス磔刑を想う方もおられるでしょうし
深く考えさせられる名作だと思います。



シンドラーのリスト
(Schindler's List,1993年/アメリカ)


第二次世界大戦時にドイツによるユダヤ人の組織的大量虐殺(ホロコースト)が東欧のドイツ占領地で進む中、ドイツ人実業家オスカー・シンドラーが1100人以上ものポーランド系ユダヤ人を自身が経営する軍需工場に必要な生産力だという名目で絶滅収容所送りを阻止し、その命を救った実話をスピルバーグ監督が映像化。

「東洋のシンドラー」などとも呼ばれる
杉原 千畝(ちうね)の業績も併せて
押さえておくことをお勧めしますね。。



十二人の怒れる男
(12 Angry Men,1957年/アメリカ)


父親殺しで起訴された18歳の少年の判決をめぐり、12人の陪審員のうち、1人だけが少年の無罪を主張する。審判には全員の一致が必要で、それまでは蒸し暑い部屋から出ることができない。果たして12人が出した結論とは?

全編白黒映像で、場所もほぼ陪審員室のみ。
脚本展開で引き込む密室劇の金字塔。

学生時代に指導教授との雑談で
『十二人の怒れる男』は観た方がいいよと
言われ、観たらなるほど…と感心して
そういう意味でも印象に残っていますね。


教授からのお薦め話という流れでは
当時ハーバード教授だったと思いますが
生命倫理の話から映画の話になって、
『GATTACA』観たことは?と言われて
その後で観たという点で同様に印象的。

ガタカ
(GATTACA,1997年/アメリカ)


遺伝子操作により管理された近未来。宇宙飛行士を夢見る青年ビンセントは、劣性の遺伝子のため希望の無い生活を送っていた。そんなある日、ビンセントは闇業者の手配により、事故により身障者となった優秀な遺伝子をもつ元エリート、ジェロームに成りすます偽装の契約を結ぶ。そうして、ジェロームの遺伝子を借りてエリートとなったビンセントは、宇宙飛行施設“ガタカ”に潜り込む…。

題名はDNA塩基 guanine(グアニン)、adenine(アデニン)、thymine(チミン)、cytosine(シトシン)の頭文字に由来。

Consider God's handiwork, who can straighten what He hath made crooked?
(「神の御業を見よ。神が曲げたものを誰が直しえようか」『伝道の書』7:13

…と、生命倫理を考える教材としては
成程と思いますが、惜しい面もあるので
好みが分かれる所でしょうか。



カッコーの巣の上で
(One Flew Over the Cuckoo's Nest,1975年/アメリカ)


精神異常を装って刑務所での強制労働を逃れた男マクマーフィーが、精神病院から自由を勝ちとろうと試みるストーリー。管理主義的な看護婦長に反抗し、病院のルールを片っ端から破っていく主人公に、他の患者は当初困惑していましたが、次第に同じく自由を望むようになっていきます。

映画史に残る名作の一つですけど
すごく悲しい物語と評するに尽きます。
物語というか実際に近いような虐待が
50年ほど前まであったのが驚きです。

One Flew Over the Cuckoo's Nestは
マザーグースの詩に由来しますが
cuckoo's nestは「精神病棟」を
暗に示す蔑称ともなります。

今では飛躍的に患者の尊厳・環境改善が
進んでいるものの、当時は人権など皆無で
ロボトミー(大脳前頭葉切除)手術や
電気ショック措置などが科学的に有効と
評価されていました(日本でも)。

ジョンF・ケネディの妹君ローズマリーも
知的障碍を主因にロボトミー手術を施され
廃人同然となりました。発覚後批判を受け
ケネディ大統領は精神病棟の状況改善に関する
大統領教書を示しますが、大統領暗殺により
隔離政策の改善は後退することになります…。


…と、人間としての尊厳という点から
深く考えさせられる(大人向きの)偉作です。



ベン・ハー
(Ben-Hur,1959年/アメリカ)


イエスの誕生に始まって磔刑に終わる救世主の
裏側(というか並行)で進む主人公ベン・ハーの物語。
2016年にもリメイクされています。


…と、そこそこに抑えないと
いくらでも長く長くなるので
今回はこの辺りで終わります。


レインマン (1988年)
レナードの朝 (1990年)
…辺りも、印象深い名作ですね。

中学〜大学生時に観た名作など
もう一度見返したいなぁと思いますが
最近の映画もチェックしておくべきで
なかなか手が(目が?)回りません。。

電子書籍もかなりのペースで
目を通しているので、眼精疲労には
注意しないといけない昨今です。


というわけで、中途半端ながら
映画のお話(往年の名作編)でした。

芸術の秋はもう過ぎますけど
芸術の冬・勉学の冬を楽しんで参りましょう!

いつもありがとうございます。


posted by laluz at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 書物・映画etc..