2019年11月17日

映画のお話 #6



皆さま、こんにちは。

9月以来の月2回目更新ですけど
今回は久々に映画のお話に致します。

(「名言の英語」にする予定でしたが
いまいち短く纏めきれなかったので)


映画のお話 #6 は昔の映画(20世紀後半)で
特に印象深かった作品は?と自問してみて
思い浮かんだ名作を挙げてみようと思います。

*「ラルースの塔」で挙げて問題ない範疇でといつも添えますが、これは名作であっても残酷・残虐・卑猥な描写が激しいものや前提知識がないとやや偏った印象になる…ある意味では「有害になりうる」ものはこのページではあえて挙げない趣旨です。

ただ、今回は考えさせられるというか
「楽しい」作風ではない(ものが多い)ので
小中学生には基本的にお薦め致しません。

設定上、目を背けたい描写もありますし。
精神性が高くなった時には一度観て
おくべき名作かなとは思いますけれど。



ショーシャンクの空に
(The Shawshank Redemption,1994年/アメリカ)


冤罪によって投獄された主人公が、腐敗した刑務所の中でも
希望を捨てずに生き抜いていくヒューマン・ドラマ。

「希望」という正にそれだけを
徹底的に描くための絶望状況というか。

Redemption=贖い(あがない)
鑑賞後この意味を考えてみると良いと思います。

間違いなく映画史に残る作品の一つながら…
興業的には成功とは言えなかったのも分かる気が。
気分転換に観るか〜という娯楽映画ではないですね。



グリーンマイル
(The Green Mile,1999年/アメリカ)


「ショーシャンクの空に」と同じく
原作スティーブン・キング&監督フランク・ダラボン。

大恐慌時代、死刑囚が収監されている刑務所を舞台に、
死刑囚と看守たちとの心の交流を描く中で
人間の本質と罪について考えさせられる作品。

全くハッピーエンドではないですけど
グルーンマイルの方が「解り易い」かも。

「グリーンマイル=監獄から電気椅子に
向かって続く 緑色の通路」のこと。

ネタバレなのでうっすらと書きますと…
奇蹟の力を持つ者が無実の罪で死刑に
なる結末だけ見ると納得できませんが
天に還ることを望んでいた面もあるので
冤罪だけ取り上げて批評するのはどうかなと。


イエス磔刑を想う方もおられるでしょうし
深く考えさせられる名作だと思います。



シンドラーのリスト
(Schindler's List,1993年/アメリカ)


第二次世界大戦時にドイツによるユダヤ人の組織的大量虐殺(ホロコースト)が東欧のドイツ占領地で進む中、ドイツ人実業家オスカー・シンドラーが1100人以上ものポーランド系ユダヤ人を自身が経営する軍需工場に必要な生産力だという名目で絶滅収容所送りを阻止し、その命を救った実話をスピルバーグ監督が映像化。

「東洋のシンドラー」などとも呼ばれる
杉原 千畝(ちうね)の業績も併せて
押さえておくことをお勧めしますね。。



十二人の怒れる男
(12 Angry Men,1957年/アメリカ)


父親殺しで起訴された18歳の少年の判決をめぐり、12人の陪審員のうち、1人だけが少年の無罪を主張する。審判には全員の一致が必要で、それまでは蒸し暑い部屋から出ることができない。果たして12人が出した結論とは?

全編白黒映像で、場所もほぼ陪審員室のみ。
脚本展開で引き込む密室劇の金字塔。

学生時代に指導教授との雑談で
『十二人の怒れる男』は観た方がいいよと
言われ、観たらなるほど…と感心して
そういう意味でも印象に残っていますね。


教授からのお薦め話という流れでは
当時ハーバード教授だったと思いますが
生命倫理の話から映画の話になって、
『GATTACA』観たことは?と言われて
その後で観たという点で同様に印象的。

ガタカ
(GATTACA,1997年/アメリカ)


遺伝子操作により管理された近未来。宇宙飛行士を夢見る青年ビンセントは、劣性の遺伝子のため希望の無い生活を送っていた。そんなある日、ビンセントは闇業者の手配により、事故により身障者となった優秀な遺伝子をもつ元エリート、ジェロームに成りすます偽装の契約を結ぶ。そうして、ジェロームの遺伝子を借りてエリートとなったビンセントは、宇宙飛行施設“ガタカ”に潜り込む…。

題名はDNA塩基 guanine(グアニン)、adenine(アデニン)、thymine(チミン)、cytosine(シトシン)の頭文字に由来。

Consider God's handiwork, who can straighten what He hath made crooked?
(「神の御業を見よ。神が曲げたものを誰が直しえようか」『伝道の書』7:13

…と、生命倫理を考える教材としては
成程と思いますが、惜しい面もあるので
好みが分かれる所でしょうか。



カッコーの巣の上で
(One Flew Over the Cuckoo's Nest,1975年/アメリカ)


精神異常を装って刑務所での強制労働を逃れた男マクマーフィーが、精神病院から自由を勝ちとろうと試みるストーリー。管理主義的な看護婦長に反抗し、病院のルールを片っ端から破っていく主人公に、他の患者は当初困惑していましたが、次第に同じく自由を望むようになっていきます。

映画史に残る名作の一つですけど
すごく悲しい物語と評するに尽きます。
物語というか実際に近いような虐待が
50年ほど前まであったのが驚きです。

One Flew Over the Cuckoo's Nestは
マザーグースの詩に由来しますが
cuckoo's nestは「精神病棟」を
暗に示す蔑称ともなります。

今では飛躍的に患者の尊厳・環境改善が
進んでいるものの、当時は人権など皆無で
ロボトミー(大脳前頭葉切除)手術や
電気ショック措置などが科学的に有効と
評価されていました(日本でも)。

ジョンF・ケネディの妹君ローズマリーも
知的障碍を主因にロボトミー手術を施され
廃人同然となりました。発覚後批判を受け
ケネディ大統領は精神病棟の状況改善に関する
大統領教書を示しますが、大統領暗殺により
隔離政策の改善は後退することになります…。


…と、人間としての尊厳という点から
深く考えさせられる(大人向きの)偉作です。



ベン・ハー
(Ben-Hur,1959年/アメリカ)


イエスの誕生に始まって磔刑に終わる救世主の
裏側(というか並行)で進む主人公ベン・ハーの物語。
2016年にもリメイクされています。


…と、そこそこに抑えないと
いくらでも長く長くなるので
今回はこの辺りで終わります。


レインマン (1988年)
レナードの朝 (1990年)
…辺りも、印象深い名作ですね。

中学〜大学生時に観た名作など
もう一度見返したいなぁと思いますが
最近の映画もチェックしておくべきで
なかなか手が(目が?)回りません。。

電子書籍もかなりのペースで
目を通しているので、眼精疲労には
注意しないといけない昨今です。


というわけで、中途半端ながら
映画のお話(往年の名作編)でした。

芸術の秋はもう過ぎますけど
芸術の冬・勉学の冬を楽しんで参りましょう!

いつもありがとうございます。


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2019年11月04日

2019年11月の始まり


皆さま、こんにちは。

2019年 第10番の月も過ぎました。
2019年の約83%が過ぎたことになります。

現世に不変なるものは無いと言えど
目まぐるしく対応に追われるような
事変が世界で起こっている昨今ですが…

お変わりなくお過ごしでしょうか。

こういう時季は体調を崩しやすいので
くれぐれもご自愛下さいますように。



もみぢ葉の 流れてとまる みなとには
 紅深き 波や立つらむ 


(紅葉の葉が川を流れ流れて留まる河口では、
 深い紅色の波が立つことでしょう。)



『古今和歌集』(巻五293)
 素性法師の和歌です。

「二条の后の東宮の御息所と申しける時に御屏風に竜田川に紅葉流れるかたをかけりけるを題にてよめる」と詞書にあるように、

実際の竜田川を眼前に詠んだ歌ではなく、
屏風絵に描かれた紅葉を題にして詠んだ歌です。

現実の事象を観て、そこから結末や展開を
悲喜交々に想像して詠むというのは常道ですが
そもそも想像の絵から仮想の展開を詠むという点で
想像の広がりが趣深く感じられますね。


何もない間・虚空に「動き」「変化」を加えて
「有・無限の広がり」を見出すのが
空間芸術の深奥。とすれば、静止絵の川に
紅葉の動きを与えて河口の波まで想像させる
この歌は、空間の広がりを生み出す点で
創造的想像というべき知的な美しさがあります。

(あくまで個人的な感想ですけども)


人間は日々刻々、思考認識判断を繰り返し
様々な印象感情を抱いて暮らしますが、
その思考感情の対象は必ずしも「現認」の
事象とは限りません、むしろ「眼で見たもの」
ではない伝聞で判断する方が多いでしょう。

仮に放送映像であっても、編集によって
実際の印象とは全く異なる場合もあります。
良くも悪くも「想像」が介在してきます。

例えば「地球温暖化」という議論においても
真実は温暖化どころか寒冷化に備えなければならない
かもしれないわけです、各データを多角的に見れば。

stacks-image-5f8ffb5-798x546.png
・南極ボストーク基地で掘削された氷床コアに基づくデータ
climate data より引用.

40万年前から数えても約4回の温暖化&氷寒期
を繰り返していますが、約10万年毎の温暖化も
全て「産業革命以降の急激な開発汚染・排気」
的なものなのかと言えば疑問ですよね?

(約10万年の周期で高度知的生命による文明が
 興亡を繰り返している的な異説に従うなら兎も角…)


海底火山活動の放熱による氷床・氷山の融解
それに伴う埋蔵ガスの放出による温暖化+
海面上昇、海流変化に伴う気象異常…
といった「地球の自浄システム」を前に
人間に出来る防衛など気休めのようなもの。

太陽活動の停滞周期や宇宙線量の増減による
地球の気象変動への影響について まだ
研究成果は出揃わないものの、太陽の放射量
増減の前には人類の出すCO2量など誤差…
とまで言いませんが、説得性に欠けます。



もちろん生体に有害な人工化学物質や
温室効果ガスは早急に削減根絶させた方が
合理に決まっていますが、それはあくまで
「生体球」としての地球に敬意を払う
趣旨から行われるべきものであって、

近視眼的に「温暖化」だけしか見ないのも
あまり知的な態度ではないように思います。

(寒冷化の根拠についても疑義反論あり
 温暖化危機を否定する訳ではありませんが
 寒冷リスクも念頭に置くべきという意味です。
 多様な複合要因を総合的に検証しなければ。)



環境問題に限ったことではありませんが、
文字通り玉石混交の情報氾濫の中で
総合的に真偽判断する知性がなければ、
容易に「誘導」されてしまいます。

(私が小論文対策やディベートをする時
 生徒の主張を否定することは絶対なく
 「では、このような反論については?」
 と多角的に判断することを促します。)


長々と何を言いたいか申しますと…

自分の見聞している事象・情報は
「あくまで伝聞描写で 事実の一片かもしれない」
「あるいはそもそも空想・虚偽かもしれない」
という意識を持っておくことの重要性です。



素性法師は、屏風絵は現実そのものでは
ないことを知っていますよね。
その上で、美しい空間の広がりを
現出させました。

同じ絵を見ても、流れる紅葉が
やがて堆積して汚泥に変じる
儚い面を詠むこともできますし、
それはそれでまた趣深しです。


現代においても、フィクション(虚構)は
フィクションとして楽しめば良いのですけど
その真贋を問うことなく盲信・妄信して
虚構を真実のように捉えて悲しみ狂うのは
エンターテイメントの域を超えています。

究極的に「この認識世界そのものが
フィクション(虚構)だ」という主張に対して
私は有効な反論を見出せない状況ですので

「そのまま フィクションの世界を
在るがまま楽しめば良いのでは?」
という結論に与してしまいそうですけれど。


何はともあれ、日々見聞する事象に
ついて思い惑うのも人間の特権とはいえど
どうせなら紅葉の行く末は、汚泥よりも
美しく舞う紅い波をイメージした方が
人生楽しいですよね、ということでした。

人間は苦しむ為に生を受けたのではなく
喜びを感じるために生まれ出でたので
(スパイスとしての艱難辛苦も味わいながら)
在るがままを楽しんで参りましょう。



それでは、今回はこの辺で。
いつもご訪問下さりありがとうございます。

(11月は世界情勢が許す限り 16日前後に
 もう1回更新できれば良いなと思っています)


posted by laluz at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2019年10月04日

2019年10月の始まり



皆さま、こんにちは。

2019年 第9番の月も過ぎました。
2019年も75%を終えたことになりますね。

まあ、残り10%だろうが90%だろうが
「日々時々の事象を味わい愛でる」
これこそ至高の境地と思いますので
時間に振り回される必要はありません。

各々与えられた時間を大切に
実りの秋を楽しんで参りましょう。




秋の山  紅葉をぬさと たむくれば
住む我さへぞ 旅心地する


(秋の山が紅葉を幣のごとく手向けるので、
住居に留まっている私も まるで旅をしている気になります。。)



『古今和歌集』巻五299
紀 貫之(きの つらゆき) の和歌です。


ここに言う「幣(ぬさ)」とは・・

1 祈願または罪穢れを祓うため 神前に供える幣帛(へいはく)。
  紙・麻・木綿(ゆう)などを使う。みてぐら。御幣(ごへい)。
2 旅の無事を祈って贈るもの。はなむけ。【デジタル大辞泉】



ここでは、「道中の安全を祈願する時に使う、
布や紙などを小さく切った切幣(きりぬさ)」
の方です。幣を手向く(ぬさをたむく)とは
旅立つ際に道中の安全を祈願して切幣を
紙吹雪のように降りかけるイメージですね。

最近では見かけることも少ないでしょうが
晴れ舞台や新しい門出で旅立つ者に対して
紙吹雪で送り出すのは、幣を手向く名残でしょう。

新天地への道中・現地での平穏安全を
祈願して行われる 奥ゆかしい営みです。

というわけで、秋の山が旅行道中の
安全を祈って「幣を手向く」ごとく
紅葉を優雅に降り注いでくれるので、
家にいてさえ旅先にいるような気がする
と詠んだ、とても美しい和歌ですね。



10月冒頭の引用としては、紅葉吹雪に
早すぎると言えますが、紅葉に限らず
葉が舞うことは日々ありましょう。

葉っぱが風に吹かれて自身に
優しく降りかかるような時は
あぁ自然が清めてくれているなぁ
と、心安らかに微笑むことが出来ますね。


舞う紅葉を幣に例える和歌は
少なくありませんが、厳しい冬を
越して無事に春を迎えられるように
木々山々ひいては大自然が祈って
くれていると先人は読み解きました。

日々の何気ない些細な事象ですら
どうせなら自分への餞(はなむけ)
と、良いように受け止めましょう。


「うおー 大自然いや宇宙全てが自分を
祝福してくれてる!日々謙虚に頑張ろー」

…と(ちょっと極端かもですけど)
これくらい思い続けられる人は大抵
どの道に進んでも大成しますよね。


それでは、今回はこの辺で。
いつもご訪問下さりありがとうございます。

素晴らしい秋の日々をお過ごし下さいね。


posted by laluz at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2019年09月17日

「表現の自由」など


皆さま、こんにちは。

さて、9月の2回目更新です。
テーマは「表現の自由」などなど・・

ん?先生にしては珍しく現実的な題材では?
と思われそうですが、生徒さんとの雑談
(休憩時や授業後の質問など)で法律の話題は
昔からよく回答するテーマだったりします。

小論文やディベート対策などで「〜の権利」を
論ずる場合の前提整理に限らず、純粋な
知的興味から「先生、こういう場合は
法的にどうなるんです?」という質問は
よく受けて来ました。

「複雑な犯罪」が、どのように刑事処理されるか
完全犯罪を行える前提など興味深く質問する子もいたり。


ラルースブログでは、政治・宗教などについて
原則として触れないスタンスですけれど、
対面の質問では「真実のところ 〜は何が問題・
争点なのですか?」と、客観的な状況・争点
整理を求められることは多々ありますね。

そういうわけで、「表現の自由」も
何回か解説してきたテーマだったため
まとめておくのも良いかと思った訳ですが、

この「表現の自由」論は非常に重要な問題
であるために分量的に「簡単に解説」という
ことさえできません、議論する上での基礎
確認という程度に概観してみましょう。


日本国憲法 第21条
@集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
A検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


…と定められていますね。

第1項について例示されている通り、集会・結社の自由、言論の自由、出版の自由は原則保障されています。「その他一切の表現の自由」という文言通り、人がその思想・意見・主張・感情などを対外的に示す「表現」と言える限り、憲法上尊重されます。

法的素養がある方々には釈迦に説法ですが、ここで前提をおさらいしておきますと、「民主国家における憲法」というのはその性質上、国家・公権力がその国民の権利自由を規制禁止しないよう監視抑制するためのシステムです。

国がいきなり法律で、国家を批判する発言を禁止して違反者を投獄するなど出来たら民主制の破綻ですよね。要するに、主権者である国民の権利自由が侵害されないように、国家権力にブレーキをかけて国民主権・民主主義を守るルールが日本国憲法です(日本国民以外の外国籍の方にも原則的に権利自由は尊重されます)

ただ、Aさんが暴力的な行為表現でBさんの生命身体の安全が脅かされている場合でも、Aさんの行為はある意味「表現」の自由といえるから警察さえ制止できないとなると、Bさんら他者の生命身体の自由(憲法18条等)が侵害されることになります。なので、国民の権利保障といっても、無制限で認められるわけではなく他者の権利自由・公共の利益を害しない限度すなわち「公共の福祉に反しない」範囲で認められるという制約があります。公共の福祉を保護するため必要な場合に限って、国家は国民の権利自由を規制することができるわけですね**

第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


**この「公共の福祉」論は重要なのですが、今回は深入りしません。


逆にいえば、国民v.s.国家権力 ではなく国民v.s.国民という状況については、憲法が直接適用される場面では本来ありません。とはいえ、Aさんや民間企業Bが、Cさんを性別や民族的ルーツで差別する扱いをした場合でも、全く問題ないというのでは「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」とする憲法14条第1項の理念が損なわれてしまいます。

そこで、憲法はあくまで私人(しじん)の間では直接適用されないものの、民法90条の「公序良俗」など一般条項を通じて憲法の理念は各々尊重(間接適用)されるというのが通説です(もちろん別見解もあります)

なので、Cさんは差別的扱いを受けて経済的損害・精神的苦痛を被ったなら、民事手続を通じて不法行為に基づく損害賠償(慰謝料)請求や差別行為の差止め請求などを民法709条等を根拠に求めていくことで保護されます (まあ…仮に裁判を経ずとも弁護士を介した示談交渉など負担かつ面倒ですし、相手の資力によっては賠償金も回収できないので現実には泣き寝入りするケースも少なくありませんが…)

深刻な場合はあわせて刑事手続による名誉毀損罪(内容様態によっては脅迫罪)など刑事罰として法的制裁を求めていくことが可能でしょう (といっても極めて悪質・執拗でない限り 罰金刑かせいぜい執行猶予付き懲役刑ですが…この辺りも今は深入りしません)


とりあえず、ここまでのポイントは @近代憲法は、あくまで国民を守るために国家・公権力を縛ることが目的、A国民の権利自由はそれぞれ等しく保障されるので、他者の権利を侵害しない範囲で保護されるに過ぎない、B刑罰を問う刑事手続と、損害賠償請求などの民事手続はそれぞれ違うよ、というところです (厳密にいえば正確さに欠けますが、教養としてはこの程度の差異を頭に入れて下さればと思います)


この基礎理解で昨今の「表現の自由」に関わる喧騒をみるにも、@表現主体が「公権力あるいは公人」なのか「私人」なのか、Aその表現内容・手段が他者の権利自由を侵害しないものかどうか、という点から考えなければ ただの感情論に墮してしまいます。

例えば、国会議員・地方議会議員の発言であっても、あくまで公的立場を離れた私人としてのプライベートな状況なら一国民の「表現の自由」として最大限尊重されます。逆に、公人すなわち公権力の行使者としての発言なら、国民の権利自由を過度に抑圧するものでないか厳しく問われます。ただ、Twitterなど公私の区別が曖昧な昨今、公僕としての氏名で発言しているなら「公人としての表現」と推定されるでしょう。

ちなみに、国会議員も憲法尊重義務(憲法99条)を負いますが、憲法改正論議を提起できる以上、憲法に反する発言をしたからと言って、それが表現の自由を逸脱するとは直ちに言えません。ただ、憲法改正などの持論・問題提起は、選挙による国民の審判を受ける間際の公開討論なりで賛同を求めるのが本筋です。当選後にそのような重大テーマを新たに扱う場合は、支持者に対して真摯な説明をする道義的責務は求められるという点で、憲法(改正手続きの趣旨)を尊重すべき義務を負うと言えるでしょう。

民間メディアの記事については、出版・報道の自由として「公共の福祉」に反しない限り尊重されるのが原則です。ただ、法的争点としては「問題なし」でも、ビジネス面では抗議に対して素直に謝罪した方が良いところもあるので、その辺りは別次元の考慮が働くことは多いでしょうね。


あと…美術展の内容を公人が中止勧告という問題は、原則論としては「表現の自由」を公権力が規制したと言えそうですが、公的助成・補助金等を受けている場合「税金を使う以上、使途が適正か否かの公的チェックは不可避」です。そのチェックが表現内容そのものではなく(即ち「検閲」ではなく)、表現の場所・方法手段において適切かどうかを客観的に判断し、仮に介入しない場合は反対デモ等で入場者の生命身体の安全が確保されないなど「公共の福祉」の維持に必要不可欠であると認められるなら、その表現(手段)を規制することは可能です。

ポイントは、あくまでその場所その方法での表現をやむを得ず規制しただけで、表現内容そのものを規制したわけではない点です(法的議論に不馴れな方々は屁理屈に聞こえるでしょうが、これは非常に重要です)。日本で一切その表現ができないとなれば憲法違反ですが、公共に混乱を生じない手段様態について禁止されないならば、法的には問題ありません。(民衆の「表現を自由に受け取る権利」があるとしても、別の方法で鑑賞できる機会があるなら 重大な権利侵害とは言えません。)

では、反対デモを取り締まれば良い!という訳にもいかず(集会の自由)、国民v.s.国民の権利衝突の問題となりますので、これはまた別の争点です。"知恵の輪"のように 一つずつ解きほぐさず 力ずくで解こうとしてもムリです(大抵は暴力的・威圧的クレームにしかなりません)

ただ、現状で法的に問題ないとしても、その規制判断・法的根拠が永続的に正しいとは限りません。その時代・状況に応じた問題提起は、大多数の側にとって耳障りであっても、少数意見をひとまず議論の場に拾える社会システムこそ民主政治の成熟には不可欠です。その政治的判断は個々人の意思の集積なので、だからこそ左派・右派と偏ることなく深遠な知性を養うことが肝要です。

「表現の自由」に限ったことではありませんが、一方が権利を主張する場合、相手方にも権利自由があり得ることを前提に、冷静に分析判断を重ねて解決策・妥結点に導くのは何も法的議論に限らず、人間社会でのスキルとしてその価値はますます大きくなっているでしょう(情報弱者として騙されたり搾取されたりするリスクも極小化します)。


・・と、テレビは持たずウェブ上でも世俗ニュースはチェックしない身ですので (質問を受けたら該当ニュースに目を通す程度で 学術的発表や自然・動物コンテンツだけ見ます)、偉そうなことは言えませんが、将来ある学生さんたちは情報分析の精度を上げる上で(理系志望でも)最低限の法的素養はあった方が良いでしょう、もちろん大学入学後からでも良いですけども。


以上、入門レベルながら法的議論のお話でした。
さすがに長過ぎましたね…最後まで読まれた方
本当にお疲れさまでした。

権利自由といっても優先度合いに差もありますが、
その辺りは現代社会・公民分野の授業で習う(習った)
知識を思い出しながら補強しておいて下さればと思います。



引き続き
実り多き秋の日々をお過ごし下さいね。


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2019年09月04日

2019年9月の始まり


皆さま、こんにちは。

2019年 第8番の月も過ぎました。
2019年の約67%を終えたことになりますね。

暑さ涼しさが入り交じり合う時期ですが
皆さまにおかれましては健やかで
微笑ましい日々をお過ごしのことと存じます。



聞くたびに いつも初音と 思ひけん
心に我は 月を見るかな 




久々の西行の(作とされる)和歌です。
「松屋本 山家集」所収。

2018年9月の引用も西行の「月」でしたね。

さて「初音(はつね)」とは鳥や虫の、
その年その季節の最初の鳴声のこと。

鳥や虫たちの季節の鳴き声を聞くたび
いつも初めて聞くような感動を味わえる
清らかな心の中に 私は「月」を見る…と。



学術的に正確なところは分かりませんが
個人的には『金葉集』所収の初音僧正、

聞くたびに めづらしければ 時鳥
いつも初音の 心ちこそすれ


の和歌を踏まえている気がします。


初音僧正と知られる 永縁(ようえん/
1048-1125年)は 興福寺権僧正・歌人。

永縁の歌ではホトトギスですけど、
現世の季節的には蝉から鈴虫のような
秋の虫たちの鳴声に変わる頃合ですね。

人は実年齢が長くなるにつれて
幼少期に初めて知覚した時のような
印象・感動を一々持たなくなります、
(それは「正常」な反応ですけど)

ただ、全ては無常であり、一時すら
「不変」のものなどない が故に、
実のところ知覚する全て「初見・初音」
ともいえるわけです。



そうはいっても、現実に社会人として
生きていく上では、目にし手に取る全てに
心を輝かせながら感動を隠さない人よりは
常に冷静さを保つ人の方が円滑な人間関係を
維持できることも多いでしょう。

その辺りは、別に「無感動」に
なる必要はなく、感動しながらも
その表現を知的で慎み深いものに
洗練させて行けば良いだけですよね?

「いつも在る日常的なこと」に慣れて
わざわざ感動しなくなるのも正常ながら

「当たり前のことと慣れているだけで、
実のところ 当然であることなど何もない」


と気づけば自然と毎回の「一期一会」に
感動を抱かざるを得ないもの。


現実社会で生きていると
なかなか大変な試練もあって
風流どころでない時もあるかもしれませんが、

理(ことわり)を突き詰めていくと
「余裕があるから風流を味わえる」ではなく
「風流を味わうから余裕が生まれる」です。


万象に対して いつも初めて相対する如く
刺激的あるいは楽しみな心持ちで
接していると 面白いことが起こります。


「己の心は世界を映す鏡」あるいは
「世界は己の心を映す鏡」

この真理の言葉の意味を
どのように解するかで人の生は
全く変わってくるように感じます。

「己の心が世界に映る」という
信じがたい「鏡の力」を呑み込めるか否か。



…と、少し和歌から離れましたが

曇りなき月のごとく磨き上げられた
心の鏡に映るモノが世界に映りますよね


というような感じで
今回は終わりに致しましょう。



9月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。



(今月も世界情勢が許す限り 16日前後に
 もう1回更新できれば良いなと思っています)
posted by laluz at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2019年08月17日

スーパーフード



皆さま、こんにちは。

暑さも少しずつ和らぎそうな晩夏
(暦的には初秋の時候ですけど)
いかがお過ごしでしょうか?

さて 今回は久々に健康のテーマです。

「健康」論については学習・教育論よりも
個々人の特性に応じた調整幅が大きいので、
原則論というものが成立しにくい分野。

「健康には〜した方が良い」とか
「〜してはいけない」という通説に
根拠が全くないとは言いませんが、
自分に当てはまるとは限りませんよね。

(早寝早起きや1日3食さえ 人によって
無条件に有益とは限らないように。 )


メディア等で紹介されていたからといって
飛び付く前に「自分にも当てはまるかどうか
慎重かつ冷静に分析判断する」ことが大切です。
健康に限ったことではありませんけども。

実際「何となく良い」と信じられてきたことが
最近になって「効果なし」とか「むしろ有害」
という研究結果が出たりすることもあります。

(枚挙に暇ありませんが…例えば「栄養サプリメントとしてのカルシウム+ビタミンDの併用は脳卒中になるリスクを高める可能性」について Effects of Nutritional Supplements and Dietary Interventions on Cardiovascular Outcomes: An Umbrella Review and Evidence Map

そういう意味で、ラルースブログも
決め付けた健康論は述べませんので、
今回も「〜した方が良い」という趣旨ではなく
健康を考える上での鍵(?)を探るという
ニュアンスで書いてみようと思います。

(そもそも論として、「食べないで生きられるならそれに越したことはない」と考える私の健康法など、一般的には有害でしょうし…)

まず、健康論においては特に顕著と感じますが、
極端な思考を持つ方もおられますよね。。
西洋医学を全否定したり、自然食材崇拝というか
加工食や添加物を狂信的に排除するような。

それはそれで、当人が心から良いと思っていれば
(特に他者に押し付けない限り)問題ないと思いますが、
バランスのとれた知性とは少し離れてしまいます。

(「不食」を考えるあなたはどうなの?っていう
冷酷なツッコミは無しでお願いします)


健康に限らず、偏向的な思考に陥る場合、
自分が信じる主義主張の補強に熱心過ぎて
自説の弱点には眼を背けることが少なくありません。

科学的にあり得ない!という人に限って
科学に無知であったり、健康にうるさい割に
生物学・化学の基礎さえご存知なかったり。

相手を説得するつもりなら、まず反対説の立場になりきって
徹底的に反論を考えてみることがバランスある知的訓練…
ラルースブログで言うところの対極思考ですね。
(「ネガティブ思考?」も参照)

(まあ、究極的には「量子論的に『そのように思考を向けるなら』そのような世界しか観測できないね」とか、「並行宇宙間の『ゆらぎ』は現世軸では双方リンクしないようだ」とかなっちゃうかも知れませんけど、そこまで行き着くとしたら、もはやお互いクスクス笑っていると思います、要するに「溝」など無い。)

その「対極思考」を徹底的に突き詰めて行くと、
『色即是空 空即是色』に至ってしまうので

全ての話題が語るまでもなく「ただ在る」を
肯定して終わってしまうのですけど・・


その少し手前の世界で「思考を遊ばせる」としますと。


西洋医学の進歩は多くの人間のQOLを向上させて来ましたし、新生児の延命率も格段に伸びたことは素晴らしい奇蹟と思います。ただ、先端医療も万能ではなく、まだまだ未知の分野があるので研究者の方々は心血注いでおられますね。

反面で、現代の予防医療が「病を生む」という矛盾が生まれたのも否定できないことです。伝染病を根絶するために公衆衛生を整えた先人のお陰で、多大な命が救われてきました。しかし、その理念は時代とともに変質し、過度の殺菌消毒が謳われて衛生環境としてはかえって「人間に優しくない」事態になりつつあります。要するに、健康を維持するために必要な常在菌まで殺してしまい、自浄防衛作用が著しく減退してしまうという事態です。

これはすごく難しい問題です、いわば「成熟社会の現代病」というか。社会全体としては、一人でも感染罹患させたくないから、効果のある対策を広く勧める。短期的には効果ありだし正解?でも長期的には違う問題が出てきたかも?という。

食糧生産消費システムにおいても、消費者に食中毒など有害な結果は一人も出したくない(企業の自衛の為にも)から、安全のために防腐剤・保存料など添加する。コストを押さえる為に色々と工夫して影響がほぼない範囲で添加物など使用してきたけど、研究が進んで人体には影響軽微な添加物も体内常在菌には意外と無視できない影響がありそうかも?的な。

ただ、影響あるかどうか未知数の対策より 必ず影響ある食中毒防止を優先させるのは、社会の公衆衛生としては問題ないというか当然の判断と思います。

同様に、学校養護施設など幼年・高齢者を守るべき区域で、しっかりと殺菌消毒手洗いうがいというのは、域内感染を防止する意味では間違った施策とは言い難いですよね。それがかえって「病原菌への抵抗力を失わせている」面を重視すれば、学校では少し揺り戻しがあるかも知れませんが、仮にそれで集団感染したら?…責任者として「予防」は過剰になりやすいもの。。


というような現代で、人間の健康には「共生菌」が予想以上に大きく関わっているようだと示す研究結果が色々と現れて来ました。健康業界も「腸活」「菌活」という謎フレーズ(何を伝えたいかは分かるけど)で賑わって久しいですね。


人間は(個人差・測定差に幅があるものの)1000種類以上で約100兆個〜、総重量にして1.0〜2.0Kgもの微生物たちと共生していて、その約90%は腸内細菌叢(腸内フローラ)を形成しています。

我々の身体を形成する細胞数は約60兆個と言われますので、自身を直接形成する細胞よりも(自分自身ではない?)細菌の方が多いという人体=不思議な生態系。皮膚・口腔内・消化管と至るところに細菌たちは常在してくれています。


実際、免疫系も常在菌たちが大きく関わっていることが分かってきました。それらの常在菌たちにとっては、宿主=ヒトの健康は死活問題ですから 日々健康であるよう頑張ってくれている訳ですね〜 別にヒトの為ではなく細菌たちの未来の為なんですけど…。ちなみに腸内細菌のうち、善玉菌・日和見菌・悪玉菌に大別した理想比は 2:7:1 …悪玉菌も存在しないといけないところがまさに人間社会の構造と同じで、儚く愛おしく感じます。。


そういうわけで、常在菌のバランス・多様性は人間の健康を左右し、ある種の共生菌が失われていることで疾病疾患に陥ることも有り得ます。有効な共生菌を「適切に定住させる」ために保菌者の大便をカプセル服用する等の 腸内細菌叢移植(Fecal Microbiota Transplantation: FMT)が行われていたり、「便バンク」で便の買取?すごいなぁと感じたのもつい数年前のこと。

「菌とヒトの共生」というテーマは非常にホットで、なかなか面白い研究も多いです。まあサンプルが少ない例もあるので信用できるにはまだまだこれからという側面もありますが、その知見によって、地産の伝統食がなぜ身体に良いのかという論拠や、アレルギーと常在菌の関係、遺伝的疾患の特効薬など道が開けそうな分野も多々あります。

「共生どころかむしろ菌がヒトの性格や疾病を決定している!」とまでは断言しにくいですけど、生命維持活動に少なからぬ影響を与えているのは否定できないようです。

(個人的に「蚊に刺されにくい」のですけど、皮膚常在菌の多様性が保たれているヒトほど刺されにくいかも?という研究例は興味深いところ。「あまりに神聖な血なので 蚊も畏れ多くて寄ってこない」という自説とどちらに軍配があがるか見ものです。)


・・と、テーマが多岐に壮大なので
1回分の記事では到底書き切れませんけれど、
個人的には今一番ワクワクする話題ですね。

以前も述べましたように、私個人は「食べずに生きられるならそれに越したことはない」と幼い頃から思ってきたわけですけど(食事と不老)、共生菌にゴハンをあげるという視点を得てからは、この子たち(=菌)どんな食材は喜ぶだろう?とより楽しみながら食を考えるようになった気がします(その分、何だか「原始農法」崇拝者に近付いたかも知れませんけど)

といっても、1日1食に±何か(気分で2食だったり0食だったり)という形態や主食(雑穀米&ブロッコリースプラウト)は変わりませんけど、「何か」の部分が変わってきました。味噌・納豆・煮干しなど日本原産のスーパーフードは特筆することもないと思いますので、海外産ながら私と共生している菌たち的にはお好みらしい(一般的にも有益そうな)ものをサラッと書いて今回は終わりにしたいと思います。

@ カカオニブ
A マキベリー
B モリンガ
C ナッツ類 (アーモンド・ピスタチオ・
   クルミ・カシューナッツ・ヘーゼルナッツ etc.)


オーガニック・無添加のものを興味に応じて調べてみると面白い発見も多いと思います(じっくり調べないとネット情報は不正確だったり虚偽も多いので慎重に)。何にせよ信頼できるルートか確認できるものを選ぶことが安心です(その分コストは高くなりますけど)。また、非加熱だと共生菌的には喜びますけど、お腹が繊細な方にはオススメしません。小さいお子さんも止めた方が良いですね、もちろんアレルギー持ちの方も…

…と、本当は詳しく補足していこうと
思ったのですけど、あまりに長くなるので
文字通りサラッと書いて終わります。。


何にせよ 健康食やスーパーフードの類を
食べるだけで健康になれるわけではなく、

心身ともに深くリラックスしながら
いつも支えてくれてありがとうと
諸器官・常在菌に感謝する心持ちで食すれば
食物全てスーパーフードになる気がします。



という感じで草稿を書いたのは早かったのに
参考文献とか数値に誤りがないかチェック等
してたら18日になってしまいました・・
16日前後…まあ許容して下されば幸いです。


それでは、引き続き
100兆ほどの共生菌たちと仲良く
充実した夏を過ごして参りましょう。


posted by laluz at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康面について

2019年08月05日

2019年8月の始まり


皆さま、こんにちは。

2019年 第7番の月も過ぎました。
2019年の約58%経過したわけですけど、
さすがに夏らしく暑いですね。

暑さに負けずに
情熱的な日々をお過ごしでしょうか。


*通常、毎月4日には更新していますが 5日夕方と遅くなってしまいました…
4日にチェックして下さった方々にはお手数おかけしてすみません。




うき草を 雲とやいとふ 夏の池の
 底なる魚も 月をながめば


(浮草を雲であるかのように邪魔なものだと思うのだろうか。
夏の池の底にいる魚も月を眺めるならば。)



源頼政(みなもとのよりまさ)の和歌。

情景を思い浮かべてみると、とても可愛い
イメージですよね。風流この上ない描写です。


源 頼政(1104〜1180年6月20日)は
平安時代末期の武将・公卿・歌人。

保元の乱(1156)、平治の乱(1159)に際し、
いずれも平清盛に味方したので、平氏政権下で
従三位という 当時の武士としては高位に出世。
歌人として秀で、多くの歌合や歌会で活躍し、
歌仙として高い評価を受けていました

(鴨長明『無名抄』参照)。


他方、河内源氏は苦難・悲劇が続きました。
(参考:源氏系統略図genji.jpg

源為義は保元の乱で崇徳上皇側に立って敗れ、一族多くが死罪か流罪。為義嫡男の義朝は、保元の乱で後白河院に唯一味方したため助かるものの、実父の為義ら親兄弟をその手で処刑することになります(手柄の恩賞として助命を願いますが、その甲斐もなく)

続く平治の乱は、信西(藤原通憲)の横暴を正すために義朝らは兵を挙げて信西を討つも、平清盛に敗れ、息子の頼朝(当時13才)らを伴って敗走中に謀殺(頼朝は約20年配流されます)

…と、そのような源氏不遇の時代で、「平家にあらずんば人にあらず」と言われる平氏の専横に不満が高まる中、1179年平清盛がクーデターを起こして後白河法皇を幽閉すると、意を決した頼政は後白河天皇の第三皇子・以仁王(もちひとおう)と結んで平氏打倒の挙兵を計画し、1180年諸国の源氏に平氏打倒の令旨を伝えました。

しかし計画が早期に露見し、準備不足のまま挙兵を余儀なくされ、平氏の追討を受けて宇治平等院の戦いで敗れ、自害(76才)。(この戦いで息子の仲綱、宗綱、兼綱が亡くなりますが、伊豆にいた末子の広綱と、仲綱の子の有綱らは後に頼朝の旗下、平家打倒に加わります。)


頼政と以仁王の挙兵は失敗したものの、
以仁王の令旨は大きく源氏勢を動かし、
これを奉じて配流先から源頼朝(34才)ら
諸国の源氏が一斉に蜂起し、平家を滅亡させる
大きな契機になったのでした。


ただ、頼朝は、平氏滅亡(1185年)後に父 義朝を弔うために勝長寿院を建立しますが、弟 義経とは反目し、暗殺・討伐の兵を徹底して追込み1189年に義経自害(31才)。

1199年 頼朝没(53才)後、長男頼家(1182〜1204)が家督を継ぎ二代将軍となるも、北条一族によって追放・暗殺(21才)。次男 実朝(1192〜1219)が三代将軍となるも頼家の子・公暁に暗殺(26才)。公暁も直後に討ち取られ、源氏将軍家の血統は断絶。


…と、ちょっと厚く書き過ぎましたけど
源氏の不遇・再興・断絶というテーマは
個人的に感じ入るところがあるので。

崇徳院については以前少し触れましたが
(参考:2019年3月の始まり
日本三大怨霊(菅原道真・平将門・崇徳院)
に挙がるほど畏怖の対象となっています。

まあ、暗殺・謀殺の連鎖は源平争乱期に限った
ことではありませんが、深い怨念・呪怨は
その者だけで済まず、その血脈に染み込み
血統が絶えるまで何代にも及ぶと言われます。

そのような不遇の最期であった御魂は、
手厚く弔い償い、昔も今も敬意と畏怖の念を
もってお祀りされ続けています。


…という背景知識の下で今回の和歌を
見てみますと、また違った様相を示すでしょう。


月光の照らす平家の世で
底辺で雌伏し 時を待つ源氏。

浮草が平家の者だとしたら
月光を遮る浮草を疎ましく感じるかも。
もし魚が月を眺めるような心あれば。

源氏再興の志があるならば、という
ところが、悲哀・覚悟を感じさせます。

ただ、平家の繁栄も浮草のように儚く
武家政治の基盤を築いた鎌倉幕府も
露のようにこぼれ落ちました。

浮草の下の魚を思うが如く、
浮雲の下の人間を思う
月(あるいは天)の視点。

血で血を洗う悲劇を 地球各地で
繰り返してきた人間ですけれど、
それでも苦難の時を助け合いながら
乗り越えてきたのもまた人間。

これから先、「人間」の定義も
変わっていくかもしれませんが、
遅くとも確かに進化しているので
平らけく安らけく過ごして参りましょう。



宇宙スケールで考えると、人間さらには動植物全て
一つの小さな球体上で 命を寄せ合う共生体。

ひと時でさえ離れられない「つながり」の中で
(意識できるかはともかく)支え合いながら
せいぜい数十億秒ほどの命を灯しているのに、

些細なことで怒り争ったり、離別を悲しんだり
そんなことを繰り返すのも愛おしいというか
微笑ましいかもしれません、月の視点からは。


(…と、2017年10月の始まりで触れましたように)



ともあれ、異常気象と言うべき気候が
今後も続きますし、各々にとっての試練も
適宜あるものと思いますが…身を捧げて
世を切り開いてきた先人に敬意を払いつつ、
夏の日々を歩んで参りましょう。

それでは、今回はこの辺で。



8月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。




(今月も世界情勢が許せば 16日前後に
 もう1回更新しようと思っています)

posted by laluz at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾