2019年06月04日

2019年6月の始まり


皆さま、こんにちは。

2019年 第5番の月も過ぎました。
2019年の約42%が経過しましたね。


「ラルース進学塾」も皆さまの温かいご支援の下で
8年間という時を存在していることになりました。

毎年毎回に同じことを申し上げておりますが
どの年次にあっても有り難い時間で包まれました。
それもこれも、各方面各位のご厚恩を賜った故と
心より御礼申し上げる次第です。

昨年度も同じことを書いておりますが
「進学塾」というより「進学会」と称した方が
実態に適うところですけれど、


引き続きご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。





思ふこと みなつきねとて 麻の葉を
 きりにきりても 祓へつるかな


思い悩むこと全て消え去れと祈りながら、
麻の葉を細かく切って(水無月)祓をしたことだよ。



『後拾遺和歌集』所収
和泉式部の「六月祓をよめる歌」

毎年6月と12月の晦日に、諸人の罪や穢れを
祓い清めるため宮中や神社で行われる「大祓」。
6月の大祓は夏越祓(なごしのはらえ)・または
水無月祓(みなづきのはらえ)と呼ばれます。


1年の折り返しにあたる日に半年間の罪穢を祓い、
残り半年の無病息災を祈願するわけですね。

*「麻の葉を切り刻む」というのは、神々へ供えるほど貴重な物である麻を贖物(あがもの)・形代(かたしろ)として罪穢を祓うため切り裂く儀式に基づいています。


民間祭事では 輪越(わごし)祭りといって
茅(ち)の輪くぐりを行う御社も多くあります。
本来は旧暦準拠なので水無月といっても
西暦2019年だと7月31日に当たります。
(ただ 最近では1年の半分という趣旨から
新暦6月末に斎行する神社も増えています。)


「茅の輪くぐり」神事の由来については
「蘇民将来」(そみんしょうらい)の
伝説が元になっているようです。

この辺りの神事について考察していくと
すごい分量になるので今回は触れるのみで…。
*参照:夏越の祓の神事「茅の輪くぐり」のルーツ
(「世界の民謡・童謡」サイトへのリンク)



さて、神事では「唱え詞」を唱えながら
くぐるとされていますが、今回の和歌も
そのうちの一つです(神社によって変わるものの)

最も有名な「唱え歌」は、

水無月の 夏越の祓ひ する人は 千歳の命延ぶというなり
(『拾遺集』詠み人知らず)

この他には、

宮川の 清き流れに 禊せば 祈れることの 叶はぬはなし
(詠み人知らず)


私も幼少の頃は亡き祖父母に連れられて
旧暦水無月晦日の「茅の輪くぐり」に
行っていました。温かく懐かしい記憶です。

思えば祖父母には色々と教わりました、
(二人ともニコニコ微笑むだけですけど)
そのお陰で1億倍は人間的に大きく
なれたと今は安らかに思えます。

何となく思い立った時に立ち寄った神社は
お掃除をしていたりしますが(大きな神社は
ともかく)小さな祠・社の場合そこまで日々
手入れされていないので、掃き掃除をするだけでも
達成感あって気持ちが良いものです。

(そういう時は、人払いされて誰も入って来ないのですけど
大抵 不思議な動物が遊びに来てくれるので 楽しみでもあります。)



というか 自分ひいては人間の中にある
罪過(どんなに些細であっても)を
祓い清める気持ちで掃除をすると
実際すがすがしいものですし。

自室(正確には書斎・研究室)の
掃除も2月くらいから少しずつ進めて
ようやく整う算段がたちました。
(業者の方など数多の有難き助力の御陰です)


あらゆる執着を捨てて、どこまで
キレイさっぱり「無」になれるか
というのが最近の「娯楽」です。

といっても無関心という姿勢ではなく
どんな些細なことさえも(風の音とか)
ワクワクしながら生きています。

まあ、このように達観して思えるのも
物欲世界で十二分に満足できたからだと
思いますが、それもこれも全て御高徳なる
関係諸氏の温かいご支援の御陰です。



ちなみに、異説もあるのですけど
「ケガレ=氣枯れ」と捉えるのは
個人的に好きな解釈です。

死=汚れ なのではなく、
死=氣が枯れた=ケガレ です。


心身の疲労・ストレスによって
生気(精気)が衰えている状態こそ
ケガレであって、だからこそ心身を
リフレッシュして英気を養うのですね。

6月末で2019年も半分経過、
蒸し暑く呼吸も乱れる頃合です、

元気が枯れないよう しっかりと
(心身とも反省すべき点があれば改めたり)
リセットしつつ充実させていきましょう。


兎も角も 長くお付き合い下さっている方々だけでなく
あらゆる面でご支援下さっている各方面の皆々様に
改めて8周年の感謝を申し上げる次第です。


8周年ということでお祝いのお言葉を
ご丁寧に下さった方々には重ねて御礼申し上げます。

9年目も輝かしい出会いに充ちていることを
皆さまと共に 心から喜びたいと思います。



いつも本当にありがとうございます!


(今月も情勢が許せば 16日前後に
 もう1回更新しようと思っています)

posted by laluz at 16:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2019年05月04日

2019年5月の始まり



皆さま、こんにちは。

2019年第4番の月も過ぎていきました、
2019年の約33%が早くも経過したことに。

…と、続きは5日中には
更新できていると思います。

毎月4日にはアップしているところ
今回はちょっと間に合いませんでした。
ご訪問下さった方ありがとうございます。

お手数おかけしますが
後ほど改めて…宜しくお願い致します。



さて、 「2019年5月の始まり」の続きです。
元号も新たになり、祝賀ムードの日本ですね。

令和典拠は『万葉集』巻五 梅花歌の序文
です。「ラルースの塔」の年頭挨拶では
『万葉集』からの引用が多いですが、

この2019年年初はまさに巻五の梅花歌
815番
を添えました
ので 個人的には
微笑ましい縁を感じる元号となりました。

国書典拠といいながらも漢籍『文選』にも
繋がり得る点で(『文選』は元号典拠として高実績です)
今までの伝統・様式を 根底では逸脱させず
革新に踏み込んだ流れは お見事です。

「新しい時代の幕開け」というほど大げさに
構えるほどではないと思えるのも平穏な国の証。

何はともあれ 各々にとって素晴らしい時を
進めて行ければ それこそが至上です。


というわけで、今回は『万葉集』から。

この流れについて「フッ…先生ともあろう方が
ここで万葉集から引用とは凡俗の極み。他者に
予測できないことを行うというのが信条では?」
と勝ち誇る教え子もいるかもしれません。

しかし、ここで万葉集から逸れると
「おやおや…万葉集から離れるとは読み通り」
という知己もおりましょう。。と、
どうでも良い茶番はさておき、




梓弓 春山近 家居之 續而聞良牟 鴬之音

梓弓(あづさゆみ) 春山近く 家居らば
   継ぎに聞くらむ 鴬の声



『万葉集』巻十1829番・作者は不明。
万葉仮名の訓読みについては
他の可能性もありますが、とりあえず。


梓弓(あずさゆみ)は、古くは神事や出産などの際、
魔除けに鳴らす弓(鳴弦)として使用された
梓(アズサ)の木で作られた弓のこと。
春(張る)、引く、射る etc.を導く
枕詞(まくらことば)でも用いられます。

枕詞として訳出しなければ

春の山に近くに住んでいるから、
絶えず聞くのでしょうね 鶯の鳴き声を。



・・という意味合いですね、
何でもない のどかな春の情景です。


私の寝室のすぐ裏手の木々でも
ウグイスが毎朝歌って春眠を包んでくれます。

すごくキレイな美声で鳴く子もいれば
不器用というかお下手だけど頑張っている
子もいて、それぞれ個性的な歌声です。

(ウグイスは、ホトトギスに托卵されますが
 自然の摂理とはいえ、しっかり防衛しながら
 ウグイス各々の遺伝子を無事に残せるよう
 優しく祈るばかり。)


ともあれ、鶯は吉兆として尊ばれ
その排泄物も美容に用いられるほど
古くから人間に愛されてきた鳥です。

新元号の神事に魔を払う弓を張る春の日、
人々に吉兆をもたらすウグイスたちも
寿ぐように歌っている、という情景を
想起しながら5月のご挨拶と致しましょう。


そうそう、吉兆をもたらす鳥と言えば
先日キジをみました!

さすがに自宅周辺ではなく
あるお社に向かう道中で野生の雄雉に遭遇。

「啼く雉」は不吉な兆しとも成り得ますが、
眼前を優雅に歩いていたので目を見張りました。
(赤青緑メインに全体が虹色に輝くような…
雉ってこんなに美しいんだなぁと。)


ちょっとオカルトじみた内容になりますが
神様に呼ばれた者しか辿り着けないとか
言われるやや伝説めいたお社です。

直前まで場所どころか名前さえ知らず、行こうと
計画していたとかでもないのに直前2日前ほど
なぜか近くに行く流れで引き寄せられたという印象です。

数年前まで案内板もなかった上どこにあるのか
分からない山奥にあるのは事実ですが、現在では
googleマップにも表示されますし ナビ精度も
格段に上がっているのでその場所に辿り着くこと
自体はさほど難しくないように思います。

「呼ばれた者しか辿り着けない」という真意は
そのお社の場所自体ではないと今は分かります。

再建された新しい社に参拝するだけでも
十分と思いますが、離れに点在する結界を
経由して行くことで「大きな偉力」が訪れます。

山道の分岐が何箇所かあって その都度
「いや こっちが先ではない気がする」と何となく
引き返したりしたので それが「呼ばれる」ということかも。

ネット情報からすると眉唾物かなと盲信することなく
訪れたわけですが 実体験からすれば「本物」でした。

完璧に「人払い」して下さった上、御神木に着くと
木ノ葉が紙吹雪のように壮麗に舞い散る歓待を賜ったかと
思えば、頂きでの不思議な現象を動画に撮ろうとすると
(雲一つない蒼天なのに)すごい突風(旋風?)で
スマホを仕舞うまで吹き飛ばされそうになったりと
「優しくも厳しい大いなる自然」との対話そのものでした。

20190500.jpg

2019050.jpg


…と月初めのご挨拶から逸れましたが
(これで万葉集の引用だけで終えずに済みました)
平成最後の4月には伊勢の神宮に、
そして令和の始めには不思議なお社に
お招き頂けたのも有難いご縁です。

長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々の諸々の御配慮にも
併せて深く感謝申し上げます。


新時代の緑風が清々しい5月も 至福の時でありますことを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。



(今月も世界情勢が許す限り 16日前後に
 もう1回更新できれば良いなと企んでいます)



posted by laluz at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2019年04月04日

2019年4月の始まり



皆さま、こんにちは。

2019年 第3番の月も過ぎていきました、
2019年の約25%が早くも終えたわけですね。

(昨年も同じことを書きましたが)
1年の4分の1といって長いか短いか
感じ方は各々の時間感覚によるものの、
いずれにせよ 新しき「期」を
心機一転 楽しんで参りましょう。



見わたせば 柳桜を こきまぜて
 都ぞ春の 錦なりける




素性(そせい)の和歌(『古今和歌集』巻一56)

桜が咲き誇り、日本においては入学入社など
新しい舞台に進む方も多い晴れやかな時季。

柳など草:樹も優しい緑を輝かせながら
人々の陽気に呼応しているかのよう。

種々の色糸を用いて華麗な模様を織り出す
"錦"のように鮮やかに時空を彩る情景。

桜と緑が溶け合う優雅な風合いは
日本では馴染み深く愛されてきました。

「桜」の花言葉は "精神の美"
( 品種でも異なってきますが、
概ね "優美・純潔"といった感じ)



「柳」の花言葉は "従順・自由"

「シダレヤナギ」の花言葉は "悲哀"
学名(Salix babylonica)が示すように

By the rivers of Babylon, there we sat down, yea, we wept, when we remembered Zion./ We hanged our harps upon the willows in the midst thereof.
(Psalm137:1-2) King James Ver.

と、『詩篇137』の「シオンを思い出して涙を流し、
バビロン川のほとりのやなぎに琴をかけた」節に由来。
それゆえ?英名は Weeping willow

ただ、当時のバビロン川付近で枝垂柳は生育
していなかったそうで New International Ver.
(新国際訳)では" There on the poplars
we hung our harps,"とポプラになっています。
(ポプラ= ヤナギ科ハコヤナギ属)

それを含めて悲哀・哀愁を感じますね…
ヤナギ論の脱線はこの辺にしておいて

素性法師の時代には「花言葉」として
編纂されてはいなかったでしょうが
ある程度共有できるイメージはあるはず。

自由あるいは悲哀の"糸"と
精神の優美さの"糸"が織り成す
"錦"で 人の世が彩られるなら
それは趣深しと思います。

仏教用語で「因縁」とは
「物事はすべて その起原(=因)と、
 果を結ばせる作用(=縁)とによって
 定められていること」を意味しますが、

各々「因と縁」を横糸・縦糸のように
上手く紡ぎながら、自ら出色の運命を
織り上げていくことにも通じますね。



新年度・新学期ということで
小中高校・大学・大学院あるいは
企業等各組織の新たな舞台において
今後、時を経るにつれ期待・予想に
反した事態に陥る時もあるかしれません、

それは、自らの思い描く設計図から
かけ離れたように感じるもありましょうが、

因と縁、縦横の織糸を扱うが如く
ムリに固執して乱雑に絡ませないよう
素材を殺さず 互いを活かすよう
自ら適宜修正を施していけば、

結果的には当初のイメージより
深みある作品が生まれていくもの。

精神的に若い時期はそれこそ
悲哀・憎愛といった色地も出てくる
でしょうが、それはそれで作品の一部。

素晴らしい創造の季節を
気兼ねなく謳歌して参りましょう。



それでは 今回はこの辺で。

長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々の諸々のお心遣いに
いつもながら深く感謝申し上げます。

春光が新たな創造の歩みを祝う4月
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます!


(月2回目更新は11月以来行っていないので
 運命が許す限り16日前後に1つ挙げたいです…)

posted by laluz at 14:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2019年03月04日

2019年3月の始まり



皆さま、こんにちは。

2019年第2の月も過ぎていきましたね、

毎年この時期には触れておりますけれど
個人的な節目となる誕生月・如月を見送り、
創造の光に照らされる時季を迎えました。

長いお付き合いをさせて頂いている皆様、
日々支えて下さる方々の諸々のお心遣いに
いつもながら深く感謝申し上げます。




朝夕に 花待つころは 思ひ寝の
 夢のうちにぞ咲きはじめける



(朝夕に花が開くのを待つ時期は、それを思いながら寝た夢の中では花が咲き始めているものです。)



『千載和歌集』巻第一41 崇徳院の和歌。

崇徳院=崇徳天皇は 2018年6月の始まり
で触れたように待賢門院璋子の第一子。

満3歳7か月で天皇として即位し、
22歳で譲位(させられる)。上皇と
なった後も鳥羽法皇に実権を握られ
法皇崩御後 保元の乱で讃岐に配流、
45歳で崩御…という波乱の生でした。

和歌の世界へ 心を注がれたのも
不自由な現世で吐露できない内心や
情熱を表現したかったのかも知れません。

…という背景知識は、鑑賞には不要な
先入観とも成り得ますけれど。

ともあれ、朝な夕な桜が開くのを
待ちわびている頃は、寝る時もそれを
イメージしているせいか夢の中では
すでに咲き始めているのですよと。

「思い寝」という語句には
恋する人のことを思いながら
寝るというニュアンスもあるので
優しい春の恋歌とも読めますが、

その辺りは「花・思ひ・咲き始め」
というところに何をイメージするかで
各々捉え方は自由で良いでしょう。

個人的には「深奥」「真理」に繋がる
叡智そのものだなぁと感じています。

「自らイメージすることができるものは
 全て現実である」と数多の名言でも
示唆されていますように、

人間の「想像力」は表音通り
「創造力」でもあります。

まあ、この辺りのお話は今までも
適宜触れてきたので繰り返しませんが、
良くも悪くも「思考」は現実化します。

朝な夕な 自ら意図する展開を念じ
寝る時さえイメージしているなら
夢(無意識)の中では事態は
確実に動き始めているのですよと。




引き寄せて 結べば柴の 庵にて
 解くれば元の 野原なりけり



全ては「そこかしこ」に用意されていて
あとは上手く庵のように引き寄せて結ぶのみ。

智力というかコツがいるのは「結び方」。
まあ 解けたらまた結べば良いだけですけど。


受験生にとっては人生を左右し得る試練が
2月にありましたが 各々の理想・志望を
力強い意志で現実のものとされんことを
心からお祈り申し上げるばかりです。

それでは、今回はこの辺りで。


慈愛に満ちた春の光が
生命を優しく育み始める3月も
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます!



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2019年02月04日

2019年2月の始まり



皆さま、こんにちは。

2019年の初月が過ぎていきましたが、
皆さま 益々ご清栄のことと存じます。

(「新年の誓い」…2018年に引き続いて
未更新のまま時宜を過ぎてしまいました。
今年はどうかな?とチェック下さった方には
お手数だけおかけして、すみません。)


2016年以来の「新年の誓い」記事更新ならずも

( 正確には「書いていた」のですけど
特別参拝に関して頂く御質問等に触れて
やや深入りした内容になってしまい
そのままお蔵入りしたといいますか、)


元日の恒例儀式として「精神を純化する」
神宮参拝を今年も終え 2019年の至高の日々と
来る2020年の開幕に御礼申し上げた次第です。

神宮には1年(或いは生前全て)の感謝を
申し述べに参りますが、その意味合いと等しく
皆さまにも 心からの御礼を申し上げます。


去る1月は センター試験・成人式と、
人生の節目となる行事がありましたけれど、

どのような経路にせよ 確かな志がある限り
目的地へ近づいているのは間違いありません。

節分を経てまた新たに与えられる日々が
充たされたものでありますように。



さて、2017年までは芭蕉の句を引用し
2018年からは西行法師の和歌から…
という流れでしたが、2019年は
特定せずに引用しようと思います。



雪のうちに 春はきにけり 鶯の 
 こほれる涙 いまや解くらん



(まだ雪の残っているうちに春が来ましたね、
 春を待っていた鶯の氷った涙も今は溶けているでしょう。)




『古今和歌集』巻一4番・藤原高子の歌です。

二条后の春のはじめの御歌 との詞書。
二条后=藤原高子(ふじわらのたかいこ)は
清和天皇の后で、陽成天皇の母(842-910年)。

『伊勢物語』における、在原業平との
恋愛物語でも有名な御方でしょう。

白玉か 何ぞと人の 問ひし時
露と答へて 消えなましものを


(あれは真珠?何?とあなたが聞いた時に
露というものですよと答えてそのまま私も
露のように消えてしまえばよかったのに。)



この『伊勢物語』の箇所は教科書等で
習う方が多いとは思いますけど、
藤原家としては皇后とさせたい高子を
業平との恋路などで無にする訳にはいかず
無理やり引き裂くという場面ですね。

…と、この辺りの背景、その後の展開を
踏まえてみると また違った意味合いを
読み込めましょうが、シンプルに捉えても
それはそれは 優しい歌だと思います。


2018年の世相を表す漢字が「災」と
なったように、多くの涙が流された
年でもありました。

2019年立春を迎え、冬に凍った涙も
溶け出されて、慶事には笑い涙と
変わっていけるよう願うばかりです。


既に春の陽気を麗らかに感じておられる方も
厳しい寒さの中を 頑張っておられる方も、
新しい春の巡りに際し、各々の「雪解け」が
雅に訪れる日を 祝福下さいますように。

適時適切に為すべきことを為していれば
自然の摂理に従って 雪が溶け出ずるように
各々の目指すべき道も湧き出ずるでしょう。



それでは、今回はこの辺で。

掛替えなき2月の日々もまた
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます。


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2019年01月04日

「2019年」の始まり



年頭にあたり、謹んでご挨拶申し上げます。

旧年中は並々ならぬご厚情を賜り、御礼申し上げます。

本年もご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します。

 




 
正月立ち 春の来らば かくしこそ
 梅を招きつつ 楽しき終へめ
  




武都紀多知 波流能吉多良婆 可久斯許曽 烏梅乎乎<岐>都々 多努之岐乎倍米

むつきたち はるのきたらば かくしこそ うめををきつつ たのしきをへめ


(正月になり春がやって来たなら、今こうしているように 梅を寿ぎつつ楽しい時を過ごしましょう。)


「万葉集 巻第五 815番」大弐紀朝臣男人の歌。

現代日本の暦では 梅の花は少し先ですが
梅を愛でるに早いも遅いもありませんよね。

折りに触れ 述べていますけれど…

せいぜい数十億秒の人生です、
何気ない事象にさえ幸運の訪れを感じつつ
どうせなら楽しみながら生きて参りましょう。


この2019年という尊い月日を通して、

幸運とは思えない試練の期間もあるでしょうが
達成時の至上の幸福感をイメージしながら

周囲ともに楽しんで行かれますように。




それでは、年頭のご挨拶まで。

皆様の益々のご清栄を、心よりお祈り申し上げます。



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2018年12月31日

2018年の終わり


皆さま、こんばんは。

いよいよ2018年を見送って、
2019年を迎えることとなりました!

(12月中旬は更新できず仕舞いで 一応チェック下さった方には申し訳ありません…)

2018年の日々も 皆さまには
公私にわたって大変お世話になりました。

毎年毎回 同じことを申し述べておりますが
2018年も有り難い日々を過ごせましたのも
ひとえに皆々様の温かいご支援のお蔭と
ただただ感謝するばかりです。



あたらしき 柴のあみ戸を たちかへて
年のあくるを 待ちわたるかな



2017年に続いて 西行法師の歌です。

柴の網戸を新しく立て替えて、新年が
その新しい戸を開け訪ねてくるのを待ちわびています。


…と、新年が「明ける」と「(戸を)開ける」
とを掛けた ほのぼの優しい和歌ですね。

大掃除やらで身の回りの整理をされた方も
そうでない方も、少なくとも「精神」は
一新して2019年の訪れを心待ちに。

2018年が万事順調だった方も反省点が
多かった方も、2019年は素晴らしい日々
になると確信とともに寿ぎましょう。


兎にも角にも 2018年の終わりに際し、

私と時間を共有している生徒さんやご家庭、
関係諸子の方々全てに心から御礼申し上げます。

この1年間の御高恩に対する謝意を
言い尽くすことはできませんが…
2018年も本当に有難うございました!


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