2019年07月17日

"virtual" 学び


皆さま、こんにちは。

7月2回目の更新を。

前回(2019年7月の始まり)は
当初もう少し長かったのですけど
長文の上に まとまりが悪かったため
あの分量に落ち着きました。が、

16日前後の更新で続きを書こうかと
思っていたものの、時機を逸すると
今更感が出て 御蔵入り…という
いつものパターンになりました。


健康・アートや それこそ昨今の
新入試制度動向など 題材は尽きませんが
とりあえず 今回のテーマは
"virtual"と学び について。


ヴァーチャル(virtual)とは…

1.(表面または名目上はそうでないが)事実上の、実質上の、実際(上)の、
2.【物理 光学】虚像の、仮想の、
3.【コンピューター語】仮想の、バーチャルな、ネットワーク上の


…という感じです。


ヴァーチャル・リアリティ
(Virtual Reality/VR・仮想現実)
という語も 日常語になりつつありますよね。

このVR技術は、ゲームや映画など
エンターテイメント領域では世界的な
広がりを見せつつあり、廉価汎用品も
粗い部分はありますが、十分実用に
耐えられるレベルに進化しています。


例えば、海に潜ってクジラやサメの
迫力・スケールを感じたり、鳥の視点で
空を飛翔鳥瞰してみたり、果ては
大気圏を脱して宇宙空間の中で
ブラックホールに近づいたり。

あるいは、ミクロの視点で
人体内部を冒険したり…と、

「仮想」ながら「現実のような視覚世界」
を、VRでは体感できる時代になりました。

ノートルダム大聖堂など 様々な世界遺産の
内部(通常、立入りできない場所など)を
じっくりと観察体験することもできます。



これは、教育・知育上も大きな
アドバンテージに成り得ると感じます。

もちろん、本や図鑑をじっくり眺め、
思考想像を巡らせてから、現地現物を
自ら「現実に」体験することの価値は
揺るぎないと思いますし、そこは
むしろ欠かせない核心部分でしょう。

前回の記事で『ただ、子供時代に 前が全く見えない草叢の中を頭と身体を制御しながら分け進むという経験は それはそれで代え難いものと思いますので、大人のフォローの元で、キャンプ・登山などのプチ冒険は何だかんだで重要な気がしますね。。』などと述べているのも同じ趣旨です。


ただ、眼耳鼻舌身(視・聴・嗅・味・触)
の五感覚と"魂"で感じる領域のそれぞれに
ついて、先端技術を上手く利用していく
こととは全く矛盾しません。

実際、書物・図鑑・DVDなどで知見した
対象について、「その全てを現実に
体験・検証する
」ことは時間的費用的
になかなか難しいところです。

とすれば、「本・図鑑」世代の方が
想像力が養われて創造性が高いと
いえる圧倒的な根拠も無いわけで。
(むしろ間違った想像のまま自己完結していることも多い)

視覚聴覚については、まさに本物が
眼前にいるかのようなリアリティで
知覚できるVR体験を上手く活用する
ことで、「勝手な想像による勘違い」を
することなく、ある程度「現実に近い」
知見を得ることができます。

…「現実の体験が不可能」な場面を
ヴァーチャル体験できる世代の方が
やはり創造力の覚醒も多いでしょうかね。

量子論が 我々の想像を超えた世界の
実相(虚像?)を映し出した現代において
そもそも「"現実"とは?」と問う限り、

「"仮想現実"での知覚」も、
「"現実"だと感じている世界での知覚」も
人間各々が幸福に生きる方向での活用なら
virtual(事実上・実際)の意味は
どちらでも優劣なく有益と感じます。



ただ、VR体験は慣れるまで"酔い"ます…
(酩酊=耽溺というリスクもありますけれど)
「乗り物酔い」と似たような不快感というか。

「乗り物酔い」は、身体が動いて内耳(三半規管)は
刺激されているのに、視点は動かない(読書やスマホ凝視で)
ことで、平衡感覚の乱れから自律神経系が混乱を
きたし、体調不良を生じさせるものですが、

「VR酔い」はその逆で(感覚不一致説によれば)
視聴覚は強く刺激されるのに身体は動かない点
感覚の乱れから自律神経系が混乱することが
主な原因と考えられています。


例えば、ジェットコースターVRとか
まさに絶叫するほどの視聴覚体験なのに
身体は全く動いていないので、脳が
混乱する…といえば伝わるでしょうか。

以前は13歳以下VR使用禁止と言われましたが
商業施設では保護者の同意のもとなら
7歳以上〜13歳以下も利用OKと
いうのが昨今の流れのようです。

今後は、視聴覚だけでなく 嗅覚・触覚
までリアルに実感できる領域に入って
いくと思いますが、まだ少し先なので
今のところ 小学生には刺激が少ない
コンテンツに留めた方が賢明でしょうね。
(動きが少ない遺跡探訪・宇宙遊覧・海中散歩とか)



VRに限らず、デジタルコンテンツが
スマホで手軽に試せるようになったため
知育・教育コンテンツとして幼児期から
スマホ・タブレット端末画面を
長時間見る子も増えていると思います。

ただ、「眼に悪い」とか言う以前に
乳幼児期は その時にしかできない行為
(手当たりしだい触ったり叩いたりと
特に触覚をフルに刺激できる時期)を
しっかり過ごすことが一番大切です。


成長してからだと、手当たりしだい
触ったり叩いたり出来ませんからね…
ここで思う存分それをしていないと
大きくなってから「触ったり叩いたり」
の不足を求めていくことになりますし。



…と、そろそろまとめますと、

「学び」の本質は、自他の幸せを広げ高めるために、
各々の世界を正確に把握しつつ、研鑽・修正・調整を図っていく営み。

その視点を核心に置いてさえいれば
何を用いるかを問わず、その思索は
常に有益な「学び」の時空となります。



その意識の元に、VR(仮想現実)の
世界で、様々な体験をしたとすれば
それは今まで以上に刺激的な脳への
知的題材になりうるということですね。

「各々の世界を正確に把握しつつ、研鑽・修正・調整を図っていく」
ために、「今、何が最も大切か?」は
学ぶ者の経験・年齢に応じて変わりますが
それを適時適切に考えていくのは
保護者・指導者の重要な役目です。

スマホやゲーム画面ばかりカブリつかず
外で遊びなさいというのはそれはそれで
正しく意味ある助言です。ただ、多くの
保護者・指導者は、スマホやゲーム画面に
カブリつくほどの娯楽性・幸福感がある
ことをほぼ知らなかったりするので、

多くのデジタルエイジの子達にとっては
旧世代の世迷い言・戯言にしか聞こえません。

私の教え子にも、スマホゲームや
VRゲームなどにハマっている子もいれば、
全く関心を持たない子もいましたが
どちらの立場も深く共感できるので
(知らないゲームで面白ければプレイします)、

その子達がハマるのも分かるという立場から
如何に学習と折り合いを付けていくか
という視点の助言が大事だと思いますね。

まあ、ゲームは昔から色々やってきたし
実際ハマるコンテンツも多々あるけど
やっぱり「自分育成ゲーム」が一番面白いし
目標の達成感は比べ物にならないかなぁ
って言ってるだけですけども。

ゲーム取り上げて「勉強しなさい!」
と叱るよりは、受験ゲームの攻略法を
教えてあげたほうがお互い楽しいというか。


・・と、せっかくまとめたのに
また脱線してしまいましたが、

大学入試制度も揺れ動いているものの
基本スキルを上げていくというのは
変わりませんので、色々な仮想敵を
シミュレートしながら受験ゲームを
楽しんで行かれればと思います。


「"virtual" 学び」というのは
点取りゲームのように表層だけ取り繕う
"仮想・虚像"の学びであるように見えつつも、

その実、目的達成のために自己分析し
最短距離とその過程を把握した上で
自己を律して着実に歩むという
人生における"本質的"な学びと言えますね〜


と、強引にこじつけて今回は終わりに致します。


良い方向で「脳を騙しつつ」
日々幸せな方向に歩んで参りましょう、

いつもありがとうございます!


posted by laluz at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | IQ・知能

2018年05月15日

知恵の輪



皆さま、こんにちは。

今月2回目の更新ということで、
今回は「知恵の輪」を取り上げます。

「知恵の輪(a puzzle ring, puzzle links
disentanglement puzzle)」とは、
簡単に外すことができない一組(2つ以上)の
部品を外す(&戻す)パズルの一種です。


物心付く前から 身の回りには
「知恵の輪」が何種類もありました。
(両親ともパズル好きで知恵の輪も
 自然と集まっていたみたいです。)


私も基本的にパズル好きなのですけど
「知恵の輪」だけは さほど好みでは
ありませんでした。手に付く金属臭が
どうも気になっていた記憶が鮮明です。

紙や木のパズルの方が嗅覚的に好きというか。

(幼い頃から臭いに敏感で、臭いには
 神経質な子だったことを覚えています。)


弟が優秀だったので(私とは良くも悪くも
真逆のタイプで、一方が不得手なことも他方は
難なくできるみたいな)
知恵の輪は 弟が
解くから自分は解かなくていいやっていう
妙な分類も働いたかもしれませんね。

今現在でも起業後グローバルに活動していたりと
(人間が到達できる究極の叡智を究めんと
フワフワ生きている私とは本当に真逆で)
興味深く思います。陽・陰/正・奇の対というか。


というわけで、色々な思い出もありつつ
何となく遠ざかっていた「知恵の輪」ですが、
最近ふと手にする機会を得られました。

「はずる(Huzzle)」シリーズの
エニグマ(CAST ENIGMA)という
Eldon Vaughnが創った芸術的作品。
enigma.png
メーカーである潟nナヤマが
「キャストパズル史上最も難易度が高い」
と称していて 難度指数は最高の☆6。

この難度目安はジャパンメンサも協力している
とのことで以前にも書き残しましたように
現体制メンサの方はほとんど存じませんが)

メンサ名誉会員でもあった世界的パズラー
芦ヶ原伸之 監修シリーズということなら
どの程度のレベルか把握すべきというご縁。


感想としては 実に面白かったです。
オブジェとしても 美しい造詣 で
古き良き「知恵の輪」感があります。

・・外して戻すを2回ほどしましたけど、
やはり指の金属臭が気になって 幼い時の
ほろ苦い記憶が蘇り 懐かしくなれたのも
良かったかな?と思える一時でした。


ただ、「究極の叡智」探求・探究のパズルより
奥深く面白いものはないので(というかこれは
「解ける」より「創り変える」方が重要ですし
・・言ってしまえば全ての事象は 例外なく
「究極の叡智」探究パズルの1パーツでしかない)


偏在する知恵の輪たちを日々優しく愛でていくに
及ぶ喜びはありませんね、改めるまでもなく。

人間生活における 雑多な絡み合いを
忍耐強く解き解すのは面倒でしょうけど
(自分で複雑化させたのでなければ特に)
エニグマより複雑な問題は稀だと思うので
辛抱強く諦めずに試行錯誤すれば
意外とふっと解けたりするものです。

個のパーツだけを重視せずに それぞれの
絡み具合を観察しながら 適時・適切に
必要な動きを加えていくべし…というのは
人間社会においても当てはまることでしょう。


歴史的偉人たちの多くが「最も必要な能力?
それは忍耐力において他はない」的な趣旨の
ことを述べていますが、「簡単に諦めずに
解けるように考える」という意味での忍耐力。

「忍耐力」について書いた回もついでに。
 2012年5月3日…実に6年前とは早いもの)


そういうスキルを刺激する意味でも
ご興味あるお方は「知恵の輪」など
手にされてみると新しい気付きがあるかも。

それでは、今回はこの辺で。

5月後半も素晴らしい日々をお過ごし下さいね。


posted by laluz at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | IQ・知能

2017年06月14日

「小さな歪み」


皆さま、こんにちは。

前回に書き留めておきましたように
「小さな歪み」のお話の続きです。


とりあえず月初のご挨拶(芭蕉の句を添えて)のみ
というのが恒常化していて、それ以外の記事を
更新する日というのはいつ以来か!…どうやら
2015年3月22日「芸術との共振」以来のよう。

27カ月ぶりです、控えめに言っても短時間ではない。
私と面識がある方々なら27カ月ぶりとは奇跡的速さよ!
と絶賛してくれるかもしれませんけれど。

そもそも当ブログの存在意義さえ定かでありませんが
(生徒募集や広告収入といった付随目的も全くない上
 そもそもblogという形式自体が旧時代の遺物…)

のんびり続けることに意義があるということで。
いつもご覧下さる方々には心から感謝しております。

此岸(或いは彼岸)のあれこれを語りたいという
稀有な方々は、私と直接お話しできる方でしょうし、
実際どれだけの方が「ラルースの塔」という記事から
プラスのモノを得ておられるか分かりませんけれど。

創世記18章で、神がソドムの街を滅ぼそうとされた時
アブラハムは神の行われる正義について懇願し、主は
「その十人のために私は滅ぼさない。」と答えました。

このブログについて意義を感じて下さる方がおられるなら
私も「その10人のためにラルースの塔を滅ぼさない。」
という心持ちで、ゆったり存続させておこうと思います。



…前置きが長くなりましたのでそろそろ本題に。


この世で観念できる「組織」は概ね様々な階層ごと
適切なバランスを取りつつ動くことが想定されています。

微小組織におけるバランスを無視して
とりあえず大きな枠組みでのバランスのみを
図るということは往々にありますが、
小さな歪みはやがて大きな亀裂となって
枠組みを歪めてしまうことは必然の理です。


・・と、いう前回の流れで書きますと

例えば機械組織であれば小さな部品であっても
僅かなズレ・欠陥で長期的には大きな負荷となって
全体を大きく歪め、損傷を与えることはあります。
機械部品なら不具合があれば交換修復で問題ありませんが
人的組織・有機生命組織であればそうもいきません。

大きな社会組織において、全体のバランスを図るために
末端・下部組織を棄捨するというのは常道でしょうが、
バランスの取り方というのが非常に難しいので
単純に切り捨てるだけだと後顧の憂いを残し
長期的には大きな歪みとなる原因となったり。

人体組織においても、単純に患部位を切除するだけでは
根本的解決に至らず、中長期的には修復不可能な歪みと
なって、なんとかバランスを取り戻そうと軋む苦痛の中
残る命数を数えることになったり。

・・・と、このような流れで書いてしまうと
どうしてもお説教ぽくなるので、視点を変えて。

ほんの僅かな歪みはやがて修復不能なほどの歪みとなる
というのは、概ねの組織に共通することだと思いますが、
数値による視覚化をしてみると把握しやすいでしょう。


まず基準となる状態を1とします。

そして毎日0.01%ずつ前日より減少するとした場合
(0.9999)^365=0.9641 となり、約1年で3.6%
衰えたといえます。まだ許せる範囲差ですね。

しかし、これが10年という期間になると
(0.9999)^3650=0.6941となって
基準値からの減少が明らかとなってきます。

20年ならば…0.4819 となって約半分以下に…。



「身体的老化」について考えると上記数値は
何となく実感が沸くことでしょう。若い時の状態から
経年劣化により少しづつ摩耗していき、数十年単位では
身体的機能は著しく低下して行ってしまうという。

これが0.01%という設定であって この有様です。
0.01%の摩耗というのは日々のメンテナンスに
気を配っていても生じ得るレベルかもしれません。


例えば、日々0.1%の減少であったらどうかというと
(0.999)^365=0.694 となり1年で30%減となりますね。

暴飲暴食・過剰な飲酒喫煙などで心身を蝕むなら
このように短期間で機能が減退する数値イメージです。

これは「基礎学習」の面においても当てはまります。

日々学習したことを定着させるように意識だけは
していたとしても、実際1%ずつ減少していたなら
1年で(0.99)^365=0.0259 と全く実力として
身についていない様子を冷酷に物語ります。



日々全力=100%で生きなければならない!というのは
上記イメージを考えるとなかなか至言と言えるでしょう。

ただ、毎日全力投球するのは疲れます。

自分にとっての基礎値=100%というのが何か?を
考えるとき、長期戦でいくなら基準値は低めが良いです。

リハビリでもそうですよね、以前出来ていたことを
基準にしてしまうと「何でこんなこともできないんだ…」
と、ネガティブになるのと同様に。勉強が苦手な子でも
基本からクリアしていくことで「おお!進化してるな〜」
と、毎回達成感を感じて「勝ち癖」が付いていくもので。

基準値1から0.1%減るのではなく、0.1%上昇するとしたら
(1.001)^365=1.44 となり約1.4倍にまで進化します。
1%上昇するなら(1.01)^365=37.78となり約37倍!

毎日1%上昇など身体的機能についてはあり得ませんが
学習面においてはあり得なくないと納得されるでしょう。
毎日たった1%だけ進化するように心がけて1年頑張れば
37倍にまでなっていく!というイメージが大切です。

昨日の2倍がんばれ!といってもムリですけど
毎日たった0.5〜1%だけ上乗せして行こう!なら
誰でも出来そうだなと思えるのがポイントというか。


基礎値自体が極めて高い優秀な頭脳においては
毎日0.1%の進化というのも難しくなってきますが
少なくとも機能低下させないようにすることが肝です。


「歪み(ひずみ・ゆがみ)」とは何か?と言っても
対象組織の各々で異なってくるでしょうが、
イメージとしては0.01%という小さな摩耗でも
中長期的には無視できない減衰になるという訳です。

必ずしも物理的減退に留まらず、心理的影響による
機能不全・低下というファクターも考慮に入れると
各組織運営において「歪み」は小さなうちに正せ!
というようなことが共通して言えるでしょう。

国家レベルの歪みについては歴史的不幸もあって
なかなか簡単に修復できなくなってしまいますが、
家族間・友人・恋人の間の行き違いについては
どんなものも基本的には修復可能だと思います。。

(あえて修復せず離れるのも悪くありませんが…)


何にせよ、今ある基礎値にこそ感謝と敬意をもって
(足りない…と不平不満で嘆くのではなく)
それを無為に損ねることなく存分に用いながら
ほんの0.01%でも少しずつ高めていければ
それだけで既に「人の生」の活かし方としては
合格点なのではないかと思いますね。

「今 あること」を存分に活かすどころか
「歪み」によって減らすことがないようにすれば…
というのが今回のお話でした。



久々でしたのでムダに長話となりましたが
まあ27カ月ぶりの戯れということでお許しを。

「名言の英語」とか草稿自体は色々眠っているので
気が向いた時に適宜引っ張って来たりしつつ
月2回更新にしようと企んでいるところです。


それでは、今回はこの辺で。
6月後半も素晴らしい日々をお過ごし下さいね。

いつもありがとうございます。


posted by laluz at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | IQ・知能

2013年10月13日

number place


皆さま、こんにちは。

充実した日々をお過ごしのことと思います。

まさに「秋」といった風情ですね。

学問・研究や、芸術・技芸に親しみ、
深めていくにも良い時候です。


(台風がたまに訪れたりはしますけれど…)

私も変わらず気儘に生息している秋の日々、
「ナンバープレイス(ナンプレ・数独)」など
なんとなく久々に解いていたりします。

(「数独(すうどく)」「ナンプレ」というのは、
 3×3のブロックに区切られた 9×9の正方形の枠内に
 1〜9までの数字を入れる数字パズルの一種です。)


先日、家庭教師先の生徒さんがナンプレ等の
パズル問題集をやっていたときのこと。

休憩時間に解くコツなど教えてあげましたら
「先生、これ一瞬で解いて〜」と差し出されたのは

東大パズル研究会が出題するちょっと難し目?の
パズルで、賞金がある懸賞問題(抽選ながら)。


一時期、ナンプレが流行る前から結構解いてまして
超難問・名人クラスの問題ばかり解いていたので
余裕と思いつつ「うん、いいよ」と言いました。

それがそれが。もちろん解けましたが、
すごく時間がかかりまして。20分くらい?

まあ、難問なら普通に考えると軽く1時間以上
かかる問題もあるので別に遅くはないかもですが、


のんびりライフを送りすぎて?処理スピードが
明らかに鈍っているぞ…と痛感したわけです。

その子は小学生ながら、無限の知性を秘めた頭脳が
相手だとパズルとかすぐに追いつかれますからね。。

そこで、秋にウォーキングを始めなさる方々と
同じようなノリで、脳の柔軟運動?を兼ねて
ナンプレを久々に解いているという次第です。


PCはもちろん、携帯・スマホの無料アプリでも
気楽に楽しめますし、頭の体操には良いでしょう。
ご興味がある方は、秋の夜長に懐かしんで下されば。


・・・と、途中まで書いて一週間ほど経過してしまいました、

(空き時間はパズルばかり解いていたので…すみません。

 一旦やり出すと納得して飽きるまで全集中するのは
 昔から変わらないところです、良くも悪くも。

 お陰様で、少しは脳の回転にキレが戻ったはず。。)



久々の更新の割に内容に乏しいですが、
一週間前の記事だったということでお許しを。

(その分「名言の英語」は早めに更新する予定です。)


御訪問下さり、いつもありがとうございます。



posted by laluz at 05:00| Comment(0) | IQ・知能

2013年07月15日

World Intelligence Network


皆さま、こんにちは。

人の世には様々な組織・集団があります。

同じ志向・思考・嗜好の者たちが集まって
微力を結集させて大義を為すのは有益でしょう。

WIN( World Intelligence Network)
…という知的ネットワークが世にはあります。

世界には、高知能団体というものが散在していて
IQ(知能指数)によって入会資格を規定していますが、

その知的ネットワークを適度に集約しつつ
リンケージを保っていこうとする試みがWINです。


設立年によるIQ団体リストについて@WIN )

高知能団体については「MENSA」の記事でも
以前に触れましたけれど、個人的にIQ(知能指数)は
現在において、ほとんど意味をなさないと感じます。。

究極的に正確な精度でIQというものが測定出来るなら、
信頼に値する指標になり得るとしても(想定しにくいですが…)、

少なくとも現代の脳科学・心理学レベルでは
人間の「知能」について十分に解明できていません。


平均的多数人が出来ることが出来ない、という点で
相対的に知能が低いという判断は根拠足り得るとしても
(そのことさえ個人的には賛同できませんけれど)

平均的多数人が出来ないことが出来るから
知能が高いと判断するのは…合理性に欠けましょう。

特に、幼児期〜未成年期の能力差など!
成長とともに逆転していくことは珍しくありません。

その意味で、IQというものに妄動・扇動されず
その内実を賢く把握して付き合うことが大切です。


IQが高いという結果が出れば、脳力を雄大に伸ばし、
謙虚に自己を高めていけば良いでしょう。

仮にIQは高くないという結果でも、知能検査で
測り切れない領域の方が多いのは事実なので、
やがて出てくる新芽を慈しみ、優しい心で、
脳という未知の領域に愛情を注ぐことです。

WIN の知能関連ページで「IQテストの点数が高くとも
その子が天才であるかどうかは結局亡くなるまで分からない」
とあるように、世界・社会に有益な貢献を為せたかどうかこそ
知力の本質的指標であって、数値自体は意味を為しません。


いずれにせよ、与えられた脳力で自ら能力を磨き、
周囲に感謝しながら 謙虚に運命を全うして逝くという
その摂理において万人に差異はないでしょう!


ちなみにWINの日本サイト「英才教育機関」のページで
「ラルース進学塾」が挙げられています(いつの間にか)。

確かにウェブサイトでIQ開発とか書いていますけど
ラルース進学塾 が「英才教育機関」か?と言えば
よく分かりません、「英才教育」の定義にもよりますし。


ただ、IQ180〜になりますよ?とか
IQを伸ばすのは〜しないとダメですよ?とか、
そういうのは「英才教育」ではない気がしますね…。


広大な土地に、ぽつんと立っている子供、
その大地は、荒れ果てているかもしれないし
元々キレイな草花が咲いているかもしれない。

荒地で「芽」を育てるには大変かもしれないが
地質や時期を見極めながら、優しく耕していく。
そこに充ちるであろう花々や大樹をイメージしつつ。

逆に、元々キレイな花が咲いているような地は
「天が愛された地」として讃えられるかもしれないが、
自分で手入れし育んで行かなければ、やがて腐るもの。


教育、こと知育については画一的なものなどなく
その土地にあった方策で、エネルギーの注ぎ方や
耕し方、あるいは才能を間引くことetc.を通じて

当人が「知力の泉」から自ら力を引き出せるまで
最小限度で助力することでしかありません。

全ての生命がそのまま「英でた才」であると知れば
「英才教育」でないものは存在しないと言えましょう。


何だかんだで、お声掛け下さる皆さま方には
そのご信頼に深く感謝するのみですけれど、
(夏休みもほとんど追加授業で埋まりましたし…)

いつも申し上げておりますように、
特別なことは何もしておりませんので…。

ただ、お子様が自主的に頑張っておられ、
また健やかに存在しておられることのみを
心から慈しみ讃えてあげて下さればと思います。


…ちょっとまとまりに欠けますが、
長くなったのでこの辺で終わりましょう。

いつもありがとうございます。



posted by laluz at 01:00| Comment(0) | IQ・知能

2013年03月28日

「 錯視の世界 」.


皆さま、こんにちは。

今回も随分と間が開いてしまいましたが、
有意義な日々をお過ごしのことと思います。

ブログをサボり過ぎなのでは?!という
生温かいお言葉も頂きましたが、否定できませんね…

去年のように「時間を取って書く!」方針ではなく
「時間が取れたら書こう」になっているのは確かなので。


それにしても、ちょっとサボり気味ではあるので
楽しみにして下さる方々がおられる以上、
記事更新していこうと思います。。


さて、今回は「錯視」についての動画などを。

2011.11.5「Moon Illusion」でも錯視を取り上げましたが。

下の画像は、有名な「the rotating snake 」。

(拡大表示すれば、より効果的ですが・・・
 気分が悪くなり易い方は、凝視されませんよう!)

snake

Copyright Akiyoshi Kitaoka 2003 (September 2, 2003)

画像自体は動いていないのに、動いているように見えます。
このような「錯視」はネコたちもするのかどうか?





上段の子は、ヘビが動いて見えているようですね。。
下段の子は…全く関心がない様子。動いて見えたかはともかく。

この子たちを「愛らしい」と思うのは必然としても
(全くそう思わない反ネコ派もおられるでしょうけど)

「存在しないもの」に対して「あるように見ている」、
「存在するもの」に対して「ないように見ている」、

…という事態は、人間において往々にあります。


「真実のところは存在しないもの」であっても
社会において、大多数が「その存在を信じる」ならば
その仮想のものは「社会的現実」と看做されます。


「天動説」と「地動説」のように。

あるいは「真実のところは存在するもの」であっても
社会において、大多数が「その存在を信じない」なら
その実在のものは「一部の妄想」と看做されます。


上のネコたちのように、一つの事象において
世界の見方というのは各々変わりうるものです。

「それ」は、知力・経験・文化的背景によっては
驚くほどに見方が変わりうるものであるので、

あらゆる事象において意見が対立する場合でも
相手において「そう見えている」前提を
思慮深く推し量る視点が重要です。


「対立」というものは対等なものの間で起こること、

一方が、圧倒的知力や精神性を持つ場合、
好ましくない「対立」など起こらないでしょう。

(好ましい「対立」を楽しむ場合は良いとして。)


人間においても様々な視点がありますが、
そのどちらが正しいか?を声を荒げて問うのは
上記ネコのどちらが正しいか?を問うようなもの。

「上から目線」で受け流すというのでもなく
する人しない人いるけど「錯視」って不思議だよね?!
というような緩やかな感覚で、互いの視点を楽しめば。


人間世界も「錯視」で満ちていますからね、
各々の「錯視」の世界を一々正すのは無粋でしょう。

「幸せな錯視」なら、むしろ健康的です。

(もちろん「錯視」を理由に「他者を害する者」には
 その限りで相応の矯正・粛正が必要と思いますけれど。)



…と、これ以上はムダに長くなってしまいそうなので
まとまりに欠けますが、今回はこの辺で。

いつもご訪問ありがとうございます。



posted by laluz at 06:00| Comment(0) | IQ・知能

2012年12月06日

「焦点」を合わせる


皆さま、こんにちは。

10月は中間考査月間だったわけですが、
早いもので今や期末考査の期間です。。

各々の目標レベルに応じて頑張って下さいね。

(定期考査は大丈夫ということで、考査前日でも
 先取りを進める生徒さんもいますけれど、人は人。
 自分のペースで深化させていくことが大切です。)


さて、色々と書くべきことはあるのですが、
当分お昼から授業が続くので(今日も14時半から24時まで)、
寸暇を見て、書ける時に書き留めておきますと。

先生にとって「頭の良さ」って何だと思いますか?
という質問を、たまに受けることがあります。


結論を言えば、「頭脳」というのは「善し悪し」という
相対的価値で区分できないと思いますけれど、

(そもそも「頭の良さ」の定義によりますし。)

色々な人々とお話ししてきた僅かな経験において、

(こう見えても首脳レベルを含めた多種多様の方々と
お話してきた方だと思います、交友範囲は狭いですが。)


この方は知性が深いな…と感じるのは
「焦点を合わせる」能力が秀でている時です。

人々と話している時には、各々の問題解釈・理解状況を
推測・把握し、その争点・興味次元に焦点を合わせて
会話・議論を調整していくスキル。


自由気ままに万物に思索を巡らせている時や
新しい問題について柔軟にアイデアを練る時は、

様々な視点から、巨視的・微視的、横断的・縦断的、
個別的・総体的に、自由に焦点を遊ばせながら、
それでいて確かな論理を展開できる人。


そういう人は、頭が良いなぁと敬服します。

(あえて「頭の良さ」という言葉を用いれば。)

情熱的にはなっても、感情的になることはなく。
そういう会話は、とても知的な時間でしょう。

曖昧とした「知能」という中身においても
重要なエッセンスは、この「焦点調節能力」だと
(個人的には)勝手に思っています。


この世界においても、メインの視点からでは
見えないこと・見過ごしてしまうことが沢山あります。

一見、何の法則性もない事象においても
焦点を確かに合わせてみると、別の法則が
すぅーと眼前に浮かび上がってくるもので。

日々の暮らしでレンズの焦点を固定していると
凝り固まって近視眼になってしまうように、

思考の焦点も、意識していないと先入観や
偏見などで凝り固まってしまいます。


周りの観ている世界と、自分の観ている世界とが
あまりに違い続ける時、どうしても不安になり、
自分の見ている世界こそ不自然なのだと考えますが、

その状況においてはピントがズレていただけで、
その視点自体は必ずしも間違いとは限りません。

IQ というものの中身は誰にも分かりませんが
「知能」という何かを育てていくとしたら、

その様々な視点を、そのまま自由に遊ばせること
それがとても大切なことだろうと今は感じます。


一見、取り留めもない発想や、荒唐無稽な言動でも
表層的判断で終わらせずに、深層を推し量ると
(相手が幼い子どもである場合は特に)

とても有意義で、奥深いアイデアが
秘められていることも多いものです。

多くの人が「何を言ってるの?(苦笑)」と思うことでも
「もしかして、こういうことを言っているの?」と
意味を掘り下げようと洞察する人が1人でもいれば、
大きく輝くであろう天才の卵は多く在るはず。


名画を扱う高名な画廊にいれば、そこに在るのは
高名な画家か有望な若手の作品だろうと推測されますが、

フリーマーケット(flea market)においては
おそらく贋作か低級品であろうという推定が働きます。
(ごく稀に名画が埋もれていたりしますけれど…)

相手の言動は、肩書きや学歴によって信頼性が
確かに多少付与されるものの、絶対的ではありません。

自分の言動はもとより、どのような相手の言動も
秀逸な作品かもしれないという推定で捉えると
「興味深い知性」を見つけることが出来ます。


もちろん、贋作や複製版を名画として有り難がるのは
ナンセンスかもしれませんが、こと「人の言動」は
ブランドによって真贋が分かれるものではないので、

どの人の言動もそれぞれ名画たりうるものと言えます。

(私も、私と接する生徒さんは天才性を有すると
 いう前提で、賢察を怠らないように心掛けています。
 私が幼い頃、周囲にそうしてもらえたように。)


焦点の合わせ方というのは、様々な人々や環境・
事象において、それぞれピントの合わせ方次第で
多種多様な側面を持つということを知り、

その多様性を包括的に「1つ」の存在として
解釈・受容できる能力と(勝手に)考えます。


ミクロな世界からマクロな世界まで
焦点を自由自在に遊ばせながら、

劇的に変化しつつ同時に全く変化しない日々を
有意義に楽しんで参りましょう。。

それでは、今回はこの辺で。

いつもありがとうございます!



posted by laluz at 23:55| Comment(0) | IQ・知能