2018年04月03日

2018年4月の始まり



皆さま、こんにちは。

2018年 第3番の月も過ぎていきました、
2018年の約25%が過ぎたことになりますね!

1年の4分の1…といって長いか短いかは
各々の時間感覚によるでしょうが、心機一転
新しき「期」を楽しんで参りましょう。



花の色や 聲に染むらむ 鶯の
 なく音ことなる 春のあけぼの




桜が咲き誇り、日本においては入学入社など
新しい舞台に進む方も多い晴れやかな時季。

春の花々も 祝宴の陽気に包まれて
ますます優しい色に染まっているように。

木々を飛び舞う鳥たちも、満開の桜を
喜ぶかのように 麗らかな声を響かせます。


・・とまあ 実際の生態系は人間の心情などに
左右されることなく命を紡いでいるだけなので
俗な詩情に浸るのも滑稽かもしれませんけれど
多くの生命体にとって過ごしやすい季節です。

現実世界で私と面識がある御方はご存じの通り
毎日お祝い日のように笑顔で過ごしておりますので

今の季節だから殊更に祝うというわけでもなく
2018-19年度も日々刻々に敬意を払いつつ
森羅万象との対話を楽しむという感じです。


実際、外的な状況環境が内的な喜怒哀楽を
喚起する というよりは、内的な意志思考が
外的な状況環境を規定する、というのが

真理 (理解し 実践し難いものの)
だったりするので、思う存分 春の
陽気を楽しむのは素晴らしいことですね。




思ひやる 心や花にゆかざらむ
霞こめたる みよしのゝ山




霞が立ち込めて花の見えない吉野山
だけれど、花に思いを馳せるこの心が
どうして桜に届かないことがあろうか、

…と、この和歌の方がラルースの塔の
ご挨拶には相応しい気が致しますので
今月は二首を引用ということで。

小中高校・大学・大学院あるいは
企業等各組織の新たな一員となって
今後、時を経るにつれて期待・予想に
反した事態に陥る時もあるかしれませんが、

霞や靄(もや)がかかっていたとしても
客観的事象は全く変わらずそこに在ります、

そんな時も慌てず焦らず視点・支点を定めて
確かな信念・意思で歩んで行かれますように。

文字通り「祝意」に満ちる季節でありますが、
眼前に花が咲いていない時期であったとしても

眼に見えない「芽吹き」を心で感じながら
自らの「好き日」を日々創造して下さいね。



長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々の諸々のお心遣いに
いつもながら深く感謝申し上げます。

春光が新たな創造の歩みを祝う4月も
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます!


(月2回目更新は12月以来行っていないので
 状況が許す限り16日前後に1つ挙げたいです…)

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2018年03月05日

2018年3月の始まり



皆さま、こんにちは。

2018年第2の月も過ぎていきましたね、

毎年この時期には触れておりますけれど
個人的な節目となる誕生月の如月を見送り、
創造の光に照らされる時季を迎えました。

受験生にとっては人生を左右し得る試練が
2月にありましたが 各々の理想・志望を
力強い意志で現実のものとされんことを
心からお祈り申し上げるばかりです。



花散らで 月は曇らぬ よなりせば
 ものを思はぬ わが身ならまし



(花は散ることなく月も曇ることがない世界であったなら
 あれこれ物思いに耽ることはなかったであろうに。)



2018年は西行法師の和歌をテーマに…
ということで今回も『山家集』から。

花は散り 月は曇るが故に物思いが
絶えないという、反実仮想の歌です。 

有機生命体は、生に終焉が有るが故に
生が貴いものと知り感じ得ます・・

…と、有機生命体といってしまうのは
マズいですね…不死の生物もいますから。

人間においても「不死」はともかく
「不老」のニーズは非常に高いので
遺伝子治療など医療倫理的に許容される限り
遅かれ早かれ 実現していくでしょう。

ともあれ、現段階では、花は散り、
人は老いるからこそ物思いに耽ると。

受験生にとっても「皆が合格」なら
思い悩むことなど無くなるでしょうけれど

現実はそうではない。


ただ、日本では約23.5秒ごと1人が世を去り
世界では約10秒間に18人が天に還りますが

そのことを常に深く嘆く人も少ないように
結局のところ人間は自分の関われる範囲しか
認識できない訳で、それが正常でもあります。

細胞 いや、もっとミクロな世界では
目覚ましい生成消滅が繰り返されていますが
それについて深く自覚することもありません。

そうしてみれば、花鳥風月の趣だったり
俗世の損得・勝敗・高低…などといった
「認識しやすいレベル」のものに焦点を
あてて 物思いに耽っているわけです。

宇宙スケールで 地球を眼下に望みますと
月は雲ることなく、太陽も沈みません。

物思いに耽りたいから耽っているのが
人間なので、それは弱さではなく特権
というべきかもしれませんね。

西行も「あれこれ思い悩まずに済むものを…」
と、詠んでいながら それを悲観している
わけではなく その人間の性(さが)を
含めた 諸行無常を表現しているはず。

…兎も角も、現世における一切合切を
思い悩むも良し、笑い飛ばすも良し。
全ては各々の思うがまま為すがまま、
諸行無常を楽しんで行きましょう・・

という感じで 強引に終えるとします。



全ては移ろい行く世界ではありますけれど
その中で 必然に選ばれたご縁によって、

長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々の諸々のお心遣いに
いつもながら深く感謝申し上げます。

慈愛に満ちた春光が
生命を優しく照らしていく3月も
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます!


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2018年02月04日

2018年2月の始まり



皆さま、こんにちは。

2018年の初月が過ぎていきましたが、
皆さま 益々ご清栄のことと存じます。


(「新年の誓い」…2017年に引き続いて
未更新のまま時宜を過ぎてしまいました。
今年はさて?とチェック下さった方々には
ご期待に沿えず、すみません。。)


…と、「新年の誓い」の記事更新ならずも
慣例の神宮参拝を終え、2018年の至高の日々と
来る2019年の開幕に御礼申し上げた次第です。

2016年2017年は春にも神宮に訪れましたので
1年毎の区切りという意味合いは薄れながらも
元日の恒例儀式として「精神を純化する」
という意味合いは全く変わることなく。

今年は想定外のハプニングもあって
適宜に襟を正すことが出来ました。

神宮には1年(或いは生前全て)の感謝を
申し述べに参りますが、その意味合いと等しく
皆さまにも 心からの御礼を申し上げます。



去る1月は センター試験・成人式と、
人生の節目となる行事がありましたけれど、

どのような経路にせよ 確かな志がある限り
目的地へ近づいているのは間違いありません。

どのような経路にせよ 与えられた日々が
充たされたものであるようお祈り申し上げます。



今さらに 春を忘るる 花もあらじ

やすく待ちつつ 今日も暮らさむ



(今更 春を忘れて咲かない桜の花もあるまい、
心安らかに花開くのを待ちながら今日も過ごそう。)




『山河集』より 西行法師の歌です。

2017年まで、芭蕉の句を月初挨拶で
引用して参りましたが、2018年からは
西行法師の和歌に依ることにします。

芭蕉も西行法師を敬い奉っておりましたし
世の深奥を探るには、相応しいでしょう。

ただ、 神・仏 を媒介に 世を詠む歌も
少なくないので、あまり偏ることなく
広く万人が知的反響を感じられる題材を
挙げて行きたいと考えています。

さて、西行法師は 今までも幾度か
触れましたけれど、簡単に紹介すると
( wikipediaから引用 )

西行(さいぎょう:1118年2.16〜1190年3.31)
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士
・僧侶・歌人。俗名は佐藤 義清(のりきよ)。
出家して法号は円位、のちに西行、
大本房、大宝房、大法房とも称す、と。


後世に遺した和歌・思想の影響は大きく
芭蕉だけでなく多くの才人に崇敬されました。

さて、その「人となり」については
追々のんびりと考察することにして。


今回の一首について観てみますと、
といっても特に説明する必要もない
シンプルな歌。だからこそ貴いというか。

桜の開花時期は3月下旬〜ですので
引用には適時ではないかもしれませんが、
大学・高校など各種試験が前後にある今、
晴れやかな心持ちで桜花を迎えたい方々に
とっては、時宜に適うかなと思いまして。

もちろん「開花に至るまでに必要な作業」を
各々為してきたという前提ではありますけれど、

適時適切に為すべきことを為していれば
自然の摂理に従って 花が咲き開くように
各々の目指すべき道も開かれるはずです。

昨年2017年2月は芭蕉の句を挙げて、

外見の華やかさではなく、内面から放たれる輝きこそ
真実の「花」、というところに核心を置くならば
現代の我々にとっても心に響くでしょう。

あらゆる「外装」を除いて考えた時でも
自然と解き放たれる内面的魅力があるのなら
それこそまさしく「真実の花」です。


・・と、述べました。西行の和歌にある
「花」も、精神的高みに咲く花と読み込み、
過度に焦ることなく、日々清浄に過ごして
行けるなら それこそ至上でしょう。

既に春の陽気を麗らかに感じておられる方も
厳しい寒さの中を 頑張っておられる方も、
新しい春の巡りに際して、各々の「花」が
高貴に開かれる日を 祝福下さいますように。

それでは、今回はこの辺で。

掛替えなき2月の日々もまた
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます!



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2018年01月03日

「2018年」の始まり



年頭にあたり、謹んでご挨拶申し上げます。

旧年中は並々ならぬご厚情を賜り、御礼申し上げます。

本年もご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します。

 




 正月たつ 春のはじめに かくしつつ
 相し笑みてば 時じけめやも
  



牟都奇多都 波流能波自米尓 可久之都追 安比之惠美天婆 等枳自家米也母
むつきたつ はるのはじめに かくしつつ あいしえみてば ときじけめやも


(睦月立つ初春に、こうして互いに笑みを交わせるのは 時期に外れたことでしょうか?いえ、頃合に相応しくこの上なく喜ばしいことです。)


「万葉集 巻第十八4137番」大伴宿祢家持の歌。

お正月・成人式など…長い間、離れていた面々が
ふと再会し談笑する機会も多い時季でしょう。

自らの才覚を高め、限界を突破しようと
日々研鑽することは重要ですけれど
「何気ない時間」に何もしないという
ことは、実は一層に有意義なことです。

「縁ある人々と笑みを交わす」というのは
何でもないことではありますが、それゆえに
意識して大切にしておきたいものですね。

自らと会う皆々が笑顔で接してくれるには
あらゆる意味で自身が大器になっていかねば
なりません。とはいえ、そんな過程を全て
超越した高みから、ニコニコと迎えて下さる
のが、偉大な御年輩の方々でありますけど…。

せいぜい数十億秒の人生です、
どうせなら笑みを交わして過ごしましょう。


この2018年という尊い月日を通して、

各々にとって苦難艱難に克つべき試練もあるでしょうが
栄光に至ったときの多くの笑顔をイメージしながら

自他ともに楽しんで行かれますように。




それでは、年頭のご挨拶まで。

皆様の益々のご清栄を、心よりお祈り申し上げます。



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2017年12月31日

2017年の終わり


皆さま、こんばんは。

いよいよ2017年を見送って、
2018年を迎える時となりました!

2017年の日々も 皆さまには
公私にわたって大変お世話になりました。

毎年同じことを申し述べておりますが
2017年も有り難い日々を過ごせましたのは

ひとえに皆々様の温かいご支援のお蔭と
ただただ感謝するばかりです。



年くれぬ 春来べしとは 思ひ寝に
 まさしく見えて かなふ初夢



西行法師の句です。

年も暮れ、春がまさに来るぞと思いながら寝たら
その夢に見たことが本当に見えて初夢が叶ったよ


・・・と。当時の背景を慮ると色々な解釈が
出来ると思いますけれど、シンプルに読むと
こんな優しい句に捉えることも出来ましょう。


座右の銘というものに当たるかはともかく
ある意味で「確信」している真理として

Whatever you ask in prayer,
believe that you have received it,
and it will be yours.
(Mark 11:24)

・・があります。この点については
以前述べましたので繰り返しませんが、

2018年も素晴らしい日々になると
確信とともに寿ぐならば、そうなります。

新しい年において「見たい夢」を
快い心持で強くイメージしながら
2018年において着実に現実化される様を
大いに楽しんでいかれますように。


兎にも角にも 2017年の終わりに際し、

私と時間を共有している生徒さんやご家庭、
関係諸子の方々全てに心から御礼申し上げます。

この1年間の御高恩に対する謝意を
言い尽くすことはできませんが…
2017年 ありがとうございました!



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2017年12月17日

映画のお話 #2


皆さま、こんにちは。

12月も15日前後にもう1度更新できれば…
と申しておりましたので、2回目の更新を。

*17日14時過ぎに一応UPしましたけど
適宜に加筆修正すると思います。。


11月第2回目の更新は、映画のお話でしたので
12月第2回目もその続きに致しましょう。


前回同様、個人的に良かったと思う映画を
今回はSF(Science Fiction)のジャンルから。
(「ラルースの塔」で挙げて問題ない範疇で)

宇宙が舞台で考えさせられる映画として・・


インターステラー
(Interstellar,2014年/アメリカ)


地球外の居住可能惑星の探索を行うため惑星間航行
(インター・ステラー)する宇宙飛行士のお話。

特殊相対性理論、特異点など宇宙物理学からも
矛盾が無いよう科学的考証が行われています。
170分とやや長編ですが、深く思考実験する題材
として興味深いですし、普通にSF映画として
観る価値ある良作です。ただ集中力は要します。


オデッセイ(The Martian,2015年/アメリカ)

火星探査中の緊急事態で一人置去りにされた宇宙飛行士
の命をかけたお話。この作品でも科学的正確性は
追求されていましたが、冒頭の事故に科学的間違いが
あることがのちに判明…。その間違いを学びつつ
マット・デイモンの演技を鑑賞するのが良いかと。


ゼロ・グラビティ(Gravity,2013年/アメリカ)

想定外の事故によってスペースシャトルが大破し
宇宙空間に放り出されてしまった宇宙飛行士と
科学者のサバイバルを描く作品。先端技術で
「宇宙の恐怖」を疑似体感できる点でも話題に。
「重力」と「命」を再認識させてくれる秀作。


・・「宇宙」がテーマの名作は多々ありますが
「人工知能/時間遡行」も良作が多くあります。


トランセンデンス(Transcendence,2014年/アメリカ)

人類の未来のため、意識をもったスーパーコンピューターを
研究開発している科学者が死亡後も人工知能として存続し、
過度に高度化した科学技術がもたらす危機を描く作品。

…と、こんな感じで紹介されるのですけど「科学技術の
もたらす危機」であって「人工知能のもたらす危機」
ではないんですよ。よく観て考えると深い作品です。

時間の制限やらで説明不足の部分も多いでしょうが
(というか2回目を観ないと分からないかも?)
Transcendence=超越(?)という意味を考え
それを補いつつ読み解くと得られる何かがあります。


her/世界でひとつの彼女(Her,2013年/アメリカ)

人間女性より魅力的な「人工知能型OSサマンサ」と
彼女(?)に惹かれる主人公の恋愛(?)を描く作品。

直接的な対人関係は面倒なことが多く、仮想現実の
相手の方が気楽だと思われる世界は現実化しつつ
あります。VR(仮想現実)上の相手と結婚式を
挙げる御仁もおられる昨今ですからね。

性差を超えた同性婚も許容されつつある現代、
「心」を通わせていることが至上なら
「肉体」の有無は問題ないのでは?と、
そんな議論も普通に起こり得る時代です。

ただ、「愛する他者の喪失」というのは
肉体の有無で差異は無いんですよね。やはり
離別を苦しむのが人間。愛とは何か?を
現代的状況から繊細に描く秀作と思います。


ウォーリー(WALL-E,2008年/アメリカ)

ピクサー&ディズニーのCGアニメ映画。
西暦2700年の荒廃した地球と宇宙を舞台に、
独りぼっちで地球に残されたゴミ処理ロボット
WALL・E(ウォーリー)の恋と冒険のお話。
「人工知能」との闘いと言えなくもない…

ディズニー映画で最も好きな作品ですね。
名作です。ほとんど会話がないのですけど、
仕草で意図が伝わるというか…温かいです。

「肉体」を超えた「愛」ということで。



トランス・ワールド
(ENTER NOWHERE,2011年/アメリカ)


森の中に迷い込んだ3人の見知らぬ男女を待ち受ける
奇妙な運命を描いたサスペンスミステリー。
ジャンルとしては「時間遡行・転移」…かな?

書くとネタバレになるので控えますが
先の読めない展開で引き込まれます、
隠れた名作じゃないでしょうか。

この作品については邦訳も秀逸ですけど、
ENTER NOWHEREの原題も是非考えつつ。


バタフライ・エフェクト
(The Butterfly Effect,2004年/アメリカ)


butterfly effect=バタフライ効果とは、
蝶の羽ばたきが、遠地の竜巻を引き起こし得るか?
という命題で有名ですが、力学系の状態に"変化"を
与えると、その変化がごく僅かであったとしても
その後の系の状態は 変化 が加わらない場合と
大きく異なってしまうという カオス理論上の用語。

この「バタフライ効果」を題材とした作品ですが
過去に戻って現在、未来の出来事を変えることが
出来る主人公の 愛と苦悩を描いたSFスリラー。

もう13年前の作品になりますけれど、
当時は先進的なテーマだったと思います。
実際にこの映画から派生的に考えられたものも
多いはず。評価も高く 名作の一つでしょう。

ただ、高評価だと思って観ると肩透かし
かもしれません、じっくり考えながら
消化していくことで滋味深いというか。




…と、ご紹介に値する作品はまだまだ沢山
ありますけれど、今回はこの辺で。

それでは、久々の月2回目更新でした。
いつもご訪問ありがとうございます!

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2017年12月05日

2017年12月の始まり



皆さま、こんにちは。

とうとう2017年の約93%が過ぎ去りましたが、
皆さまお変わりなくお過ごしのことと存じます。

皆さまの御蔭で2017年も有難き日々を頂き
此度も師走を迎えることができました。

今までと これからの全ての「ご縁」に
心からの感謝を申し上げる次第です。




白菊の 目に立て見る 塵もなし
  芭蕉



しらぎくの めにたててみる ちりもなし

(白菊の花は、目をこらして見ても 塵一つない清らかさをもっている。)


眼前の白菊に喩えて、女主人・
斯波 園女の清楚な人柄を讃えた挨拶吟。

西行『山家集』にある、

くもりなき かがみの上に ゐる塵を
目にたてて見る 世と思はばや


…を踏まえたものと考えられています。

西行の一首は非常に難解で、この真意を考えるには
回を改める必要がありますが(それこそ神道・仏法を
探究しつつ人世を哲学していくことに等しいほど)、

芭蕉の句はこの上なくシンプルです。
(シンプルだからこその深奥の秘?)

白菊の清浄清廉の美が 際立つ洗練さ。


先月(2017年11月の始まり)の回で、
「この道を 行人なしに 秋の暮」に続く
句も連ねていたのですが…と述べましたけれど、

芭蕉の句は、余命をカウントするかの如く
以下のように詠まれていきます。


• 松風や 軒をめぐって 秋暮れぬ

• この秋は 何で年寄る 雲に鳥

• 白菊の 目に立て見る 塵もなし

• 月澄むや 狐こはがる 児の供

• 秋深き 隣は何を する人ぞ

• 旅に病で 夢は枯野を かけ廻る



そうして芭蕉は世を去るわけですけれど
「白菊の〜」は死の2週間ほど前に
詠まれたわけです(生涯最後の句会で)。

そうしてみると、本当に澄み渡るような
「曇りなき美」を讃えたものと言えましょう。


さて、興味深いのが次の句です。



月澄むや 狐こはがる 児の供

(月が澄んでいる夜、児の供をして歩くと、
 狐が出たのを 怖がったものだなぁ)




芭蕉は俳聖として有名であり、和の心に響く
名句を世に遺した才人でありますけれど、
神ならぬ人間です。ですので、世人の如く
恋愛もしてきたわけですが、衆道(男性愛)の
気色も併せ持っていたと言われています。

芸術家において同性愛は何ら珍しいことではなく
(レオナルド・ダヴィンチから枚挙に暇なし)
我が国においても古来から男の同性愛・少年愛は
武家支配層から中流層まで公然と知られていました。

(英雄色を好むに性別問わず…正に男女平等?
 幕府財政が逼迫する江戸末期から徐々に
 「労働力の生産性がない」ことから非難・
 弾圧されていくようになるわけですが。)


一応「塾ブログ」的なカテゴリーにある点で
この句はスルーしようかとも思いましたが…
死期にあってあえてこの句を詠んだ俳聖に
敬意を払う意味から 触れておきますと。

・・といって特に猥雑な意味合いはなく
むしろプラトニックな愛情表現というか、

純粋に愛おしく愛でるような心持ちを
死の間際に思い出しながら詠んでいます。


「白菊の〜」の流れからは、老若男女の差異無く
生きとし生けるもの、万物一切を在るがまま
愛しく思うような、そんな心境に近い気がします。

男だから女だから、老齢だから幼年だからと
そんな人間の境界なく、在るがまま人間を慈しむ
そのように解釈すれば俳聖の境地に曇りなしです。




秋深き 隣は何を する人ぞ


本来、句会に出席にする予定でしたが、
句会に出られる状態ではなかったため
この句のみを出席させたのでした。

先月述べたように、蕉門派閥争いなどで
弟子たちもギクシャクしておりました。
その句会で、師・芭蕉はこのように伝えます。

隣は何をする人ぞ、と。

何をするんだろう、何をしているんだろう。
それを考えるのは、思いやりの一歩でしょう。

自分は!自分が!…ではなく、隣人は何を??
と考える契機を与え、場を和ませたかったのでは
ないかと、そんな風に個人的には捉えたいですね。

(達人の域には届かないと諦めていたにせよ…
 どの門弟も互い互いでの作風を重んじながら
 俳諧の道を深めて行って欲しいと願いつつ。)


死の床で、弟子たちは句会、隣は誰もなく
晩秋の寂しさを一層感じるものだなぁ…的な
そんな軽い句ではない気がします。。



旅に病で 夢は枯野を かけ廻る

(たびにやんで ゆめはかれのを かけめぐる)


芭蕉の辞世の句です。
芭蕉の「夢」とは何だったのでしょう。


弟子たちが醜く争うことなく切磋琢磨し
俳諧の道を究めていくこと?

あるいは、孤高の俳人として、
森羅万象を17文字に凝縮しようと?


…まあ、様々な思いが去来しながらの
「夢」という一語かと思います。

人が世を去る際に、自らが導いてきた子孫や
弟子・後進たちが、躍動する姿を想う時、

それはそれで「今ここに身体は消えても
夢は消えずにかけ回る」ように思うかも。



1694年11月28日に芭蕉が世を去って
実に323年を経ますが、その時を隔てても
このように芭蕉の句に触れて色々と感じ、
芭蕉の「夢」を追想する者もいますし、

「人の世の連なり」というものは
「想いの繋がり」と言えるはず。


ご子息ご令嬢を心から大切に想い、
愛情をかけて導いていかれる保護者の
皆さま方も、いつか訪れる昇天の際は
「夢」の行く末が幸せなものと願い
笑顔で見送り見守られることでしょう。

ただ、昇天の1年前は?10年前は?今は?と
遡っても、その気持ちは本来変わらないはず。


日々刻々どの時々も 人生最期も 変わらず
大切な人を想い合って、互いの「夢」を
自由に高めて行かれますように。

偏見・先入観に囚われることなく
曇りなき鏡のような清浄な精神を以て

先人の願い・夢に想いを馳せながら
自らを神聖に輝かせて下さればと思います。




…というわけで、長くなりましたが
芭蕉最期の句でした。師走に「最期」を
辿った以上、月初挨拶の芭蕉シリーズは
ここで一区切り付けることに致します。

まだまだご一緒に考えておくべき名句は
多くありますけれど、それは個別の機に。

(2018年からのテーマは決めていませんが
 同じようなスタイルで行くはずです…)




2017年の最終章も貴きご縁に充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます!



(今月の第2回目更新はどうなるか未定ですけど
 時間が許せば16日前後に1つ挙げたいです…)

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