2017年07月02日

2017年7月の始まり


皆さま、こんにちは。

2017年 第6番の月も過ぎました。
2017年の約50%が過ぎたことになりますね。

強大な太陽エネルギーを肌身に感じてくる季節、
皆さまお変わりなく充実されておられましょうか。



合歓の木の 葉越しも厭へ 星の影   芭蕉

(ねむのきの はごしもいとえ ほしのかげ)



意訳・解釈は後に回すとして・・二つの星が逢いに来る七夕。

旧暦本来の時期としては2017年08月28日ごろですけど
新暦ベースの7月7日という時機で今回も取り上げてみます。

(昨年7月も「雨中天」の句を取り上げていますし)

「織姫と彦星の夫婦が1年に1度の7月7日だけ
 会うことを 天帝に許されている」日です。

夏の大三角形でご存知のように 織姫は「こと座のベガ」
彦星は「わし座のアルタイル」とされています。

(七夕伝説の由来も興味深いですが、今回はさておき)

地球からの距離はそれぞれ約25光年、約17光年、
2星間の距離はおよそ14.5光年と観測されています。

物質の速度は光速(299,792,458 m/s)を超えない
というアインシュタイン相対性理論に従う限りでは、
14.5光年の超遠距離恋愛で二者が会うには7年以上必要。



ゆえに1年で1回逢うことは不可能。Q.E.D.(証明終了)
という冷静奇特な方もおられることでしょう。

ただ・・まあ人間目線で「星が近づく」比喩ですし
「愛は光速を超える」という視点でゆったり考えますと。

人間目線で考えるなら人間尺度で換算しないとおかしい!
ということで言えば、織姫と彦星たちの寿命は約10億年。

人間の寿命を100年とすると、織姫と彦星は人間に比べ
単純に1000万倍も長い寿命ということになりますね。

「1年に1回」も1000万分の1で考えるのが公平?
と計算すれば「1年」の1000万分の1は「約3秒1557」。

人間尺度で改めて考えてみると、織姫と彦星の2人は
人間世界的に「約3.2秒に1回逢っている」ことになります。

まあ…ずっと一緒にいるようなものですね・・
むしろどれだけ愛し合っているんだ?って程に。

厳密に言えば「3.2 秒に1回0.0086秒だけ逢える」
ですけど、その辺りはまあ瞬きレベルの誤差と言えて…

いやでも、3.2秒毎と言っても現実に知覚できないなら
それはやはり逢えないに等しいか…むしろツライかも?

天帝は言いました。「1年に1回だけ逢うことを許す」と。

その意味するところ「お前たちの寿命は長い。要するに
ずっと一緒にいていいってことだ」かもしれません、

ただし、実際に見ることも触ることも出来ない。
想える「愛」だけが絶えずしてそこに在る、と。
肉体を超えた星たちの愛の形としては真理かも?



・・という感じで七夕の2人をどのようにみるか
距離・時間尺度の違いでニュアンスも変わるわけですが
今回の句も「厭え」を介して2つ解釈が成り立ち得ます。

1つは、なかなか逢えない2人が1年ぶりにやっと
逢えたのだから、ネムの葉越しであってもじろじろ
見てあげてはいけない そっとしておこうではないか
という我々人間に対して「厭え(遠慮しなさい)」と
温かく見守るスタンス。

もう1つの解釈は、ネムの葉越しといえども
よく見えてしまうから隠れて逢瀬を重ねて下さいね…
という2つの星たちに「厭え(遠慮して下さい)」と
投げかけているスタンス。


3.2秒ごとに逢っている=ずっと一緒にいるという
感覚なら後者の解釈もなかなかに頷けましょう。
愛し合うのもいいけど人目を憚りなさい…的な。

とはいえ、芭蕉の感覚的には前者の意でしょうね。
七夕だー!と衆人がこぞって2星を注視している中
皆さんそっとしておいてあげようという優しい句です。

後回しにした句訳を付すなら…


「合歓の葉越しにも覗き見して1年越しの
 語らいを妨げないように。(稀有な逢瀬に
 歓喜している)星は影さえ美しい。」


こんなニュアンスでしょうか。


ちなみに和名のネムは「夜になると葉が閉じること
(就眠運動)に由来し、漢名の「合歓木」は、
中国においてネムノキが夫婦円満の象徴とされて
いたことから付けられたとのこと(Wikipedia)。

香りは桃のように甘く、花言葉は「歓喜」「安らぎ」。



合歓(ネム)の語つながりで書くと 昨年オープン当初に
滞在したAMANEM は「合歓の郷」内のアマンなので
アマネム:歓喜・安らぎの地という意図でしょうね。
滞在時はサミット準備で物々しい周辺警護でしたけど。


20160428_155906.jpg

ベランダ(縁側?)の開放的なレストスペース。
波や風の音、そして星たちの優しい光を感じながら
ネムネムできます。世俗から離れて過ごすには良い空間。



人の世にあって、愛する人と共有する時間は
かけがえのないもの。家族・伴侶・恋人etc.
それらがどのようなカタチであったとしても
距離・時間尺度はあくまで相対的なものです。

常に一緒に居られる幸運にあるならば、
それがまるで1年に1度の逢瀬の如くに
貴重なものでもあると お互いを思いやり、

物理的・心理的に遠く離れた関係であっても
(先に逝かれてしまった場合を含めて)
愛は物理法則を超えて「常にそこに在る」と知り
相手の存在(或いは非存在)に敬意を払うこと。

そんな感じで、支えて下さる方々に
「歓喜」の気持ちで接して行かれますように。

各々それぞれ10億年ごしにやっと逢えた2星かも
しれませんし、壮大なスケールで生きていけば
俗世の小さなことなど互いに笑い合えるはずです。



というわけで、今年も「七夕」テーマのご挨拶に
なりましたが、皆さまとのご縁も稀有な出会いと
常々感謝申し上げているのは変わりありません。

蒸し暑い季節こそ、周囲の暑さを打ち消すほどの
歓喜の躍動で7月も楽しんで下さいますように!


7月も素晴らしい出会いで充ちていることを

皆さまと共に心から喜びたいと思います。



いつも本当にありがとうございます。


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2017年06月04日

2017年6月の始まり



皆さま、こんにちは。

2017年 第5番の月も過ぎました。
2017年の約42%が過ぎたことになりますね!



「ラルース進学塾」も皆さまの温かいご支援の下で
6年間という時間を存在し続けていることになりました。

毎年毎回に同じことを申し上げておりますが
どの年次にあっても有り難い時間で包まれました。
それもこれも、各方面各位のご厚恩を賜った故と
心より御礼申し上げる次第です。

「進学塾」というよりは「進学会」とでも称した方が
実態に適うというところでありますが、、個人的な
繋がり・ご紹介によるご依頼ご相談がほとんどの故
特に支障もない限りこのままにしておきます。


引き続きご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。





命なり わづかの笠の 下涼み   芭蕉


(命をまさに感じるものだ。西行が歌に詠んだこの地で、
笠の下に涼を得ていることに。)



次の西行法師の歌(新古今和歌集)を踏まえた句です。


年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山


(年老いてから再びこの山を超えることができるとは、いや
思ってもいなかった。佐夜の中山を越えることができるのは
今まさに命があるからこそだな。。)



当時、関東に抜けるには、鈴鹿峠(三重)・
佐夜の中山(静岡)・箱根峠(神奈川)という
東海道の三大難所を越えなければなりませんでした。

晩年、難所の山を再び越えることができるのも
無事に生きてこられたからだという「命」への
有難み・喜びをシンプルに謳った句です。

この西行の句を受けて、芭蕉は同じ地で
「わづかの笠の下涼み」に「命なり」と
生命賛歌を同様に詠んだのでした。


シンプルで美しい句を、殊更に「人生訓」の
ように語るのは無粋とは思いますけれど、

晩年、人生を達観する領域に在っては自然と
このように「命なり」と謳えるのでしょうね。


優しく降り注ぐ雨に「水」を感じ、
情熱的に照らす太陽に「火」を想い、
ふっと通り過ぎる風に「大気」を感じ、
我々を重力で抱き寄せる「大地」を想えば、

あらゆる生命は本当に様々な「基・礎」の上に
紡がれてあるなぁと自然と感動を覚えます。

外的のみならず、内的にも観念できる
水・火・風・地 という構成要素たちが
それぞれ精妙なバランスを保ちつつ
心身を脈動・躍動させている「今」を想うと
まさに「命なりけり」の心持ちでしょう?



この世で観念できる「組織」は概ね様々な階層ごと
適切なバランスを取りつつ動くことが想定されています。

微小組織におけるバランスを無視して
とりあえず大きな枠組みでのバランスのみを
図るということは往々にありますが、
小さな歪みはやがて大きな亀裂となって
枠組みを歪めてしまうことは必然の理です。

ここで…と、更に展開していくと今回のテーマから
やや脱線してしまいそうなので、強引に話を戻します。

この「小さな歪み」の話のつづきは近いうちに改めて。
具体的には?…遅くとも今月15日までには書きます。
ご興味がある方はその辺りで一度チェック下されば。




現代の社会においても各々にとって「難所」と
いうべき局面に入ることはあることでしょう。

難関を越える!自分の限界を超える!と
日々研鑽している学生諸君はもちろん、
人世への貢献に繋がる日々の重責・任務に
粉骨砕身されておられるご父兄各位も、

ふっと力を抜いて水分補給できる瞬間を讃え
深呼吸をしながら大気の流れを取り込みつつ
ご家族や先人たちの導きの火で大いなる地を
歩めることを歓喜なさって下さいますように。

自分の意識が「生命への歓喜」に満ちていれば
外的・内的な礎たちは、在るべき完璧なバランスを
引き寄せ合って、活力や閃きも不思議と降りてきます。

実社会でどのような「組織」に属しているか問わず
少なくとも「自らの心身」組織については各々こそ
最高責任者であり、統率者であり支配者ですので
構成因子たちが喜びに満ち満ちて、身体組織が
完璧なバランスで運営されることを楽しみましょう。




兎も角も 長くお付き合い下さっている方々だけでなく
あらゆる面でご支援下さっている各方面の皆々様に
改めて6周年の感謝を申し上げる次第です。


6周年ということでお祝いのお心遣い・お言葉を
ご丁寧に下さった方々には重ねて御礼申し上げます。

7年目も輝かしい出会いに充ちていることを
皆さまと共に 心から喜びたいと思います。



いつも本当にありがとうございます。



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2017年05月05日

2017年5月の始まり



皆さま、こんにちは。

2017年第4番の月も過ぎていきました、
2017年の約33%が早くも経過しましたね。。


*先月に書きとどめておりましたようにサイトアドレスが
 変更になっています。この文章をご覧になっておられる、
 ということは改めてご案内する必要ありませんけれど。
「更新に代えて」など内容のない記事は削除しました。

 また、URL変更に伴って、コメント・トラックバックは
 失われてしまいましたので、以前コメント等下さった方には
 心苦しく 申し訳ありませんが、ご理解下されば幸いです。

 それ以外は何も変わりませんが、
 改めて宜しくお願い申し上げます。。



・・・というわけで、
年の3分の1の時間を終えたわけですけれど
第2節目の4カ月も至福の日々を過ごして参りましょう。




しばし間も 待つやほととぎ す千年   芭蕉


(しばしまも まつやほととぎ すせんねん)


(ホトトギスの鳴声を今かそろそろかと待つ時間さえ、
数千年も経ったかと思うほど長く感じられるものだ。。)




この4カ月を一瞬に感じる方も多いと思います半面で、
日々の一瞬を非常に長く感じる経験もおありでしょう。

必ずしも最近でなくとも 今までの人生において
重要な発表や回答・返事を待つような場面では、
少しの時間さえ長く感じた…というような。

「時間」とは本当に不思議なものです。

先端の物理学においてさえ「時間」の本質に
ついて見解が一致しているわけではないので、
(そもそも「本質」というものさえあるのかどうか…)

各々の世界観に最も整合・適合する「時空観」こそ
至上のモノとして捉えればそれこそ是と思いますが、

ともかく「思考」は時空の限界に束縛されませんので
時間の流れが主観的に伸長していくのも必然です。

…と、ちょっと分かりにくい表現ですね。。
まあ、この辺りは適当に読み流して下さい。


句に戻りますと、ホトトギスが啼く季節、
耳を立てて鳴声に意識を集中していると
そろそろ鳴くかな…と思っている時ほど間が空き
おやおやなかなか鳴かないものだな…と思ったりと
そんなちょっとの間も数千年の長さにも感ずるものだ
と、初夏の風情を詠んだのんびりとした句です。

「待つ」は「松」に掛かり、「千年の松」も含意します。

ホトトギスが鳴いている情景のうちには、
古い松の木たちも溶け込んでいるのでしょうか。

ホトトギスが「鳴いていない」その静寂の間、
千年の松はしんと佇んで、鳥たちを見守っている、
そんな壮大ながらも涼やかな彩りが浮かんできます。



「有」「無」の基盤は、観察者の意識の向き方でしかなく
全ては最初からただそこに「在るべくして在り」ます。

ホトトギスの鳴きやんだひと時の静寂においてさえ
「悠久なる数千年」に通ずることが出来ます。


Live as if you were to die tomorrow.
Learn as if you were to live forever.


(明日死ぬと思って生きなさい。
 永遠に生きるかのように学びなさい。)



…と、ガンジーは述べました。
(以前も取り上げましたけれど)


大切な存在(人・モノetc.)と共有する時間は
僅かな時でさえも、悠久の流れで出会った必然に
互いに感謝しながら思いやり、

出来れば避けたかった試練・苦難を耐え忍ぶ時間は
人世の時の流れなど宇宙のペースでは無視できる誤差と
笑い飛ばして、来るべき歓喜のイベントを今か今かと
ワクワク楽しんで待てばよいだけです。

日々の何気ない一瞬にさえも永遠に繋がる叡智が
宿っていると気付いて、時間を優しく律することが
出来れば、もう人生を卒業したようなもの。

残りの人生はボーナスステージですよね…


…と、そんな感じでホトトギスの鳴き声から
数千年の時まで包み込む 芭蕉の句でした。


あらゆる出会いの中で必然に導かれたまま
長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、

新しくご縁ができた方々からのお心遣い諸々に
毎月のことながら感謝を述べさせて頂きます。


優しい緑が照り映える5月も至福の時で充ちていることを
皆様と共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます!




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2017年04月03日

2017年4月の始まり



皆さま、こんにちは。

春の日差しが心身ともに心地よい季節、
素晴らしい日々をお過ごしのことと存じます。

2017年 第3番の月も過ぎていきました、
2017年の約25%が過ぎたことになりますね。

1年の4分の1…といって長いか短いかは
各々の時間感覚によりましょうが、心機一転
各々にとっての新「期」を楽しんで参りましょう!

(2016年4月と全く同じ冒頭部ですけれど…)



初桜 折しも今日は よき日なり  芭蕉


(折りしも桜が開き、今日は素晴らしい好日です。)



貞亨5年(1688年)春、伊賀上野の薬師寺。
芭蕉門下らが月例句会を立ち上げた設立会の席で。
「境内にはちょうど初桜が咲き、句会の発足という
今日に相応しく素晴らしい日です」と詠んだ句。


現世においても、新しい門出を寿ぐように
桜の花たちが顔をのぞかせてきていますね。

新しい生命たちも 遍く歓喜の声に誘われて、
興味津々で芽吹く、そんな優しい季節です。

各々が立ち回る舞台は様々異なりましょうが
新入生・新入社員・新役員etc..心機一転して
新たな歩みを進まれる方も多いことと思います。

入学式、入社式、新任・着任式etc..と
式礼典が催行され、「祝祭」を実感する季節、

新天地にあっても皆様にとっての「良き日」が
用意されていますことを、心からお祝い申し上げます。



ただ・・もし「初桜」でなかったとしても
俳聖は「よき日なり」と感じていたはず。
「桜が咲いていたから」良い日だという、
そんな安直な思考領域にいない44歳の芭蕉。


「日日是好日」(にちにちこれこうにち)

この領域にあろうとしていたことでしょう。


十五日已前不問汝、十五日已後道将一句来。
自代云。日日是好日。(『碧巌録』第六則)


中国唐時代の雲門文偃(ぶんえん)禅師の言。

「これまでの15日間のことは問わない、
これからの15日間について一言で言ってみよ」
と問い、自ら答えて曰く「毎日が好い日だ」と。


禅語として有名ですが、真意は深いです。

「好日」対「悪日」ではなく、善・悪、
良・不良、快・不快…といった人間の持つ
「相対的価値判断」への囚われを超えて
(仏教的には分別執着の心を一切取り払い)、

それぞれの日々が最高最上の日であって、
かけがえのない一日であることを悟れた
清らかで安穏なる境地を示しています。

人生においては、平穏無事・無病息災・家内安全・
立身出世して前途洋々…といった時期ばかりでは
ないでしょう。そんな試練・逆境の時にあっても
その日は二度とない一日で、唯一無二の時間。

どんな状況にあっても与えられた「時」を
全霊で向き合い、受け止める意識があれば、
まさに「日々が是れ好日」に至るということ。

「今」の本質は「自分そのもの」であり、
「自分」の本質は「今そのもの」に他ならず。

自らの時間にどう向き合うかはまさに自分次第、
外的環境・条件の変化に一喜一憂するのではなく
自らの時間を主体的に律し、時の流れを味わいながら
自らで「好日」を見出して行かなければならない。


そういった教えが込められた禅語です。

(「深い」というのも相対的な尺度ですけど
  本当はもっともっともっと深いです…
 「時間」について探究する必要がありますし)


と、あまり説法ぽいのも祝意を削ぐのでこの辺で。


文字通り「祝意」に満ちる季節でありますが、
眼前に桜が咲いていない時期であったとしても
眼に見えない「新たな芽吹き」を心で感じながら
自らの「好日」を日々創造して下さいますように。


長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々の日々のお心遣いに
毎月のことながら感謝を述べさせて頂きます。


春陽麗和の好日・好季節、知的な出会いで充ちていることを
皆様と共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます!




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2017年03月04日

2017年3月の始まり



皆さま、こんにちは。

2017年第2の月も過ぎていきましたね、

毎時この時期に書き触れておりますけれど
個人的には感慨深い誕生月の如月を見送り、
優しい創造の光に包まれる時季を迎えました。


受験生にとっては人生を左右し得る試練・関門が
2月にありましたけれど 各々の理想・志望を
力強い意志で現実のものとされんことを
心からお祈り申し上げるばかりです。



このほどを 花に礼いふ 別れ哉  芭蕉


(此の程お世話になりました御礼を 桜にも言うような、そんなお別れです。)


桜の季節に 芭蕉が滞在先を去る際、滞在中の
おもてなしを含め、有意義な時を過ごせたことに対し
「お世話になりました」と桜に頭を下げる情景。

桜が情緒ある空間を提供してくれたことへの
直接的な謝意もあると思いますが、桜にお礼を
言いたくなるほど滞在先・主人の心遣い自体も
素晴らしかったのだろうことが伝わってきます。

桜の木にまで礼を言いたいほどこの滞在は素晴らしく
あなたに対する心からの感謝は申し上げるまでも
ありません…と、とても知的な別れの挨拶ですね。

…とはいえ、この「剽竹庵」は芭蕉門人の岡本木白
(師・芭蕉の死後は「苔蘇」と号す)の庵なので
正直そこまで堅苦しいものではないでしょうが、
だからこそウィットに富んだ優しさが際立ちます。

「このほど」という解釈がなかなか難しいですけど
それはそれで各々の感じるままで良いのでしょう。


私にとっても「お別れ」を申し上げることが多い時期、
特に3年以上(長い場合は6年を超えて)お付合い
下さったご家庭とのお別れは趣深いものがあります。

個人的には「お別れ」という概念が厳密にはなく
あらゆる星たちが各々の軌道上を動いていく過程の
お近づきだったり遠ざかりだったりする事象に
ことさら感傷的になったりしませんけれど、

「このほど」の長さを考えると、時の流れを
改めて考えさせられることになります…本当に。


特に家庭教師で長らくお伺いしてきた場合は、
長年慣れ親しんだ備品あらゆる全てに謝意を抱きます。
ワンちゃんネコちゃん、庭先の花 木々にも同様に。

もちろん 授業が終わっても軌道が重なったまま
ご縁が続く方々も少なからずいらっしゃいますが、
それも全て 付かず離れず絶妙な距離を取りつつ
万事ご配慮下さる方々の御高徳の故です。

卒業後に生徒さんなりご家庭なりに私から
コンタクトを図ることは100%ありませんので
「永遠の別れ」となる場合もありましょうが、

何れにせよ「滞在中」の諸々のお心遣いに対し
深く御礼申し上げる気持ちに変わりありません。

医師や薬剤師・研究者など各々の目標に向かい、
大学でさらなる進化を遂げて行かれますように。



兎も角も、星たちの運行過程でそれぞれが
互いの重力やらハプニングやらで引きあったり
あるいは離れたりするのも運命の妙と感じる季節。

長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、
新しくご縁ができた方々の諸々のお心遣いに
いつもながら深く感謝申し上げます。


麗らかな春光が、天地を遍く照らしていく3月も

変わらず素晴らしき出会いで充ちていることを
皆様と共に心から喜びたいと思います。



いつもありがとうございます。


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2017年02月04日

2017年2月の始まり



皆さま、こんにちは。

早くも2017年の初月が過ぎていきましたが、
皆さまにおかれましては益々ご清栄のことと存じます。

(…毎年「新年の誓い」という題目で書いておりましたが
推敲してから…と思ってるうちに時宜を過ぎてしまいました。
そろそろかな…とチェックして下さった方々には
ご期待に沿えず、お詫び申し上げます。)


…と、「新年の誓い」の記事は更新できませんでしたが
当方は恒例の神宮参拝を終え、2017年の至高の日々と
素晴らしい2018年の開幕に御礼申し上げた次第です。

昨年度は春にも神宮に訪れておりますので
(AMANEMも予定通りリサーチしておりました)
1年毎の区切りという意味合いは薄れましたが、
元日の恒例儀式として「精神を純化する」
という意味合いは全く変わることがありません。

神宮には、1年(或いは生前全て)の感謝を
申し述べに参りますけれど、その意味合いと等しく
皆さまに対しましても心からの御礼を申し上げます。


去る1月はセンター試験・成人式と、
人生の節目となる行事がありましたけれど、

どのような経路にせよ、志が確かなものである限り
目的地へ近づいているのは確かです。与えられた日々が
充たされたものであるようお祈り申し上げます。




薦を着て 誰人います 花の春  芭蕉


(こもをきて たれひといます はなのはる)

(素晴らしい初春の日、薦(こも)を着たみすぼらしいどこかの方がいらっしゃる。あのような方こそ徳の高い御仁なのだろうなぁ。)



当時、西行の作とされていた『撰集抄』に示される
「遁世者こその徳性」を思い返して詠んだ句。

芭蕉は西行法師を崇敬しており、『撰集抄』も
憧れを持ちつつ西行の視点を追っていたと思いますが、
後世の研究で実際は西行の作品ではなかったと判明…
それはそれで哀愁を感じますが、句としては深いです。

華やかな装いの人々が多い街中で、みすぼらしい姿の
人が佇んでいる、そのような方こそ真の「花」なのだと
そういうニュアンスで讃えているわけですね。

人間という存在は必ずしも強くはないので
不安や恐れを虚飾で覆って隠そうとするもの。

晴れやかな装いの人々でも、その実のところ
精神的には未完成であるように見える反面で、
外装を全て取り払った隠遁者こそ内面が輝いて
見えると。そういう芭蕉の隠遁・厭世観でしょう。

ただまあ、この句については京都の俳人たちに
巻頭に持ってくる句ではないと批判されたように、
一般的にはなかなか理解されにくいところです。

実際 TPOに応じて最低限、周囲に不快感を
生じさせない配慮は為すべきが知的態度でしょうし、
美辞麗句や虚飾に塗れずとも場の空気に一体化する
ような立ち居振る舞いをすることは知性の現れ。

過酷な登山にタキシードで臨むのが滑稽であるように
適切な時・場所・状況に応じた装いを計算する能力も
また当人の内面を露わに映し出すものと思います。

…と、芭蕉の句意について批判しているわけではなく。

外見の華やかさではなく、内面から放たれる輝きこそ
真実の「花」、というところに核心を置くならば
まさしく現代の我々にとっても心に響くでしょう。

わざと汚い恰好をするのでも、あるいは
ムリして豪奢な装いをするのでもなく、
各々の在るがまま自然体で内面の輝きを
放てばそれで宜しいではありませんかと。


このブログ的なものを何故か読んで下さっている皆さまは
きっと、社会的地位(収入・肩書・学歴etc)において
尊敬を集める何らかの拠り所をお持ちの方が多いでしょうが、

(元教え子でも、最難関大に在籍していれば
それだけで一目置かれたり、医師の卵として
 将来を期待されたりということがあるでしょう…)


それも「外装」の一要素でしかないのは同じです。

それらの社会的地位を全て取り払って残るものこそ
内面の輝きの源だとイメージすれば、芭蕉の当句も
きっと より身近に感じられるでしょう。

あらゆる「外装」を除いて考えた時でも
自然と解き放たれる内面的魅力があるのなら
それこそまさしく「真実の花」です。



…と、いつになく長くなりましたね。
いずれにせよ、春の訪れはもうすぐそこに。

もうすでに春の気分を麗らかに楽しんでおられる方も
厳しい寒さの中を頑張っておられる方も、
新しい春の巡りに際して、各々の「花」を
優雅に雄大に咲かせて下さいますように。


春の訪れとともに素晴らしい出会いで充ちている
2月の日々を皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます。



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2017年01月05日

「2017年」の始まり




年頭にあたり、謹んでご挨拶申し上げます。

旧年中は並々ならぬご厚情を賜り、御礼申し上げます。

本年もご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します。

 




 石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも
  


石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨
いはばしる たるみのうへの さわらびの もえいづるはるに なりにけるかも

(雪解け水が激しく流れ落ちる岩の傍でワラビが芽を出す春になったことだなぁ。)



「万葉集 巻八 1418番」
志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこび)の御歌。
早春を迎えた喜びの心を詠んだものとされています。

暖かい初春の歌というよりは、困難が氷解して
激動の中に新しい芽が息吹く安堵・歓喜…でしょうか。

いずれにせよ 2016年の全てを糧にしながら
新たな年に遍く芽吹きを心から慶びましょう。




この2017年という尊い月日を通して、

今まで凝り固まってきた難題などを氷解させながら

雄大に進化変容して行かれますように。




それでは、年頭のご挨拶まで。

皆様の益々のご清栄を、心よりお祈り申し上げます。



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