2011年09月15日

「引き出すことを考えて収納する」


前々回の「記憶保管システム」の記事から引き続いて
「では、どうやって脳内を整理分類していくか?」
というお話を今回はしていきます。

前回少し脱線しましたが、脳が自由に記憶情報を
引き出せるよう「記憶の倉庫」を整理分類してやれば
脳は情報消去することなく膨大な記憶容量を使っていく
ようになる、というお話の続きですね。


まず、「記憶保管システム」を具体的にイメージする為
例によって「巨大な倉庫」をイメージして下さい。

「倉庫」といって具体的イメージが沸かなければ、
引き出しが膨大にある収納ラックでも良いでしょう。

無計画に手当たりしだいモノをしまっていくのでは
どこにどんなモノがあるか分からなくなります。
「捜し物はこの中にある!」という確信だけで
いざ必要な時に引き出せないのでは無意味です。

それでは、どうすべきでしょうか?

どこに何があるのか、収納エリアを関連付けたり
見出しを付けたりして「今度引き出す時に検索
しやすいよう」考えながら収納することです。


「引き出す時のことを考えて収納する」
当然のことですが、ここがポイントでしょう。

どのように整理していくかは各自の好みです。
引き出し各エリアに色や名前を付けるのも自由、
必ずしもキレイに整頓する必要もありません。

(3週間後の自分でも1年後の自分でも良いですが)
「探す時の自分」に思いやりを持って、以後の自分が
すぐ探せるように「収納」していくことが大切です。



「記憶保管システム」も全く同じことが言えます。

記憶力の差は、情報を記憶する力というよりは
「いかに引き出すことを考えて収納できるか」
の差だと、私は思います。


ただ、「倉庫」と違って「記憶保管システム」は
脳内にあるので、物理的に見出しやラベルを
貼ることができません。そういう意味では、
現実の倉庫整理よりは少しだけ難しいでしょう。

慣れれば、自分が使いやすい記憶検索システムを
脳内で組み上げられますが、慣れるまでは
「物理的に記憶倉庫を創る」のが有効です。

簡単に言えば、「備忘録」的なメモ・ノートです。

これだけ引っ張って「結局それか!」と思う方も
おられるかもしれませんが、ここまでお付き合い
下さっている皆様なら、大丈夫でしょう。

ポイントは「思い出す時の自分」に思いやりを
持って、以後の自分がすぐ分かるように「記録」
することです。キレイである必要はありません。

(むしろ過度に丁寧にしない方がいいでしょう)

脳内の「記憶倉庫を整理する」ためのメモですから
「一冊」に集約されていることが望ましいですね。


ただ、学生の場合は科目ごとにノートを作らされることが
不可避のこともあるので(私は幸い回避できましたが)、
「学習要点ノート」を別に一冊作ると良いでしょう。

その日その日に勉強した事項と、重要な公式・単語や
間違ったポイントだけ簡単に書いておく為のノートです。
それだけを、事あるごと30秒でもこまめに読み返します。

読み返す時は、その時の状況や風景、テキストの
左右ページのどのあたりだったかまでイメージしながら
思い出していきます。映像化して関連記憶する練習です。


出来れば、学習要点ノートには食事内容やふと閃いたこと
考えてみたことまで軽く書き添えておくと効果的です。

「学習要点ノート」を読み返せば、その時の
状況がリアルに思い浮かぶというほどになれば
膨大記憶への扉はすぐそこまで来ています。

慣れてくれば、脳内の「要点ノート」に書き込んで
いけば良いので、実際にメモする必要はなくなります。
(ただ、最低1年は継続する必要があるでしょう。)


繰り返しますが、丁寧にメモする必要はありません。

なぐり書きでも一言メモでもいいので「記録する」
という習慣を、意識して継続することが最重要です。
そうすれば、脳も「記録」を意識して記憶していきます。


最初の数ページだけ丁寧に書いて、すぐ飽きて途中で
止めるという人が多いと思いますが、それは仕方ない
でしょう。自転車の練習をしないと乗れないのに、
練習するのがイヤなら乗らなければ良いだけです。

専用のモバイルPCがある方なら、PCを脳に見立て
階層ごとに記録してもいいですが、学生の場合は
ノートに手書きの方が格段に効果的と思います。


…と、まだまだ注意事項や応用トレーニングなど
書くべきことは膨大にありますが、長くなりますし
とりあえずは上記のようなところでしょうか。

それでは、また明日に。。


posted by laluz at 16:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 「脳」の使い方

2011年09月13日

記憶保管システム


「忘却」とうまく付き合いながらも
「記憶容量を増やしていく」には?という点に
 ついて続きをお話しましょう。

ただ、「記憶すること自体に大きな意味はない」と
個人的に思います。「何のために記憶するのか?」
という点こそが重要であって、どれだけ暗記できるか
というのは本来的に趣味の世界と思います。


例えば、円周率πについて、3.141592653589793
238462643383279502884197169399375105820
974944592307816406286208998628034825342…
と延々と暗記しているからといっても、それは
別にコンピューターに任せれば良いのですから、
現実に覚えている必要性は低いと言えるでしょう。

「既知の事項を元にして、新しい発見や法則を創造
すること」こそが人間の役目であって、「記録」
自体は人間の脳でなくても本来的には良いはずです。


要は、覚えておくべきことは正確に定着させて、
そうでもないことは「忘却」させても良いという
ゆとりを意識していた方が現実的と言えます。

さて、「記憶」の前に「忘却」を考えましょう。

何のために「忘却」するのか?

まず、「保存容量」というのが無尽蔵に近い倉庫を
イメージして下さい。入れようと思えば、いくらでも
物事が収まっていく倉庫があるとすれば便利ですね。

しかしながら、それを一人で管理しなければならない
としたらどうでしょう?たくさん入るのは良いとして
必要な時に一瞬で引き出すことが出来るでしょうか?

たくさん収納できるからといって、自由に出し入れ
できないならば、それは「ごみ箱」に近いと言えます。

巨大なごみ箱から目的物を探すより、
新しく買ってきた方が早かったりします。。

記憶保管システムも全く同じです。

記憶自体に価値はない、その記憶事項を用いて
新しい創造を行うのが「脳の役目」だと言いました。


「脳」としては、あまり使っていない記憶事項が膨大に
積み重なって、重要記憶が必要時に引き出せなくなっては
無意味なので、定期的に「忘却消去」させるわけです。
(「精神防衛反応」としての忘却は置いておきます)

とすれば、ここがポイントです。

脳が自由に引き出せるように、整理分類してやれば
脳は「記憶の倉庫」を自由に検索でき、記憶消去する
ことなく膨大な記憶容量を使っていくようになります。


正確に述べると、「記憶容量を増やす」というよりは
「整理分類していくことで、記憶容量を最大限に使う」
というイメージでしょうか。

以前にも触れましたが、人間の脳構造において、
大きな個体差は本来的にないと思います。

知能や学力に差が出てくるとしたら、それは「脳の差」
ではなく「脳の使い方」の差でしかありません。


「組織」において同じ人員構成であっても、トップが
方針を明確に示し、組織を調和的に引き上げていくか
否かによって業績に顕著な差が出てくるのと同じです。

記憶力についても、その与えられた膨大な記憶容量を
最大限使用していくにはどうすれば良いか?という
思考・工夫の結果に他ならないわけです。

(それを先天的・無意識に行なっている者もいますが
後天的・意識的に開発することも当然に可能です)



では、いかにして脳内を整理分類していくか?ですが
導入部分で十分に長くなりましたね。。

もともと数回に分けなければならないとは
思っていましたし、気長に書いていきましょうか。

それでは、続きはまた明日に。



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2011年09月09日

「記憶」と「忘却」


「記憶力」を高めたい!と思う人は多いでしょう、
実際「記憶力を伸ばすにはどうすれば良いですか?」
という質問もよく受けます。

怒られるかもしれませんが、極論を言えば「覚えられない」
というのは「脳が覚えていなくて良いと判断している」
結果ですから、覚えていないのが悪いと思いません。


(脳の機能低下等によって健忘・認知障害が発現している
 場合には別途の考察が必要ですが、今回は割愛します)


実際、好意を抱いていたり、尊敬する人の言動は、
脳が何回も再生して忘れないよう定着していきます。

「苦手なこと」「興味・関心のないこと」については
脳は大胆にスルーして、ムリに記憶定着させません。
「記憶する必要がない」と判断するからです。

逆にいえば、記憶するに値する情報だと
「好意的に意識付け」させれば脳は進んで記憶します。
(バカバカしい語呂合わせの秘訣もここにあります)


一般の記憶術の多くも、脳が興味を持ちやすいような
イメージや連想との関連付けによって記憶し易くする
アプローチをとっていると思います。


別のアプローチとしては「記憶容量そのものを高める」
という「命令」を、脳に対して与えてやることです。

記憶対象に興味があるから記憶するというのではなく
記憶対象に興味がなくともとりあえず貯蔵しておける
記憶容量を増やすアプローチです。


最初のアプローチを「興味増加型」、後者の方を
「容量増加型」と仮に呼ぶことにしましょう。

例えば、テキストや情景を脳内に「映像・写真」として
焼き付ける方法は、対象がなんであれ記憶できます。
自分の行動を脳内に動画として録画し、あとで再生する
場合も同じように、対象への興味がなくても記憶します。

数字の羅列を無理やりに暗記するより、
写真で保存した方が圧倒的に早いですよね?

写真記憶能力は、大抵の人がその可能性を有しています、
そこを再強化してみるのは「脳にとっても面白いので、
おそらく「退屈しのぎに喜んでしてくれる」でしょう。
(脳への命令のやり方さえ間違わなければ)

私の場合、自分の行動映像が脳に録画されて行くので、
誰々と何を話したとか、誰とどこを勉強・授業したと
いうのは、消去しない限り間違いなく記憶されています。

当方は完全に覚えているので、見事に忘れている相手と
接するのは退屈に思う時も未成年期にありましたが、
(会話を再現して思い出させるのも感じ悪いですし)
そういう日常生活上のデメリットを別にすれば、
記憶容量アップが色々と役に立つのは確かです。

ただ、「忘却すること」は「記憶すること」と同等に
重要な要素です。「忘れないようにする」姿勢では
なく、「忘れてもすぐに対応できるようにする」姿勢
の方が、時間もストレスもかからず現実的でしょう。


「すぐ忘れてしまう」「なかなか覚えられない」
というネガティブな方向で捉えるのではなく、
「少しでも覚えている場合に脳を褒めてあげる」
くらいの方が、記憶力を活性化し易くなります。


…と、十分に長くなりましたね。

「忘却」とうまく付き合いながらも「記憶容量を
増やしていく」にはどういうコツが要るのか?
については、また来週に改めましょう。

それでは、有意義な週末をお過ごし下さい。


posted by laluz at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 「脳」の使い方

2011年06月17日

「脳」を支配する


先日の記事「創造的な怠惰?」で英文引用しましたが、

「創造的な思考とは、物事をいつも通りのやり方で
行うことに特別な価値はない」と認識すること
なのかもしれません。


人間は創造的行為・思考を行えるよう、
単純作業は考えなくとも自動操縦化できる
高度な機能が備わっています。

食べながらパソコンを使い、友だちと談笑する、
ということさえ意識しなくても自然と出来ます。

深く考えないで自動操縦できるのは「脳力を
深く要求する創造行為をするため」ですが、
逆に言えば創造的思考を行わないまま自動操縦
ばかりでいると脳は「退屈」します。

脳は使ってやればやるほど、情報を迅速かつ
効果的に処理できるよう「創意工夫」しますが、
特にすることがなければ何もしません。


放置していればいくらでも力を抜く「脳」を
メンテナンスする上で気をつけておく点は
「使っていない部分を動かしておく」ことです。

これは身体の関節・筋肉のメンテナンスと全く
同じ理屈で、使ってやらなければ経年加齢と
ともに錆びついて行きます。

「使っていない部分を動かしておく」という意味であれば、
全てが脳への刺激となり得ます。慣れてくれば何もしなくても
思考トレーニングだけで直接脳を活性化できますが、
最初のうちは物理的な手段が有効でしょう。


要するに「いつもと違うことをする」です。

脳への変化球であれば何でも構いませんが、
利き手ではない方の手で生活してみることや、
更には利き目・利き耳など含めた「利き脳」自体を
意識的に変えてみることが簡単かつ有効な手段です。

脳活性トレーニング等でも取り上げられますが、
目をつぶって部屋などを歩くことや、いつもと違う道・
やり方を採用してみることも「変化球」として有効です。

「新しい言語を習得すること」は更に効果的ですが、
気楽に継続実践できることではないので、利き手ではない手で
歯磨きをしてみるなど、簡単にできることを「楽しんで行う」
方が精神衛生上も良いと思います。慣れるまでは
短時間で、一日おき程度で十分でしょう。

脳が解放されるに従って 思考トレーニングだけで脳に十分な仕事を
与えられるようになりますが、思考によって脳力を満たせないと
他者からは「奇行」に映る行動をしてしまう怖れもあります。

(真夜中に月を見上げながら後ろ歩きをする等。もちろん、
奇行をわざと行なって「反応」を観察する人もいますが。)


脳に電源を入れさえすれば、基本のんびりで構いません。
「脳」を驚かせて、わくわく楽しませてあげることです。


遊びに「〜しなければならない」ことは存在しないので、
普段の枠組みを超えて脳を自由に遊ばせるようにしましょう。

ライフワークのような壮大な作業を見いだせれば、
飽きることなくアイデアを提出してくれると思います。


さて、物理的な変化球以外では、「尺度単位」を変えて
考えてみるという思考枠組への変化球があります。

我々は、1日・1時間単位で生きていますが、
1日86,400秒で、1年は約31,557,600秒です。

100年生きたとしても31.6億秒です。


「人の生」も1秒の集積でしかないと知れば、
その1秒の価値に感謝できるか否かが人生の
輝きを決めることになると悟れます。


時間以外では、重さの単位についても有効です。

1kgは100万mg(ミリグラム)であり、
1兆ng(ナノグラム)であり、1,000兆pg(ピコグラム)です。

体重50kgの方は5,000万mgであり、その中で
カルシウム200mgやコラーゲン1,000mgやらが
様々な経路で往来していきます。

自分の組成構造の中で、摂取成分がどの程度の
ウェイトを占めるか把握することは大切です。

人生が1秒の集積であるように、身体も1mgや1pgの集積です。

それら微小単位を慈しむことなくして
総体が輝くことはないでしょう。
部分が全体を作るのですから。



もちろん、上記はすべて
「自身での思考を柔軟にするため」の変化球です。

日常生活で「2kgも太った〜」と嘆く方に対して
「どうやったら200万ミリグラムも太れるの?」など言っては
円滑な人間関係に支障を来すかもしれません。

「付き合ってもう3カ月だね?」と微笑む相手に対して
「いや、まだ777万秒すら来てないし。」などと返しては
突然の別れを迎える可能性もあります。

その場その場にあった「時空間」作りが大切です。

脳力の開花に伴い、社会や制度・人間関係等の既成枠組みを
解体して再構築したくなる心理傾向・衝動も見られますが、
それ自体は成長過程で有益なので押し殺す必要はありません。


しかし、自分の価値観を押し付けるのではなく、
周りの状況に合わせた立ち居振る舞いができる
ことこそ高度な知性です。


思考枠組みを柔軟にしつつ、自分の思考イメージに
欠点はないのか、周囲の事象を全て考慮に入れているか、
ということを慎重に考えていく必要があります。

自らの「脳」を支配すること、すなわち
究極コンピューターの自働操縦に操られるのではなく
自らが「主」として脳を操作していくことが
人間としての自律と思います。



「脳の支配」という観点からは、完全呼吸について
(日々の脳メンテナンスでは、呼吸が最も大切です)、
 脳への物質的栄養(食事など)について、
 精神的栄養(読書や読書法)について、
「感情」を管理するには…等々、

お話できることは多くありますが、
ある程度は世間でも書かれていることですし、

知能・脳力の話ばかり続けても「脳が退屈」しますので、
その続きはまた時期を改めます。

それでは、月曜にお会いしましょう。


posted by laluz at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 「脳」の使い方

2011年06月16日

究極コンピューターを使う


いつも思っていることの一つに、

人間の脳は「究極のスーパーコンピューター」
であって、簡単に値段は付けられないほどの
(あえて分かりやすく言えば1,000億円でも10兆円でも)
「有機神秘体」ということが挙げられます。

人間の創造能力に匹敵する「創造的人工知能」を現実に
(SF世界を超えて)開発することは当分難しいでしょう

(人工知能について詳しく語るのは「知能」を本質的に
考えることに他ならず、壮大なスケールになりますので
一先ずは置いておきます)。


しかし、我々は各々そのスーパーコンピューターを
与えられています。ただ、その「使い方」を十分に
分かっていない人が多いとは言えるかも知れません。


膨大な性能が詰め込まれたパソコンでも、日常の普段使い
ならそれらの先端機能を全く使わない方もいるでしょうし、
不要な機能をあえて使う必要もありません。

知能についても同じことが言えます、
「使う必要がなければ使わない」のです。

人間の脳は膨大な容量を持ったコンピュータと同様、
各々に必要な情報を整理し、不要な情報・機能は
奥底にしまったり削除していきます。

しかし「脳」という究極コンピューターは、
自ら制限をかけることなく多角的に刺激していけば、
驚くほど進化していきます。そのコンピューターを
「使うか使わないかは各自の自由」というわけです。


自らの頭に「輝く王冠」があるのにも関わらず、
目先のコインで血汗を流してきたのは、人間の悲劇
(あるいは喜劇)と言えるかもしれません…。

「王冠は換金できないから、生活のためには
コインが必要」という思考は理解できますが、

その王冠は「全て」を創り出せます。
要は「王冠の用い方」を知っているか否かです。

「脳」という究極コンピューターの使用目的は
各々違うでしょうが、「自分の脳力への確信」を
持ちさえすれば」大抵のことが実現できます。


(目標に応じて相応の時間はかかるとしても)。

私が申し上げている「自分は頭が良いと感謝すること」は
究極コンピューターの電源を入れることと思って下さい。

ちまたでは脳力開発や知育の方法に溢れていますが、
それらは「電源を入れて初めて有効になる」
ものが多いと感じます。。


「潜在脳力」のスイッチを入れるのと、
スイッチが入ってからの具体的実践とは
少しばかり次元が異なるのです。

パソコンに電源を入れる前に「今日はあれをしよう」と
計画的に考えることは大切ですが、結局パソコンに
電源を入れないと実際の作業は進まないのと同じです。

「電源を入れる方法」については述べましたので、
その後の「脳」メンテナンスについて
少し書き記して行こうと思います。

(先月のセミナーでもお話した内容なので、
IQセミナーにご参加下さった方はお聞き流し下さい。)


…と申しつつ、各記事が長文化してきていますので、
今回はこの辺りで一休みしておきます。。


posted by laluz at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 「脳」の使い方