2016年03月04日

2016年3月の始まり



皆さま、こんにちは。

2016年第2の月も過ぎていきましたね、

毎時この時期に書き触れておりますけれど
個人的には感慨深く思う誕生月の如月を見送り、
温かい創造の光が差し始める時季を迎えました。

自身は一般的な社会リズムに左右されない生活を
長らく送っているために経年変化は少ないようですが、
(昔の生徒と久々に会ってもさほど変わらないので
 たまにヴァンパイア疑惑をかけられる程度に)

生徒さんの高潔なる進化・変貌はただ驚嘆しますし
本当に嬉しく思うもの。時の流れを愛しく感じます。


受験生にとっては人生を左右し得る試練のイベントが
2月にありましたけれど 適宜書き記していますように
各々の理想・イメージを現実のものとされんことを
心からお祈り申し上げるばかりです。



木のもとに 汁も膾も 桜かな  芭蕉


(桜下での花見、何から何まで舞い散る花びらで桜一面になってしまうなぁ。)


桜の木の下でのんびり花見をしていると
汁物の椀から膾(なます)と言わず文字通り
何から何までが桜の花びらで満たされる、
そんな春の風情を詠んだとても麗らかな句。

深読みしていけば、

儚く散る花びらが汁椀に浮かぶ如く人の生も
儚く浮世に浮かぶようなもの。しかしながら
それでも桜の木自体は何百年も長く生き続けるように
(霊木・神木レベルになると樹齢千年を優に超えます)
人の精神・思想学問・芸術も長らく生き永らえる。

浮世のあらゆる儚い憂きを、力強く生える桜木の下で
椀に浮かぶ花びらとともに笑顔で飲み干す、

そんな穏やかな風景・境地が見えてきます。


(あくまで私個人の勝手な捉え方なので
 芭蕉研究論において正当な解釈かはともかく)


実際のところ更新時においてはまだ花見に早いですが
文字通り「何から何まで一面、桜で満開になる」という
華やいだイメージで、ご挨拶に添えたいと思います。


兎も角も長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々の諸々のお心遣いに
いつもながら感謝申し上げる次第です。


創造の光を浴びて 万物が再び活き始める3月も

変わらず素晴らしき出会いで充ちていることを
皆様と共に心から喜びたいと思います。



いつもありがとうございます。


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2016年02月02日

2016年2月の始まり



皆さま、こんにちは。

早くも2016年の初月が過ぎていきましたが、
皆さまも英気漲る日々をお過ごしと思います。


(…と、今回は珍しく早いうちに更新準備をしていたものの
軽く推敲してから…と思ってるうちに節分を過ぎてしまいました。
時機を逸した感もありますがそのまま上げておきます。)




梅が香に 追ひもどさるる 寒さかな  芭蕉


(春の訪れを知らせる梅の香に惹かれて 寒さまで舞い戻ってきたようだ。)



新しい春が始まる「立春」の前日は「節分」として
また巡り来る一年の無事を願って鬼を追い払います。

季節の分かれ目は「気」が不安定であると言われ
そのことから鬼に狙われやすいと考えられていました。

大豆=魔滅(まめ)で、鬼=邪気を払うわけですが
その儀式で「鬼」は「福」へと転じるわけですね。

このような古来の風習には全く根拠がない迷信の類も
ないわけではありませんが、多くに意義を見いだせます。

春の「節分」においても、季節の変わり目で
気温も不安定な為、風邪など引きやすい時期、
また暖かくなって気が緩む時期でもありますので
今一度「気」を引き締めて新しい春が喜ばしいものと
なるように、という節目の儀式として重要です。

現代日本のタイムスケジュールにおいても
季節の変わり目でかつ受験や就職・あるいは決算年度等
各々の生息領域においても「気」が澱みやすい時期です。

暖房の効いた部屋に籠って、文字通り「空気が澱む」点で
生活空間においてもリフレッシュが必要な時期でしょう。


そういう意味で、玄関を開放して(物理的にも精神的にも)
澱んだ気を払い(祓い)、能力・脳力を冴えわたらせるには
なかなか深い意味のある「節分」行事と思いますね。

いずれにせよ、春の訪れはもうすぐそこに。

もうすでに春の気分を麗らかに楽しんでおられる方も
厳しい寒さの中を頑張っておられる方も、寒の戻りが
身を引き締めてくれることにさえ感謝して
新しい春の巡りをまた謳歌して下さいますように。



兎も角も長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々の諸々のお心遣いに
2016年も変わらず感謝申し上げる次第です。

(例年に増して新年度のお問い合わせを適宜に頂いていますが
 時期的に慌ただしく、迅速なご対応ができておりませんこと
 ここで改めてお詫び申し上げます。順次ご回答・ご面談等
 させて頂きますので、宜しくお願い申し上げます。)



新しい春の訪れとともに素晴らしい出会いで充ちている2月を
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます。


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2016年01月13日

「 新年の誓い 」…



皆さま、こんにちは。

例年「新年の誓い」という表題で更新していましたが
のんびりペースに慣れてしまってもう月も半ば…
皆さま初詣・新年の誓いをされたことでしょうね。

毎年の「新年の誓い」でも書いておりますが
当方も無事に神宮参拝することが出来ました。

元日の恒例儀式として「精神を純化する」
という意味合いを参拝する毎に強く感じますが、
「精神的な実家」という確かな安らぎも覚えます。

(「私は特定の主義宗派を信奉・執心していない」旨を
 適宜に申し述べておりますが「聖大なる自然力」を感じる地には
 ただただ敬意を以て感謝申し上げるというスタンスです。)


神宮参拝に際しては実に多くの方々に毎年毎回
過分なる待遇・おもてなし・御配慮を頂きますが、
従前からご信頼・ご支援下さる皆さま方については
申し上げるまでもなく在り難き天恵と感じています。

神宮には、1年(或いは生前全て)の感謝を
申し述べに参りますその意味合いと等しく
皆さまに対しましても心からの御礼を申し上げます。


来年にお礼参りするのが待ち遠しい程ですが…と
例年書き記していますけれど、今年は春に再訪予定で
改めてお礼参りできることに今からワクワクしています。

伊勢志摩に新しく現れるAMANリゾート:AMANEM の
訪問も兼ねてなのでバッタリお会いする面々もおられるやも…
(実際、御垣内参拝している私を偶然に見かけて
 お声掛け下さる方もいるのでそういうお引合せは趣深しです)


ともかくも2016年の素晴らしいご縁に感謝しつつ
皆さまとの時間を大切に歩んで参ろうと思います。

改めて宜しくお願い申し上げます!



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2016年01月04日

「2016年」の始まり



年頭にあたり、謹んでご挨拶申し上げます。

旧年中は並々ならぬご厚情を賜り、御礼申し上げます。

本年もご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します。

 




 新しき 年の始めの初春の 今日降る雪の いや思げ吉事  


新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰
あらたしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと


(新たなる年の始めの初春に 今日降りしきる雪のよう
 めでたい吉事が積り重なりますように )



「万葉集巻二十4516番」すなわち万葉集のラストを飾る歌。

あえて多くは語りません、各々が感じるがままに。
新たしき年に遍く吉兆を確信とともに寿ぎましょう。



この2016年という尊い月日を通して、

各々にとって重荷となる積雪もあるかもしれませんが
それらも全て栄光を知らせる吉兆であると喜びながら

大徳へと積み重ねて行かれますように。




それでは、年頭のご挨拶まで。

皆様の益々のご清栄を、心よりお祈り申し上げます。



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2015年12月31日

2015年の終わり



皆さま、こんばんは。

いよいよ2015年を見送って、
2016年を迎える時となりました!

2015年の日々も 皆さまには
公私にわたって大変お世話になりました。

毎年同じことを申し述べておりますが
2015年も時間が凝縮された濃密な日々で、
有り難い時間を味わうことが出来ましたのは

ひとえに皆さま様の温かいご支援のお蔭と
ただただ感謝するばかりです。


元日から次の元日まで、あるいは生誕日から
次の生誕日までの「1年」という時間単位が
年を経る毎に長く感じるのは至福なこと。

あらゆる時間について有り難く敬意を払えば
ただの1分さえもが至高の閃きを与えてくれ、
1ヵ月を1年間に感じるほど充実感に溢れます。

俗世では年齢を重ねるにつれて時間経過を早く感じる
と言われたりもしますが、それは「脳」にとって
「新しいこと」が少なくなっていき、日々が
新鮮さに欠けてしまうことも要因にあります。

幼少期においての1日の「長さ」と 成熟し切ってからの
1日の「長さ」で 感じ方が違うのは合理性もあるものの、

人の生は短し。日々ワクワク感を味わいながら
「長い時間(相対的に)」を過ごすのも悪くありません。

2015年という日々を思い返すと色々と学ぶところが
あったと思いますけれど、それら全てを精神の糧として
2016年の長い日々を味わい尽くして参りましょう。


兎にも角にも 2015年の終わりに際し、

私と時間を共有している生徒さんやご家庭、
関係諸子の方々全てに心から御礼申し上げます。

この1年の御高恩に対して御礼申し上げるに
言葉は無力ですが…万事悉くありがとうございます。



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2015年12月05日

2015年12月の始まり



皆さま、こんにちは。
皆さまお変わりなくお過ごしのことと存じます。

冬らしく冷え込む日々が続きますけれど
とうとう2015年の約93%が過ぎ去りましたね。

時間管理が容易ではない日々で月初の更新も遅くなりましたが
皆さまの御蔭で2015年もこの上なく満ち足りた日々で
此度の師走を迎えることができました。

今までと これからの全ての「ご縁」に
心からの感謝を申し上げるばかりです。




これや世の 煤に染まらぬ 古合子  芭蕉


 これやよの すすにそまらぬ ふるごうし
(これこそが 誠意に包まれて 世の塵に汚れない古合子よ。)


弟子である八十村 路通が、7年ほど前に大阪の旅亭に
置き忘れた合子(蓋付きの椀)を宿の亭主が、わざわざ
粟津まで送り届けてくれたという話を受けての句。

治安・秩序というものを前提し難い現代においてなお
日本の多くの方々は落とし物や忘れ物を不当に取得せず
更には丁寧に届け出るという徳性を持ち合わせていますが
交通の便も悪い江戸時代において遠くまで届けてくれるなど
本当に稀有な出来事であったことが伺い知れます。

「煤払い(すすばらい)」が行われる時季、
丁寧に包まれて「文字通りの煤」にまみれていない点と、
使い古した合子を捨てることなく届けてくれる亭主の
「俗世の精神的な煤」に染まらない親切心をかけて
「煤に染まらぬ」素晴らしさよと称賛しています。



この弟子・路通について詳しいことは分かりませんが
元々は浮浪の物乞いであったのを芭蕉が詩歌の才能を
見出して俳諧の道に生きよと弟子に迎えた人物とされます。

そういう経緯・苦労もあって、路通にとっては
使い古した合子をわざわざ届けてくれる親切心は
感慨深いものであったでしょうし、それゆえに
芭蕉も「煤に染まらぬ」と感じ入ったのでしょうね。

芭蕉は世を去る間際に、自分の死後も路通を見放すことなく
風流の道に生きられるようにと他の弟子に託しています。

世俗の垢・煤にまみれることなく詩歌の才能を
大切に磨いて欲しいと芭蕉は思うわけですが、
(路通は素行が悪く 同門からも疎まれていました…)
そのような師・芭蕉の眼には尊い親切心に包まれた
古合子も、それに感銘を受けた路通も どちらも
等しく慈しみ深いものだったでしょう。


…「合子」と聞いて、ふと思い浮かぶのは
清少納言の「いみじうきたなきもの」の一節。

いみじう きたなきもの。
蛞蝓。えせ板敷きの箒の末。殿上の合子。【枕草子263段】

(大変汚いもの。なめくじ。
傷んだ板敷を掃く箒の先っぽ。殿上の間の合子。)


…というものですが、宮殿で使われる漆塗りの合子は汚く
路通の古合子は尊いというのはやや説法に過ぎましょうか。

(まあ、なめくじも慈しむべき尊さはあると思いますけど。
 なかなかに愛嬌のある顔をしていますし。)



というわけで、いよいよ師走。物質的・精神的な
煤(すす)にまみれた1年であった方もおられましょうが
新年を迎えるにあたって、ここで今一度「煤払い」をし
修正すべき点は改めながら、最高の2015年であった!と
この上ない歓喜で年末を締め括って下さいますように。


2015年の最終章も素晴らしいご縁に充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます!



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2015年11月04日

2015年11月の始まり



皆さま、こんにちは。

2015年 第10番の月も過ぎました。
2015年の約83%が過ぎたことになりますね。

収穫の秋を見送りながら冬の到来に備える月ですが、
皆さま 極上の晩秋を楽しんでおられることと思います。



物ほしや 袋のうちの 月と花  芭蕉


( 布袋尊の背負う袋の中にはあらゆるものが詰まっているのであろうが、その中にある花鳥風月の心こそ願いたいものだ。 )


日本には本当に様々な神仏がおわしますし、
それぞれに篤く崇敬されています。
民間信仰の中で定着していった七福神の一柱
「布袋尊」も福徳の名高く参拝されていますね。

大きな袋を背負ったふくよかな姿で描かれる
布袋(ほてい)ですが、中国の唐時代に実在した
高僧がモデルとされています。伝説的な逸話から
弥勒菩薩の化身とされ 信仰されていったのでしょう。

片手で天を高く指さして微笑しながら背負っている
布袋尊の大きな袋には、人々の喜捨による施し物が
入っているとされますが、芭蕉はその中においても
月や花など自然を愛おしむ風流の心こそ願いたいもの
…と 詠んだのでした。



さて、この「袋」にあらゆるものを入れているから
「福徳」というわけではないでしょう。物を貯え、
多く所有する人は確かに富裕ではありましょうが、
そのまま福徳高いと言えるわけではありません。

人々の喜捨により、自然と袋に入っていくからこその
「福徳」であって、自ら「貯め込もう」と働きかけるか、
財について全く意識していないかの違いでしょうか。

(随分と前にも「お金が欲しい!」と常に思っている人は
 それほど大きなお金は集まらないというようなことを
 書き述べたと思いますが、その辺りと同趣旨です。)



天を指差しながら微笑むその姿は、まさに「全ては
与えられている」という理を説いてくれているよう。

「全て」自分の袋に入っているのだから、あとは
それを感謝しながら「引き出して用いる」のみ。

芭蕉においても物財を物欲しく思うのではなく
風流の心こそ持ちたいものだと詠んでいますが
そこは俳聖の謙遜でしかないでしょうね。。

布袋尊の袋に 月花を観る感覚は 本当に美しいです。



というわけで11月、悲喜交々が交錯する現世ですが
各々の在るがまま 収穫の秋を楽しんで下さいますように。

喜怒哀楽の全ては各々の有する器量の袋に詰め合わせて
いるだけなのですから、必要な時に必要な分だけ
自らの手で 引き出して参りましょう。



いつもながらこの11月も素晴らしいご縁で充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。


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