2019年02月04日

2019年2月の始まり



皆さま、こんにちは。

2019年の初月が過ぎていきましたが、
皆さま 益々ご清栄のことと存じます。

(「新年の誓い」…2018年に引き続いて
未更新のまま時宜を過ぎてしまいました。
今年はどうかな?とチェック下さった方には
お手数だけおかけして、すみません。)


2016年以来の「新年の誓い」記事更新ならずも

( 正確には「書いていた」のですけど
特別参拝に関して頂く御質問等に触れて
やや深入りした内容になってしまい
そのままお蔵入りしたといいますか、)


元日の恒例儀式として「精神を純化する」
神宮参拝を今年も終え 2019年の至高の日々と
来る2020年の開幕に御礼申し上げた次第です。

神宮には1年(或いは生前全て)の感謝を
申し述べに参りますが、その意味合いと等しく
皆さまにも 心からの御礼を申し上げます。


去る1月は センター試験・成人式と、
人生の節目となる行事がありましたけれど、

どのような経路にせよ 確かな志がある限り
目的地へ近づいているのは間違いありません。

節分を経てまた新たに与えられる日々が
充たされたものでありますように。



さて、2017年までは芭蕉の句を引用し
2018年からは西行法師の和歌から…
という流れでしたが、2019年は
特定せずに引用しようと思います。



雪のうちに 春はきにけり 鶯の 
 こほれる涙 いまや解くらん



(まだ雪の残っているうちに春が来ましたね、
 春を待っていた鶯の氷った涙も今は溶けているでしょう。)




『古今和歌集』巻一4番・藤原高子の歌です。

二条后の春のはじめの御歌 との詞書。
二条后=藤原高子(ふじわらのたかいこ)は
清和天皇の后で、陽成天皇の母(842-910年)。

『伊勢物語』における、在原業平との
恋愛物語でも有名な御方でしょう。

白玉か 何ぞと人の 問ひし時
露と答へて 消えなましものを


(あれは真珠?何?とあなたが聞いた時に
露というものですよと答えてそのまま私も
露のように消えてしまえばよかったのに。)



この『伊勢物語』の箇所は教科書等で
習う方が多いとは思いますけど、
藤原家としては皇后とさせたい高子を
業平との恋路などで無にする訳にはいかず
無理やり引き裂くという場面ですね。

…と、この辺りの背景、その後の展開を
踏まえてみると また違った意味合いを
読み込めましょうが、シンプルに捉えても
それはそれは 優しい歌だと思います。


2018年の世相を表す漢字が「災」と
なったように、多くの涙が流された
年でもありました。

2019年立春を迎え、冬に凍った涙も
溶け出されて、慶事には笑い涙と
変わっていけるよう願うばかりです。


既に春の陽気を麗らかに感じておられる方も
厳しい寒さの中を 頑張っておられる方も、
新しい春の巡りに際し、各々の「雪解け」が
雅に訪れる日を 祝福下さいますように。

適時適切に為すべきことを為していれば
自然の摂理に従って 雪が溶け出ずるように
各々の目指すべき道も湧き出ずるでしょう。



それでは、今回はこの辺で。

掛替えなき2月の日々もまた
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます。


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2019年01月04日

「2019年」の始まり



年頭にあたり、謹んでご挨拶申し上げます。

旧年中は並々ならぬご厚情を賜り、御礼申し上げます。

本年もご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します。

 




 
正月立ち 春の来らば かくしこそ
 梅を招きつつ 楽しき終へめ
  




武都紀多知 波流能吉多良婆 可久斯許曽 烏梅乎乎<岐>都々 多努之岐乎倍米

むつきたち はるのきたらば かくしこそ うめををきつつ たのしきをへめ


(正月になり春がやって来たなら、今こうしているように 梅を寿ぎつつ楽しい時を過ごしましょう。)


「万葉集 巻第五 815番」大弐紀朝臣男人の歌。

現代日本の暦では 梅の花は少し先ですが
梅を愛でるに早いも遅いもありませんよね。

折りに触れ 述べていますけれど…

せいぜい数十億秒の人生です、
何気ない事象にさえ幸運の訪れを感じつつ
どうせなら楽しみながら生きて参りましょう。


この2019年という尊い月日を通して、

幸運とは思えない試練の期間もあるでしょうが
達成時の至上の幸福感をイメージしながら

周囲ともに楽しんで行かれますように。




それでは、年頭のご挨拶まで。

皆様の益々のご清栄を、心よりお祈り申し上げます。



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2018年12月31日

2018年の終わり


皆さま、こんばんは。

いよいよ2018年を見送って、
2019年を迎えることとなりました!

(12月中旬は更新できず仕舞いで 一応チェック下さった方には申し訳ありません…)

2018年の日々も 皆さまには
公私にわたって大変お世話になりました。

毎年毎回 同じことを申し述べておりますが
2018年も有り難い日々を過ごせましたのも
ひとえに皆々様の温かいご支援のお蔭と
ただただ感謝するばかりです。



あたらしき 柴のあみ戸を たちかへて
年のあくるを 待ちわたるかな



2017年に続いて 西行法師の歌です。

柴の網戸を新しく立て替えて、新年が
その新しい戸を開け訪ねてくるのを待ちわびています。


…と、新年が「明ける」と「(戸を)開ける」
とを掛けた ほのぼの優しい和歌ですね。

大掃除やらで身の回りの整理をされた方も
そうでない方も、少なくとも「精神」は
一新して2019年の訪れを心待ちに。

2018年が万事順調だった方も反省点が
多かった方も、2019年は素晴らしい日々
になると確信とともに寿ぎましょう。


兎にも角にも 2018年の終わりに際し、

私と時間を共有している生徒さんやご家庭、
関係諸子の方々全てに心から御礼申し上げます。

この1年間の御高恩に対する謝意を
言い尽くすことはできませんが…
2018年も本当に有難うございました!


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2018年12月04日

2018年12月の始まり


皆さま、こんにちは。

2018年の約93%が過ぎ去りましたね、
充実の日々を過ごされたことと存じます。

皆さまの御蔭で2018年も平穏に過ごせ
此度も師走を迎えることができました。

今までと これからの遍く「ご縁」に
心からの感謝を申し上げる次第です。




さゆと見えて 冬深くなる 月影は
水なき庭に 氷をぞ敷く



(冬も深まり 冴え渡って見える月の光は、
 水もない庭に氷が張られた如く照らしている。)



2018年は西行の和歌を引用しましたが
「月」の歌は やはり多いですね。

3月・6月・7月・9月・10月と
12月も合わせると実に半数が「月」。

「月」以外の歌を選ぼうとして
半数になるとは思いませんでした…
とはいえ どの「月」もそれぞれ
異なる趣具合ですので お許しを。

さて、2018年最後の引用となる
「月」ですけれど、張り詰めた寒気で
全てのモノが襟を正すがごとく
水が張っていない地面さえも
月光に照らされて氷のように
白く研ぎ澄まされていく情景。

身が引き締まるほどの寒さで
夜空が冴え渡る 美しい冬が訪れます。

6回もの「月」歌で触れましたように
月と水面・鏡というのは 心の安寧を
示唆しますが、今回は「水」がありません。

…と、今までご覧下さっていた方々には
これ以上解説を加える必要もないでしょう。

説法じみた解釈をする必要はなく
ただただ「寒さに襟を正す」ことで
精神の再調和を意識的に行えば
それに越したことはありません。

日々 心が乱された方もそうでない方も
来る2019年を前に 心音を整えながら
年末を過ごして参りましょう。



それでは、今回はこの辺で。

2018年の最終月も貴き時間に充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます!



(今月の中旬更新は未定です…年末のみになるかも?)
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2018年11月04日

2018年11月の始まり



皆さま、こんにちは。

2018年 第10番の月も過ぎました。
2018年の約83%が過ぎたことになりますね。

もうすぐ冬の到来を感じさせるように
肌寒さを覚える時期ですが・・皆さま
お変わりなくお過ごしでしょうか。

季節の変わり目の中でも
秋冬の季節は体調を崩しやすいので
くれぐれもご自愛下さいますように。



吹き過ぐる風しやみなば たのもしき
 秋の野もせの つゆの白玉



(秋風がやめば、野原一面に 白玉のような
露が見られるでしょう、楽しみですね。)



『山家集』所収ではあるものの
西行の作か疑義があるようですが…
柔らかい和歌なので時宜に適うかと。


さて、この和歌は次の和歌への
返歌として詠まれています。

消えぬべき 露の命も 君がとふ
 ことの葉にこそ おきゐられけれ


(儚く消えゆく露のような我身も あなたが
かけて下さる言葉のお陰で起きていられるのです)



…と、「病床にある者が見舞いへの感謝を
込めて詠んだ歌」に 返しとして詠んだ
という状況を踏まえて解釈すると・・

(酷い風邪で今は露が消えそうなほど
お辛いでしょうが、お風邪が落ち着けば、
野原に美しい露がまた見られるように
お元気になられますよ、大丈夫です。)


というようなニュアンスが
込められているのでしょう。


激しい咳き・クシャミなど吹き荒ぶ
風邪に対して、風さえ止めば露も落ち着く
と温かく見舞っている やり取りは、

まさしく 消え落ちる露(=命)を
周りの草葉(=言の葉)が優しく
支え受け止めているという情景。

風邪といっても幼少・ご高齢の方には
侮れませんし、遥か昔なら尚更に
大変だったろうと思いますね。


ともあれ 病中にあってもなくとも
適切な心理的・精神的サポートは
活力を増進させるのは確かなので、

儚き露がこぼれ落ちないように
優しき言の葉で支え受け止める
ことが出来れば それは幸いです。



・・「善意の押しつけ」や「要らぬお節介」
にならぬよう意を払いながら 適切な時に
適切な言葉を 適切な分だけかける
というのは簡単ではないと思いますけど。

人間というものは言葉で優しく
包むどころか…トゲのある言葉で
相手を傷つけることもできるので
優しく受け止めるまで行かなくとも
最低限 傷つけなければ良しでしょう。




というわけで寒さを感じ始める季節、
風邪など引く引かないに関わらず
互いに言の葉で柔らかく慈しみながら
日々温かい心持ちでお過ごし下さいね 。


この11月も温かいご縁で充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。



*11月は、半ば頃にもう一度
記事更新したいと思っています。


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2018年10月04日

2018年10月の始まり



皆さま、こんにちは。

2018年 第9番の月も過ぎました。
2018年も75%を終えたことになります。

天災・人災も多い昨今ですけれど
与えられた時間がある限りは
実りある日々を歩んで参りましょう。




雲はらふ 嵐に月の みがかれて
光えてすむ 秋の空かな


(雲を吹き払う嵐に 月は磨かれて
ひときわ光が澄み輝く 秋の空です。)



「雨降って地固まる」ではありませんが
もやもやとしたものが嵐の威風によって
払われ、本来の輝きが澄み渡る…という。

台風が過ぎた後の 秋月の美しさ、
というだけでも趣深い和歌ですけれど

人間の生息領域であれば大抵の場面で
人生訓のように捉えることができますね。

嵐の猛威で 失うものもあるでしょうが
自身の輝きが増す契機にもなるんだと
上を向けるかどうか。そこが難しいところ…




もの思ふ 心の隈を のごひすてて
くもらぬ月を 見るよしもがな


(思い悩んで生じた心の影を 拭い払って
曇りなき清澄な月を見る術があるならなぁ。)



月は「変わらずそこに在る」けれども
それを美しく感じたりするかどうかは
結局のところ受容側の感性・心情次第。

イライラ怒っていれば、月が美しいなぁと
のんびり夜空を眺める時間も少ないでしょう。

まあ 思い悩むのも人間の特権なので
それはそれで拭い去るべき欠点とは
思いませんが…ただ「自らの内的心情が
外的状況を規定する」という意味では
満ち足りた明るい世界を想起した方が
生き易いかもしれませんね。。



秋の夜の 月の光は きよけれど
 人の心の 隈は照らさず



[後撰和歌集323・詠人知らず]の和歌で
西行の作品ではありませんが、知的です。

秋夜の月は清く輝くけれど、人の心の
奥底までは照らしてはくれない・・と。

恋歌として読むなら
「全てを明るく照らす月の光さえ、
 人の心の奥までは照らしてくれないから
 あの人の本当の思いはわからないよ。。」
という意味になるでしょうか。

個人的には 「全てを照らす清澄なる月光も
人の心の影までは明るく照らしはしない」
と、やや突き放した解釈で捉えたいですね。



社交辞令や建前上の応対で溢れているので
「人の本音」を読み取るスキルがないと
なかなか生きにくい世の中かも知れません。

まあ「本音」が全て分かったとしても
"それで減る"争いと "むしろ増える"争い
とでは量的に大差ない気も致しますけど。

事物のみならず人の心を含めた上でも
「自分が知覚する世界」というのは、
各々の心情に規定されるものなので

どうせなら楽しく過ごして参りましょう
というところで今回は終わります。

ちょっとおバカっぽい"締め方"ですけど
「何も考えない境地」に到達したのね…
・・と善解して頂けたら幸いです。


昨年10月は、芭蕉の
川上と この川下や 月の友
から、「つながり」を考えましたが
改めてお読み頂ければと思います。


それでは、今回はこの辺で。
ご訪問下さりありがとうございます!


posted by laluz at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2018年09月04日

2018年9月の始まり


皆さま、こんにちは。

2018年 第8番の月も過ぎました。
2018年の約67%を終えたことになりますね。

猛暑が続いたと思えば 大型台風が通過したりと
ご不便を強いられた方もおられると思いますが
これから少しは一段落できる秋の訪れを
感じることができるでしょう。

何はともあれ、充実された日々を
お過ごしであるようお祈りするばかりです。




なにごとも 変はりのみゆく 世の中に
 おなじかげにて すめる月かな



( あらゆるものが移り変わって行く この世界にあって
  変わらぬ光で澄み輝いている月よ。)




特に説明も必要ないシンプルな和歌ですね。
だからこそ洗練された清澄さが際立つというか。

説明不要といっても、時代背景は以前触れたように
激動の真下なので「何事も変わりのみゆく世の中」
というのは、我々の想像以上の実感覚と思います。

ただ、現代は現代で、激変する時代といえます
(技術・環境の変化は筆舌に尽くし難く、また
日本においては実感しないだけで政変・紛争
 などは世界各地で続いていますし…)


事象の把握も進んで、西行の時代よりは
「月」や「光」のことも分かって来ました。

芸術表現に際して無粋に興を削ぐ意図は
ありませんけれど、「月」の表面はボコボコ
特に月の裏側は…幻想的な月の印象とは
相容れないような異様・不気味なほどの
クレーター地表ということだったり、

月は「我々が見ている側」を常に向けたまま
回っていることも、現代では周知事実ですが
表側の"うさぎ模様"は地球の重力との協働で
出来たであろうことも分かってきました。

長い宇宙時間を考えるなら「月」さえも
変わって来ましたし、変わって行くもの
ではありますが、それらを踏まえた上で
なお「不変に清澄なる月光」というものに
思いを馳せることは 大切なひとときです。

(まあ…月光の源である太陽さえ寿命があるので
 「不変に清澄なる月光」というのも幻想ですが
 そこは瞑想上の癒しのイメージというか。)




ゆくへなく 月に心の すみすみて
 果はいかにか ならむとすらむ


(在るがまま 月に想いを馳せていると 心が澄んでいき
 この果てに私の心はどのようになってしまうのであろうか)



…というイメージでしょうか。
まさに月と同化している境地。

月と同化、と自分で言ってしまうと
lunatic(狂気の)な人に思われるでしょうけど。

(実際、月の引力は、潮汐だけでなく血流にも
 影響を与えると考えられて来ましたし、あながち
"月と狼男"的な逸話は嘘ではないでしょうね。)



ただ、互いに影響し合っているということは不変。

生活環境やシステムの細部は刻々と変化しても
物事の「核」「本質」というものは容易く変化
するものではありません。

今後、人工知能が地球の行方を差配するように
なったり 地球外に移住する…というような
"大きな変化"があっても、人間の本来持ち得る
徳性やら創造性の尊さは変わらないはずです。

それに比べれば"小さな変化"といえるような
受験制度や就職活動規制、災害による住環境変化
などにおいても、各々の本質を見誤らないよう
それでも「変わらないこと」の尊さを考えながら
実りある秋日を歩んで参りましょう。



昨年度「2017年9月の始まり」は「芙蓉(Hibiscus Mutabilis)」を
テーマにしていましたが、「変化と進化」という点で
相通ずるといえますので併せて読み返して頂けば。



それでは、今回はこの辺で。。

9月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。



(今月は世界情勢が許す限り 16日前後に
 もう1回更新できれば良いなと思っています)
posted by laluz at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾