2012年03月15日

「自分のペース」


皆さま、こんにちは。

3月も半ば、卒業後の進路も形を見せだして
4月からの準備にかかる方々も多い時候ですね。

自分の思い描いていた航路と同じか否か
それぞれ千差万別でしょうが、30億秒ほどの
時間の先にある「終着点(あるいは始点)」に
行き着くこと自体は万人に共通しています。

のんびりと紆余曲折を楽しんでいきましょう。


紆余曲折ある航海において、他者より
速い遅いというのは重要ではありません。

このブログでも、中1中2で高校数学、それも
発展レベルまで進めているような子の話を
書いていると「すごい子たちですね」と
いう感想などを貰ったりします。

高校生なのに高校数学があまり得意ではない
方にとっては、複雑な思いをされることも
もしかしたらあるかもしれません。


しかし、勉強というのは中学まで義務教育で
あるがために年齢同士で比較され易いだけで、

他の全ての事象と同様に「自分のペース」
というものがあるのは言うまでもありません。

例えば、ピアノについても15才から始めた人が
5才から始めた同年齢の子が優雅に弾くのを見て
同じ年なのにすごいな…と思うことはありますし、

多くのスポーツ競技だってそう言えるでしょう。

ただ、遅く始めた人でも強い意志と継続的努力で
隠れていた才能を開花させることも多いものです。

逆に、早くからピアノの英才教育を受けていても
ピアノというものを「強制」されたことで
ピアノを心から愛せなくなってしまうならば、

技術は磨かれても「天に愛される才能」に
までは開花されないでしょう。


「勉強」についても全くそれと同じで、
早く始めたからいいというものではありません。

「自分のペース」で楽しめることから
少しずつ歩んで行けば良いと思います。


自分という存在と万物全てへの感謝と共に
自分の魂をピアノの旋律に載せて紡ぐ、
そのレベルでピアノと同化できる人の音が
まるで宇宙を柔らかに奏でるように、

学問に対しても、その学びの先に
「世界の人を救えるかもしれない」という
弱く小さな灯を宿している者においては

いずれ「天に愛される才能」として
強く照らし出す炎となっていくでしょう。

私の行うのは「勉強を教えること」ではなく
「小さな灯を消さないよう育てること」です。


広大な海をのんびり漂っている私ですが
威風堂々と航海に臨む教え子たちを見ていると
毎年が新鮮で、興味深く感じますね。

どの航路を信じて進むにせよ、

偉大な海に対して畏敬の念を忘れなければ
底に飲み込まれることはないと思います、


お互い「自分のペース」で
航海を楽しんで参りましょう。

それでは、今回はこの辺で。


posted by laluz at 16:30| Comment(0) | IQ・知能

2012年03月06日

「メビウスの輪」


皆さま、こんにちは。

(今日も更新が遅い時間となりましたが…)

今日は「表」と「裏」について考えてみようと思います。

「表(オモテ)」と「裏(ウラ)」と
いうものは日常生活で重要な概念ですよね、

平面上の物を手にすると、どちらが「表」
なのかを無意識に考えてしまうくらいに
表裏の概念は「刷り込まれて」います。

それは生活上必要なことなので良いのですが、
表と裏を同時に見ることなく「表」だけを見て
全体を判断してしまう愚を、人は犯すもの。


自分と正対している面を「表」としても、
その「裏」側も確かに存在しています、、

その対象は、「表と裏」があってこそ
「全体」を構成しているわけですから。

特に、日常の3次元物体については、
外見上の表・裏だけでなく、その内面についても
「総体」として見ていく必要があります。


この「表・裏」の概念は、人の性格などについても
用いられます、あの人は裏表があり過ぎるとか、
あの態度には何か裏がある、というように。

しかし、この「オモテ」というものは、表面上
見え易い要素と考えられているだけであって、

対象においては表も裏もなく「全体」として
ただそこに存在しているだけです。

ということは、自分にとっての「オモテ」が
相手自身にとっても「オモテ」とは必ずしも
限らないという事実を想定しておく必要があります。


全ては「相対的」なのですから。

本来的には、「人の性質」のようなものは
「メビウスの輪」のように表も裏も区別ない
形相なのではないかなと感じます。


遠目から見たら、オモテのように見える面だけを
見て、惹かれたり(あるいは不快に思ったり)
しますが、距離が縮まり共有時間が増えると
オモテからは見えなかったウラ面が見えてきて、

逆に幻滅したり(あるいは見直したり)する
ということが、一般的にはあるでしょう。

しかし、それはどちらも相手の要素であり、
時間をかけていくとウラもオモテもなく、

良くも悪くも「全体」を外観できたという
だけに過ぎないのだろうと思います。


このことは人体・健康面においても同様で、
オモテに見える外見だけでなく、ウラとも
いうべき(個人的にはウラと思いませんが)
内臓など体内組織・諸器官についても、

まさに眼前に見ているかのごとく把握して
労わってあげるかどうかが健康のカギになります。

目に見える部分を知覚・認識できるのは当然、
目に見えない部分(隠されたウラ)について
どこまで「意識を配れるか」が知力と思います。


これはもちろん、疑心暗鬼になることを意味しません。

オモテだけではなくウラもあってこその全体である
という認識があれば、「本質」に近づけた意識こそあれ、
悪い意味の「変化」と捉えて驚くことはありませんし、

そもそも「未知の要素」がどのように現れてくるかは
我々自身の対応次第で、良くも悪くもなります。


人間関係にあっても、相手の変化に戸惑うより
相手の変化を楽しめば良いでしょう。

どんなに高価で貴重な革製品でも、経年劣化とともに
変化していきますが、お手入れや愛情のかけ方で
その経年変化が至高の風合いに変わるものです。

新品の頃はキレイだったのに…ボロボロになった…
というのは自身の扱い方の未熟さを露呈しているだけで

物を知る人によっては、同じ経年数でも
「好ましい変化」となっていることでしょう。


「変化」を受動的に捉えるのではなく、
「変化」はともに創り出すもの、という意識であれば

「諸行無常」の世界も意外と楽しいものです。


そもそも「諸行無常」の世界でなければ、
「自身の思うように事象を変化させる」ことが
最初から出来ないですからね…。

そういうわけで、どうせなら「変化」を楽しみ、
望ましい「変化」を自ら創り出していきましょう。


それでは、今回はこの辺で。。



posted by laluz at 21:00| Comment(0) | IQ・知能

2012年03月01日

Rubik's Cube


皆さま、こんにちは。

3月も宜しくお願い致します。

さて、ここ2日ほど「ルービックキューブ」
というものを、じっくり考えていました。

ルービックキューブ(Rubik's Cube)は
ハンガリーの建築学者エルノー・ルービック氏が
考案した立方体パズル、らしいです。


家庭教師先の子(生徒さん本人ではなくその弟君)
から「このキューブを直して欲しい」と、先週の
24日(金)に言われたことが事の発端ですが、

ルービックキューブにほぼ触れたことがないため
その一瞬で即答することは出来なかったわけで。

教養としてルービックは解けなければならないな
と思い・・・アマゾンで買ってみました。

慣れれば6面揃えること自体は難しくないですが
これを10秒とかで揃えるのは難解ですね。。

「スピードキューブ」という競技で、
世界チャンピオンは8秒台とか…。


ルービックキューブは数学の「群論」にも
深く関わりますし、興味自体はあったのですが、

どうも試みるきっかけが今までなかったので
今回の宿題はとても興味深いものでした。


ルービックキューブは「3×3」ですが
この難化バージョンとして・・・

「4×4」の「ルービックリベンジ」や
「5×5」の「プロフェッサーキューブ」、
「7×7」の「Xキューブ」などなど

いろいろな亜種があるようです。


「3×3」は2日で解けるようになったので
(ここからの時間的短縮こそが醍醐味なのでしょうけど)
「4×4」「5×5」を次は解いてみようと思います。

ルービックキューブなど、多くのパズルは、
ある特定の法則に従って、並び替えてあげれば
本来のあるべき姿に導くことができますが、

「教育」というものも私にとっては同じです。

それぞれの人間の「要素」を見極めた上で、
バラバラに混在している各性質を並び替えて
整理していけば、短所だった面も長所となり、

全体としての調和の中で、輝きを放ちます。


教育を「パズル」だと言ってしまうのは、
親御さんにとって心地よくないかもしれませんが
人生そのものもパズルだと私は思っていますので…。


そういう意味で、現実の人生パズルを解く方が
何倍も難しく知的でもあるので、ルービックのような
純粋パズル系からは離れていたのですが、

その共通性を認識する上でも楽しい試みでした。

全ての「つながり」が、何らかの意味を持ち
その「意味」を探し当てていくというのも
「人生パズル」の要素ですからね。


それでは、今回はこの辺で。。


posted by laluz at 17:00| Comment(0) | IQ・知能

2012年02月28日

「神」とのチェス


皆さま、こんにちは。

当ブログにおいては、このようなテーマに
触れる予定は全くなかったのですが、

もはや「ラルースの塔」というものは
塾ブログという範疇でもないでしょうし、

新規生を積極的に募集している訳でもない以上
その「異質性」で入塾を躊躇される方がおられた
としても、それはあまり重要ではないことです。

むしろ、その「異質性」にご興味を持たれて
不思議なご縁がつながる方々のほうが多いので、

今お世話になっている方々のご要望に沿って
ある程度「自由な世界」を記そうと試みます。

(ただ、どうしても実際に目を見てお話しないと
 伝わらないであろう事柄は、ここで書いても
「百害あって一利無し」なので書きません。)


さて、表題にある「神とのチェス」とは昨年行った
IQ セミナーで最後に軽く触れたことがありながら、
その続きを述べる機会がないままのテーマです。

IQ というのは数値に過ぎず、それで何を為すか?
という点こそ重要であろうと思うわけですが、

ただ、知能が極めて高いとされる者ほど
「社会」というもの自体が相対的概念になり、

「人類の為に」とか「世界の為に」という
利他的思考は強くないように思います。

それよりは「事象についての法則探究」や
「在るべき調和の追究」に、エネルギーを
注ぐ傾向があるように感じます。

といっても、さほど多くの実証サンプルに基づく
わけではないので、印象論でしかありませんけど。

そのあたりの導入はさておき、

「IQを高めるにはどうすればいいか?」
というテーマでお話していた時の一言が
「神とのチェス」です。

「神」という表現自体「ブラックボックス」なので
その辺りは「運命」でも「世界」でも「宇宙」でも

およそ各自が抱く「偉大なるもの」を相手にする
人生ゲームだという意味合いでしょうか。

自分を含めた「全て」が世界のパーツです。

それらを動かして「相手(「神」でも「運命でも」)」
は、色々と各自に采配を仕掛けてきます。

それぞれがプレーヤーであると同時に、
「世界」の駒であるという多層構造ですが

「相手」はどのようにゲームを持っていくのか?
という読み合いをしながら、なるべくそのゲームを
こちらが支配できるように行動していくのが、
難しくも楽しい人生ゲームの基本原理です。

ただ、ゲームを行くうちに気付くのですが、
「相手」は人智を超えたもの。

所詮「人間程度」が敵うわけがないのですが
それはまるで名人との指導試合のようなもので、




posted by laluz at 06:06| Comment(0) | IQ・知能

2012年02月08日

RELATIVITY


皆さん、こんにちは。

さて、「relativity」=「相対性」です。

アインシュタインは述べました。

「熱いストーブに手を置く2秒間は2時間のように感じ、
 素敵な異性と過ごす2時間は2分間のように感じる。
 それが相対性である。」


要するに、同じ尺度で、同じ長さの「時間」
(光速との関係では「時間」すら相対的ですが、
 地球上においては、ほぼ同じ)であっても、

主体によって長く感じたり短く感じたりする
相対性があることを、ユーモアで表現したものです。

ただ、意外に真実を示唆していると思います。

全ては「相対的」なもの。


同じ86,400秒の日々であっても、
その「相対性」は生命の数だけあります。

あらゆる「価値」も全て「相対的」。


…このブログで、教え子を優秀だと褒めるせいか、

(ブログで書く前からも言われましたが)

「先生の生徒さんは皆さん優秀ですのに、
 うちの子に指導して頂く資格があるかどうか…」

というような趣旨のことを仰るお母様もおられます。
おそらくはご謙遜によるものと理解していますが、

個人的には「優秀ではない人」などいない
(正確には優秀かどうか区別できない)と思います。


確かに、中学1年生から創造的な数学センスで
苦労することなく難関数学まで進んでいく子、
東大の先を見ながら勉強する子は優秀でしょう。

しかし、分数で苦労しながら一生懸命に頑張る子を
「優秀ではない」とは一瞬たりとも思いません。

自分の掲げる目標に対して「覚悟」を持って
向き合う者であれば、そこに差異はありません。


現在の教え子にも、数学が超得意な子もいれば
苦手としている子も、もちろんいます。

ただ、それは「スタート時期」が違っただけで、
(前者は「私」が早期指導をしているだけ、
 後者はそうではなかったというだけの違い)

「脳力」に差があるわけではありません。

「先生の生徒ってみんな頭いいから、
 自分が一番出来が悪いかも…」とか
そういうことを言う子が、たまにいます。

それも一種の謙遜(あるいは自己防衛)だと
理解していますが、私は「比較する」という
視点を、本来的には持っていません。

(それは「社会適応力」欠如と紙一重ですが)

以前にも記事に書きました通り、私は今でこそ
高知能保持者ということになっていますが、
幼い頃は本当に何もできない未熟児でした。

そのような私にとっては「頭脳」の優劣を測る
そもそもの「視点」も「資格」もありません。

「私が教えることになった相手なら、今そう思えるか
 どうかは別として、絶対に大きな才能があるよ」

…そのように答えます、それが本心なので。

そして、本人がそう望めば「必ずそうなります」。



「才能の種」の芽吹きが遅いだけならば、
今までの環境をゆっくりと考えながら、
温かい心を差し向けてみれば良いでしょう、

春の「創造の光」を感じた新芽のように
伸びやかに才能を顕現させる様が想像できます。


(焦ったり、栄養をやり過ぎたりして過度に
 干渉しすぎると「種」や「芽」が腐ってしまいます)


周りのペースはあくまで「相対的」なもの、
自分のペースで「今」に感謝して生きること、

自分がここにいて、自分を支えてくれる存在、
(そんなもの何一つない!と感じるような人は、
 絶望的状況にあっても絶えず鼓動してくれる
「心臓」に思いを馳せるべきです)


それらが「ただそこに在る」という一点でしか
「絶対」というものは考えられないでしょう。

(それらさえ「存在」しないという説や
「絶対」を「神」と呼ぶか等は置いておきます)


それぞれの「目標」「難関」があるわけで、
その高さは客観的に比較できるものではありません。

「万人が称える難関」を越えるのは素晴らしいですが、
「自分にとっての難関」を誇り高く越えていくことが
何よりもかけがえのないことだと思います。


各々の目標を「実現する!」という意志があるか、

私にとってそれだけが「絶対」であり、それ以外は
良くも悪くも私にとって「相対的なこと」なので
正直のところ全く重要ではありません。

「何者かどうか」は他者が決めることではなく
自分が決めれば良いことと思います。



・・・ちょっと説教・説法じみてしまいましたね、

ただ、これも「相対的な考え」でしかありませんので
じっくり考えていかれる方も、失笑してしまう方も
それらはどちらも正しい在り様だと感じます。


それでは、今回はこの辺で。。



posted by laluz at 17:00| Comment(0) | IQ・知能

2012年01月27日

「失敗」を理解する


皆様、こんにちは。

前回、「ダリの言葉」

Mistakes are almost always of a sacred nature. Never try to correct them. On the contrary: rationalize them, understand them thoroughly. After that, it will be possible for you to sublimate them.

を紹介しました。

「間違いは神聖なもの、それを正すというよりは
合理的に考え、徹底的に理解せよ。そうすれば
間違いを昇華することが可能になる。」


という趣旨ですが(「mistakes=間違い」としておきます)
この点について良い質問がありました。


「過而不改、是謂過矣」[論語]

=過ちて改めざる、これを過ち(あやまち)と謂う。


先日『中国古典の名言録』で
紹介した孔子の言葉です。

失敗するのは過ちではなく、それを修正せず
次に活かそうとしない姿勢が「過ち」なのだ
というわけですね。



さて、この上記2つの「意味の違い」は
どのように理解するのか?という質問です。

結論から言えば「核心は同じ」でしょう。


確かに、ダリは「間違いを正そうとするな」と
言い、孔子は「過ちは改めよ」と言っている点、
矛盾しているようにも見えます。


しかし、ダリは続けて「間違いを合理的に考え、
それら間違いを徹底的に理解せよ。」と言います。

例えば、日々の勉強において間違いを犯しても
「あー、ミスした」と考えなく消しゴムで直す
ことに意味はないということです。

なぜそのような間違いをするのか?という点を
じっくり考えて徹底的に理解することこそが
大切なのだとダリは言っているのです。

間違いだと思ったことが、新しい創造のヒントと
なるかもしれませんし(芸術の世界だけではなく)、

失敗について考え抜く姿勢があってこそ
確かな成功に繋がるはずです。


間違いや失敗について「考える」ことが
なければ、その者はいつまでも同じ失敗を
繰り返すことでしょう。

ダリは、そのように考えることなくして
間違いをすぐに訂正しようとする必要はない、
と言っているわけですね。


以前も少し触れましたが、計算ノートについて
単純計算ミス以外は消しゴムを使わない方が良い
と述べているのも全く同じ趣旨です。

自分の間違いを歴史に残すのがノートの
役目であって(後で自分が見返すために)

キレイな正解だけを書いたノートなど
あまり意味がありません。


(実力で全部完答できるならば、その問題はそもそも
ノートに残す意味がないと言っていいでしょう)


答え合わせ時も、赤ペンで答えを書き写すのは
得策ではありません。ポイントだけ書いて
後で解き直すようにすべきです。


・・・と、脱線しましたが、

「過ち・誤りをしっかり消化して、次に繋げなさい」

という核心において両者は同一と思います。



間違いや失敗についてクヨクヨ思い悩んだり、
逆に何も考えずに済ませてしまう姿勢ではなく、

間違い・失敗を「合理的に、徹底的に理解する」

そのことが「去った過ち=過去」を乗り越えて
未来に進む力の源泉と言えるでしょう。



それでは、今週はこの辺で。

また月曜日にお会いしましょう。



posted by laluz at 16:00| Comment(0) | IQ・知能

2012年01月18日

『IQ and Human Intelligence』


皆さま、こんにちは。

IQ記事についても内容が浅いままなので
マズイな…とは思っていました。。

ただ、平凡な内容もラルースに相応しくないので
一冊の専門書を少しずつ読み解いていこうと思います。

題材とする書物は、

Nicholas. J. Mackintosh
『IQ and Human Intelligence』2nd.ed.
Oxford University Press(2011)


iq.jpg

ケンブリッジ大学・実験心理学部教授
(Department of Experimental Psychology)
マッキントッシュ博士の著作です。

内容目次は以下の通り。。

1. The early development and uses of IQ tests
2. Psychometric theories of intelligence
3. The search for cognitive processes underlying components of IQ: Gs or speed and efficiency of information processing
4. Verbal, spatial and fluid abilities: Gc, Gv and Gf
5. Associative learning, working memory and executive control

6. Intelligence and the brain
7. Theories of g
8. The stability of IQ and the rise and fall of intelligence
9. The predictive validity of IQ - and its limits
10. Is this all? Multiple aspects of intelligence

11. Heritability: Kinship studies and single genes
12. The environment: secular changes and social class
13. Group differences
14. Sex differences
15. Epilogue


…という15章に分けられているので、毎週1章か
半章ずつのんびり要約していこうと思います。

邦訳されていないと思いますので
(日本語論文中での一部訳はあるでしょうが)、
紹介する意義はあるでしょう。

440ページの洋書ですが、Amazonでは安く手に入るので
(現為替レートで4,162円)ご興味ある方は記事と
一緒に読み進めて行っても良いかもです。

公式の内容案内では以下の通りです、ご参考まで。

(ちょっと和訳するのは面倒だったので、
 興味がない方は読み飛ばして下さいね。

 中学3年〜なら調べれば読めると思います。)


The question 'What is intelligence?' may seem simple to answer, but the study and measurement of human intelligence is one of the most controversial subjects in psychology. For much of its history, the focus has been on differences between people, on what it means for one person to be more intelligent than another, and how such differences might have arisen, obscuring efforts to understand the general nature of intelligence. These are obviously fundamental questions, still widely debated and misunderstood. New definitions of intelligence and new factors affecting intelligence are frequently being described, while psychometric testing is applied in most large industries.

IQ and Human Intelligence provides a clear, authoritative overview of the main issues surrounding this fascinating area, including the development of IQ tests, the heritability of intelligence, theories of intelligence, environmental effects on IQ, factor analysis, relationship of cognitive psychology to measuring IQ, and intelligence in the social context. The clear, accessible style and numerous explanatory boxes make this the ideal text for advanced undergraduate and graduate students in psychology.



・・・「手抜き感」満載ですが、今回は紹介まで。



posted by laluz at 15:00| Comment(0) | IQ・知能