2013年08月25日

「ミクロ」の世界


皆さま、こんにちは。

今回も随分と間隔を開けてしまいましたが
皆さまも有意義な夏を過ごされたことでしょう。

夏休みが終わって平常授業に戻る子も多く、
ハードスケジュールの夏も、ようやく終焉を
迎えることが出来そうです(本当にお疲れ様でした)

恒例ながら、この1ヶ月も超高密度の時間でしたので
1年分くらい過ごした充実感さえ覚えます。。


さて、以前 無量大数を超えての記事で
「大きな数」を考えましたので、今回は「小さな数」を。

まず、馴染みがある単位で見ていきますと…

10-1  デシ(deci) d=0.1
10-2  センチ(centi) c=0.01
10-3  ミリ(milli) m=0.001

10-6  マイクロ(micro) μ=0.000001
10-9  ナノ(nano) n=0.000000001
10-12  ピコ(pico) p=0.000000000001


例えば、nm(ナノメートル)は10億分の1メートル、
pg(ピコグラム)は1兆分の1グラム ですね。。

漢字圏の単位で見てみると、以下のように。

分(ぶ) 10-1
厘(釐)(りん) 10-2
毛(毫)(もう) 10-3

糸(絲)(し) 10-4
忽(こつ) 10-5
微(び) 10-6

繊(せん) 10-7
沙(しゃ) 10-8
塵(じん) 10-9

埃(あい) 10-10
渺(びょう) 10-11
漠(ばく) 10-12


・・・p(ピコ)=「漠」ですね?
更に深く進んでいきますと、、

模糊(もこ) 10-13
逡巡(しゅんじゅん) 10-14
須臾(しゅゆ) 10-15

瞬息(しゅんそく) 10-16
弾指(だんし) 10-17
刹那(せつな) 10-18

六徳(りっとく) 10-19
虚空(こくう) 10-20
清浄(せいじょう) 10-21



「〜する刹那、」という表現は、今でも使いますね?
単位が「秒」なら、0.000000000000000001秒!
(100京分の1秒)という感じですが、それくらい
ごくごく僅かな時間という意味合いで…。

「虚空」「清浄」の辺りは…それくらいに
「空」の領域に近づいている様が分かります。。

・・・最後のステージを見てみましょう。

阿頼耶(あらや) 10-22
阿摩羅(あまら) 10-23
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう) 10-24


「涅槃寂静=0.000000000000000000000001」
「1杼分の1」というわけですね・・・

仏教用語において「涅槃」=煩悩が吹き消された
悟りの世界、「寂静」=静やかな安らぎの境地。

「涅槃」とは文字通り「一切の囚われ」から解放された
絶対自由の境地、諸行無常・諸法無我の深奥を自覚
すること、これこそ涅槃寂静への到達とされます。


(簡単に要約できるものではありませんが…)


ただ、これに対応するSI接頭辞もあります…意外と。

10-15 フェムト(femto) f=0.000000000000001
10-18 アト(atto) a=0.000000000000000001
10-21 ゼプト(zepto) z=0.000000000000000000001
10-24 ヨクト(yocto) y=0.000000000000000000000001


「涅槃寂静」=「y (ヨクト)」です。

1ym(ヨクトメートル)=1涅槃寂静メートル。

あれれ?何というか…悟りの境地に追いつかれてる?
という、ある種の「戸惑い」さえ感じさせます。

1037,218,383,881,977,644,441,306,597,687,849,648,128
=「不可説不可説転」のような人智を超えた、
ある種の突き抜けた狂気性がないというか…。


実際、「原子(atom )」の統一質量単位は
1Da=約1.660538921×10-24
すなわち、約1.66 yg(ヨクトグラム)と表わせます。

さらに 電子(Electron)の質量は0.000911 yg 、
0.000911涅槃寂静グラム。涅槃寂静で全く足りてない…。


…いや、このブログでも怪しげに書いていますように
人智を超えた領域を志向するのは至高と思いますので
「涅槃寂静」の境地は「荘厳に想う」のですけれど、

この「単位としての涅槃寂静」については
電子=0.000911涅槃寂静グラムの例で分かるように、

「足りてない」感が…ある意味、先人の視点からすると
「涅槃寂静の単位ちょっと待って、やり直す!」と
言いたくなるかも?的な、愛おしさを感じるのです。


「極微小の世界」は、まだまだ待っていますし。。
プランク長(Planck length)は、1.616199×10-35m
すなわち、0.00000000001616199涅槃寂静メートル・・・

素粒子の踊る量子世界においては「大きさ」さえ
一義的に観念できなくなりますので、そこでこそ
「涅槃寂静」の世界なのでしょうけれども、

(「宇宙開闢(かいびゃく)」はそれこそ
 「色即是空 空即是色」かもしれませんし)


10-100くらいを「涅槃寂静」にしたい
ところですね、もしリセットできる立場なら。


…と、下らない戯言はこの辺にして、
最後に関連動画を載せておきましょう。

Powers of TenTM (1977)


(10の24乗から、10の−16乗までを概観
 できますが、1977年の作品なのでちょっと
 ミクロ世界の方は物足りないかもしれません。
 その辺りは、また機を改めましょう。。)



いつもありがとうございます。


posted by laluz at 05:00| Comment(0) | 「脳」の使い方

2013年05月15日

「 生息時間 」


皆さま、こんにちは。

いつの間にかゴールデンウィークも過ぎていますし。
2週間に1度の更新頻度になっていますけれど、

至上の日々をお過ごしのことと思います。

まあ、ゴールデンウィークなどを有り難がらずとも
ゴールデンアワー、ゴールデンミニッツを楽しんでいれば
ゴールデンイヤー、ゴールデンライフとなりましょう。


(ちょっとネーミング的には知性を感じませんが…)

ただ、5月の連休期間や夏季休暇・年末年始などは
以前の教え子たちが帰省後に連絡をとってくれたり
(お土産があるので会えませんかー?などなど)

興味深い再会があったりする時機です。

(タイミング的に会えないことも多いですが、
 時を経ても慕ってくれるのは嬉しく思いますね。)



私自身は身体的にあまり変わらないと思いますが、
(「時間」との付き合いが極めて緩やかなので。)

算数で解けない時は涙をよく流していた男の子が
今や190センチ近い体格で精悍な顔つきになっていたり、

ワガママで気難しかったお嬢様が、
気品あふれる女性に進化されていたりと、

諸行無常の情趣を、時の傍観者のように感じます。



第三者の私でさえ、成長進化を感慨深く思うのですから
保護者の皆さま方には、成長の歳月は格別でしょう。


ただ、「人の生」というものは今のところは有限、

多くは、せいぜい30億秒=約96年の命数。

(35億秒=約111年、40億秒=約127年 なので
 荘厳に35億秒を超える方はいらっしゃるとしても!)


どの1秒さえも代え難き「一期一会」です。



…というようなお話は以前も書きましたけれど、

じゃあ、今は何秒経過?何分経過?というのが
ちょっと即断しにくいので、秒・分単位で人の生を
捉えるのは、なかなか実用的ではないのも確か。。

それなら「計算してもらえばよいだけのこと」なので
『生まれてから何秒たった?』という有用なページを
ご紹介しておきます。

「秒」だけではなく、経過分・経過時間・経過日数まで
瞬時に教えてくれる計算プログラムです。

「KEISAN(生活や実務に役立つ計算サイト)」という
秀逸なウェブサイトの1ページで、他にも多くの分野で
興味深い計算プログラムを用意してくれています。


(上記keisanサービスは、カシオ計算機株式会社の
 管理運営であり、著作権など一切の権利は同社に属します。)
 

「脳」を柔軟に養っておくには、日常視点ではない「変化」
「刺激」というものを楽しく取り入れていくことが重要で
時間単位を変えて考えてみるのも有益と以前述べましたが、

今まで何秒・何分・何時間、世界に生息してきたのか
少し考えてみるのも、脳にとって良い栄養となりましょう。



上記の他に、有用なものとして

『生まれて何日チェック』 というものがあります。
(「名入れギフト.com 」管理ページへのリンクです。)

後者のタイプは、スマホアプリなどでご存知の方も
多いかもしれませんが、生誕5,000日!とか生誕10,000日!
などの節目の日を調べるには興味深いプログラムですね。

それにしても…110年間を生息したとして
40,000日と少し。約82年で30,000日。


これを多いと見るか些少とみるかは
各々の人生観で異なってくるでしょうが、

人生の「砂時計」の進み方を早めたり、
あるいは遅らせたりは意外とできるものです。

(「時計」一般、「砂時計」も好きだったので、
幼い頃から飽きずに比べて遊んでいました。)


客観的な生息時間が短くても、優しさに囲まれて
過ごせた人なら、その時間密度は極大化されるでしょう。


物理的な「生息時間」もさることながら、
主観的な「幸福時間」の総量こそ大切です。


5月6月は「母の日」「父の日」という設定がありますが
そのような日に関わらず、日々お互いへの敬意を持って
世代相互に高めあうことができれば至上と思います。



それでは、今回はこの辺で。

いつもありがとうございます。


posted by laluz at 23:55| Comment(0) | 「脳」の使い方

2013年01月11日

「じかん」


皆さま、こんにちは。

10日経過、2013年の「36分の1」が過ぎましたね、

1年間を 『長い1日』 と捉え直してみると
およそ「15日間」が「24分の1」=『1時間』です。


1日24時間のうち「1時間」を大切にするのも
1年の15日間を大切にするのも等しく貴いもの。

同様に「今の1時間」を『小さな1日』と捉え直すと
およそ「150秒=2分半」が『小さな1時間』です。

「人生」を『とても長い一日』と考えると
命数96年なら「4年」が『1時間』です。

(命数72年なら「3年」、120年なら「5年」)

「地球の寿命」を『すごく長い1日』と考えると
(現在、約46億歳で太陽の余命50億年くらい?
 という何となくの前提条件としておくと)

およそ「4億年」が『すごく長い1時間』ですね…。

以前の記事 2011.8.10「時間貯金」
2011.10.17「時間と遊ぶ」 においても
「時間」について触れましたけれど、


「時間」とは「時の間」。

「大きな時間」「小さな時間」それぞれの、
大小さまざまの「時の間」の集積です。


ギリシア神話における「時間の神」である
καιρός(カイロス)と χρόνος(クロノス)に由って、

過去から未来へと一定速度・一定方向で機械的に流れる
連続した時間を「クロノス時間」、一瞬の時刻や人間の
主観的な時間を「カイロス時間」と言ったりしますけれど、

大きな視点と小さな視点で、各時間に感謝しつつ
時間と大らかに付き合うならば、どの時間単位も
至高な「じかん」になると感じます。


そういうわけで、今年も随分生きてきた気がしますが、
まだ355日も。2013年も至上の時になりそうです!

(私の時間観では「1年」=『長い10分』なので、
 大切にのんびり楽しみたいと思いますね。)


それでは、今回はこの辺で。

いつもありがとうございます。


posted by laluz at 08:00| Comment(0) | 「脳」の使い方

2012年09月25日

「脳」を甘やかせない


皆さま、こんにちは。

朝晩は肌寒いくらい涼しくなりました、
そのせいか一部では風邪も流行っているようで。

文明の利器に頼り過ぎてしまうと、
季節変化にも身体が対応しにくいもの。

学力だけでなく、身体調節・健康維持能力も
間違いなく「称えられるべき能力」の一つです。


(以前も述べたように、幼少期は適切に
 病気にかかることも大切な経験ですけれど。)


くれぐれもお気を付け下さいますように。


我々の「脳」は、適度に厳しく接する方が
何だかんだで頑張って伸びてくれる子です。

しかし、「便利」な機能で満載な現世において
多くの「脳」はかなり怠惰な日々を送っています。

(この私に「怠惰」と言われたくないでしょうが、
 身体的にではなく「脳」に限定したお話です。)


多少「不便」でも、ある程度「脳」に仕事を
残しておく方が、逆に「便利」になるものです。

分かり易く言えば、一々覚えておくなどは
一見「不便」なことに思えることかもしれませんが、
それを敢えて「脳」に頑張ってもらうことで

楽をさせ過ぎない方が、脳のパフォーマンスが
高レベルで維持でき、閃きや創造性などの面で
かえって「便利」に進化してくれるわけです。


筋肉でもそうですよね、適度に使っていないと
筋力は衰えていきますし、急に使うと筋肉痛や
もっと重篤な怪我を生じることもあります。

「脳力」でも基本は同じことが言えます。

…と、この辺りは以前の「脳の使い方」の
各記事で述べたことなので繰り返しませんが。

先進国の現代的生活において、パソコンやスマートフォン
などのデジタルデバイスは必須となっています。

パソコンやスマホがなくなったら仕事が出来ない
という方々も多いのではないでしょうか?


それは様々なデータをPCなどに保管しており
一々「脳」に保管していないからですよね。

(もちろん重要データには暗号ロックをかけたり
 セキュリティバックアップを用意しているでしょうが。)


膨大な情報を「脳」内に貯蔵することは時間もかかるので
(不可能ではないにせよ)、デジタル媒体に保存するのは
合理的な進化だと言えましょう。

ただ、それに依存しすぎて、「記憶」するという
姿勢がなくなってしまうと「脳」は怠けてしまいます。


中学入試から大学入試までは「暗記すべきこと」も
非常に多く、批判も多いところですが、「脳力」に
おいて「暗記」能力はなかなか重要な位置づけです。

もちろん、「暗記」だけできても未知の問題に対して
「創造的思考」ができなければ意味がありません。

「最低限ここまで暗記すべき」という点を前提に
その知識を用いて柔軟に発想していくことが
学力検査の根幹として問われているわけです。


「覚えなければならない」受動意識ではなく
どれだけ「覚えられるか?」という能動意識で
暗記ゲームを楽しむ方が、「脳」も喜びます。

(「受験」も「RPGゲーム」と思って楽しむ子は
 要領よく難関突破していけると思います。)


ちなみに、私の習慣としてケータイの中に番号や
メールアドレスを登録しないというものがあります。

(単に面倒だからでしょ?というご指摘もありますが。)

メアドの方は、文字列の雰囲気で覚えられますから
認識上不都合ありませんけど、電話番号の方は
確かに不便なことではあります。

以前、何日何時にかかってきた番号だから…と
その当時の状況を思い出しつつ特定するのは
不便ながらも、「脳」にとっては良い刺激です。。


発着信・送受信の履歴から消えてしまうと
こちらからご連絡できなくなりますが、

私に用事がある人は適宜に連絡下さいますし、
履歴から消えたなら、ご縁もその程度ということ。

(お付き合いが長い方々のアドレスは
 脳に暗記されていますので、ご安心を。)


ムダにデータを媒体に保存するのはセキュリティ面でも、
検索効率性の点からも宜しくないですからね。。

…と、最後に脱線しましたが、
「脳」に対しては適度に厳しくしましょう
というお話でした。

(もちろん「脳への感謝」は前提に置きつつ。)

それでは、今回はこの辺で。

いつもありがとうございいます。



posted by laluz at 15:00| Comment(0) | 「脳」の使い方

2012年09月19日

自発的な「時間」


皆さま、こんばんは。

昨日は更新できず仕舞いでしたが…
変わらずご訪問下さった方々には感謝申し上げます。

暑い日も時折ありますが、
おおむね過ごし易くなりましたね。

「学問の秋」ということで(学問する者に
季節など本来関係ありませんけれど…)
私の生徒さん達も本来の輝きを放ち始めました。


(確かに、夏場の移動や部活などは
 体力の消耗が著しいですからね。。
 コンピューターも熱には弱いものですし。)


あり得ないスピードで知識を吸収してくれたり、
あるいは世界について深い考察を交えたりと、

進化の煌めきは、いつ見ても輝かしく
人の世で最も素晴らしいものに思えます。


「時間」感覚を極限まで高めていく意識、即ち
 集中力と脳の処理速度を意識的に高めていけば、

 その者の過ごす「(客観時間の)1時間」は、
主観時間として2時間にも3時間にもなります。


私と勉強し始めた生徒さんは、最初は必ず
「2〜3時間があっという間に感じる」と言いますが、

より深く「脳」を使えるようになれば、
「たった2時間ですごく進化できた!」という感覚になれます。

前者は「勉強時間」を楽しいと感じる期間で、
それはそれで極めて有意義なステージですが、

進化していくと、2時間という時間密度が濃くなり、
脳をフル回転して通常の4時間分くらい吸収する感覚、

今までの時間の使い方に変化が起きるわけです。


以前にも述べましたが、1日86,400秒を
如何に「自発的に使う」ことができるか?

(「自発的に使う」というのは忙しく生きることを
 意味しません、意識的にのんびりを楽しむなら、
 それは「自発的な時間の使い方」です。)


1秒の仄かな灯りを輝かせることのできるなら、
1秒の集積である人生も光輝くでしょう。

「しなければならない」という意識で
「受動的」に仕方なく時間を過ごすよりは、
「自発的に楽しむ」ことで時間は輝きます。


それは「時間」だけでなく「お金」でも同じです。
出費を渋るのではなく、喜んで支払いを楽しむ方が
お金の流れも雄大なものになっていくように。

「対価について」の記事でも述べましたけれど。)

人生や運命を支配するには、1秒の価値を意識して
勝手に流れるのではなく、自発的に流す意識が「鍵」です。

自分の時間は、自分が「創造主」であるように
振る舞えば良いというだけのこと。


(…と言える環境に、意図して身を置いているから
 こそ言えることかもしれませんが。。)


ともあれ、秋は過ごしやすい時季です。

夏の日差しに翻弄された人も、秋においては
自分の時間を創造的に楽しんで下さいますように。

予想外にまとまりに欠けますが、
今日の記事はこの辺で。

いつもありがとうございます。


posted by laluz at 22:30| Comment(0) | 「脳」の使い方

2012年09月04日

「明けの明星」


皆さま、こんにちは。

もう9月ですね、過ごし易くなりそうです。

いつもながら、あっという間だった感覚と同時に
何年もの時間を過ごした充実感も得た夏でした。

たくさんのことを考え、感じ、取り入れた日々を
思うと、たった1月しか経っていないことに驚きです。


8月末から学校が始まるので、少しのんびりするか、
というところでしたが、天は怠惰を許してくれず、
何だかんだで授業続きの日々でした。

ただ、本当に進化を続けてくれる生徒さん達を
見ると、「人を育てる」という高尚な営みに
関与できる日々をこの上なく貴く感じます。


先の日曜にも、聡明なご縁に恵まれました。

日本の受験最高峰を目指す「覚悟」を持つ者と
真剣に「己の真価」を問うていく試みは有益です。

各々の「天才性」を開花させる一助になるなら
私の怠惰な人生も無為ではないことでしょう。。

(指導時間に空きはないとアナウンスしていますので
 お問い合わせ自体を控えて下さる方も、中には
 いらっしゃるかもしれませんが、希望時間帯を
 問わなければ、お受けできる場合もあります。。)


さて、先週末は、月が満ちて荘厳な夜空でしたね。

明け方の頃には、冬の大三角形と明けの明星が
太陽がいない中で各々の輝きを主張し合っています。

ただ、同じ光でも2次元平面で散らばっている訳では
ないので、それぞれの距離感は全く異なります。

地球上で観える恒星で、太陽の次に明るいシリウスは
たった8.6光年という近い距離にありますが、
北極星は約430光年という距離まで離れます。


同じ「光」として見えていても、シリウスの光は
約8〜9年前に解き放たれた光エネルギー、

北極星の光は、約430年ほど前の煌めきが、
長い時を経て「今」やっと到達しているわけで。

そうやって考えながら夜空を見ていると
「4次元のアート」の荘厳さに時間を忘れますね。

「明けの明星」「宵の明星」というものが
どちらも同じ「金星」だということに気付くには
どれだけの知性が要求されたのだろう!?

その忍耐強い観察眼に敬服します。


あらゆる可能性を考え、天地を覆すほどの発想・
仮説を見出し、辛抱強く実証していくというのは。


(…と、ここで時間切れです。

 ちょっとまとまりが悪いので、
 また24時以降に追記しようと思います。)



・・・と、追記ですが(@25:30)、

紀元前500年頃、天才ピタゴラス(Pythagoras)は
「明けの明星、宵の明星は金星そのものである」
ことを知っていたとされています。


ピタゴラスについては語るべきことが多過ぎるので
(哲学・数学・天文学のみならず魔術的にも)
また機会があれば記すことにしましょう。。


また、あえて記事テーマを「明けの明星」とした点、
「ルシフェル」について書くのではないか?と
推察される知己もおられることでしょうから、
軽く触れておきますと。

「明けの明星」のラテン語訳 Lucifer は
「光をもたらす者」の意もありますけれど、

キリスト教の伝統的教義においては、
ルシファー(ルシフェル)は「知恵・美の極み」
「比類なき光」でありながら、神に反逆し
堕天したサタンとして語られます。。


この辺りの解釈は、文学上も意義深いのですが
この「ラルースの塔」では、宗教・政治テーマに
深く立ち入らないつもりなので、この辺りで。


ともかく「金星」は、古代の天才の思考から
「堕天」にさえも思いを馳すことができます、

思いを馳せたからと言ってどうということも
ありませんが、のんびりライフには良い題材です。

日常と非日常という「境」などありませんが、
日々新しい視点で過ごすと「脳」が喜びますからね。。


…久しぶりの記事というのに、相変わらず
よく分からない文章ですが、今回はこの辺で。

いつもありがとうございます。


posted by laluz at 15:00| Comment(0) | 「脳」の使い方

2012年07月09日

誤答とユーモア


皆さま、こんにちは。

期末考査が終わった人も最中である人も
おられるでしょうけれど、復習は怠らないように。

(復習を超えて「復讐=リベンジ」しなければ
 ならない人は、この夏に頑張って下さいね?)


さて、数学の誤答も興味深いものがありますが
英語というものは数学より教えるのが難しい分、
(必ずしも「間違い」ではないことが多い点で)
誤答についても秀逸なものに出会えます。


異次元ないしは幻想世界の描写になったり、
コメディそのものだったりお互い爆笑することも。

例えば、このような文章について…

お母さん、この土曜日に友達と遊びに行っていい?

それはあなた次第ね、宿題は終わりそうなの?

多分ね、もう半分は終わってるから。

早く片づけてしまった方がいいわよ。

うん、金曜日には終わらせているわ。


日本語では何の変哲もない会話ですけど、
この文章を英訳していく時、下線部を

I'll have finished your homework by Friday.

このように書いたらどうでしょう?

あなたの宿題=「お母さんの宿題」を問題にしている
という流れになって、コメディライクな話になりますね、

お母さん、自分の宿題は自分でしようよ!ってことに。。

もちろん「宿題」ではなくて家事かもしれませんし
この点だけ見ても「間違い」ではないですけれど。

あと、良くある誤答は「分詞」の置き方で発現します。

1) I found all the dishes eaten.
2) I found all the dishes eating.


(1) 全ての料理が食べられているのが分かった。
(2) 全ての皿が、食べているのが分かった。


お皿が料理(あるいは諸々)を食べたりとか、
不思議の国の世界ですよね?

とはいえ「英語の文法」として間違ってはいないので
前後関係が明らかではない場合、誤答でもありません。

別に「あり得ないこと」ではないですし
「不思議の国」的な文章ならむしろ正解です。

そんなこんなで、英語を教える時は(主に中学生)
興味深い非日常世界が不意に現れたりするので、
なかなか不思議な感覚が味わえます。


それはそれで興味深いし、間違いではないけど
日常英語としては訂正しておこうかな、と言いつつ。

…というわけで、楽しく学ぶのは良いことです。

ユーモアを持って、誤答の世界を考えていくのは
なかなか趣深いものだと思います。


それでは、今回はこの辺で。

いつもありがとうございます。



posted by laluz at 23:30| Comment(0) | 「脳」の使い方