2020年04月05日

2020年4月の始まり



皆さま、こんにちは。

2020年 第3番の月も過ぎていきました、
2020年の約25%が早くも終えたわけですが、

今年はコロナウイルス禍で 例年のように
春を満喫するという機運ではないのが心苦しいです。


闘病されておられる方はもちろんのこと、
現場で文字通り砕身粉骨日々支えて下さる
医療関係者の皆様に一刻も早く安らぎの時が
訪れるよう心から祈るばかりです。

悲観的なことは言うべきではありませんが
さすがに数日で収束するものではないので
(むしろ拡大する可能性の方が高い…)
皆様くれぐれもご自愛下さいますように。

さて、ここで終わってもよい状況ですが、
さすがに前回も簡単なご挨拶だけだったので
いつもながらの季節の和歌を引用します。




花の色は 霞にこめて 見せずとも
 香をだにぬすめ 春の山風


(桜の色は 霞に閉じ込めて見せないとしても
せめて香りだけでも盗んで届けてくれ、春の山風よ)



『古今和歌集』巻二91 遍昭(へんじょう)の和歌。
遍照は、三十六歌仙の一人です。

桜が咲き誇り、日本においては入学入社など
新しい舞台に進む方も多い晴れやかな時季…

…のはずが、今季は卒業式・入学式も
感染防止策の一環として中止・簡素化の
ところも多いと耳にします。

入試自体も中止になったところもありますし
文字通り振り回された方もおられるでしょう。

そういう意味で、折角の晴れ舞台を
晴れ晴れしく祝えない状況はもどかしい
と思いますが、儀式はあくまで儀式
本質的・人格的に咲き誇っていれば
それこそ最高に素晴らしいのは確かです。

遍照の和歌のように、いつものような
桜の色は霞がかっている状況ではありますが
輝かしい一歩を進めているのは事実。

こういう時勢だからこそ出来ることを
粛々と進めて参りましょう。


それでは、簡単ながら今回はこの辺りで。

いつもありがとうございます。


(今月も運命が許す限り16日前後に1つ更新したいところです…)

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2020年03月04日

2020年3月の始まり



皆さま、こんにちは。

2020年第2の月も過ぎていきましたね、

毎年この時期には触れておりますけれど
個人的な節目となる誕生月・如月を見送り、
創造の光が照らし始める季節を迎えました。

長いお付き合いをさせて頂いている皆様、
日々支えて下さる方々の諸々のお心遣いに
いつもながら深く感謝申し上げます。


件のコロナウイルスは沈静化どころか
まずます全国的に拡散している状況下、
関係各位各所は大変なご苦労をされて
おられることと存じますが、くれぐれも
ご無理なさらずご自愛下さいますように。。





春くれば 宿にまづ咲く 梅の花
君が千歳(ちとせ)の かざしとぞ見る



(春になれば家の庭にまず咲く梅の花は
 あなたの千歳へのお祝いの飾りのようです。)



『古今和歌集』巻第七 352 紀貫之の和歌。

詞書に「もとやすのみこの 七十の賀のうしろの屏風によみてかきける」
仁明天皇の第5皇子・本康親王の70歳の祝賀で
読まれたとされる和歌です。

生年は不明ながら没年は901年なので
「七十の賀」は899〜901年の間と推定。
要するに、この祝賀の後まもなくして
天に召されることになります。。

とすればこの和歌を詠んだ時、親王は相応に
老いていたと推察されますけど、その状況下で
「梅の花がこれからの千年も祝っているようです」
と、元気づけているような優しさを感じます。

まあ70歳のお祝いで、1000歳までお元気で…
というのは極端すぎますし、肉体的寿命
というよりは、名声・名誉が千歳(ちとせ)に
続くと捉えた方が適切でしょうね。


2020年の梅花も3月に入って北日本で咲き始めていきます。
(南部は平年より開花が早かったようですが)

今は梅の香りを愛でるどころか、マスク必須で
ゆっくり外気を吸い込むことも避けたい情勢ですが…

せめて心持としては春の優雅を感じつつ
心を穏やかに保ちつつ過ごしたいところです。


梅の花を始め、万物自然は「理(ことわり)」に
従って、時季(時機)の訪れを告げます。

人間社会の状況変化でなかなか予定通りに
行かないもどかしさもある時はありましょうが
そういう時こそ「自然」の営為に目を向けて
千歳(ちとせ)を寿いでいるなぁと、あえて
微笑んでみるのも 予想外に効果的ですよ。

荒波に無理に抗うよりは、その流れに逆らわず
冷静に乗ってみるといいましょうか…。

ともかく、過度な不安・悲嘆が状況を好転させる
ことは通常ないので、そういう時ほど冷静に
周囲日常の「当たり前」に敬意を払いながら
「力」を蓄えて参りましょう。



それでは、今回はこの辺りで。


春光が 生命を優しく育み始める3月の日々も
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます!


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2020年02月03日

2020年2月の始まり



皆さま、こんにちは。

2020年の初月が過ぎていきましたが、
皆さま 益々ご清栄のことと存じます。


去る1月は(最後の)センター試験・成人式と、
人生の節目となる行事がありましたけれど、

世上では 新型コロナウイルス(2019-nCoV)
対応で関係各位各所は大変なご苦労をされて
おられることと存じます。受験生に限らず
疲労は溜め込まないよう休息は確保しつつ
手洗い等の予防措置を怠らないことが肝要です。

節分を経てまた新たに始まる季期が
平穏に充たされたものでありますよう
お祈り申し上げるばかりです。




袖ひぢて むすびし水の こほれるを
 春立つ今日の 風やとくらむ



(夏には袖を濡らしながら掬っていた水が
 冬に凍っていたのを、立春である今日の今頃
 春風が解かしているのだろうか。)



『古今和歌集』(巻一 春歌上2)
紀 貫之の和歌です。

「袖ひつ」は夏の情景を、
「こほれる」は冬の情景を、
「春立つ」は春の情景を 表します。

夏から秋冬そして今や立春と…本当に
早い(速い)ものだなぁと感じる方も
多くいらっしゃることでしょう。

現実社会(正確には現代社会)に生きていると、
好むと好まざると"タイムリミット"を
要所要所で意識させられますし。
その終節が心臓停止と言えましょうか。


このような物言いは何か自分はそうではないけど…的な
ニュアンスを感じる方もおられるかも知れませんが、
うーん、果たしてどうなのでしょう。

先生は最近どんなことにハマってるの?とか、
どんなことを考えて生きているの?とか聞かれた場合
(相手によりますが)対極思考の例を出しつつ
「時間が存在する」という立場の対極に立つと
どうなるか考えてるかなぁと答えます。

時間が存在しない、或いは過去現在未来という区別は
排他的ではなく"共時に存在"しているという次元観の
獲得と言いましょうか。これがなかなか難しいんですが
夢の中では興味深い示唆・講義(?)を得られたりして、
それをメモしながら更に探究…という。趣深いパズルです。

とか書いていますと「オカシイ人」にしか
思えないので(否定も出来ませんけれど…)
この辺で止めておくとして、兎も角そういう訳で

昔ほど「時間」に振り回されないと言いますか、
速いとも遅いとも特に思わないと言いますか、
ただただ「今・現在」が幸せで有り難いなぁ
としか感じていないというのが本音です。



脱線はこの辺りで今月の和歌に戻りますと。

夏冬春が"同時"に詠み込まれていて。
今春の情景も"想像"しているに過ぎず。

秋そのものは明示されないものの、必然に
夏冬の以降間に秋の情景は想起されますよね。


すなわち去年の夏(過去)から今の立春(現在)
そして新しく始まる春(未来)に渡る"水"の
変移を完全な心証風景として詠んでいる美。

去年に限らず幼少の情景さえ想起されるなら
まさに三十一字に悠久の過去現在未来という
「時」を包み込んだかのような優雅を感じます。



あー そこに着地したかった故の時間のお話ね…
なるほど。。と思われるかは兎も角そんな感じで
個人的には趣深く感じられる名歌の1つです。


それでは、今回はこの辺で。


2020年立春に際し、各々にとっての「春」が
麗らかに訪れる時を 祝福申し上げます。

適時適切に為すべきことを為していれば
自然の摂理に従って"水"が流れ出ずるように
各々の目指すべき道も開かれるでしょう。




掛替えなき2月の日々もまた
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます。


(2月も世界情勢が許す限り 16日前後に
 もう1回更新できれば良いなと思っています)
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2020年01月05日

「2020年」の始まり



年頭にあたり、謹んでご挨拶申し上げます。

旧年中は並々ならぬご厚情を賜り、御礼申し上げます。

本年もご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します。

 



 
新しき 年の初めに 豊の年
 しるすとならし 雪の降れるは
  



新 年乃婆自米尓 豊乃登之 思流須登奈良思 雪能敷礼流波

あらたしき としのはじめに とよのとし しるすとならし ゆきのふれるは



( 新しい年の初めに実り多い年になるだろうと
告げる吉兆に相違ない。この降り続く雪は。)




『万葉集』巻第十七 3925」葛井連諸会
(ふぢいのむらじもろあい)の和歌。

年末年始は大寒波到来という予測ながら
大混乱はなく何よりでした。もちろん
雪国の方々は大変だったと思います…

(雪が降るかなと予測して 今回の和歌を引用した草稿を
書いていたところ 前予想ほど雪日という感じでもなく。

差し替えようと思いましたけれど、4〜5日に寒気がまた
戻ってくるとのことでしたので、「吉兆の雪」のまま更新しておきます。)




10月の和歌で紅葉を"幣"に例えたように、

日々の何気ない些細な事象の全てが
自分への餞(はなむけ)と受け止めて

自らが吉兆の顕現であるかの如くに
2020年も輝かしく楽しんで参りましょう!




それでは、年頭のご挨拶まで。

皆様の益々のご清栄を、心よりお祈り申し上げます。



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2019年12月31日

2019年の終わり


皆さま、こんにちは。

いよいよ2019年を見送って
2020年を迎える時となりましたね。

2019年の日々も 皆さまには
公私にわたって大変お世話になりました。

毎年毎回 同じことを申し述べておりますが
2019年も有り難い日々を過ごせましたのも
ひとえに皆々様の温かいご支援のお蔭と
ただただ感謝するばかりです。



冬ながら 空より花の 散りくるは
 雲のあなたは 春にやあるらむ



冬なのに空から花が降ってくるのは、雲の向こう側は春なのだろうか。



古今和歌集(巻六330) 清原 深養父
(きよはらのふかやぶ)の和歌です。

清原深養父は 平安時代中期の歌人
(中古三十六歌仙の一人)で
清少納言の曽祖父(高祖父との説も)。



ちらちらと雪の降ってくる様を
花びらが舞い散るに喩えて、

雲の下は厳しい冬だけれども
雲の向こうには春がすぐそこに
来ているんだなぁという優しい和歌。 

まあ、雪国の方々からすれば
所詮は雪の怖さを知らない貴族の戯言よ…
と冷笑を浴びるのかもしれませんけれど、

寒い日々の細やかな心配りなどを
花の温かさのように感じることは
きっとあることでしょう。

「雲のあなたは 春にやあるらむ」
という語意とは完全にズレますが、

寒い中でも背筋を正しながら、
優しい花のような笑顔の人物なら
まるで「あなたは春にやあるらむ」と
周囲を温かい気持ちにさせるはず。

現実の季節がどうであっても
周囲や自分の心境・心持が厳寒の
大吹雪なら人生は冷たいままでしょうし。

そういう意味では、結局のところ
自分の心持次第で、ある程度は
優しい季節を近づけたり遠ざけたり
できるものかなと感じますね。


大掃除やらで身の回りの整理をされた方も
そうでない方も、少なくとも「精神」は
一新して2020年の訪れを心待ちに。

2019年が万事順調だった方も反省点が
多かった方も、2020年は素晴らしい日々
になると確信とともに寿ぎましょう。

自分自身はもちろんのことながら
周囲にも「春」を感じさせるように
優雅な日々を楽しんで参りたいものです。


兎にも角にも 2019年の終わりに際し、

私と時間を共有している生徒さんやご家庭、
関係諸子の方々全てに心から御礼申し上げます。

この1年間の御高恩に対する謝意を
言い尽くすことはできませんが…
2019年も本当に有難うございました!


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2019年12月04日

2019年12月の始まり



皆さま、こんにちは。

2019年の約93%が過ぎ去りましたが、
充実の日々をお過ごしのことと存じます。

皆さまの御蔭で2019年も平穏に過ごせ
無事に師走を迎えることができました。

知覚出来るもの出来ないもの問わず
諸々の必然が 本当に有難いです。



おほぞらの 月の光し きよければ
 影見し水ぞ まづこほりける



(大空の月の光が清らかに冴えるので
 その月影を見た水が何よりまず凍ったことよ。)


『古今和歌集』巻六 316
作者は不明ながら綺麗な和歌ですね。


2018年12月は「張り詰めた寒気で 全てのモノが襟を正すがごとく、水が張っていない地面さえも 月光に照らされて氷のように白く研ぎ澄まされていく情景」として西行の、

さゆと見えて 冬深くなる 月影は
水なき庭に 氷をぞ敷く


を引用しましたけれど、
身が引き締まるほどに冴え渡る月
というところに通ずる趣があります。


"影見し水" の語意については解釈が分かれる点も
あるようですが、ここでは素直に「月を見た水」
と捉えておきます。


月を見る"水"とは何かについては
「月と水」に関連して2018年度に
触れたので(例えば2018年7月の始まり
今回は深入りしませんが、

シンプルに"水"=湖・池の水面が
静かに凍っていく情景を捉えても
美しい冬を感じられると思います。


神域聖域・祭祀遺跡etc.において
心身が凍るほど引き締まるというのは
体感される方も多いでしょうし、

現実においても、人格的に高潔で
凛とした佇まいの中に、圧倒される
オーラを感じさせる賢人というのは
今も昔もおられましょう。

ただ、この"凍り付く"というのは
冷徹な感覚というのでもなく、
思考停止状態に固まるものの
どこか落ち着くような優しさを
確かに感じられるというような。



この「澄み渡るほどの冷気で心身が凍り付く」
体験で個人的に思い入れが強いものが一つあります。

(詳しく書けませんが)天下人らによって
受け継がれて来たとされる御神剣を
握らせて頂く御縁があり、

その時の感覚は今でも忘れ得ぬほどの
圧倒的なプレッシャーというか…
それこそ澄み渡る神気を前にして
心身が凍り付くという感覚でした。

汝はこの剣を握るに足る者か?と
問われているかのような威圧感、
それでいて見守るような優しさと
吸い込まれそうなほどの美しさ。
身体はともかく精神は畏れ多く震えました。

今は世俗を離れてのんびり生きている
身ですが、心身にハリがなくなりそうな時は
当時の感覚を思い起こしてピンと張り詰め
改め直す契機にしています。



…と、脱線してしまいましたが

冬の月は、1年の疲れや達成感で
緩みがちな心身をピンと張り直して
くれる、冷たくも優しい光です。

20191106_211116.jpg
<2019年神迎祭 境内の月>


2018年12月のまとめをあえて流用しますが、

ただただ「寒さに襟を正す」ことで
精神の再調和を意識的に行えば
それに越したことはありません。

日々 心が乱された方もそうでない方も
来る2020年を前に 心音を整えながら
年末を過ごして参りましょう。



それでは、今回はこの辺で。

2019年の最終月も清き時間に充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。


(今月の中旬更新は未定ですが…簡単でも何かしら更新したいと思っています)
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2019年11月04日

2019年11月の始まり


皆さま、こんにちは。

2019年 第10番の月も過ぎました。
2019年の約83%が過ぎたことになります。

現世に不変なるものは無いと言えど
目まぐるしく対応に追われるような
事変が世界で起こっている昨今ですが…

お変わりなくお過ごしでしょうか。

こういう時季は体調を崩しやすいので
くれぐれもご自愛下さいますように。



もみぢ葉の 流れてとまる みなとには
 紅深き 波や立つらむ 


(紅葉の葉が川を流れ流れて留まる河口では、
 深い紅色の波が立つことでしょう。)



『古今和歌集』(巻五293)
 素性法師の和歌です。

「二条の后の東宮の御息所と申しける時に御屏風に竜田川に紅葉流れるかたをかけりけるを題にてよめる」と詞書にあるように、

実際の竜田川を眼前に詠んだ歌ではなく、
屏風絵に描かれた紅葉を題にして詠んだ歌です。

現実の事象を観て、そこから結末や展開を
悲喜交々に想像して詠むというのは常道ですが
そもそも想像の絵から仮想の展開を詠むという点で
想像の広がりが趣深く感じられますね。


何もない間・虚空に「動き」「変化」を加えて
「有・無限の広がり」を見出すのが
空間芸術の深奥。とすれば、静止絵の川に
紅葉の動きを与えて河口の波まで想像させる
この歌は、空間の広がりを生み出す点で
創造的想像というべき知的な美しさがあります。

(あくまで個人的な感想ですけども)


人間は日々刻々、思考認識判断を繰り返し
様々な印象感情を抱いて暮らしますが、
その思考感情の対象は必ずしも「現認」の
事象とは限りません、むしろ「眼で見たもの」
ではない伝聞で判断する方が多いでしょう。

仮に放送映像であっても、編集によって
実際の印象とは全く異なる場合もあります。
良くも悪くも「想像」が介在してきます。

例えば「地球温暖化」という議論においても
真実は温暖化どころか寒冷化に備えなければならない
かもしれないわけです、各データを多角的に見れば。

stacks-image-5f8ffb5-798x546.png
・南極ボストーク基地で掘削された氷床コアに基づくデータ
climate data より引用.

40万年前から数えても約4回の温暖化&氷寒期
を繰り返していますが、約10万年毎の温暖化も
全て「産業革命以降の急激な開発汚染・排気」
的なものなのかと言えば疑問ですよね?

(約10万年の周期で高度知的生命による文明が
 興亡を繰り返している的な異説に従うなら兎も角…)


海底火山活動の放熱による氷床・氷山の融解
それに伴う埋蔵ガスの放出による温暖化+
海面上昇、海流変化に伴う気象異常…
といった「地球の自浄システム」を前に
人間に出来る防衛など気休めのようなもの。

太陽活動の停滞周期や宇宙線量の増減による
地球の気象変動への影響について まだ
研究成果は出揃わないものの、太陽の放射量
増減の前には人類の出すCO2量など誤差…
とまで言いませんが、説得性に欠けます。



もちろん生体に有害な人工化学物質や
温室効果ガスは早急に削減根絶させた方が
合理に決まっていますが、それはあくまで
「生体球」としての地球に敬意を払う
趣旨から行われるべきものであって、

近視眼的に「温暖化」だけしか見ないのも
あまり知的な態度ではないように思います。

(寒冷化の根拠についても疑義反論あり
 温暖化危機を否定する訳ではありませんが
 寒冷リスクも念頭に置くべきという意味です。
 多様な複合要因を総合的に検証しなければ。)



環境問題に限ったことではありませんが、
文字通り玉石混交の情報氾濫の中で
総合的に真偽判断する知性がなければ、
容易に「誘導」されてしまいます。

(私が小論文対策やディベートをする時
 生徒の主張を否定することは絶対なく
 「では、このような反論については?」
 と多角的に判断することを促します。)


長々と何を言いたいか申しますと…

自分の見聞している事象・情報は
「あくまで伝聞描写で 事実の一片かもしれない」
「あるいはそもそも空想・虚偽かもしれない」
という意識を持っておくことの重要性です。



素性法師は、屏風絵は現実そのものでは
ないことを知っていますよね。
その上で、美しい空間の広がりを
現出させました。

同じ絵を見ても、流れる紅葉が
やがて堆積して汚泥に変じる
儚い面を詠むこともできますし、
それはそれでまた趣深しです。


現代においても、フィクション(虚構)は
フィクションとして楽しめば良いのですけど
その真贋を問うことなく盲信・妄信して
虚構を真実のように捉えて悲しみ狂うのは
エンターテイメントの域を超えています。

究極的に「この認識世界そのものが
フィクション(虚構)だ」という主張に対して
私は有効な反論を見出せない状況ですので

「そのまま フィクションの世界を
在るがまま楽しめば良いのでは?」
という結論に与してしまいそうですけれど。


何はともあれ、日々見聞する事象に
ついて思い惑うのも人間の特権とはいえど
どうせなら紅葉の行く末は、汚泥よりも
美しく舞う紅い波をイメージした方が
人生楽しいですよね、ということでした。

人間は苦しむ為に生を受けたのではなく
喜びを感じるために生まれ出でたので
(スパイスとしての艱難辛苦も味わいながら)
在るがままを楽しんで参りましょう。



それでは、今回はこの辺で。
いつもご訪問下さりありがとうございます。

(11月は世界情勢が許す限り 16日前後に
 もう1回更新できれば良いなと思っています)


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