2017年08月16日

Lewis Carroll


皆さま、こんにちは。

8月は15日前後にまた記事更新します…と
申していましたので、久々の「名言の英語」を。

ひと昔のように超タイトな授業スケジュールには
しないようにしているのですが、やはり夏休み…
それなりに追加授業をお受けしています。

東京大・京都大を目指す子たちですので
取捨選択しつつ色々と吸収してくれていれば
嬉しく思うことこの上なしです。

今夏は数年ぶりに「午前中」から授業を行う等
炎天下に移動するのもそれはそれで懐かしく。
陽光よりも月光の方を多く浴びる日々でしたので
個人的には趣深い「環境変化」かもしれません。

というわけで、実に2014年1月24日以来
約43カ月ぶりとなる「名言の英語」は
ルイス・キャロル を取り上げてみましょう。



Lewis Carroll,(1832.1.27-1898.1.14)は、
イギリスの数学者、論理学者、写真家、作家、詩人。

本名は Charles Lutwidge Dodgson で
"Charles Lutwidge" のラテン語表記名
"Carolus Ludovicus"をもじったもの。

『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』の
作者として文学世界においても有名です。



ルイス・キャロルについても天才の例に洩れず
聴力障碍・発達障碍(自閉症スペクトラム障碍)と
考えられる徴候を示していた点や、写真芸術として
少女ヌードを撮った点から小児性愛を疑われる等
長年誤解や疑念の対象とされることもある人物でした。

近年の研究で後者は根拠のない俗説と判明し、
世界的な名著とともに文字通り尊敬を集めています。


ルイスキャロルはオックスフォード大を卒業後
母校で数学講師を務めていたこともあって
著作中でも数理要素は満載で、読み解くには
なかなか難しいパズルもあったりします。

『ルイス・キャロル解読―不思議の国の数学ばなし』
で齧った程度ですが、この本は興味深かったです。


前置きはこの辺りにして早速「名言」を。




If you don't know where you are going,
any road will get you there.



この文章は原典ではなく映画版のセリフと思いますが
キャロルの名言として時折引用されています。

「もしあなたがどこに行くか迷っていても
 道が導いてくれます」的な訳例もありますが
『不思議の国のアリス』の名言として引用するなら
実際そこまで「優しい意味」ではないかもです。

"What road do I take?"
"Well where are you going?"
"I don't know."
"Then it doesn't matter.
If you don't know where you are going,
any road will get you there."


どの道を行けばいいの?と尋ねるアリスに
チェシャ猫は「どこに行きたいの?」と尋ねますが、
アリスは「わからないわ。」と答えます。

「じゃあ、問題ないよ。どこに行きたいか分からないなら、
どの道を選んだってそこにたどり着けるんだから。」


要するに「分からないところ」に行くには
どの道を辿っても「そこ=未知」に行けるよと。

アリスの世界にはこういう「言葉遊び」が満載で
そのまま訳出不能のものが多々あったりします。

アリス的には「どの道か」というよりは
「どこに行ったらいいか」を教えて欲しかったと
思いますけれど、「どこに行きたいか」は
「自分しか知らない」=他者が分かるわけない

という意味では本当にその通りですよね。



Everything's got a moral, if only you can find it.
(すべてのことには教訓がある。見つけることができれば…だけど。)


『不思議の国のアリス』で 色々な名言(迷言)を
披露してくれる中の一人が「公爵夫人(Duchess)」。


“If everybody minded their own business,”
“the world would go round a deal faster than it does.”


(みんなが自分のことだけ気をつけていれば、
 この世界は今よりずーっと迅速に回るだろうにね。)



この文章も原典ではユーモアな展開での話ですけど
その場面を離れて読んでも名言と思える一つです。

「自分のことだけ考える」というのが
「他人のことに口出ししない」という裏返しで
実際、人間界では「自分のことはさて置いて、
他人のことに首を突っ込み過ぎる」人もいるはず。

各々が先ず、自分の任務・使命・責務について
真剣に取り組んでさえいれば、世界は今よりも
上手く回っていくだろうというのは頷けますね。


Oh, 'tis love, 'tis love
that makes the world go round.


(ああ、愛こそ、世界を動かすものは愛!)


これも侯爵夫人の言葉ですけど、この辺りは
「意味を分かってないけどそれっぽいことを言う人」
を わざとユーモラスに描いている側面もあるので
侯爵夫人が心から「その真理」に到達しているか
それ自体はともかく、古来から「愛」は全ての鍵
のように色々な場面で掲げられますよね。

このブログでも少しだけ触れたりしますけど
「この宇宙の全ての扉を開く鍵は『愛』なのだ」
と声高らかに言っても、どこまで「真髄」に
触れているかは各々の思考レベルで変わります。

とりあえず『愛』というブラックボックスに
入れておけば誤魔化せる側面もあるでしょうし。
『愛って何?』『キミも進化すれば分かるよ』的な。

その実「この世を動かすのは愛!」という表現は
「訳の分からないものが世界を動かしている」
いうことの端的な裏返しとも言えます。

その意味では侯爵夫人の言葉は真理かも。


Take care of sense, and
the sounds will take care of themselves.


不条理というか、とりあえず何でも
「教訓にこじつけたがる」侯爵夫人ですが
この文章もその一つ。何となく聞きかじったことを
それっぽく吹聴する傾向の人も現にいるでしょう。

これはそのまま訳出するとズレてしまいます。

"Take care of the pence and
the pounds will take care of themselves."
(小銭を大切にすれば大金はおのずと集まる)
(小事を大切にしていれば大事は自ずと成る)


という教訓をもじった「言い間違い」ですからね。
(penceをsense、poundsをsoundsと)

ただ、「深く考えてみると」意外と「言い間違い」
ではない、むしろ高尚な文章にも思えてきます。

「訳の分からない文章・作品」を高尚だと
有り難がるのは愚かさと紙一重でしょうし、
ルイスキャロルもそれを皮肉っているとしても。

(「感覚」を大切にすれば「音」は自然と集まる。)

おー何か「それっぽい」ような。音楽家には至言かも…

(「意味」を大切にすれば「音」は成し遂げられる。)

うん、なんだかすごく深いことを示している気も…。
「音」=人間が織りなせる究極の「交響音」だとしたら?


…と、そんなこんなで不条理と条理のはざまを
行き来し漂えるのがアリス世界の魅力でもあります。



I give myself very good advice,
but I very seldom follow it.

(私は自分にいいアドバイスをするんだけど、 ほとんどそれに従わないの。)

Who in the world am I? Ah, that's the great puzzle.
(私って一体誰なの? ああ、なんて難しいパズルなのかしら。)


上の文章は原典そのままではなくアリス由来のもの
だと思いますが、引用の最後に。


「不条理な世界」とは「不条理な自分」そのもの。

「答え」が分かっているのになぜか行動しない
とか、この訳の分からない「自分」という謎を
解き明かして「自分なりの完成体」に成ることが
出来たなら、世界の全てはシンプルな条理の中で
ゆったり動いていることに気づけるでしょう。

その「理(ことわり)」自体を、人によっては
「神」と言ったり「愛」と言ったりするので
「訳の分からない不条理」感を加速させるだけで。

焦点のズレたレンズでは対象を正確には把握
できないように、世界に対してもまず自分自身が
「ブレない視点・支点」を持たなければならない。

そうして「意図的に」条理と不条理を楽しむことが
できれば、アリス世界のような狂気のお茶会を
日々ゆったり楽しんでいけるでしょうね。


・・・と、寝落ちしてしまって更新が17日9時を
過ぎてしまいました、お待たせしてすみません。。



It's a poor sort of memory that only works backwards
(後ろにしか働かないなんて、ずいぶん貧弱な記憶ですわね)

とか

I can't go back to yesterday
- because I was a different person then.
(昨日に戻ることはできないわ。昨日の私は別の人間だったのだから。)

とかまだまだ興味深い文章はありますが
これ以上遅くなるのもどうかと思いますので
この辺りでおしまいに致しましょう。


それでは、ルイスキャロル
(というよりアリスの国)の名言でした。

8月後半も正気と狂気のハザマを楽しみながら
脳がワクワクする日々をお過ごし下さいますように。

いつもありがとうございます!




posted by laluz at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 「名言」の英語

2014年01月24日

Maurits Cornelis Escher


皆さま、こんにちは。

御無沙汰しているうちにセンター試験も終え、
受験生の方々は心身ともに正念場の時期でしょう。

順当な結果だった方は、気を引き締めて邁進し、
実力が発揮できなかった方は、長い人生における
一試練に向き合いながら奮起して欲しいと思います。

(所感を記そうとも思いましたが、時機を逸しましたし
 ここで何か書き述べて事態が変わるでもないので、
 受験者各位の健闘を祈っていることのみ記します。)


というわけで、今回は「名言の英語」を。
視覚の魔術師・エッシャーの言葉を取り上げます。

Maurits Cornelis Escher(1898.6.17 - 1972.3.27)
は、オランダの画家(版画家)、建築不可能な構造物・
幾何学的パターン・騙し絵など奇妙で独創的な作品を
多く遺した芸術家として有名です。


下の作品など、目に留めた方が多いでしょう。

belvedere_.jpg

Which reality is more powerful, the reality of the present or our memory of the past? We all know there are unreal worlds,
but are we quite sure there is a real one? I can't answer that.


(「現在の現実」と「過去の記憶」。どちらの現実の方がより強力なのであろう?我々は「現実ではない世界がある」と知っている、しかし「現実の世界がある」というのは果たして確かなことだろうか?私はその問いに答えることが出来ない。)

「過去」の定義も非常に難しいので、
「記憶」の問題を厳密に議論するのは避けますが、
同様の意味で「現実」という定義も難しいもの。


視聴覚力の差異によって認識世界は変わるでしょうし
万人にとって共通認識足り得る「現実」というものは
およそ「存在」し得ないことでしょう。。

「現実に起こっている」と認識されているもの、
認識されないが、存在していると考えられているもの、
存在していないが存在している可能性はあったもの、
或いは存在の可能性さえ思いもよらない「何か」さえ、

それらを全て包含しつつ、また一切含まない様相が
「共通の現実」だと、辛うじて言えましょう…。


その意味では「過去の記憶」と「現在の認識」とで
大差はないとも言え(人間の時間尺度では殊更に)、

ひいては「現実」とは各々が瞬間ごとに創造していく
事象の集積でしかなく、現出した瞬間に「過去」となる。

どの「時空間」を「現実」と言うのでしょうね??

(これは「言葉遊び」としても面白いですけれど、
 この辺りに、叡智の欠片が隠されているようですよ。)



Are you sure that a floor cannot also be a ceiling? Are you absolutely certain that you go up when you walk up a staircase? Can you be definite that it is impossible to eat your cake and have it?

(「天井」が「床」にもなるなど有り得ないとは、確かなことだろうか?階段を登っている時「上に行っている」と絶対的に確信できるだろうか?「ケーキを食べると同時にそれを持ち続けている」ことなど不可能であると断定し得るだろうか?)

You can't eat your cake and have it.
(ケーキを食べた後もケーキがあるということはない)、
すなわち、矛盾する2つのことを同時に実現することは
不可能だという慣用表現です。それを前提に考えて頂くと、


「矛盾する2つのことを同時に実現することは不可能だ」と
どうしてあなたは確信できる??という意味ですね。

まあ、二兎を追う者は一兎をも得ずとは言われますし、
まして「矛盾することを同時に行う」のは通常ムリです。

ただ、一見すると「矛盾」と見えるようなことでも
その実は宇宙法則に「矛盾しない」こともあります。

「矛盾すること」だと勝手な先入観で世界を狭めず
エッシャーの絵画的世界の住人の1人の如くに、
柔軟な視野で不可思議な現世を眺めていると、

奇跡としか思えない偶然=必然のオンパレードが
繰り広げられていることに気づけるものです。



I try in my prints to testify that we live in a beautiful and orderly world, not in a chaos without norms, even though that is how it sometimes appears.

(私が自らの版画で証明しようとしているのは、我々が「美しく秩序に満ちた世界」に住んでいるということだ。たとえ世界がどのように現れるとしても、規範なき混沌の世界に住んでいるのではない。)

「 a beautiful and orderly world 」とは
そうは言っても、どのような世界なのでしょう?

「 one's beautiful and orderly world 」?
「 one of the beautiful and orderly worlds 」?

…深遠に向かう思索の遊戯はさておき、
表層の字義通りの意味でも、興味深い言葉です。

壮大なスケールの秩序の下で、森羅万象が
正しく法則に従って各役割を果たしています。

それを「美しい」と言うかは各々の世界観によるものの
「大きな秩序」の中では一時的混乱・混沌さえ「一要素」、


極微小・至弱なものにさえ「秩序」が宿っていることを
想えば、エッシャーの言葉の意味を実感できましょう。


As far as I know, there is no proof whatever of the existence of an objective reality apart from our senses, and I do not see why we should accept the outside world as such solely by virtue of our senses.

(私の知る限り、我々の感覚から乖離した客観的世界が存在する証拠は何ら無いが故に、我々の感覚のみによって外世界を在るがまま受け容れるべきなのかは判断できない。)

エッシャーの意図と少しニュアンスがズレた和訳に
なっている可能性もありますが…分かりやすく直せば。


「判断できない」「現状では分からない」と認めるのは
科学的思考においては重要なポイントでしょう。

(論理思考が厳密であるからこそ、日常では
 堅苦しく思われる方もおられましょうが…。

「現在の情報下では、〜としか判断できない」とか
「未知のデータによっては、〜の可能性もある」とか 
 授業や議論においては私も普通に使いますけれど、
 日常会話ではシンプルに言う方がスマートですよね。)


未だ学術的に追検証されていない推論を、非科学的だと
感情的に否定するのも愚鈍ですが、非科学的推論を
盲目的に信じてしまうのもまた愚かしいものです。

学術的に検証するために膨大なデータを集めて
それを地道に精査し、自説を裏付けていったのが
歴史に名を残した科学者たちですけれど、

別に「世紀の大発見」に限らずとも、日常の人間関係や
事象観察においても、「自分が把握していない事実」が
あるかもしれないという「思索の余地」を残しておく方が
万事において臨機応変に対応できたりするものと思います。



So let us then try to climb the mountain, not by stepping on what is below us, but to pull us up at what is above us,
for my part I aim at the stars.


(さあ、山を登って行こう。「足下にあるもの」の上を歩んでいくのではなく、「頭上にあるもの」に(私に関して言えば、星々にまで)自身を引き上げていくことによって。)

エッシャーの不思議な時空間のように、

自分が足で踏みしめている「地」こそが
実のところ「天」かも知れませんし、

不運にも急降下していると思う状況であっても
広い視野で考えると「人間的に上昇」して
いるところなのかも知れません。

宇宙空間において「上」「下」はなく
「天」「地」の境界も厳密にはないのですから、

自身が信ずる方向に、確信を持って顔を向ければ
その方向にあるものが自身を引き寄せてくれている、
そのようなイメージで良いのではと思います。


…なかなか言葉では表現しにくいところですが、
そのような緩やかな心持ちで、エッシャーの
絵世界を知的に散策されてみるのも一興ですよ。

(作品は http://www.mcescher.com/ で閲覧できます。)


それでは、今回はこの辺で。。

いつもありがとうございます。


posted by laluz at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 「名言」の英語

2013年12月12日

John D. Rockefeller


皆さま、こんにちは。

すぐ更新しますと言いつつ 結局のところ
いつも以上にスロー更新となり、すみません…。

さて、遅ればせながらの「名言の英語」ですが、
J.D.ロックフェラーの至言を見て行こうと思います。


John Davison Rockefeller(1839.7.8-1937.5.23)は、
アメリカ合衆国の実業家、スタンダード・オイル創業者、
時代毎の貨幣価値を勘案すると、人類史上最高の大富豪。

その莫大な資産を多くの慈善活動や、医療・科学研究などを
目的とした財団創設・運営に費やした篤志家でもあります。


教育面でもシカゴ大学とロックフェラー大学を創設し、
非凡な金融力で人類の発展に貢献した偉人の1人ですね。

崇高な理念のために酒やタバコなど全く嗜まなかった、
神に愛された慈善家の言葉を見ていきましょう。



If your only goal is to become rich, you will never achieve it.

(もし、あなたの唯一の目標が「金持ちになること」なら、
 あなたは決してそれを実現できないだろう。)


金銭というものはあくまで「手段」であり、
それを用いて「何をするか」が無いのならば
そもそも「無用の長物」に等しきもの。

逆に言えば「何をするか」という意図が明確で
その目的に大きな「力」が宿るならば、必要な
資財は不思議と集まってくるのが自然の摂理。


この法則に気づき、敬意を払って上手く適用すれば
本来「人間の従順な手足」であるはずの金銭に
主人である人間が踊らされるという本末転倒も
なくなっていくことでしょうけれど。。


「お金持ち」という内実も各々の人生計画で
全く異なるでしょうが、兵法に例えるならば、

必要な兵力(資金力)を集めるには、統率力、
指導力、政治力、個人のカリスマ性だけでなく
掲げる目的に大義・魅力があることが要でしょう。

ただ、兵が欲しい!兵が欲しい!と叫んでも
誰も兵力として進んで参加してくれないもの、
大きな軍力として組織するには相応の戦略と
大義達成に対する明確な意思が必要であるのと同じ。



The most important thing for a young man is to establish a credit − a reputation, character.

(若者にとって最も大切なことは、信用、評判、
 そして 人格を確立することである。)


「信用」、これに尽きましょう。

「信」という字は「人・言」で表わされます。

以前にも書きましたが、「人の発す言」というものは
そこに確固たる意思が載ることで大きな力を宿します。

(以前の繰り返しになりますので詳述しませんが)

若い時には「小さなお金」に躍起になるよりは
自らの「言葉の信用力」を高め、磨いていくことで
何万倍もの大きな資産となっていくという大いなる理。


…とまあ、ここで偉そうなことを説いていますが
これらも全て皆さま方のご指導ご鞭撻のお陰です。

直接的には、父親(と周囲の方々)でしょうが。

私と違って現実世界に生きている存在ですけれど
大きなお金の流れや卓越なる人脈が織り成す「舞台」を
幼少期から見せてくれた英才指導の賜物でしょう。


その甲斐あってかあらずか… 後進を教えると
言いつつ ふわふわと暮らしているわけですが、

このような私をご信頼下さる方々に恵まれ、
この上なく光栄に思うばかりです。


The ability to deal with people is as purchasable a commodity as sugar or coffee, and I will pay more for that ability than for any other under the sun.

(他者との交渉能力は、砂糖や珈琲と同様に購入可能な資財、
 そして私は他のいかなる能力よりも、交渉能力に投資する。)


この点は、各々の適性によりましょうから
一概には言えないと思いますが、万事において
交渉能力が高い方が諸事を采配し易いでしょう。

行き着いていくと「交渉の才」だけで左右できる
事象は案外に少なく、結局のところ「心」の響き方が
決め手だったりするものだと思いますけれど、

相手の心の内に入り込んで共同体を形成する、
それ含めての「交渉能力」というところでしょうか。



Try to turn every disaster into an opportunity.

(全ての災難を、一つの好機に変えようと努めよ。)


表現を変えて繰り返し述べられる真理ですが、
場合によっては非常に難しいことでしょう。

事故で半身不随になったり、愛する人たちが
予定より早く天に揃って召されて行った時など
「好機」と努めることは心情的にも難しい…。


ただ、極限の事態はともかく凡そ想定できる事態の
試練について、気持ちを切り替えて邁進する意思が
運命を左右するというのは、その通りだと思います。



I believe it is a religious duty to get all the money you can, fairly and honestly; to keep all you can, and to give away all you can.

(あなたが公正・誠実に得ることのできる最大限の金銭を得、
 可能な限り全てを蓄え、そして可能な限り全てを寄付する。
 このことは良心に基づく義務だと私は信ずる。)


I believe the power to make money is a gift of God … to be developed and used to the best of our ability for the good of mankind.

Having been endowed with the gift I possess, I believe it is my duty to make money and still more money and to use the money I make for the good of my fellow man according to the dictates of my conscience.


(お金を生み出す力は神からの贈り物であると私は信ずる。
 それらを発展させ、人類利益の為に各々の能力が
 最善に用いられるように。

 そのギフトを与えられた故、私は良心の命ずるまま
 お金を可能な限り生み出し、そのお金を人類同胞の
 利益の為に用いることこそ自らの使命であると信ずる。)



God gave me my money.

(神は 私に 私の金銭を与えられた。)


「お金」という人間の造った「概念」を
人間のために用いることに秀でた天才の言葉。

特に最後の言葉における、「 me 」とは?
「 my money 」とは?「 gave 」とは?

それらを少しだけ深く考えてみるとき
大いなる智慧の結晶で出来ていると思えます。



未だ未完成である「民主主義」と「資本主義」、
発展的形態を構想実現しうるのか未知数ですけれど、

少なくとも大勢を救ったりできる「道具」なので
知的に「お金」を支配していきたいものですね。



それでは、今回はこの辺で。

いつも本当にありがとうございます。



posted by laluz at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 「名言」の英語

2013年10月18日

Nikola Tesla


皆さま、こんにちは。

久々の「名言の英語」を上げておきます。
今回の偉人は「電気の魔術師」ニコラ・テスラ。


Nikola Tesla(1856.7.10 - 1943.1.7 )は、
オーストリア帝国(現在のクロアチア)出身の発明家。

交流電流、無線トランスミッター(ラジオ・ラジコン)など
多数の発明・業績の他、磁束密度の単位「テスラ」として
その高名を現在まで残す 天才科学者です。


天才は「変わり者」であることが多いものですが
テスラの場合は「稀代の変人」として有名です。

(人間ではなかったという説もあります…。)

宇宙人と交信する「惑星間交信」や、テレパシーなど
超能力研究など、晩年はオカルト色を一層に強めた点で、

テスラの評価自体を「胡散臭いもの」とされてしまう面も
ありますけれど、テスラの研究がなければ現在のような
高度な電子通信・電気機器類は無かったともいわれます。


(エジソンも晩年は、降霊術などオカルト研究に傾倒
 しましたが、奇才の辿り着く領域はそこでしょうね…
 ニュートンなど他の天才たちも然り。。)


語学(8カ国語とも?)にも堪能で、哲学を始め
音楽・詩など芸術面にも精通していたとされる
「天に愛された奇才」の言葉を見ていきましょう。。


Let the future tell the truth and evaluate each one according to his work and accomplishments. The present is theirs; the future, for which I really worked, is mine.

(未来をして真実を語らせ、仕事や業績によって各人を評価せしめよう。
現在は彼らのものだが、私が尽力してきた未来は私のものだ。)


テスラと発明王エジソンとの確執は有名です。

テスラは28歳の頃、エジソンの下で働いていましたが、
「直流電流」で送電事業化していたエジソンに対して
自身の「交流電流」送電の効率性・優位性を説き、
当時37歳〜のエジソンと真っ向から対立しました。

「直流」対「交流」の「電流戦争(War of Currents)」は
社会的な論争を巻き込みながら、自陣の送電システムの方が
より安全であると双方が主張し合いました。


(アメリカでの死刑執行用「電気椅子」は、エジソンが
交流電流の危険性・怖さを、世論にアピールするために
極秘裏に開発させたものと言われています。。)


その争いに勝ったのは上記の言葉通り、テスラでした。
現在の家庭用電源は「交流」送電が主流になっています。

テスラは、1915年 ノーベル物理学賞の候補として
エジソンとともに受賞が内定していましたが、
同時受賞を嫌ったためか、双方とも辞退しました。

(テスラは1930年代にもノーベル賞候補に
 選ばれますが、これも受賞しませんでした。)


1917年、米国電気工学協会から「エジソン勲章」授与を
打診されるも、ノーベル賞さえ辞退するテスラのこと、
エジソンの名を冠する賞など無碍に断りました。。


このように、お互いの因縁は生涯に渡りましたが、

何にせよ能力者同士の切磋琢磨から、科学技術は
進歩したと言える好例でありましょう。

また、巨大な相手を前にも屈することなく、
万人の利益の為に自己の研究を主張する覚悟は
いつの時代においても貴く高められる事と思います。



I do not rush into actual work. When I get an idea, I start at once building it up in my imagination. I change the construction, make improvements and operate the device in my mind. It is absolutely immaterial to me whether I run my turbine in thought or test it in my shop. I even note if it is out of balance.

(私は、実際の作業に急いで入ることはない。あるアイデアを得たら、まずは想像の中で その構想を組み立てることから始める。頭の中で、装置の構造を変え、改良し、操作するのだ。タービンを回すのが思考の中か工場の中かは、私にとっては全く重要ではない。思考実験で、回転の不均衡さえ分かる。)

長文なので省略しましたが…この発言の前に、

「性急な実施や、アイデアを具現化させようと
躍起になればなるほど、本質を見失うことがある」

という趣旨のことが述べられています。

計画・分析だけで実行に移さなければ無意味ですが、
適切な計算なく猪突猛進するのも愚策・愚行でしょう。

「具体的行動」というものは「物理的・身体的挙動」に
限らないので、目標達成に向けた俊英なる思考活動を
真摯かつ正確に行っていれば「実行」たり得ますけれど。


テスラは以下のように述べています。

I am credited with being one of the hardest workers and perhaps I am, if thought is the equivalent of labour, for I have devoted to it almost all of my waking hours. But if work is interpreted to be a definite performance in a specified time according to a rigid rule, then I may be the worst of idlers. Every effort under compulsion demands a sacrifice of life-energy. I never paid such a price. On the contrary, I have thrived on my thoughts.

思考活動が「労働」に当たるなら私は最も懸命な働き者だ、
「規則・時間に従った明確な取組みが要求される労働」
という意味においてなら最悪の怠け者だろうが。

強制された中では、どんな努力も生命エネルギーの浪費なので
私はそのようなムダな対価は払わない。
むしろ、私は
思考の上でこそ、活き活きと栄光を謳歌する。。


…といったところでしょうか、意訳しますと。

下線部は、個人的には正に「至言」というか
そう実践してきた側ですので、教え子たちにも全く
強制はしません。勉強したければすれば良いというか。

とりあえず、「為せば成る」というよりは
「為せば成るように考えよ」という所かと思います。


Instinct is something which transcends knowledge. We have, undoubtedly, certain finer fibers that enable us to perceive truths when logical deduction, or any other willful effort of the brain, is futile.

(直観は知識を超越するものである。論理的推論あるいは他のどのような脳の意図的努力が無益である時も、我々に真理を知覚させるような、より鋭敏な本質を疑い無く持っている。)

テスラは「天才とは 1%の直観と99%の徒労である」と
エジソンの名言を揶揄(やゆ)しましたけれど、

「知識・人智」を超越する「閃き・直観」が、
構想・計画の最終ピースとして降りてこなければ、
人類の新しい扉を開ける業は完成しないというか。

このことはエジソンの名言でも触れましたので
そちらを読み返してみて下さればと思います。。



Its ultimate purpose is the complete mastery of mind over the material world, the harnessing of the forces of nature to human needs.

(発明の究極の目的とは、自然の力を人類の必要に役立てながら、
 物質世界を超える精神の完全な支配をもたらすことである。)


テスラの理想は、「太陽や海、あるいは宇宙から
地球・人類全体が永続的に使えるエネルギーを
取り込むことができれば、地球資源を枯渇させたり
資源格差で人類に不平等をもたらすこともなくなる」
…という新しいエネルギーシステムの構築でした。


ここでいう「資源」とは電気などの生活エネルギー
だけでなく、互いの意思疎通を図り、理解しあうための
「情報」伝達も含まれています(19世紀半ばで!)

テスラが構想した地球規模の無線通信網は、
21世紀において概ね現実化しつつありますが、

世界的な情報通信によってお互いを理解し合えば
無益な争いや齟齬はなくなっていくという段階までは
残念ながら人類が未だ追い付いていません。


太陽エネルギーや風力といった自然エネルギーは
やっと実用化してきたところでしょうか。

原子力エネルギーは、テスラの構想外でしょうが
おそらく反対したことでしょうね…きっと。


色々な意味で、生まれてきたのが早すぎた天才、
電気の魔術師ニコラ・テスラの残した言葉たちは
今になっても多くの人々を考えさせます。


The primary substance, thrown into infinitesimal whirls of prodigious velocity, becomes gross matter; the force subsiding, the motion ceases and matter disappears, reverting to the primary substance.Can man control this grandest, most awe-inspiring of all processes in nature? Can he harness her inexhaustible energies to perform all their functions at his bidding? more still cause them to operate simply by the force of his will?

If he could do this, he would have powers almost unlimited and supernatural. At his command, with but a slight effort on his part, old worlds would disappear and new ones of his planning would spring into being. He could fix, solidify and preserve the ethereal shapes of his imagining, the fleeting visions of his dreams. He could express all the creations of his mind on any scale, in forms concrete and imperishable. He could alter the size of this planet, control its seasons, guide it along any path he might choose through the depths of the Universe. He could cause planets to collide and produce his suns and stars, his heat and light. He could originate and develop life in all its infinite forms.

To create and to annihilate material substance, cause it to aggregate in forms according to his desire, would be the supreme manifestation of the power of Man's mind, his most complete triumph over the physical world, his crowning achievement, which would place him beside his Creator, make him fulfill his Ultimate Destiny.


(これには訳を付しませんが、智慧を求めれば
 この探究に向かうのはある意味で必然でしょうね?)



それでは、今回はこの辺で。

「涼しさ」から「寒さ」を感じる時候です、
お風邪など召されませんようご自愛下さい。

いつも ありがとうございます。


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2013年09月12日

Jean Cocteau


皆さま、こんにちは。

涼しく過ごし易い時期となりましたね、
万事において実り多き時間となりましょう!


私も、夏の過密だった日々を相殺する勢いで
許される限りのスローライフを送っています。。


暑さよりは寒さの方が好きなタイプにとって、
これから半年は気温が低い季節だ!と思うと
それだけで微笑ましく心躍る気分です。。

(寒さが苦手な方にとっては真逆でしょうか?)

というわけで…今回も久々更新となりましたが、
「名言の英語」を書いておこうと思います。


Jean Cocteau(1889.7.5 -1963.10.11)は、
詩人・小説家・劇作家・画家・映画監督・脚本家
etc.として多才に活動したフランスの芸術家、
「詩人の王」の1人として貴ばれています。


コクトー芸術の根底・究極には「詩」が在り、
全て「詩」の異なる表現形態だとさえ言えますが、

深い視点で人間を捉えた詩人の言葉の中に
人間の真理を垣間見ることが出来ましょう。。


Anything of any importance cannot help but be unrecognizable,
since it bears no resemblance to anything already known.


(重要なものは何であれ、不可避的に認識できないものだ。
 既に知られている何物にも類似していないからである。)


人間は「既知」を材料に「未知」を推測します。

このこと自体は人間に限らず「学習」する
動物全てに言えることかもしれませんが、


「既知」を基準に「未知」を把握するのは
その性質上、本来的に難しいものです。

「山」しか知らない場合に「海」を感覚することは
実際のところ難しいことであるように…。


「未知なるモノの重要性」に気づけるか否かが
創造的知性の一つであることは確かと思います。


True realism consists in revealing the surprising things
which habit keeps covered and prevents us from seeing.


(真の写実主義とは、習慣によって隠蔽され、我々も
 観ることを阻害されている驚くべき諸事を開示することに在る。)


「習慣」というものが「先入観・偏見」として働くと
「本質」に気づくのを阻害してしまう可能性があります。

ある意味、「習慣が その人間を形成する」と言えましょう。

日々「新鮮な一期一会の世界」だと敬意を払うような
「意識習慣」を持っていれば、本質を見逃すことはないはず…。



Expect neither reward nor beatitude.
Return noble waves for ignoble.


(報酬も至福も期待してはならない。卑俗に 高貴なる波で応えよ。)

感謝や褒章・栄誉が返ってくるどころか、
礼節を欠く卑俗な対応に対しても品位を保って
振舞うことが出来るかと問えば…高難度でしょうね。

(「盲目的博愛」も知的ではありませんけれど。)


Be a mere assistant to your unconscious.
Do only half the work. The rest will do itself.


(ただただ、あなたの無意識の補佐役でありなさい。
作業の半分のみすれば、残りは自然と行われるだろう。)


この智慧も、古来から言われていますね、
現代においても様々な表現で示されています。

前に進むには「アクセルを踏むこと」よりも
「ブレーキをかけないこと」の方が肝要です。

いくらアクセルを踏んでも、意識的にブレーキを
かけていれば物事は進みませんし、心身とも疲れます。


進む為には「無意識にブレーキをかけるな」
という表現は、分かりやすい比喩かもしれません。


Tact in audacity is knowing how far
you can go without going too far.


(大胆さの中における機転とは、度を超すことなく
 いかにして上手くやるかを知ることである。)


大胆さの中にある機転・臨機応変の才気とは、
万事において実践的な知力でしょう!

芸術・学術の領域においてはもちろんのこと
人間関係(特に恋愛・愛情関係)においても。


諸事を分析把握して、大胆に決断行動する者は
嫉妬批判も多いでしょうが、それ以上に周囲を
カリスマ的に惹きつけることでしょうね。。


Mystery has its own mysteries, and there are gods above gods.
We have ours, they have theirs. That is what’s known as infinity.


(神秘は それ自身に神秘を有し、神々の上にまた 神々は在る。
 我々には我々自身の、彼らには彼ら自身のものを有している。
 それこそが、無限として知られているものだ。)


「無限」とは何か?というお話も書きたいですが、
(もう何年も前からそう言っていますけれど…)

階層的に折り重なっていく、無限に遠い
神秘の「到達点」は、人智を超えるかもしれません。

ただ、その神秘の「始点」は、
遍く万人に与えられています。



諸事あらゆる可能性も、果てなき探求の旅も
その始点は各々の思考の中にこそあると知りながら、

芸術・学術・あるいは自己探求(探究)に
有益な秋日を過ごして参りたいものですね。。


それでは、今回はこの辺で。

いつもありがとうございます。



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2013年08月13日

Claudius Ptolemaeus


皆さま、こんにちは。

猛暑が続きますが、お変わりございませんか?

さて、久々の「名言の英語」を更新します。
(7月は1度も更新していなかったですね…)

今回は、プトレマイオスを取り上げましょう。

Claudius Ptolemaeus(83年頃〜168年頃)は、
古代ローマの天文学者、数学者、地理学者、占星術師。


英語名 Ptolemy(トレミー)の方が
我々には親しみ深いかも知れませんね、

円に内接する四角形 ABCD において成り立つ等式
「AC・BD=AD・BC+AB・DC (トレミーの定理)」、
「トレミーの48星座」といったものは有名でしょう。


著書『アルマゲスト』は、既知の天文学を数理的に整理し、
後々まで何百年間も天文学の体系とされてきました。。

『アルマゲスト』=「偉大なる書」という意味ながら
「天動説」を定着させたという誤りもありました。

ただ、魔術の領域においては、現代にあっても
プトレマイオス宇宙観は敬意を払われています。

(自らが宇宙の中心として錬成される観点において)



We consider it a good principle to explain
the phenomena by the simplest hypothesis possible.


(我々は、可能な限り最もシンプルな仮定で
 現象を説明することこそ優れた法則と考える。)


ムダなものを省いて、最もクリアに解き示すのは
学術における場合だけでなく貴ばれましょう。

「シンプルは洗練の極致」ですね?


Everything that is hard to attain is
easily assailed by the generality of men.


(獲得することが難しいものは全て、大部分の人間によって誹謗される。)

「酸っぱいブドウ」の喩え話もありますように。

※ おいしそうなブドウを見つけたキツネは、食べようとして何度も跳び上がるも、高い所にあってどうやっても届かない。怒りと悔しさで、キツネは「どうせこんなブドウ、酸っぱくてまずいだろう。誰が食べるものか!」と言いながら立ち去るイソップ寓話ですね。

社会的な価値観を否定したりすることで、何もできない
自己の状態・不遇を正当化しようとする心理・願望は、
ルサンチマン、奴隷精神の特徴であるとニーチェは言います。


妬みや羨み、恨み辛みを抱えて誹謗中傷しても
自らの事態を何ら変えることはできません、

各々の進歩、人類を進化させてきたのは
覚悟ある継続的実践あってこそと思います。


The length of life takes the leading place
among inquiries about events following birth.


(誕生後の事象についての探究の中で「人生の長さ」は主要な位置を占める。)

「人生の長さ」は難しい問題ではありますけれど、

「人生の万象を問う」からこそ人生に長さが生まれる、
「世界を問うことこそ人生」という含意もありましょう。


「平均寿命」自体は、医学・医療技術の進歩や
各健康意識の向上によって伸長されていくとしても

「人間としての生の長さ」を規定していくのは
「世界」に関わる各々の精神次第とも言えますね。


I know that I am mortal by nature and ephemeral, but when I trace at my pleasure the windings to and fro of the heavenly bodies, I no longer touch earth with my feet. I stand in the presence of Zeus himself and take my fill of ambrosia.

(私は 生来的に死すべき運命にあり、儚い存在だと知っている。
 しかし、天体たちの自在な曲行を 喜びのままに辿っていく時
 私は もはや地球上に在るのではない。ゼウスの存在そのものの
 中に立ち、アムブロシアを存分に得ているのだ。)


アムブロシア(ambrosia)は、ギリシア神話に記される
神々の食物(飲物)。「不死」を意味することもあります。
(言うまでもなく)ゼウスはギリシア神話の最高神。

天文学において「天動説」は過去の物になりましたが
ただ、その太陽系自体もおよそ時速781,200kmで
回転を続けており、更にその「天の川銀河」自体も、

銀河群・銀河団さえも膨張する宇宙空間において
静止することなく「動いて」います。


The helical model - our solar system is a vortex .


The helical model - our Galaxy is a vortex .


上の動画は「太陽系惑星」が太陽の周りを公転しながら
「太陽系」自体の回転する様子を示してくれていますね、

下の動画は「太陽系」の「天の川銀河」内における
公転運動について模式的に示してくれています。


今の瞬間においても我々は宇宙の渦(vortex)の中
あり得ない超高速で回転しているわけですからね、

地球レベルの些細な喧騒・スピードで慌てるのは
滑稽というか…愛おしく感じるものでしょう?


マクロな大宇宙でもビュンビュンと激しく回転し、
ミクロな量子世界でもくるくると静かに回転して、

あらゆる意味でビュンビュンくるくると回っている世界、
中心がどこかさえ一義的に規定できないからこそ

「自らが中心である」と捉えて万物の助力を感じ、
その感謝を注ぐ対象半径を思考の果てまで伸ばして

「人の生」を無限まで高めていくという趣旨なら
プトレマイオス宇宙論は今でも尊重されましょう。



「ペルセウス流星群」のお話もありましたが、
長くなりますので今回はこの辺で。

いつもありがとうございます。



posted by laluz at 02:00| Comment(0) | 「名言」の英語

2013年06月13日

Sigmund Freud


皆さま、こんにちは。

蒸し暑くなってきましたが、お変わりございませんか?

まあ、暑い寒いと言って何か変わるわけではないので
エレガントに気温変化を楽しんで参りましょう。


さて、久々に「名言の英語」を更新します。


Sigmund Freud(1856.5.6 - 1939.9.23)は、
オーストリアの精神分析学者、精神科医、

後の精神医学・臨床心理学の基礎を築いたのみならず、
20世紀以降の文学・芸術・現代哲学に影響を与えました。


現代の精神医学においては、フロイトの理論自体は
必ずしも評価されていると言えない面もありますが、

精神分析・夢分析といった「無意識」の世界を
学問的に記述しようとした業績は大きいでしょう。

英国王立協会においても、ニュートン、ダーウィンや
ホーキング博士と並んで今なお讃えられています。

What is the Royal Society?


The interpretation of dreams is the royal road to a knowledge of the unconscious activities of the mind.

(夢の解釈は、無意識なる精神活動の理解に至る王道である。)

フロイトにおいて「夢」は人間の願望を満たすためのもので、
夢は現実の投影であり、現実は夢の投影であると考えました。

夢判断と一口に言ってしまうと「疑似科学」として
今なお批判も多いところでしょうが(「夢占い」的な?)、

それを「科学的に追検証」できる技術がないだけで、
自分というものを解釈する上では有用な試みのはず…。


まあ、科学的・学術的に有意な実証が未だできずとも
各々において「夢」という現象を建設的に用いるならば、

それはそれで良いのではないかなと思いますね、
「夢」の有用性が変わるわけではありません。


(私も「夢」の世界には心から敬意を払っていますし、
 実際そこから得る思想・アイデアは有益なものです。)


Most people do not really want freedom, because freedom involves responsibility, and most people are frightened of responsibility.

(多くの者は、本当に自由を欲しているわけではない。
自由とは責任を伴うもので、多くの者が責任を怖がっているからだ。)


「責任」というものの「重さ」は各々の地位や
環境で大きく異なるものではありますけれど。

中途半端に賢くなると(本質的な知力ではなく)
中途半端に先が読めて、身動きが取れにくくなります。

リスクを考えて行動を控えるという意識も
本質的には同根かもしれませんが、

「行動しない」なら、事態が変わらないのも必然。
あれこれ思い悩むのはナンセンスでしょう。


全ては、自らの意志の命ずるままに。


Men are strong so long as they represent a strong idea. They become powerless when they oppose it.

(人間は、強固な思想の側から発言する時には力強いもの
 だが、その強固な思想に反対する時は無力となる。)


世界的に、文化的に、あるいは帰属組織的に、
支持されている「考え」に与する場合においては
味方も多いので安心して主張(口撃)できるものですが、

いわゆる常識・多数意見に反対する立場で発言する場合、
その者は圧倒的な劣勢の中で孤軍奮闘するのが常です。

確かに、ただの常識知らず…というか迷惑な振舞いを
感情に任せて喚き散らすのは、周りが教導すべきとしても

あらゆる角度から冷静かつ客観的に、先見性をもって
異を唱える場合であっても、最初は反対されるものです。


状況的に「負け戦」であるのを、戦略的に崩していき、
形勢を傾けていくのは、知力以上に胆力が必要でしょう…。


One day, in retrospect, the years of struggle
will strike you as the most beautiful.


(もがき苦しんだ歳月は、いつの日か回想の中で、
至高に美しきものとしてあなたの心を打つだろう。)


Out of your vulnerabilities will come your strength.

(あなたの弱さからこそ、あなたの強さは生じるものだ。)

「強・弱」、「苦・楽」、「美・醜」などの対立、
究極的には「光・闇」「善・悪」という対比も全て、

どの視点から物事を捉えるか?という
相対判断上の差異でしかないものです。

心身の問題に限らず、凡そ人間の思考が及ぶ諸事は
その価値判断のバランス、傾いて崩れないように
「重心」を上手く取っていくことの連続でしょう。


「強さからこそ、弱さは生じる」あるいは
「至高に美しき日々は、回想の中であなたの心を
苦しめるものとなるだろう。」というように、

逆もまた、成り立ち得るものです(若き美貌の記憶が、
老いた晩年を苦しめることもあるでしょう。)


全てはバランスの取り方、その対応如何において
知性の在り様が大いに現れるように思います。。


Psychoanalysis is in essence a cure through love.

(精神分析は本質的に、愛を通した治療である。)

何だかんだで、また「愛」で締めますか…と
知己からは冷笑を浴びせられそうですけれど、

まあ、そうなるでしょう、行きつくところは。

「愛」って何だ?というのを真正面から問うたり、
議論するのは青臭いという風潮もありましょうが、

「愛」の名の下で、「善」も「悪」も為されますし、
それを「 自分なりに定義しておく 」のは大切です。


「愛すること」を誓ったはずの(誓わされた?)夫婦が
簡単に離反するのも「愛する」の定義違いでしょう?


…と、脱線しましたが、精神分析に限らず「分析」
「治療」というものは「愛」の為せる業だと思います。



予定より長く(遅く)なりましたが、今回はこの辺で。

いつもありがとうございます。



posted by laluz at 23:55| Comment(0) | 「名言」の英語