2019年07月04日

2019年7月の始まり



皆さま、こんにちは。

2019年 第6番の月も過ぎました。
2019年の半分が経過したことになりますが
諸事において順調でしょうか?

与えられた日々を感謝しながら
生きているなら 順調か否かなど
些事でしかありませんけれど、

2019年後半も充実した日々を
過ごして参りましょう!




夏ふかみ 野原を行けば 程もなく
 先立つ人の 草がくれぬる



(夏も深まり、野原を行くと先に歩く人の姿がすぐ夏草に隠れてしまう。)



『林葉和歌集』所収
俊恵(しゅんえ、1113年〜1191年頃?)の和歌。

随筆『方丈記』を著した鴨長明は歌人でもありますが
歌人 俊恵はその師匠としても知られます。



夏草の生い茂る野原での何気ない風景。

「人が隠れるほど草が生い茂る」という場所は
山奥以外では見られにくい現代と感じますが
人々の安心安全という見地からはやむを得ない
ところなんでしょう(害虫害獣の対策上も)。

ただ、子供時代に 前が全く見えない草叢の中を
頭と身体を制御しながら分け進むという経験は
それはそれで代え難いものと思いますので、

大人のフォローの元で、キャンプ・登山などの
プチ冒険は何だかんだで重要な気がしますね。。


とはいえ、この和歌の「先に歩く人の姿が
草に隠れて見えなくなる」という状況は
現代の競争社会でも意外と当てはまりましょう。

学習・研究あるいは各種組織任務に至るまで
道なき道を行く時に、先人が歩んだ道は
まだ踏み固められておらず、後ろを付いて
いっているつもりでもすぐ見失うことが
容易に起こります。

この「見失い」は先人があえて「後行を撒いた」
からかもしれませんが、競争においてはここで
「先人を探す」かは判断を要する問題です。

先導していた者が 正道を逸れたかもしれませんし
先に行く者を見失っても、自身において進むべき
目的があるなら、それに従い自ら先導として歩むべきです。

先人を探すというのは後塵を拝することを
前提とする後ろ向きの発想ですし。

まあ、先頭を行かせるだけ行かせて
体力を温存しつつ、要所で先行すれば良い
という戦略ならそれはそれで分かりますけど…



ともあれ競争といっても、最大最強の
競い相手は自身でしかありませんので、

絶好調の時の自分を見失っても
ムリに焦って追いつこうとせずに
呼吸を正しながら冷静に歩みを
組み立て直していくのが肝要です。

この道理は、大抵の事象に当てはまるでしょう。


蒸し暑い季節となりますが、
打ち克つべきモノは「自ら」のみ
ということで、澄み切った精神で
涼やかに7月を楽しんで下さいますように。




7月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます!


(今月も情勢が許せば 16日前後に
 もう1回更新しようと思っています)


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2019年06月17日

香りを聞く


皆さま、こんにちは。

6月2回目の更新を。

「父の日」について書いていたのですけど
16日までに更新できなかったので何となく
テーマを変えて書き直し中です。

とりあえず「題名」だけ入れていますが
個人的に好きな分野だけに 普通に書くと
ものすごく長くなります。どこまで
短くカットするかがポイントというか。

次回は16日前後に…と書いていたものの
17日中に更新完了できていないかもなので
あらかじめ言い訳しておこうと思います。

定期的にチェックして下さる方々
いつもありがとうございます。

今宵は 満月です
リラックスした夜をお過ごし下さいね。


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(ここから続き)


さて、今回は「香り」をテーマに。

「『力』を考える」=「嗅力」でも
良かったのですけど、あまり厳密に捉えず
ゆるやかに 香り というものを
考えてみたいと思います。


香り(薫り/馨り)とは…

1 よいにおい。香気。
2 顔などのにおいたつような美しさ。


(『デジタル大辞泉』)



匂い(におい)も本来「鮮やかな色彩が
美しく映えること」を意味するように、
嗅覚が好ましいと感ずるものを指しますね。

好ましくないものは「臭い(におい)」と
書くことが多いでしょう。

ある「におい」を不快・嫌だと感じると、
その「におい」=「臭い」と処理され、
逆に 快適・良い・落ち着くと感じると
その「におい」=「匂い・香り」になると。


嗅覚に関与する「におい物質」は、
約40万種以上存在すると考えられていますが、
嗅覚は他の4感覚(視・聴・味・触覚)と違い
直接本能に作用すると言われています。

他の4感覚は、視床・大脳新皮質などを経てから
大脳辺縁系に情報が伝わるのに対し、嗅覚だけは
大脳辺縁系に直接届いているためです。

嗅覚は理性より本能・感情が先に働くので
「におい」は 人の本能や潜在意識、
感情を否応なく刺激していると言えます。



うーん、コワいですね…。

「におい」は 対人に限らず、
対象の印象を大きく左右します。

特に女性は脳の嗅覚野が 男性より
発達していると言われますので、
匂いに敏感に反応する状況も多いでしょう。

それこそ「好印象な香り」漂う人には
(本能的に?)自然と好感を抱くでしょうし、
逆に今まで好意を持っていた相手でも
我慢できない「臭い」と分かると、
百年の恋も醒めるほど生理的にムリ!
となってしまうことさえ起こります。

だからこそ現代の消費生活においては
食品・飲料や洗剤・美容品などなど
ありとあらゆるものが 購買意欲を充たす
匂い・香りであるよう研究開発されています。

まあ、好みである「香り」かどうかは
それこそ千差万別で、一般的には
クサい臭いでも、ある人には好きな匂い
(例えばタバコの匂い、汗臭さとか)
だったりするので、難しいところですけど…


基本的には「におい」について
しっかり知って学んでおくことは
現代で知的な生活を送る上では
必要不可欠と感じるわけです。


・・・私個人としては、
老若男女問わずお教えする立場上
人と至近距離でお話する機会が多く
対人マナー的な「におい」には
意識を払う方だと思います。

生活環境として、父がインセンス(お香)を
焚いていたり、ディフューザーで
癒しのアロマが漂っていたり、母も上品に
フレグランスをまとっていたりと
比較的「香り」に囲まれていました。

(というか5感の中では 嗅覚が最も秀でていると
 自分では感じます。嗅覚のお陰で味覚も。)


それゆえにフレグランスやアロマも好きで
ご造詣の深いお母様・お嬢様方とは
「香り」歓談することもあったりしますが、
幼児や愛犬・愛猫がいるご家庭では
「香り」も避けた方が良いので、

対人ではお相手が不快とならないよう
消臭を意識することが一番大事です。


ただ、この「消臭」というのが
突き詰めると難しいんですよね。。

例えば、ストレス・疲労・病気などで
身体のメカニズムが狂っていると
自分では気づかない「臭い」を発します。


フレグランスや消臭スプレーに頼る以前に
「理想的な消臭」を図るには 何より
「身体機能の完璧な調和を図る」
という この一点に尽きるわけです。



歯周病や 口腔内の細菌バランスが
崩れるとイヤな口臭に表れますし、
肝機能・腎機能の低下、血液環境の
乱れによっても体臭・口臭として
知らず知らず不快臭気を漂わせる事態に。。

精神面・身体の内面環境・バランスが
そのまま呼吸や皮膚を通して、
外の世界に「におい」として表れます。

この辺りでやっと題名に
近づいてきましたけど、
要するに「におい」を聞くこと。

身体のメッセージとしての「におい」を
しっかり受け止めて、臭いではなく
匂い、更には「香り」に高めていくことが
ある意味「消臭」の極みかと思うのです。



自身は極少食で 肉も好きではないので
汗臭さ・獣臭さは出にくいと思いますが(多分)、
生徒の子に「先生って良い匂い」と言われると
それはそれで素直に嬉しいものです。

不快な臭いにはなっていない証なので。
「嗅覚疲労」のせいで自分のニオイは気付きにくいですからね。



「臭い」ではなく「匂い」「香り」に
まで体臭が昇華したなら、それは
文字通り健康そのものでしょう!

人間に限らず、動植物も調和よく
健康体であれば、本来の「匂い」を
元気いっぱいに発します。

聖地・霊山であれば神聖荘厳な香り、
静かな森林では、優しい香りに満ち、
我々の心身を調律し、癒します。


聴覚的に優しい音を聴くだけでなく
嗅覚的に癒しの香りを聞くことで、
心身のバランスが確かに整えられます。

逆もまた然りで

不快な音(声)を聴いたり
不快な臭気を嗅ぐだけで、
心身のバランスは確かに狂います。

その意味で、
「におい」はマナーであることを超え、
相手の生気・元気さえ左右しうる
重要な要素だと言えるでしょう。



ただ、親しい者であれば、
「におい」の悪化も気付きやすいので
体調変化(悪化)も慮ることが出来ます。

実際、人間より1000倍〜1億倍も優れた
嗅覚を持つ犬たちは、人の呼気や便、
体臭などから、体内の異変・病の兆候を
嗅ぎ分けることが出来ると言われています。

心配そうにクンクンする愛犬なら、何らかの異変を
察知して情報を正確に集めようとしているのかもしれません。

愛犬家の方なら完璧にご賛同頂けると思いますが
人間以上にコミュニケーションは取れるので、
その場合は念の為、病院で検査すると良いでしょう。



愛犬たちは、飼い主のニオイを聞いて
いつまでも好きな匂いであれるように
チェックしてくれていますが、それは
人間同士でも同じこと。

まあ 他人同士ではニオイを指摘するのは
難しいところですが、親友・恋人・配偶者
など心許せる間柄なら、いつまでも互いが
好きな匂い・香りであり続けるように、

各々がしっかりと体調管理しなければ
いけないね、と改めて思った次第です。



・・・というわけで、自分はもとより
外界のあらゆる「におい」に触れて
そのモノが本来持つ「香り」を聞くことは
とても芸術的な営みでは?というお話でした。


「香りを聞く」と拡げてしまった手前
香道・アロマテラピー、フェロモンと恋愛など
触れてアート話にまとめたかったものの
既に長くなったので今回はこの辺で。



これから益々蒸し暑くなって
「におい」管理も難しくなりますけど
内面から香気が漂うような知性・品位を
お互い のんびり育てて参りましょう。

いつもありがとうございます!


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2019年06月04日

2019年6月の始まり


皆さま、こんにちは。

2019年 第5番の月も過ぎました。
2019年の約42%が経過しましたね。


「ラルース進学塾」も皆さまの温かいご支援の下で
8年間という時を存在していることになりました。

毎年毎回に同じことを申し上げておりますが
どの年次にあっても有り難い時間で包まれました。
それもこれも、各方面各位のご厚恩を賜った故と
心より御礼申し上げる次第です。

昨年度も同じことを書いておりますが
「進学塾」というより「進学会」と称した方が
実態に適うところですけれど、


引き続きご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。





思ふこと みなつきねとて 麻の葉を
 きりにきりても 祓へつるかな


思い悩むこと全て消え去れと祈りながら、
麻の葉を細かく切って(水無月)祓をしたことだよ。



『後拾遺和歌集』所収
和泉式部の「六月祓をよめる歌」

毎年6月と12月の晦日に、諸人の罪や穢れを
祓い清めるため宮中や神社で行われる「大祓」。
6月の大祓は夏越祓(なごしのはらえ)・または
水無月祓(みなづきのはらえ)と呼ばれます。


1年の折り返しにあたる日に半年間の罪穢を祓い、
残り半年の無病息災を祈願するわけですね。

*「麻の葉を切り刻む」というのは、神々へ供えるほど貴重な物である麻を贖物(あがもの)・形代(かたしろ)として罪穢を祓うため切り裂く儀式に基づいています。


民間祭事では 輪越(わごし)祭りといって
茅(ち)の輪くぐりを行う御社も多くあります。
本来は旧暦準拠なので水無月といっても
西暦2019年だと7月31日に当たります。
(ただ 最近では1年の半分という趣旨から
新暦6月末に斎行する神社も増えています。)


「茅の輪くぐり」神事の由来については
「蘇民将来」(そみんしょうらい)の
伝説が元になっているようです。

この辺りの神事について考察していくと
すごい分量になるので今回は触れるのみで…。
*参照:夏越の祓の神事「茅の輪くぐり」のルーツ
(「世界の民謡・童謡」サイトへのリンク)



さて、神事では「唱え詞」を唱えながら
くぐるとされていますが、今回の和歌も
そのうちの一つです(神社によって変わるものの)

最も有名な「唱え歌」は、

水無月の 夏越の祓ひ する人は 千歳の命延ぶというなり
(『拾遺集』詠み人知らず)

この他には、

宮川の 清き流れに 禊せば 祈れることの 叶はぬはなし
(詠み人知らず)


私も幼少の頃は亡き祖父母に連れられて
旧暦水無月晦日の「茅の輪くぐり」に
行っていました。温かく懐かしい記憶です。

思えば祖父母には色々と教わりました、
(二人ともニコニコ微笑むだけですけど)
そのお陰で1億倍は人間的に大きく
なれたと今は安らかに思えます。

何となく思い立った時に立ち寄った神社は
お掃除をしていたりしますが(大きな神社は
ともかく)小さな祠・社の場合そこまで日々
手入れされていないので、掃き掃除をするだけでも
達成感あって気持ちが良いものです。

(そういう時は、人払いされて誰も入って来ないのですけど
大抵 不思議な動物が遊びに来てくれるので 楽しみでもあります。)



というか 自分ひいては人間の中にある
罪過(どんなに些細であっても)を
祓い清める気持ちで掃除をすると
実際すがすがしいものですし。

自室(正確には書斎・研究室)の
掃除も2月くらいから少しずつ進めて
ようやく整う算段がたちました。
(業者の方など数多の有難き助力の御陰です)


あらゆる執着を捨てて、どこまで
キレイさっぱり「無」になれるか
というのが最近の「娯楽」です。

といっても無関心という姿勢ではなく
どんな些細なことさえも(風の音とか)
ワクワクしながら生きています。

まあ、このように達観して思えるのも
物欲世界で十二分に満足できたからだと
思いますが、それもこれも全て御高徳なる
関係諸氏の温かいご支援の御陰です。



ちなみに、異説もあるのですけど
「ケガレ=氣枯れ」と捉えるのは
個人的に好きな解釈です。

死=汚れ なのではなく、
死=氣が枯れた=ケガレ です。


心身の疲労・ストレスによって
生気(精気)が衰えている状態こそ
ケガレであって、だからこそ心身を
リフレッシュして英気を養うのですね。

6月末で2019年も半分経過、
蒸し暑く呼吸も乱れる頃合です、

元気が枯れないよう しっかりと
(心身とも反省すべき点があれば改めたり)
リセットしつつ充実させていきましょう。


兎も角も 長くお付き合い下さっている方々だけでなく
あらゆる面でご支援下さっている各方面の皆々様に
改めて8周年の感謝を申し上げる次第です。


8周年ということでお祝いのお言葉を
ご丁寧に下さった方々には重ねて御礼申し上げます。

9年目も輝かしい出会いに充ちていることを
皆さまと共に 心から喜びたいと思います。



いつも本当にありがとうございます!


(今月も情勢が許せば 16日前後に
 もう1回更新しようと思っています)

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2019年05月17日

「 感応力 」


皆さま、こんにちは。
4月に続いて月2回目の更新です。

5月後半は久々の"「力」を考える" で
(2013年01月09日以来 6年4ヶ月ぶり!)
「感応力」というものを見ていこうと思います。


感応・・人によっては馴染みが薄いかもですが
私はよく使います(大抵は不思議なお話の時に)。
漱石『吾輩は猫である』でも印象的に使われていたり。

感応(かんのう/かんおう)とは
どういう意味なのでしょうか。

著名辞書の定義を総合すると…

@信心が神仏に通じること。(仏教用語)人に対する仏の働きかけとそれを受け止める人の心。
A外界からの刺激によって心が深く感じ動くこと。
B電気・磁気が、その電場磁場の中にあるものに対して作用を及ぼすこと。電磁誘導など。


…といった意味になるでしょう。

第一義が仏教語なのは意外でしょうが、
「感」…仏の救済しようとする心を 衆生が感じる
「応」…悟りを求める衆生の願いに 仏が応ずる
という趣旨に由来します。


現代に通常用いられる場面ではAの意味ですね。
(Bの意味では「誘導」の方が多く用いられます。)

感応=外界からの刺激によって心が深く感じ動くこと
共感=他の考え・感情などに内面的・心情的に同調すること
共鳴=他の考えや表現・行動に内的外的に同調すること


…といったニュアンスですかね、大まかに言えば。

「共感」は対生命ですね、「椅子に共感する」とは言わない。「共鳴」は共感に近いですけど、共に鳴り響くというように 内面的・心理的同調に留まらず、身体的反応も暗に含みます。また「大自然に共感する」と言わないけど「大自然に共鳴する」とは言えるでしょうから対象も幅広い。

その辺り 「感応」は「共鳴」に近いものの
概ね内面的・心理的反応に留まるような印象です。

ただ、「感応」は非日常的・神威といった
人智を超えたモノ、平常は感覚しないような
精妙なる何か、を対象に含むように思います。

各々 何となくの違いが伝わるでしょうか。

この辞書的定義に即していなくとも、
「外的要因を感覚して反応する」という意味で
「感応」を用いていることも多いですけれど。
テレパシー(telepathy)も「精神感応」と訳されますし。

整理してみると、「感応力」とは

「通常は見過ごされているような因子について
 繊細に感じ取り、身体的・精神的作用として
 反応する能力」…もっと具体的にいえば、

「神秘的因子や芸術的・自然的現れに対する直感、
 あるいは他存在の表情・声質など雰囲気から
 相手の感情心理・周囲の状況を敏感に感じ、
 反応・対応する力」という感じでしょうか。



私の教え子には 一風(すごく?)変わった方も
多いですけど、非凡な方向性は多岐に渡ります。
例えば「視えないモノが視える」子とか様々で。

一般的には理解されにくい性質の領域事項であれば
「あまり他者に話せない(話しても意味がない)」ので
真剣に応答・解説すると、妙な信頼関係が生じます。

あまり書くと「先生、とうとうオカルト話題を解禁?!」
となってしまうので、内容には立ち入りませんけども。


私自身かなり奇蹟的な不思議体験を多々しているので
世に「精査なく一笑に付することのできる事象はない」
と心から思っています。

世にいう超常現象・神霊系の類その99.99%は
根拠のない妄言・空想と感じますけど、
その0.01%は未だ人智が追い付いていない
秘奥の一端かも知れません。
(0.01%を秘すための99.99% というべきか)

実際、「音」にしても可聴音域は動物種によって異なり、
経年劣化によって可聴帯域も狭くなっていきますよね?
(モスキート音など高周波はその好例です)

でも、超音波もヒトに聴こえないだけで
音としては確かに存在している。

「『存在している』と断言できるモノなど
人間界には何も無い」と言ってしまえば
その通りですけど…一現象として知覚可能性は在ったというか。

視界にせよ「可視領域」外の不可視光線も
「視えないだけで『存在』はある」ため
ヒトには不可視光でもある種の動物は知覚できたり。

*ちなみに「電磁波」のうち「最も周波数の低い極超長波からマイクロ波まで= 電波」、マイクロ波よりも周波数が高い「遠赤外線から可視光線(+紫外線)までの周波数の電磁波=いわゆる「光」、紫外線よりさらに周波数が高い(波長が短い)電磁波は、X線やガンマ線と呼ばれます。

…と補足が長くなりましたが、

外的な要因を感覚器官を通じて受け止め、
身体的・精神的な作用として照応するか、
すなわち「感応」できるかは個体差がありますよね。

ある周波数の電磁波を受信してそれを正確に
翻訳・変換など出来るかどうかの問題と
そもそも波が来ているかどうかの問題は別、

多数人に知覚できないから存在しない
=有り得ないと思考停止してしまうのは、極めて浅薄な態度です。


ただ、ここに大きな落とし穴もあります。

在るか無いかと問えば「在る」のですけど
その規模・程度が正確でなければかえって有害です。


感応力が高い人というのは、繊細で神経過敏、
いわゆるデリケートな人のことではありません。
それは「感受性」が高いというだけであって、

周囲・対象と同化することでその本質を肌で感じ
そのことで自らがどのように反応行動するのかを
主体的に決めるという図式こそ大切です。

感受性が高くても、その反応が受動的なら
神経がすり減ってストレス過多の生きにくい世界になるでしょう。



私も幼少期は、大変に神経質で気難しい子でした。
その辺りは以前にも触れたので繰り返しませんが、
IQが極めて高いからと原因が分かってからは
その対処を自分なりに修正することができました。

この種の話を自慢と捉える向きも世にありますが
実際誇れることではなく「見えている世界」が
周囲と違うというのは、幼少期ではなかなか
気づきにくいもので、幸運なフォロー理解がなければ
精神崩壊したり自死したり、或いはサイコパス的に
暴走するパターンも珍しくありません。

「そうなる理由」を極めて自然に納得できる人と
そうでない人とではそれこそ「異世界」の如く
相互理解は容易でないでしょう。

高IQ児というのは「情報や刺激で脳が溺れそうな世界」
に住んでいるので、その辺りの実体験を踏まえて、
いかに溺死せず世界を慈しんでいくかという
理解ある導きが不可欠になってくるのです。

欧米ではギフテッド教育が用意されていますが
日本では放置に等しいですからね…



話を戻すと、在るか無いかと問えば「在る」ので
有り得ない!と断言する相手に対して憤る方も
あるでしょうが、ではどれくらいあるか?
といえば無視できるほど些少の時もあります。

0(ゼロ)か0.01かという話を0か1かと
同列に話すのはそれはそれで大変です。


感応力というのは、誰も気づかない0.001の
些少な因子・変化まで感受することが出来ながらも
それについて現状でどのように反応すれば良いか
自ら決することができる能力と言えましょう。

特に問題視・開示するほどのことでなければ
自分だけが密かに認識していれば良いし、
些細でも重要な事実なら然るべく
対応することができる能力。。



…というようなお話を、一般的には
理解されにくい世界に住んでいる子には
相手が望む限り 何となくお話したりします。
(年齢や理解能力に応じて変わりますけど )

随分と長くなりましたが…
最後にこの引用で終えましょう。

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それら天地万物は人間であるオノレがそのように目で見、心に感応しているからそのように存在しているので、実際にはそんなものはない。〜(中略)〜 要するに、人間が天地万物なるものを認識しているのは、人間の心には天地万物と霊犀相通ずる感応力があるからであるという。いやいや、その天地万象も人間の心も二つのものではない。天地万象も人間の心も、「同体である」という。「だから心をつねに曇らさずに保っておくと、物事がよくみえる。学問とはなにか。心を澄ませ感応力を鋭敏にする道である。」

-----------------------(司馬遼太郎『峠(上)』)



継之助の陽明学自体には賛否両論あるにせよ
この「感応力」については深みがあります。


「学び」とは一生涯そのもの。

心を澄ませ感応力を澄ませながら
周囲・世界を在るがままに受け止め、

受動的に振り回されるのではなく
主体的に慈しんでいけるように。


…というわけで、「感応力」でした。

皆さまとの時間は、崇高な「感応」を
もたらして下さる一期一会の天恵です。

いつもありがとうございます!


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2019年05月04日

2019年5月の始まり



皆さま、こんにちは。

2019年第4番の月も過ぎていきました、
2019年の約33%が早くも経過したことに。

…と、続きは5日中には
更新できていると思います。

毎月4日にはアップしているところ
今回はちょっと間に合いませんでした。
ご訪問下さった方ありがとうございます。

お手数おかけしますが
後ほど改めて…宜しくお願い致します。



さて、 「2019年5月の始まり」の続きです。
元号も新たになり、祝賀ムードの日本ですね。

令和典拠は『万葉集』巻五 梅花歌の序文
です。「ラルースの塔」の年頭挨拶では
『万葉集』からの引用が多いですが、

この2019年年初はまさに巻五の梅花歌
815番
を添えました
ので 個人的には
微笑ましい縁を感じる元号となりました。

国書典拠といいながらも漢籍『文選』にも
繋がり得る点で(『文選』は元号典拠として高実績です)
今までの伝統・様式を 根底では逸脱させず
革新に踏み込んだ流れは お見事です。

「新しい時代の幕開け」というほど大げさに
構えるほどではないと思えるのも平穏な国の証。

何はともあれ 各々にとって素晴らしい時を
進めて行ければ それこそが至上です。


というわけで、今回は『万葉集』から。

この流れについて「フッ…先生ともあろう方が
ここで万葉集から引用とは凡俗の極み。他者に
予測できないことを行うというのが信条では?」
と勝ち誇る教え子もいるかもしれません。

しかし、ここで万葉集から逸れると
「おやおや…万葉集から離れるとは読み通り」
という知己もおりましょう。。と、
どうでも良い茶番はさておき、




梓弓 春山近 家居之 續而聞良牟 鴬之音

梓弓(あづさゆみ) 春山近く 家居らば
   継ぎに聞くらむ 鴬の声



『万葉集』巻十1829番・作者は不明。
万葉仮名の訓読みについては
他の可能性もありますが、とりあえず。


梓弓(あずさゆみ)は、古くは神事や出産などの際、
魔除けに鳴らす弓(鳴弦)として使用された
梓(アズサ)の木で作られた弓のこと。
春(張る)、引く、射る etc.を導く
枕詞(まくらことば)でも用いられます。

枕詞として訳出しなければ

春の山に近くに住んでいるから、
絶えず聞くのでしょうね 鶯の鳴き声を。



・・という意味合いですね、
何でもない のどかな春の情景です。


私の寝室のすぐ裏手の木々でも
ウグイスが毎朝歌って春眠を包んでくれます。

すごくキレイな美声で鳴く子もいれば
不器用というかお下手だけど頑張っている
子もいて、それぞれ個性的な歌声です。

(ウグイスは、ホトトギスに托卵されますが
 自然の摂理とはいえ、しっかり防衛しながら
 ウグイス各々の遺伝子を無事に残せるよう
 優しく祈るばかり。)


ともあれ、鶯は吉兆として尊ばれ
その排泄物も美容に用いられるほど
古くから人間に愛されてきた鳥です。

新元号の神事に魔を払う弓を張る春の日、
人々に吉兆をもたらすウグイスたちも
寿ぐように歌っている、という情景を
想起しながら5月のご挨拶と致しましょう。


そうそう、吉兆をもたらす鳥と言えば
先日キジをみました!

さすがに自宅周辺ではなく
あるお社に向かう道中で野生の雄雉に遭遇。

「啼く雉」は不吉な兆しとも成り得ますが、
眼前を優雅に歩いていたので目を見張りました。
(赤青緑メインに全体が虹色に輝くような…
雉ってこんなに美しいんだなぁと。)


ちょっとオカルトじみた内容になりますが
神様に呼ばれた者しか辿り着けないとか
言われるやや伝説めいたお社です。

直前まで場所どころか名前さえ知らず、行こうと
計画していたとかでもないのに直前2日前ほど
なぜか近くに行く流れで引き寄せられたという印象です。

数年前まで案内板もなかった上どこにあるのか
分からない山奥にあるのは事実ですが、現在では
googleマップにも表示されますし ナビ精度も
格段に上がっているのでその場所に辿り着くこと
自体はさほど難しくないように思います。

「呼ばれた者しか辿り着けない」という真意は
そのお社の場所自体ではないと今は分かります。

再建された新しい社に参拝するだけでも
十分と思いますが、離れに点在する結界を
経由して行くことで「大きな偉力」が訪れます。

山道の分岐が何箇所かあって その都度
「いや こっちが先ではない気がする」と何となく
引き返したりしたので それが「呼ばれる」ということかも。

ネット情報からすると眉唾物かなと盲信することなく
訪れたわけですが 実体験からすれば「本物」でした。

完璧に「人払い」して下さった上、御神木に着くと
木ノ葉が紙吹雪のように壮麗に舞い散る歓待を賜ったかと
思えば、頂きでの不思議な現象を動画に撮ろうとすると
(雲一つない蒼天なのに)すごい突風(旋風?)で
スマホを仕舞うまで吹き飛ばされそうになったりと
「優しくも厳しい大いなる自然」との対話そのものでした。

20190500.jpg

2019050.jpg


…と月初めのご挨拶から逸れましたが
(これで万葉集の引用だけで終えずに済みました)
平成最後の4月には伊勢の神宮に、
そして令和の始めには不思議なお社に
お招き頂けたのも有難いご縁です。

長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々の諸々の御配慮にも
併せて深く感謝申し上げます。


新時代の緑風が清々しい5月も 至福の時でありますことを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。



(今月も世界情勢が許す限り 16日前後に
 もう1回更新できれば良いなと企んでいます)



posted by laluz at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2019年04月16日

Alexander the Great



皆さま、こんにちは。

4月は16日前後にまた記事更新しますと
申していましたので、久々の「名言の英語」を。

2017年08月16日ルイス・キャロルから
20カ月ぶりです、案外経ってないなぁと
思ったのも束の間、その前は2014年1月24日
と約43カ月の空白期間がありましたよ・・

5年で3つか〜と 少しだけ驚きです。
最初期から読んで下さっている方は
どれほど残っておられるのでしょう、
ラルースも約8年が経ちますからねぇ。

それこそ(私が)学生時代に教えていた
初期の教え子たちは そのご息女・子息も
小中学生というほど時間経過していますし。

時の流れに逆らわずフワフワ漂って
書き連ねていますが、授業終了後も
ご縁が続いておられる方々には
何らかの形で「学び」のきっかけに
なっていればこの上ない喜びです。

というわけで、20ヵ月ぶりの「名言の英語」は
アレクサンドロス大王(アレキサンダー)の
言葉を見てみましょう。


Alexander III of Macedon(紀元前356.7.20〜前323.6.10)
古代ギリシャのアルゲアス朝マケドニア王国の君主。
コリントス同盟盟主・エジプトファラオも兼任。

16歳までアリストテレスの教えを受ける。
父フィリッポス2世が暗殺され 20歳で王位継承、
東方遠征によって30歳までにギリシャから
インド北西にまたがる大帝国を建設。

しかし紀元前323年、バビロンで
熱病にかかり32歳の若さで病没。

MacedonEmpire.jpg
By Generic Mapping Tools - Own work, CC BY-SA 3.0, Link



アレクサンドロスの大遠征によって
東西の文化伝播・混交がヘレニズムと
いう新たな文化潮流を齎しました。

歴史上の英雄たちから大英雄と敬われ、
旧約聖書やコーランなど重要な文典・
神話にも登場する、人類史において
最も影響を与えた君主の1人です。



・There is nothing impossible to him who will try.
・You shall find a way to the top if you diligently seek for it; for nature hath placed nothing so high that it is out of the reach of industry and valor.


(・挑戦する者にとって不可能なことなどない。
 ・頂点に至る道を真摯に探し求めるなら、あなたはその道を見出す。自然は 精励と勇気で到達できないほど高い場所には何も配置していないからだ。)



アレクサンドロスほどの偉業を
成し遂げた者だから言える言葉です。

多くの偉人が同様に述べていますように
真理なのでしょう。ただ、それを実現
させ得る 堅固な意志・忍耐があるか
そこに凡俗の違いが生まれるだけのこと…


Remember upon the conduct of each depends the fate of all.

(覚えておけ、各々の行為こそが万人の運命を決するのだ。)

倒置構文なので 直訳すれば、
「『全体の運命は個々人の行いに依存する 』
ということを覚えておきなさい。」ですね。

「conduct=行為・品位・振舞い」
家族・学校・企業・自治体・国家…と
多くの組織に適応しうる格言でしょう。

精神的に未熟な頃はなかなか実感
しにくいところでしょうが、自分が
「今どの所属の一員として行動し、また
行動することが望まれているのか」と
状況把握しつつ、臨機応変に行動を
律していくのは知能が要求されます。

…と、偉そうに高説ぶっていますけど
長らく「組織」に所属せずフワフワ漂って
いるお気楽者に言われたくないよ…と
叱責されるかもしれませんね。

ただ、一応「どの所属の一員か」と
いう行動指針は念頭にあるんですよ、
それが何かは秘密ですけども。



What an excellent horse do they lose, for want of address and boldness to manage him! ... I could manage this horse better than others do.

(乗りこなす腕前と勇気がないばかりに、彼らは何という名馬を失うことか!私なら誰より上手く乗りこなせられるだろう。)


少年アレクサンドロスが愛馬
ブーケファラスと出会った場面です。

気性が荒すぎて誰もが諦めていたところ
アレクサンドロスは強引に押さえ付けず
馬の不安を取り除きながら馬のペースに
寄り添って見事に乗りこなしました。

ブーケファラスもアレクサンドロスの
命令以外には従わなかったといいます。
(逆に 主が他の馬に騎乗しようとすると
怒ったという逸話もあります、可愛い)

東征時にはブーケファラスと共に駆け
生死を共にする絆で結ばれていました。
前326年ヒュダスペス川の戦いの後に
死んでしまいますが、アレクサンドロスは
新たな都市にブーケファラと名付けて
愛する馬=友の死を悼みました。

その2年後に大王も世を去るのですけど…
器の大きさを物語るエピソードです。

名馬に限らず、扱いが難しい動物・人物や
それこそ「運命の女神」が相手であっても
強引に無理やり従わせるのではなく
この者なら付いて行きたいかな…と
思わせる敬愛ある振舞いが大切ですよね。


I would rather excel others in the knowledge of what is excellent, than in the extent of my power and dominion.

(私は、権力や領土の規模よりもむしろ「素晴らしきもの」の知識の点において他に勝っていたい。)


「権力・領土の規模」でも突出した
大王だからこそ説得力がある言葉ですが
「大事なこと」は「力」ではないよと。

「素晴らしきもの」という内実は各々が
信じる世界観・信条に沿って規定すれば
良いと思います。ちなみに別の翻訳ver.では

knowledge of the highest secrets of philosophy
(哲理最高の秘奥についての知識)

と紹介されていたりします。

「人間が到達しうる究極の叡智」と
いうところに近いかもしれませんが
ともかく天才アリストテレスに13〜16才まで
学んでいただけ、人間の素晴らしさを
知っていることこそ至高と考えたでしょう。


If I were not Alexander, I should wish to be Diogenes.

(もし私がアレクサンドロスでなかったなら
ディオゲネスになりたいものだ。)


ディオゲネス(Diogenes 前412年?〜前323年)
古代ギリシアの哲学者(ソクラテスの孫弟子にあたる)。師アンティステネスの「徳」の思想を受継ぎ、欲望から解放されて自足すること、動じない心を持つことが重要だと考え、犬儒派(キュニコス派)の思想を体現して大樽を住処に犬のような生活を送りました。



20歳のアレクサンドロスが将軍として
コリントスを訪れたとき、ディオゲネスは
日向ぼっこをしていました。
将軍は挨拶をして何か望みはないか聞くと
「あなたがそこに立たれると日陰になるからどいて下さい」
と答えました。それを受けてディオゲネスに
なりたいものだなと述べたのでした。

これもまた大器を表す逸話ですよね。
歴史上、王なら不敬な態度として
刑罰に処すことも多いように思います。

その辺は、ソクラテス〜プラトン〜
アリストテレスの流れを汲む
アレクサンドロスなので
大先輩たる哲学者に敬意を
払っていたことは確かでしょう。

「欲」を離れて活きる尊さを
知ってはいても、彼は「王」として
無益な争いのない王国を築くという
運命に従って生きたのでした。


I do not feel happy for this victory of mine. On the contrary, I would be glad, brothers, if I had all of you standing here next to me, since we are united by the same language, the same blood and the same visions.

(今回の私の勝利には幸福を感じない。いや、兄弟たちよ。もし今ここに私の隣で諸君ら全員が立っていたら喜んだことだろう。私たちは同じ言語、同じ血、同じビジョンによって団結しているのだから。)


命を落とした戦士たちを悼み、
戦死者なく全員でここに立っていない
今は勝利そのものを喜べないという。。

姉妹都市や同郷・兄弟たちと争うことなく
同じヴィジョンで団結した者同士
より良い世界を創ろうという
大器アレクサンドロスも32歳の
志半ばで天に召されます。

歴史に「if」はありませんけれど
アレクサンドロスが哲人王として
長命だったら世界史はどうなっていたのか。


いずれにせよ歴史上の偉人のみならず
名声こそ残らずとも懸命に使命を全う
されてきた先人を想い、数千年もの
「時」を反芻しながら「今」を優しく
征服するよう生きて参りましょう。




まだまだ興味深い箇所はありますが
これ以上遅くなるのもどうかと思いますので
この辺りでおしまいに致します。

以上、アレクサンドロス大王の名言でした。

いつもありがとうございます!


posted by laluz at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 「名言」の英語

2019年04月04日

2019年4月の始まり



皆さま、こんにちは。

2019年 第3番の月も過ぎていきました、
2019年の約25%が早くも終えたわけですね。

(昨年も同じことを書きましたが)
1年の4分の1といって長いか短いか
感じ方は各々の時間感覚によるものの、
いずれにせよ 新しき「期」を
心機一転 楽しんで参りましょう。



見わたせば 柳桜を こきまぜて
 都ぞ春の 錦なりける




素性(そせい)の和歌(『古今和歌集』巻一56)

桜が咲き誇り、日本においては入学入社など
新しい舞台に進む方も多い晴れやかな時季。

柳など草:樹も優しい緑を輝かせながら
人々の陽気に呼応しているかのよう。

種々の色糸を用いて華麗な模様を織り出す
"錦"のように鮮やかに時空を彩る情景。

桜と緑が溶け合う優雅な風合いは
日本では馴染み深く愛されてきました。

「桜」の花言葉は "精神の美"
( 品種でも異なってきますが、
概ね "優美・純潔"といった感じ)



「柳」の花言葉は "従順・自由"

「シダレヤナギ」の花言葉は "悲哀"
学名(Salix babylonica)が示すように

By the rivers of Babylon, there we sat down, yea, we wept, when we remembered Zion./ We hanged our harps upon the willows in the midst thereof.
(Psalm137:1-2) King James Ver.

と、『詩篇137』の「シオンを思い出して涙を流し、
バビロン川のほとりのやなぎに琴をかけた」節に由来。
それゆえ?英名は Weeping willow

ただ、当時のバビロン川付近で枝垂柳は生育
していなかったそうで New International Ver.
(新国際訳)では" There on the poplars
we hung our harps,"とポプラになっています。
(ポプラ= ヤナギ科ハコヤナギ属)

それを含めて悲哀・哀愁を感じますね…
ヤナギ論の脱線はこの辺にしておいて

素性法師の時代には「花言葉」として
編纂されてはいなかったでしょうが
ある程度共有できるイメージはあるはず。

自由あるいは悲哀の"糸"と
精神の優美さの"糸"が織り成す
"錦"で 人の世が彩られるなら
それは趣深しと思います。

仏教用語で「因縁」とは
「物事はすべて その起原(=因)と、
 果を結ばせる作用(=縁)とによって
 定められていること」を意味しますが、

各々「因と縁」を横糸・縦糸のように
上手く紡ぎながら、自ら出色の運命を
織り上げていくことにも通じますね。



新年度・新学期ということで
小中高校・大学・大学院あるいは
企業等各組織の新たな舞台において
今後、時を経るにつれ期待・予想に
反した事態に陥る時もあるかしれません、

それは、自らの思い描く設計図から
かけ離れたように感じるもありましょうが、

因と縁、縦横の織糸を扱うが如く
ムリに固執して乱雑に絡ませないよう
素材を殺さず 互いを活かすよう
自ら適宜修正を施していけば、

結果的には当初のイメージより
深みある作品が生まれていくもの。

精神的に若い時期はそれこそ
悲哀・憎愛といった色地も出てくる
でしょうが、それはそれで作品の一部。

素晴らしい創造の季節を
気兼ねなく謳歌して参りましょう。



それでは 今回はこの辺で。

長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々の諸々のお心遣いに
いつもながら深く感謝申し上げます。

春光が新たな創造の歩みを祝う4月
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます!


(月2回目更新は11月以来行っていないので
 運命が許す限り16日前後に1つ挙げたいです…)

posted by laluz at 14:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾