2013年12月31日

2013年の終わり


皆さま、こんばんは。

ご無沙汰しているうちに大晦日となっておりますが、
2013年も厳かに過ぎようとしています。。

Christmas の名言を更新する間もありませんでしたが、
皆さま 素敵な日々をお送りのことでしょう。


皆さまには公私にわたり 大変お世話になりました。

12月、特に学校が建前上お休みとなって以降、
深夜まで授業することが珍しくなくなる状況下、
30日は翌朝4時までご家庭に滞在しておりました…。

個人的には、ご家庭のご都合ご負担を鑑みて
「常識的な時間帯」で失礼したいと思っておりますが、
集中して勉強・思索していると時間感覚も狂いますので、
ご家庭とご本人がご要望される限りはお応えしています。
楽しんで下さるなら私にとっても光栄なことですから。

ということで、1日授業して帰ってすぐ眠るという、
珍しく「非のんびり」な日々を送っておりました。

お声がけ頂けるのは光栄の極み、
各進化の一助になっていれば幸いです。

2014年も至高の時間の集積となりましょうから、
謙虚に各々の「様々な力」を高めていく日々を
知的に楽しんで参りましょう!

スマホから取り急ぎの更新で読みにくいと思いますが、
心からの敬意と感謝を申し上げます。

この1年の御高恩に対して御礼申し上げるには
足りませんが…本当にありがとうございます!



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2013年11月16日

「 神在月 」


皆さま、こんにちは。

良き日々をお過ごしのことと思います。

今日2013年11月16日(グレゴリウス暦で)は
旧暦(太陽太陰暦)では 10月14日に当たりますが、

日本において旧暦10月は「神無月」と言われる中、
出雲地方だけ「神在月(かみありづき)」と称します、

八百万の神々が「出雲大社(おおやしろ)」に集う時機、
諸国に神がいなくなることから「神無月」になる反面で
神々がおられる出雲は「神在月」と言うわけですね。。


(諏訪大社の周辺なども神在月となるみたいです)

「神無月」の語源は、文化的に「神を祭る月」であり
「神の月」を指している(「無」は「水無月」と同じく
「の」を意味する格助詞「な」)という説が有力ながら、

(雷の鳴らない月=「雷無月」が転じたとする説も)

どのような習慣も、長期に大切に受継がれると、
それ自体「大きな力」を宿していくもの。


旧暦10月10日の夜、記紀神話において国譲りが
行われたとされる 稲佐ノ浜(島根県出雲市)で、
八百万の神々を迎える「神迎祭」が行われ、

その後、旧暦10月11日から17日まで、全ての
「縁(えにし)」を決める「神議り(かみはかり)」
が行われるに際して「神在祭」が行われます。

旧暦10月17日に、各地に帰る神々を見送る
「神等去出祭(からさでさい)」が行われて、
神在りの祭儀を了します。)



…というわけで、12日13日(旧暦10月10日11日)
「神迎祭・神在祭」に参加しておりました。

至高の日々を送らせて頂いていることも全て
皆さま方との有り難いご縁に恵まれているお陰。
遍く全てのご縁に感謝を申し上げたいという程に。

そもそも、人智を超えた「崇高な叡智」に対して
心からの敬意と感謝を抱いていれば、全ては
自らの「意思」通りに取り図られるものなので、

わざわざ私利私欲に関する祈願などしなくとも
過去・現在・未来の遍く「必然のご縁」及び
ただ「今ここにある」感謝を捧げにいくことが
「お参り」の「極意」でありましょう。。


(私は特定の宗教・教義を信奉していませんが
 上記の心得は、神宮や大社に限らず 寺社仏閣・
 教会諸派について同様に言えると思います。)


60年ぶりの「大遷宮」があった出雲大社、遷宮後初の
神在月で例年以上の参拝者が全国から大挙する為に
出雲市周辺のお宿も今年早々に満員御礼でしたが、

全ては必然のご縁でしょう、歩いて大社に参れる
旅館が泊めて下さり、有り難い参拝となりました。

(お陰で万事スムーズに神事も参加できましたが、
 大渋滞等で出遅れると、神事に参加できないどころか
 普通に参拝するのさえ数時間は並んで待つことに…。)



ともかくも、天と地と人が織り成す時空間は
この上なく荘厳で神々しくありました。


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「神迎祭」前の稲佐ノ浜。神事の前の静けさという趣…。


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60年ぶりの大修造となった、国宝でもある「御本殿」後景。
朝靄に包まれて、また新たな輝きを放っていました。

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月明かりが映える 夜の境内。


…と、他にも「足立美術館」の庭園や茶室についても
触れる予定でしたが、とりあえずここで更新しておきます。

(お休みを頂いた分、授業スケジュールが詰み詰みです…

 ただ、いつもご信頼して下さる皆さま方には
 本当に心から感謝申し上げるばかりです。)


それでは、取り急ぎ今回はこの辺で。

いつもありがとうございます。



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2013年09月20日

harvest moon


皆さま、こんにちは。

2013年9月19日は「中秋の名月」でしたね、

「中秋の名月」は必ずしも満月とは限らないものの、
2011年2012年と続いて、2013年も中秋の満月で。


「中秋の名月」当夜に「満月」となるのは、
2013年以降は2021年まで見られない模様…。

そういう意味でも、澄み渡る秋の夜に
キレイに輝く望月を 微笑ましく覚えました。

英語では「harvest moon(収穫の月)」と言われます、
北半球ではその明るい月光のお陰で、夜になっても
作物を収穫することができるという由来だそう。


農作物だけでなく、あらゆる創造的な営為について
喜ばしき実りを収穫し、各々高められるように
優しき慈愛を感じさせる名月でありましょう。


名月や 池をめぐりて 夜もすがら  芭蕉

(空には名月があり、池にも月影がうつっている。
 その美しさに心を奪われ、池の周りを歩きながら
 眺めているうちに、つい一夜を過ごしてしまった。。)


別に中秋であろうが「月」は「月」、

特定の1日、1時点のみが特別ではなく
どの1日、どの時点も等しく重要なので、
過度に有り難がる必要はないと思いますけれど、


季節の節目を趣深く感じるに知的な機会です。

幽玄な月日の移ろいを味わううちに
のんびり一夜が過ぎていくのは必然ですね?

今も、空高き月を眺めながら、一期一会な紅茶を
ゆっくり頂いています。思索をふわふわ遊ばせながら
眼耳鼻舌身(色聲香味触)の五感を統率するように。


(無眼耳鼻舌身意 無色聲香味触法 でもあるように)

…と、まとまりを失って迷走しそうなので
(それはそれで書く方は面白いのですけれど)
今回はこの辺で終わりましょう。


引き続き、優雅な秋をお過ごし下さいますように。

いつもありがとうございます。


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2013年07月10日

「 ありがとう 」


皆さま、こんにちは。

今回も更新期間が開いてしまいましたね…

夏日が続く日々となりましたけれど、
健やかにお過ごしのことと思います。

去年の今頃も「形あるもの」の記事で書きましたが、

今年も今生の別れを告げる機会がありました。

常々、至上の日々を送らせて頂いていると公言し、
皆さまに日々感謝申し上げるばかりの身ですので
葬送=不幸 という概念は全くありませんけれど、

自らとして最大限の感謝を捧げていたつもりでも
それ以上に遥かな高みから自分が守られていたことに
否応なく気付かされると、惜別の念は禁じ得ぬもの。


ただ、齢90を数えながら、神々しいまでの
美しい顔付きで、永遠の眠りにつくというのは
最期の去り方として憧れるものですね。。

類稀な才能や顔立ち、特異性など…多くのものを
私に授けてくれた偉大な存在に 敬礼するばかりです。

( お弔い下さった方々には改めて御礼申し上げます。
ちなみに 我が両親はこの上なく健在です。。



…と、ここから本題に入るつもりでしたが、
やはり「回」を改めることにしようと思います。


全ては「一期一会」の連環、

今あることを当然のことと軽んずることなく
「在・不在」「生・死」は表裏のものとして

選ばれた時間共有に 最大の敬意を払いながら
互いを高め合えることに感謝して参りましょう。



いつも本当にありがとうございます。


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2013年05月19日

Pythagoras


皆さま、こんにちは。

「名言の英語」を久々に更新しましょう、
今回の偉人は、ピュタゴラスを。

Pythagoras(紀元前582年〜紀元前496年)は、
ピタゴラスの定理で知られる、古代ギリシアの
数学者、哲学者。「サモスの賢人」と言われ、
古代ギリシャの偉大な魔術師でもあります。


真理を探究する弟子たちと秘密結社を作りました、
いわゆる「ピタゴラス教団」です。

「秘教的数学、音楽、天文学」の習得により
宇宙・森羅万象に到達することを志向しました。

(学問だけでなく、心身を鍛え清める禁欲的
 道徳生活が厳格に要求され、菜食中心でした。)


現代においては、誤りと評される点もありますが、
数理的に世界を記述しようとしたアプローチは
後のギリシア哲学に受け継がれていきます。


Number rules the universe.

( 「数」は宇宙を支配している。)

「万物は数である」と言い換えても良いでしょう。
「数」は「調和」し合い「神性」に到達する。

宇宙を統一的に記述する「万物理論(Theory of Everything)」、

そこに到達する時が遅かれ早かれ訪れるでしょうけれど、
その時、人類は「万物は数である」と再発見するかも…。


Time is the soul of this world.

( 時間は、この世界の魂である。)

ある行動・原因から、ある結果に至る「流れ」、
それは時間的・物理的に記述し得る事象です。

即ち、それは「数」を使うことによって観測・測量、
そして記録することができる…とすれば、「数」は
行動・原因・結果といった物理的(時間的)現象にも
影響を及ぼすことが出来る、という思考。


アリストテレスのいう「形相・質料」とに区分して
分析してはいなかったようですが、「形相=魂、
質料=肉体」と照合されるとすれば、世界の形相
=魂は「時間」、質料は「現実世界の事象」。

「魂」を純化していくことで「肉体」も純化させていく
ピタゴラス的規範に応じて、「時間」を純化すれば
「現世の事象」も同様に健全に純化されていくはずと、


そのように解釈できるかと思います。

「数秘術・ゲマトリア」という系統で、数の力を読み解き
事象・運命を左右せんとする術は古代からありますが、
本質的思想にはそこに繋がることでしょう。

隠秘学・オカルト的術は非凡な知力がなければ
読み解くことさえできない代物。巷に溢れ、安易に
紹介されているものは信頼に値しないでしょうが、

ニュートンなど多くの天才が、秘術研究に
生涯を費やしたのもまた興味深い事実…。


ともかく「時間」に敬意を払って、その価値に
礼を尽くしていけば、それに応じて「現実」も
敬意に充ちたものになっていくことでしょう!



Educate the children and it won't be necessary to punish the men.

(子供たちを教育することで、人間を罰する必要はなくなっていくであろう。)

…そうなっていないということは、
「教育」できていないということで。

子供を教育する立場の者が、なお愚行・不祥事を起こす今、
理想を実現する「教育」など砂上の楼閣かもしれません。

老若男女問わない人間的教育を施すとしても
その「教育」は誰が行うのか?

「最高善」「究極の叡智」に到達した者?


「人間の善性に依拠した平和」というのは
絶望的なまでに実現不能な気もするが故に、

人の理想郷を強制的に創ろうとした
独裁制も歴史上試みられてきました…。

…と、一応「教育」的なものに関わっている身で
あまり消極的な姿勢は好ましくありませんね、

少なくとも私の関わる生徒さんには
人格的自律ある進化を期待するのみです。



Concern should drive us into action and not into a depression. No man is free who cannot control himself.

(不安とは、我々を行動に駆り立てるべきもので、憂鬱に陥らせるものではない。己自身を支配できない者は自由の身にない。)

不安に思うなら状況打開のために行動せよ、
少なくとも意気消沈し、憂鬱になるものではないと。

感情や精神、それら全て自分に帰属するもの、

それらに振り回されるのではなく、それらを統率し
自らの意思下に帰属せしめてこそ真の自由人であると。


このような言説は枚挙に暇ありませんが
どの言葉も、真理の力に満ちています。


Above the cloud with its shadow is the star with its light. Above all things reverence thyself.

(影を伴う雲の上には、光を伴う星がある。
 全ての物事の上に、汝自身への畏敬を。)


キレイな言葉ですね?

己自身に最高の畏敬を持つからこそ、
肉体・思考そして時間に重きを置くことができます。

自らに絶対的価値を置けば、自分を取り巻く万物
全てに等しく敬意を払えるもの。


…といっても、そんなに堅苦しいものではなく
(必ずしも厳格な禁欲生活でなくとも)

肩肘張らずに、お互いにのんびりと
敬意を払い合う心こそ「核心」だと感じます。


それでは、今回はこの辺で。

いつもありがとうございます!


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2013年03月18日

Raffaello Santi


皆さま、こんにちは。

前回のアリストテレスから6週間ですが…
久々の「名言の英語」はラファエロです。

Raffaello Santi(1483.4.6 -1520.4.6 )は、
ルネサンスを代表するイタリアの画家、建築家、

ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに、
ルネサンス期の三大巨匠と称えられる天才です。


Leonardo da Vinci , Michelangelo は既に紹介してきました。。)

37歳という若さで死去したとは考えられないほど
多数の作品を制作しましたが、その若さでいながら
大規模な工房を経営していたからです。

もちろん比較的恵まれた環境も手伝いますが、
芸術的天才だけでなく人間的魅力・社交力にも
充ちた奥深い人物であったことが伺えますね。


When one is painting, one does not think.

(絵を描く時、人は思考していない。)

ラファエロの言葉として良いのか確証は持てませんが、
そのように挙げられることが多いので取り上げますと。


「思考していない」というのはどういうことか。

「何も考えていない」というよりも
「意識的思考」から解き放たれた状態。

「絵を描いている」という次元を超えて
「絵そのものが、その手を通じて現れる」という、

まさに、天賦の才。神の手の御業。


絵画に限らず、あらゆる芸術に共通するはず。

ただ、これはラファエロたちのような
「天才だからできること」ではないと思います。

雑念を振り払い、自分が向かっている行為に対して
対象と一体化する次元で集中し、感謝とともに
その時空を楽しむなら、既に「忘我」の領域。

まるで「自然」が自ら行為しているように、
「運命」が自らを導くように、在るがまま
「それ」を在らしめることになりましょう。



Time is a vindictive bandit to steal the beauty of our former selves.We are left with sagging, rippled flesh and burning gums with empty sockets.

(「時」は従前の自身の美しさを奪い去る悪意に
  満ちた賊である。我々は、たるんで波打つ肉体、
  歯が抜け落ちて炎症を起こした歯茎のみ残される。)


…ネガティブな言葉ですけれど。

ラファエロは37歳で夭逝しましたが、
ミケランジェロのように89歳まで生きていれば
どのように考えたことでしょうね?!

「時」が「賊」となるかは自分次第。
「賊」に抗うことも大切かもしれませんが、

「 diamond 」の記事でも述べましたように、
「時」の熟成によって知性は磨かれます。

外見的な美を超えて、神聖的な美まで到達するには
「時」による収奪が不可欠とさえ言えましょう…。


Here lies that famous Raphael by whom nature feared to be conquered while he lived, and when he was dying, feared herself to die.

「ラファエロここに眠る。彼が生ける時、母なる自然は
これに凌駕さるるを恐れ、彼が死せる時 己の死を恐るる。」


ラファエロの墓碑銘 "Ille hic est Raffael,
timuit quo sospite vinci, rerum magna parens
et moriente mori."
です。

ラファエロの手を通して「自然」が開示されていたと。

ただ、ラファエロだけでなく「遍く万人」が自然の一部。

間断なき生死の連続とその集積でしかありません、
各々が存在している場所において、各々の才能を
自分と周囲の為に使うことが人類の進化でしょう。



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ラファエロ展コラボのルピシア『grazia 桃とミルクのお茶』です。

ルピシアといえば「マンダリン・オリエンタル東京」の
紅茶もルピシアですね、6つ星ホテルの称号に恥じず、
至高に相応しいホスピタリティが心地よい時空ですが、
お茶がルピシアというのは意外に思えましょう…。


ラファエロという稀代の天才に、想いを馳せながら
万物にgrazia( 優美・優雅・上品・慈悲 )を感じ、

「時」という「賊」を「味方」に変えて、
「非情なる変化」を「至高なる進化」へと、

趣深く味わって行ければ何よりの人生と思います。



それでは、今回はこの辺で。

いつもありがとうございます!


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2013年03月13日

「変化と進化」


皆さま、こんにちは。

今回も随分お待たせしてしまいましたね…
大学に所用があり、3日間ほど東京に戻っていました。

その間の授業振替など ご協力を頂きましたが、
その前後は一層タイトスケジュールとなった結果、
約2週間もブログを放置して心苦しく思います…。


新幹線よりは飛行機派なので 空路なら60分弱、
気軽に往来できる時代というのは有り難いです。。


(動線によっては空路でも実質移動時間は変わりませんが
 新幹線は3時間以上座りますからね…退屈です。

 当日料金では新幹線の方が安いですけど、事前予約なら
 飛行機も新幹線もコストは大して変わりません。

 ANAプレミアムクラスも新幹線グリーン席も
 岡山・東京間では同じようなコストなので、
 万事におもてなし下さる空路の方が好きです。


 JAL 国内線ファーストクラスは岡山便にないので ANA です。)

それにしても、少し離れているだけで、
様々な「変化」を至る所で否応なく感じます。

東京大が「推薦入試」導入か?というニュースも
世間を賑わせている「変化」の一つでしょうが、

本郷構内も、良く言えば「洗練」されていって、、
悪く言えば「無機質」になっている面が目につきます。

「福武ホール」が竣工されて早くも5年経ちますが、
ただの草地だったイメージが強いため、ロースクール棟と
併せて現代建築物が建ったエリアに疎外感を覚えます。

(安藤忠雄氏の建築思想自体は好きなのですが、
 草地にいた虫たちや自然の魅力には勝てません。)


以前住んでいたエリアも少し散策してみましたが、
以前は工事中だったマンションが完成していたり、

新しく建設中だったり、パーキングに変わっていたり、
違うお店になっていたり…と、様々な変化を感じます。

ただ、よく利用していた「白金ブックセンター」は
良い意味で変わらず、不思議な本が揃えてありました。

『フレスコ画の身体学: システィーナ礼拝堂の表象空間』
(2012.12.7刊行)7,560円の新古本を4,500円で買えました。

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「2011-06-10:「本」のある生活」の記事でも触れましたが、
相変わらず知的な出会いに充ちた本屋です。。

ミケランジェロからの繋がりといえば、
西洋美術館『ラファエロ展』も覗いて来ました、

ルネサンスを代表するラファエロ・サンツィオ(1483−1520年)、
作品の貴重さゆえに展覧会の開催はヨーロッパにおいても
難しいとされていますが、500年目の来日ということで
ヨーロッパ以外では初となる大規模なラファエロ展です。


実を言えば、同じ上野で開催されている『エル・グレコ展』、
渋谷の『ルーベンス展』、丸の内の『クラーク・コレクション』

…と、上質な企画展を、時間を縫って観覧しました。

(近代美術館『フランシス・ベーコン展』六本木の
『ミュシャ展』までは、さすがに行けませんでした…。)


ラファエロ『大公の聖母』、エル・グレコ『無原罪の御宿り』
ルーベンス『キリスト哀悼』『復活のキリスト』などの傑作、

それからルノワールの秀麗な名画が一堂に集められた空間に
のんびり座って滞在していると、精神が高揚します。


様々な「変化」を感じる中で、名画たちの変わらぬ神々しさは
ある意味の「落ち着き」「安らぎ」さえ感じさせてくれます。


全ては一期一会ですし、海外の美術館で観覧するのも
もちろん良いものですが、珠玉の名画が会する好機です、
お時間がある方は是非訪問されると良いですよ?

非日常と日常を行き来しながら、変化を進化に
繋げていくことができる知的な時空を味わえるでしょう。


「ラルースの塔」らしいコメントなどをしたいところですが
ちょっと更新しなさ過ぎなので、取り急ぎの更新を。。

いつもご訪問ありがとうございます!


posted by laluz at 12:00| Comment(0) | 日記