2020年02月16日

"宇宙スケール"を考える


皆さま、こんにちは。

(追記:最初に更新した際に、数値・単位の
入力ミスがありましたので訂正しました。
短時間とはいえ不正確な情報を公開してしまい
ご覧下さった方に深くお詫びします。
)


前回「時間」概念について少し触れましたが
時空・次元の話になると"考え方のコツ"と
言いますか、思考の枠を超える感覚というか
そういうモノについて質問を受けることが
たまーにあります。

脳を刺激し知能を高めるトレーニングとして
「尺度単位」を変えて考えてみることに
以前触れましたが2011年6月17日の回)、

「長さ大きさの尺度を体感すること」は
同様に脳トレーニングとして有益です。


大宇宙空間と素量子空間を想起できると
「時間・次元」感も柔軟に広がりますので
今回は「宇宙のスケール」を考えてみます。

まず、宇宙の構成要素のミクロ領域から
大宇宙へと 思考 を移していきましょう。

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水素原子を例に考えてみますと。

(陽子の半径についてはまだ確定していませんが)
水素の原子核(=陽子)の直径1.75×10-15m
=1.75fm(フェムトメートル)
とします。
* フェムト(femto) f=0.000000000000001

電子の古典半径は 2.818fmとされていますが
実際の電子は遥かに小さいと考えられます。
(というか"大きさ"を定義できるかさえ確定ではない…)
とりあえず ここでは単純化して電子直径を
陽子の10分の1として0.18×10-15m


水素原子(ボーアモデル)の直径は
約1.06×10-10m=1.06Å(オングストローム)

* Å(オングストローム)=0.0000000001

なので電子は水素原子核(=陽子)の周りを
1Å=100pmの範囲で回っている感じです。
(実際はもっと小さくなりますけれど)

これを日常感覚で捉えるために
原子核(陽子)を直径1mm に拡大すると、

1mmの陽子の周りを0.1mmの電子が
直径60メートルの軌道で回転している感じ


え?ほとんど空白スペースになるけど…
計算が間違ってるんじゃ?と驚きますよね、
ミクロ世界は感覚的にギッシリ詰まって
いそうに思いますが"ほぼ空洞の世界"です。

この「何もない虚空」感を前提に
宇宙にスケールを上げていきましょう。。

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地球 (直径12,756km)/月 (直径3,476km)
地球から月までの距離は約384,400km


この"スケール"を体感するために
「月」の直径を1mm に縮小すると・・
"直径3.66mmとなった地球"の周りを
11センチメートル離れて回っている関係


自分で紙に書いて確かめて下さい、
予想以上に距離が離れていますよね?

それもそのはずで、月と地球の間には
水星から海王星までの太陽系の7惑星
(地球を除いて)が横に並んでいくと
ちょうど収まるくらい距離が開いています!

moon_earth.jpg

大抵の人は驚く事実ですね〜。
(教科書の図ではすぐ隣にあるように書いてたりしますし)

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太陽と地球はどうでしょうか。

太陽の直径は約1,392,000km なので
月を直径1oスケールで考えると
太陽は約400倍の直径40cmの球になります。

太陽から地球までの平均距離は
約1億4,959万7,870km(1天文単位)
なので

"直径3.66mmの地球"は"直径40cmの太陽"
の周りを43メートル離れて回っています。

地球直径を1mmに縮小して考えると
太陽(直径11p)の周りを半径11.7mの
円を描いて公転する
イメージになります



地球=1mmのまま太陽系を考えると
地球から海王星までは約353m、
冥王星までは約465m離れている縮尺です。

たった1mmの地球なのに冥王星軌道まで
(楕円に近いものの)直径930mになります


太陽から太陽系の端("オールトの雲"の外端)
までは約1.575光年(15兆km)なので
たった1mmの地球なのに 太陽系は
半径1,168キロメートルという規模
です


* "オールトの雲"外縁まで太陽系に含むかは
定説ではなく、太陽系は"オールトの雲"内端まで
とすれば、太陽系の直径は上記の半分になります。


1光年(光が1年で進む距離)=
9,460,730,472,580.8km については
地球1mm換算で約741.6km になります。
(参考:東京―山口間の直線距離が約769km)



太陽系から一番近い恒星
"プロキシマ・ケンタウリ"までの
太陽からの距離は約4.22光年(39.9兆km)、

地球から全天観測して最も明るい恒星
シリウスまでは8.6光年(81.4兆km)、

地球1mm換算で1光年=約741.6kmなので
太陽(直径11p)からシリウスまで6378.3q!


…この辺りから縮尺しても実感が湧かないので
太陽直径を1mmに縮小して考えます。

太陽1mm換算で1光年=約6.8km なので
太陽系(オールト内端まで)の直径は10.9q

オリオン座のベテルギウス(直径13億km)は
太陽から642光年(6,100兆km)なので縮尺すると
太陽(直径1mm)から4365.6km 離れた先で
直径93cmのベテルギウスが燃え尽きそうに…


ちなみに"たて座UY星"は現在観測上
最大の恒星で太陽の約1700倍の大きさ。
(太陽が1o縮尺で直径1.7m!)

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さて、"銀河系"に移りましょう。

我々が属する"銀河系(天の川銀河)"は
直径10万光年。太陽系は銀河系の中心から
2万8000光年ほど離れた点に位置しています。

太陽1mm換算で言うと、銀河系の大きさは
直径67万9650km
…圧倒的スケールです・・

実感を掴むために 太陽系(オールト内端まで)
直径を1mm に縮小してみると(以下、オールト内縁までの直径)
銀河系の縮尺直径は62.5m
です。



お隣のアンドロメダ銀河まで239万光年。
太陽系1mm換算で言っても 1.5kmも遠い先 !
(アンドロメダ銀河の縮尺直径は約155m)

"局部銀河群(天の川銀河、アンドロメダ銀河、
さんかく座銀河、その他数十個の小銀河の集群)"
の直径は約500万光年なので、太陽系1mm換算でも
直径3.12qというスケールになりますね。

この局部銀河群が属す"おとめ座超銀河団"
を内包する"ラニアケア超銀河団"は
10万を超える銀河で構成され、
その大きさは約5億光年。

太陽系1mm換算で直径312.5qという...

銀河系直径を1メートルに縮尺すると
ラニアケアは直径5km…

"観測可能な宇宙"は…直径930億光年の球?
もしそうなら銀河系直径1m縮尺で930q....



"宇宙"はさらに果て無く続くという
研究論説もありますから…(並行宇宙も含め)

「"全宇宙"の壮大さ」実感できますか??



このように銀河系直径=1mに縮尺した時、
我々の地球は直径1.35×10-14m=
13.5fmという"原子"ミクロ世界のスケール。
(現実では"金(gold)"の原子核直径が約14fm)


ミクロの量子世界からマクロの大宇宙まで
スケールを変化させながら"時空"を旅すると
美しい「相似」関係が見出せます。

(まあ「時空の歪み」で"相似"というのも
確かなモノではありませんが、感覚的に…)


人間は文字通り"小宇宙(ミクロコスモス)"で
"大宇宙(マクロコスモス)"が縮尺されたモノ。


我々を構成している1原子核が地球としたら
全身は銀河系よりも大きいという相似感覚。

そういう感覚で、全事象を柔軟に行ったり
来たりすると「時間・次元」感も広がります。



ここからが"核心"という感じなのですが
さすがに長文になり過ぎたので・・

要するに「どんなに微細微小に見えても
焦点・尺度を変えると どれ一つとして
無意味なものは宇宙に存しない」


という感じで今回は終えたいと思います。


なお、下記過去記事も周辺知識として
読み直してみると理解が深まるでしょう。

「宇宙」の果て(2012年11月12日)
「ミクロ」の世界(2013年08月25日)
無量大数を超えて(2012年11月15日)


それでは、お疲れさまでした。
いつもありがとうございます。

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2019年12月20日

価値観の転換


皆さま、こんにちは。

中旬と申し上げていた
12月の2回目更新です。
(下旬になってしまいすみません…)

このラルースの塔でも適宜書いて
来た「対極思考」ですけど、

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感情論としてはNO だけれども、YES の立場になり切って考えてみると、状況はどう見えるか?そのように変化していくと考えられるか?現状で存在する(と考えられる)メリット・デメリットというものは、どう変化するか?ということを「壮大なスケール」で考える試み、それが「対極思考」の核心です。(2012年05月01日

要するに、今まで見ていた景色や状況を正反対の立場から眺めてみると、今までの思考スタンスは変わりうるのかどうか?という思考の検証です。
「対極思考」のポイントは、あらゆる事象に対してさまざまな思考が存在するということを知り、そのどれについても執着することなく自由に思考を行き来することができるかどうか?が「脳の柔軟性」を極端に高めるということです。

先入観に囚われることなく自由な発想で色々な角度から事象を探究してみることは(もちろん人間心理についても同様です)、今まで気づきにくかったことを浮かび上がらせ物事の微細な美しさを知ることにも繋がります。(2012年04月25日

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・・・というように述べました。

非合理的な常識・固定観念に囚われず、
視点・焦点を柔軟に変化させながら
全容を俯瞰して観ようとすることが、
知能を大いに刺激するということです。


そのことに関連して、何かコツとか
先生が意識していたことはありますか?
という質問など受けることもあります。

そう問われてふと思いつくのは
藤子・F・不二雄のSF作品など
"価値観を揺さぶるようなテーマに
多く触れること" が一つに挙げられます。


藤子・F・不二雄(藤本 弘)
(1933年12月1日 - 1996年9月23日)は
言わずとしれた『ドラえもん』の作者。

『パーマン』『キテレツ大百科』
『エスパー魔美』など子供向けの作品で
有名な漫画家ですが、SF短編として
奥深く哲学的な作品も多く遺しています。


この"SF"はScience Fiction ではなく
Sukoshi Fushigi(スコシ フシギ)とのこと。


SF短編だけでも110編を超える中で
そのほとんどが秀逸なのですけれど
個人的に印象強く残っているものを
ご紹介してみようと思います。


ミノタウロスの皿 (1969年)

宇宙船が故障してしまい、地球のような惑星「イノックス星」に不時着した主人公は、そこで偶然出会った少女・ミノアに助けてもらう。この星では、牛のような姿をした"ズン類"が世界を支配しており、ミノアたち人間は"ウス"と呼ばれ、"ズン類"に食用、愛玩用として飼育されていたのだった。主人公は喜んで食べられようとするミノアを助け出そうと説得に奔走するが…

…という、人間と家畜の立場が逆転した世界のお話。

人が牛豚などの家畜を当たり前に食べている中、
それが逆だったら?と、価値観の転換を
考えさせられる作品です。

今の私は ほぼ菜食("卵"は頂きます)に
なっていますし、昔から食肉は好きではなかったので

個人的には衝撃という訳でもありませんが
この作品が50年前に書かれたことは驚きです。



ヒョンヒョロ (1971年)

ある日、マーちゃんは「お星さまを拾った」「円盤に乗ったウサギさんを見た」と言い出すが、両親は子供の戯言だと信じなかった。その後、マーちゃんは「ウサギさんから貰った手紙」を両親に見せる。手紙には「脅迫状。ヒョンヒョロを差し出さないと誘拐するてす。マーちゃんどの」といった内容が書かれていた。またも大人は信じなかったが、彼らの前にうさぎのような異生物が姿を現し、ヒョンヒョロを要求するが……


子供の話をまともに信じようとしない
大人の浅はかさや、身勝手さへの警鐘
とはいえ、衝撃的な結末です。

個人的はかなり印象深い作品。



カンビュセスの籤 (1977年)

紀元前500年頃、ペルシア王カンビュセスは5万の軍勢でエチオピア遠征を企てたが、やがて食糧が尽き、乗馬も草木も食べ尽くした兵士たちが生きるために選んだ手段は、10人が1組となって籤(くじ)を引き、当たった1人を糧食とする残酷なものだった。籤に当たった兵士・サルクは逃亡するも見知らぬ空間にさまよい、力尽き倒れたところをエステルという女性に救われる。

翻訳の機械が直り、ようやく会話が出来るようになると、互いの境遇を知る。ここは人間同士の終末戦争で荒れ果てて植物も育たない、23万年後の未来の地球だった。1万年の冬眠のたびに籤で1人を選び、食料(ミートキューブ)にして生き延びるという手段をとってきた結果、エステルが最後の1人となっていた。

この話を聞いたサルクは、自分に出されていた食料が"人間"であると知り愕然とする。エステルは2本の籤を差し出し、どちらが食料になるか籤引きで決めると言い、「籤を引いて」とサルクに詰め寄るが…


「何故そこまでして生き延びなければならないのか」
「私達には生き延びる義務があるの」

…というセリフからも「生きるとは?」
を考えさせられる 名作と思います。

"生きるためには食べなければならない"
という固定観念に囚われずに柔軟に
"じゃあ食べずに生きられる身体になろう"
と思える自分はなかなか特異かもながら…

生命倫理を考える上でも秀逸な題材です。



流血鬼 (1978年)

「マチスン・ウイルス」に感染すると吸血鬼のようになる奇病が日本にも広まり始めたある夜、吸血鬼たちがウィルスをガス状にして散布し、主人公たち以外は感染してしまう。両親や近隣住民も吸血鬼と化した街から、秘密の洞穴に逃げ込むと木杭と十字架で吸血鬼たちへの抵抗を始めるが… 吸血鬼の正体は、ウィルスの感染によってより強い生命力を得て進化した新人類であり、ウィルスを感染させて新人類を増やすために吸血を行っていたという驚愕の事実を明かされる・・


吸血鬼=殺人者と見なして、心臓に杭を打つ少年に対し、
「私たちが吸血鬼ならばあなたは流血鬼」と。

吸血鬼を殺して血を流す流血鬼(人間)であるより
人を殺したりせず「血を吸うだけ」の吸血鬼の方が
良き存在ではないですか??

…と、これまた価値観を揺さぶって
考えさせられる作品ですね。

リチャード・マシスンの小説『地球最後の男』
が元になっているとされていますが、
藤子F作品の結末の方が素晴らしいです。


さて…あらすじの分だけどうしても
長くなるのは仕方ないとしても
まだ4作品しか挙げていないのに
このペースは長くなり過ぎですね。

本当にまだまだご紹介すべき名作は
枚挙に暇ないのですけど、

間引き (1974年)
耳太郎(1976年)
未来ドロボウ(1977年)
ぼくは神様 (1977年)
創世日記(1979年)

この辺りは、大人にも子供にも
有益な学びが与えられる名作かと思います。


日々の"当たり前"に縛られずに
柔軟に思考思索していくと同時に、

日々の"当たり前"にこそ掛け替えなき
幸せの鍵が隠されているのだと気付くこと。

「価値観の転換」とは、自分が
未だ気付いていなかった本当の価値を
見出す "きっかけ"にもなります。



"人は失ってみて初めてその価値に気づく"
的なことは、古来から言われてきますが、
どうせなら失う前に気付けた方が嬉しいですよね。

日々支えて下さる周囲全てに
改めて意を配りながら
楽しく歩んで参りましょう。

それでは、今回はこの辺で。

有意義な年末をお過ごし下さいね。


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2013年08月25日

「ミクロ」の世界


皆さま、こんにちは。

今回も随分と間隔を開けてしまいましたが
皆さまも有意義な夏を過ごされたことでしょう。

夏休みが終わって平常授業に戻る子も多く、
ハードスケジュールの夏も、ようやく終焉を
迎えることが出来そうです(本当にお疲れ様でした)

恒例ながら、この1ヶ月も超高密度の時間でしたので
1年分くらい過ごした充実感さえ覚えます。。


さて、以前 無量大数を超えての記事で
「大きな数」を考えましたので、今回は「小さな数」を。

まず、馴染みがある単位で見ていきますと…

10-1  デシ(deci) d=0.1
10-2  センチ(centi) c=0.01
10-3  ミリ(milli) m=0.001

10-6  マイクロ(micro) μ=0.000001
10-9  ナノ(nano) n=0.000000001
10-12  ピコ(pico) p=0.000000000001


例えば、nm(ナノメートル)は10億分の1メートル、
pg(ピコグラム)は1兆分の1グラム ですね。。

漢字圏の単位で見てみると、以下のように。

分(ぶ) 10-1
厘(釐)(りん) 10-2
毛(毫)(もう) 10-3

糸(絲)(し) 10-4
忽(こつ) 10-5
微(び) 10-6

繊(せん) 10-7
沙(しゃ) 10-8
塵(じん) 10-9

埃(あい) 10-10
渺(びょう) 10-11
漠(ばく) 10-12


・・・p(ピコ)=「漠」ですね?
更に深く進んでいきますと、、

模糊(もこ) 10-13
逡巡(しゅんじゅん) 10-14
須臾(しゅゆ) 10-15

瞬息(しゅんそく) 10-16
弾指(だんし) 10-17
刹那(せつな) 10-18

六徳(りっとく) 10-19
虚空(こくう) 10-20
清浄(せいじょう) 10-21



「〜する刹那、」という表現は、今でも使いますね?
単位が「秒」なら、0.000000000000000001秒!
(100京分の1秒)という感じですが、それくらい
ごくごく僅かな時間という意味合いで…。

「虚空」「清浄」の辺りは…それくらいに
「空」の領域に近づいている様が分かります。。

・・・最後のステージを見てみましょう。

阿頼耶(あらや) 10-22
阿摩羅(あまら) 10-23
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう) 10-24


「涅槃寂静=0.000000000000000000000001」
「1杼分の1」というわけですね・・・

仏教用語において「涅槃」=煩悩が吹き消された
悟りの世界、「寂静」=静やかな安らぎの境地。

「涅槃」とは文字通り「一切の囚われ」から解放された
絶対自由の境地、諸行無常・諸法無我の深奥を自覚
すること、これこそ涅槃寂静への到達とされます。


(簡単に要約できるものではありませんが…)


ただ、これに対応するSI接頭辞もあります…意外と。

10-15 フェムト(femto) f=0.000000000000001
10-18 アト(atto) a=0.000000000000000001
10-21 ゼプト(zepto) z=0.000000000000000000001
10-24 ヨクト(yocto) y=0.000000000000000000000001


「涅槃寂静」=「y (ヨクト)」です。

1ym(ヨクトメートル)=1涅槃寂静メートル。

あれれ?何というか…悟りの境地に追いつかれてる?
という、ある種の「戸惑い」さえ感じさせます。

1037,218,383,881,977,644,441,306,597,687,849,648,128
=「不可説不可説転」のような人智を超えた、
ある種の突き抜けた狂気性がないというか…。


実際、「原子(atom )」の統一質量単位は
1Da=約1.660538921×10-24
すなわち、約1.66 yg(ヨクトグラム)と表わせます。

さらに 電子(Electron)の質量は0.000911 yg 、
0.000911涅槃寂静グラム。涅槃寂静で全く足りてない…。


…いや、このブログでも怪しげに書いていますように
人智を超えた領域を志向するのは至高と思いますので
「涅槃寂静」の境地は「荘厳に想う」のですけれど、

この「単位としての涅槃寂静」については
電子=0.000911涅槃寂静グラムの例で分かるように、

「足りてない」感が…ある意味、先人の視点からすると
「涅槃寂静の単位ちょっと待って、やり直す!」と
言いたくなるかも?的な、愛おしさを感じるのです。


「極微小の世界」は、まだまだ待っていますし。。
プランク長(Planck length)は、1.616199×10-35m
すなわち、0.00000000001616199涅槃寂静メートル・・・

素粒子の踊る量子世界においては「大きさ」さえ
一義的に観念できなくなりますので、そこでこそ
「涅槃寂静」の世界なのでしょうけれども、

(「宇宙開闢(かいびゃく)」はそれこそ
 「色即是空 空即是色」かもしれませんし)


10-100くらいを「涅槃寂静」にしたい
ところですね、もしリセットできる立場なら。


…と、下らない戯言はこの辺にして、
最後に関連動画を載せておきましょう。

Powers of TenTM (1977)


(10の24乗から、10の−16乗までを概観
 できますが、1977年の作品なのでちょっと
 ミクロ世界の方は物足りないかもしれません。
 その辺りは、また機を改めましょう。。)



いつもありがとうございます。


posted by laluz at 05:00| Comment(0) | 「脳」の使い方

2013年05月15日

「 生息時間 」


皆さま、こんにちは。

いつの間にかゴールデンウィークも過ぎていますし。
2週間に1度の更新頻度になっていますけれど、

至上の日々をお過ごしのことと思います。

まあ、ゴールデンウィークなどを有り難がらずとも
ゴールデンアワー、ゴールデンミニッツを楽しんでいれば
ゴールデンイヤー、ゴールデンライフとなりましょう。


(ちょっとネーミング的には知性を感じませんが…)

ただ、5月の連休期間や夏季休暇・年末年始などは
以前の教え子たちが帰省後に連絡をとってくれたり
(お土産があるので会えませんかー?などなど)

興味深い再会があったりする時機です。

(タイミング的に会えないことも多いですが、
 時を経ても慕ってくれるのは嬉しく思いますね。)



私自身は身体的にあまり変わらないと思いますが、
(「時間」との付き合いが極めて緩やかなので。)

算数で解けない時は涙をよく流していた男の子が
今や190センチ近い体格で精悍な顔つきになっていたり、

ワガママで気難しかったお嬢様が、
気品あふれる女性に進化されていたりと、

諸行無常の情趣を、時の傍観者のように感じます。



第三者の私でさえ、成長進化を感慨深く思うのですから
保護者の皆さま方には、成長の歳月は格別でしょう。


ただ、「人の生」というものは今のところは有限、

多くは、せいぜい30億秒=約96年の命数。

(35億秒=約111年、40億秒=約127年 なので
 荘厳に35億秒を超える方はいらっしゃるとしても!)


どの1秒さえも代え難き「一期一会」です。



…というようなお話は以前も書きましたけれど、

じゃあ、今は何秒経過?何分経過?というのが
ちょっと即断しにくいので、秒・分単位で人の生を
捉えるのは、なかなか実用的ではないのも確か。。

それなら「計算してもらえばよいだけのこと」なので
『生まれてから何秒たった?』という有用なページを
ご紹介しておきます。

「秒」だけではなく、経過分・経過時間・経過日数まで
瞬時に教えてくれる計算プログラムです。

「KEISAN(生活や実務に役立つ計算サイト)」という
秀逸なウェブサイトの1ページで、他にも多くの分野で
興味深い計算プログラムを用意してくれています。


(上記keisanサービスは、カシオ計算機株式会社の
 管理運営であり、著作権など一切の権利は同社に属します。)
 

「脳」を柔軟に養っておくには、日常視点ではない「変化」
「刺激」というものを楽しく取り入れていくことが重要で
時間単位を変えて考えてみるのも有益と以前述べましたが、

今まで何秒・何分・何時間、世界に生息してきたのか
少し考えてみるのも、脳にとって良い栄養となりましょう。



上記の他に、有用なものとして

『生まれて何日チェック』 というものがあります。
(「名入れギフト.com 」管理ページへのリンクです。)

後者のタイプは、スマホアプリなどでご存知の方も
多いかもしれませんが、生誕5,000日!とか生誕10,000日!
などの節目の日を調べるには興味深いプログラムですね。

それにしても…110年間を生息したとして
40,000日と少し。約82年で30,000日。


これを多いと見るか些少とみるかは
各々の人生観で異なってくるでしょうが、

人生の「砂時計」の進み方を早めたり、
あるいは遅らせたりは意外とできるものです。

(「時計」一般、「砂時計」も好きだったので、
幼い頃から飽きずに比べて遊んでいました。)


客観的な生息時間が短くても、優しさに囲まれて
過ごせた人なら、その時間密度は極大化されるでしょう。


物理的な「生息時間」もさることながら、
主観的な「幸福時間」の総量こそ大切です。


5月6月は「母の日」「父の日」という設定がありますが
そのような日に関わらず、日々お互いへの敬意を持って
世代相互に高めあうことができれば至上と思います。



それでは、今回はこの辺で。

いつもありがとうございます。


posted by laluz at 23:55| Comment(0) | 「脳」の使い方

2013年01月11日

「じかん」


皆さま、こんにちは。

10日経過、2013年の「36分の1」が過ぎましたね、

1年間を 『長い1日』 と捉え直してみると
およそ「15日間」が「24分の1」=『1時間』です。


1日24時間のうち「1時間」を大切にするのも
1年の15日間を大切にするのも等しく貴いもの。

同様に「今の1時間」を『小さな1日』と捉え直すと
およそ「150秒=2分半」が『小さな1時間』です。

「人生」を『とても長い一日』と考えると
命数96年なら「4年」が『1時間』です。

(命数72年なら「3年」、120年なら「5年」)

「地球の寿命」を『すごく長い1日』と考えると
(現在、約46億歳で太陽の余命50億年くらい?
 という何となくの前提条件としておくと)

およそ「4億年」が『すごく長い1時間』ですね…。

以前の記事 2011.8.10「時間貯金」
2011.10.17「時間と遊ぶ」 においても
「時間」について触れましたけれど、


「時間」とは「時の間」。

「大きな時間」「小さな時間」それぞれの、
大小さまざまの「時の間」の集積です。


ギリシア神話における「時間の神」である
καιρός(カイロス)と χρόνος(クロノス)に由って、

過去から未来へと一定速度・一定方向で機械的に流れる
連続した時間を「クロノス時間」、一瞬の時刻や人間の
主観的な時間を「カイロス時間」と言ったりしますけれど、

大きな視点と小さな視点で、各時間に感謝しつつ
時間と大らかに付き合うならば、どの時間単位も
至高な「じかん」になると感じます。


そういうわけで、今年も随分生きてきた気がしますが、
まだ355日も。2013年も至上の時になりそうです!

(私の時間観では「1年」=『長い10分』なので、
 大切にのんびり楽しみたいと思いますね。)


それでは、今回はこの辺で。

いつもありがとうございます。


posted by laluz at 08:00| Comment(0) | 「脳」の使い方

2012年09月25日

「脳」を甘やかせない


皆さま、こんにちは。

朝晩は肌寒いくらい涼しくなりました、
そのせいか一部では風邪も流行っているようで。

文明の利器に頼り過ぎてしまうと、
季節変化にも身体が対応しにくいもの。

学力だけでなく、身体調節・健康維持能力も
間違いなく「称えられるべき能力」の一つです。


(以前も述べたように、幼少期は適切に
 病気にかかることも大切な経験ですけれど。)


くれぐれもお気を付け下さいますように。


我々の「脳」は、適度に厳しく接する方が
何だかんだで頑張って伸びてくれる子です。

しかし、「便利」な機能で満載な現世において
多くの「脳」はかなり怠惰な日々を送っています。

(この私に「怠惰」と言われたくないでしょうが、
 身体的にではなく「脳」に限定したお話です。)


多少「不便」でも、ある程度「脳」に仕事を
残しておく方が、逆に「便利」になるものです。

分かり易く言えば、一々覚えておくなどは
一見「不便」なことに思えることかもしれませんが、
それを敢えて「脳」に頑張ってもらうことで

楽をさせ過ぎない方が、脳のパフォーマンスが
高レベルで維持でき、閃きや創造性などの面で
かえって「便利」に進化してくれるわけです。


筋肉でもそうですよね、適度に使っていないと
筋力は衰えていきますし、急に使うと筋肉痛や
もっと重篤な怪我を生じることもあります。

「脳力」でも基本は同じことが言えます。

…と、この辺りは以前の「脳の使い方」の
各記事で述べたことなので繰り返しませんが。

先進国の現代的生活において、パソコンやスマートフォン
などのデジタルデバイスは必須となっています。

パソコンやスマホがなくなったら仕事が出来ない
という方々も多いのではないでしょうか?


それは様々なデータをPCなどに保管しており
一々「脳」に保管していないからですよね。

(もちろん重要データには暗号ロックをかけたり
 セキュリティバックアップを用意しているでしょうが。)


膨大な情報を「脳」内に貯蔵することは時間もかかるので
(不可能ではないにせよ)、デジタル媒体に保存するのは
合理的な進化だと言えましょう。

ただ、それに依存しすぎて、「記憶」するという
姿勢がなくなってしまうと「脳」は怠けてしまいます。


中学入試から大学入試までは「暗記すべきこと」も
非常に多く、批判も多いところですが、「脳力」に
おいて「暗記」能力はなかなか重要な位置づけです。

もちろん、「暗記」だけできても未知の問題に対して
「創造的思考」ができなければ意味がありません。

「最低限ここまで暗記すべき」という点を前提に
その知識を用いて柔軟に発想していくことが
学力検査の根幹として問われているわけです。


「覚えなければならない」受動意識ではなく
どれだけ「覚えられるか?」という能動意識で
暗記ゲームを楽しむ方が、「脳」も喜びます。

(「受験」も「RPGゲーム」と思って楽しむ子は
 要領よく難関突破していけると思います。)


ちなみに、私の習慣としてケータイの中に番号や
メールアドレスを登録しないというものがあります。

(単に面倒だからでしょ?というご指摘もありますが。)

メアドの方は、文字列の雰囲気で覚えられますから
認識上不都合ありませんけど、電話番号の方は
確かに不便なことではあります。

以前、何日何時にかかってきた番号だから…と
その当時の状況を思い出しつつ特定するのは
不便ながらも、「脳」にとっては良い刺激です。。


発着信・送受信の履歴から消えてしまうと
こちらからご連絡できなくなりますが、

私に用事がある人は適宜に連絡下さいますし、
履歴から消えたなら、ご縁もその程度ということ。

(お付き合いが長い方々のアドレスは
 脳に暗記されていますので、ご安心を。)


ムダにデータを媒体に保存するのはセキュリティ面でも、
検索効率性の点からも宜しくないですからね。。

…と、最後に脱線しましたが、
「脳」に対しては適度に厳しくしましょう
というお話でした。

(もちろん「脳への感謝」は前提に置きつつ。)

それでは、今回はこの辺で。

いつもありがとうございいます。



posted by laluz at 15:00| Comment(0) | 「脳」の使い方

2012年09月19日

自発的な「時間」


皆さま、こんばんは。

昨日は更新できず仕舞いでしたが…
変わらずご訪問下さった方々には感謝申し上げます。

暑い日も時折ありますが、
おおむね過ごし易くなりましたね。

「学問の秋」ということで(学問する者に
季節など本来関係ありませんけれど…)
私の生徒さん達も本来の輝きを放ち始めました。


(確かに、夏場の移動や部活などは
 体力の消耗が著しいですからね。。
 コンピューターも熱には弱いものですし。)


あり得ないスピードで知識を吸収してくれたり、
あるいは世界について深い考察を交えたりと、

進化の煌めきは、いつ見ても輝かしく
人の世で最も素晴らしいものに思えます。


「時間」感覚を極限まで高めていく意識、即ち
 集中力と脳の処理速度を意識的に高めていけば、

 その者の過ごす「(客観時間の)1時間」は、
主観時間として2時間にも3時間にもなります。


私と勉強し始めた生徒さんは、最初は必ず
「2〜3時間があっという間に感じる」と言いますが、

より深く「脳」を使えるようになれば、
「たった2時間ですごく進化できた!」という感覚になれます。

前者は「勉強時間」を楽しいと感じる期間で、
それはそれで極めて有意義なステージですが、

進化していくと、2時間という時間密度が濃くなり、
脳をフル回転して通常の4時間分くらい吸収する感覚、

今までの時間の使い方に変化が起きるわけです。


以前にも述べましたが、1日86,400秒を
如何に「自発的に使う」ことができるか?

(「自発的に使う」というのは忙しく生きることを
 意味しません、意識的にのんびりを楽しむなら、
 それは「自発的な時間の使い方」です。)


1秒の仄かな灯りを輝かせることのできるなら、
1秒の集積である人生も光輝くでしょう。

「しなければならない」という意識で
「受動的」に仕方なく時間を過ごすよりは、
「自発的に楽しむ」ことで時間は輝きます。


それは「時間」だけでなく「お金」でも同じです。
出費を渋るのではなく、喜んで支払いを楽しむ方が
お金の流れも雄大なものになっていくように。

「対価について」の記事でも述べましたけれど。)

人生や運命を支配するには、1秒の価値を意識して
勝手に流れるのではなく、自発的に流す意識が「鍵」です。

自分の時間は、自分が「創造主」であるように
振る舞えば良いというだけのこと。


(…と言える環境に、意図して身を置いているから
 こそ言えることかもしれませんが。。)


ともあれ、秋は過ごしやすい時季です。

夏の日差しに翻弄された人も、秋においては
自分の時間を創造的に楽しんで下さいますように。

予想外にまとまりに欠けますが、
今日の記事はこの辺で。

いつもありがとうございます。


posted by laluz at 22:30| Comment(0) | 「脳」の使い方