2019年12月20日

価値観の転換


皆さま、こんにちは。

中旬と申し上げていた
12月の2回目更新です。
(下旬になってしまいすみません…)

このラルースの塔でも適宜書いて
来た「対極思考」ですけど、

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感情論としてはNO だけれども、YES の立場になり切って考えてみると、状況はどう見えるか?そのように変化していくと考えられるか?現状で存在する(と考えられる)メリット・デメリットというものは、どう変化するか?ということを「壮大なスケール」で考える試み、それが「対極思考」の核心です。(2012年05月01日

要するに、今まで見ていた景色や状況を正反対の立場から眺めてみると、今までの思考スタンスは変わりうるのかどうか?という思考の検証です。
「対極思考」のポイントは、あらゆる事象に対してさまざまな思考が存在するということを知り、そのどれについても執着することなく自由に思考を行き来することができるかどうか?が「脳の柔軟性」を極端に高めるということです。

先入観に囚われることなく自由な発想で色々な角度から事象を探究してみることは(もちろん人間心理についても同様です)、今まで気づきにくかったことを浮かび上がらせ物事の微細な美しさを知ることにも繋がります。(2012年04月25日

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・・・というように述べました。

非合理的な常識・固定観念に囚われず、
視点・焦点を柔軟に変化させながら
全容を俯瞰して観ようとすることが、
知能を大いに刺激するということです。


そのことに関連して、何かコツとか
先生が意識していたことはありますか?
という質問など受けることもあります。

そう問われてふと思いつくのは
藤子・F・不二雄のSF作品など
"価値観を揺さぶるようなテーマに
多く触れること" が一つに挙げられます。


藤子・F・不二雄(藤本 弘)
(1933年12月1日 - 1996年9月23日)は
言わずとしれた『ドラえもん』の作者。

『パーマン』『キテレツ大百科』
『エスパー魔美』など子供向けの作品で
有名な漫画家ですが、SF短編として
奥深く哲学的な作品も多く遺しています。


この"SF"はScience Fiction ではなく
Sukoshi Fushigi(スコシ フシギ)とのこと。


SF短編だけでも110編を超える中で
そのほとんどが秀逸なのですけれど
個人的に印象強く残っているものを
ご紹介してみようと思います。


ミノタウロスの皿 (1969年)

宇宙船が故障してしまい、地球のような惑星「イノックス星」に不時着した主人公は、そこで偶然出会った少女・ミノアに助けてもらう。この星では、牛のような姿をした"ズン類"が世界を支配しており、ミノアたち人間は"ウス"と呼ばれ、"ズン類"に食用、愛玩用として飼育されていたのだった。主人公は喜んで食べられようとするミノアを助け出そうと説得に奔走するが…

…という、人間と家畜の立場が逆転した世界のお話。

人が牛豚などの家畜を当たり前に食べている中、
それが逆だったら?と、価値観の転換を
考えさせられる作品です。

今の私は ほぼ菜食("卵"は頂きます)に
なっていますし、昔から食肉は好きではなかったので

個人的には衝撃という訳でもありませんが
この作品が50年前に書かれたことは驚きです。



ヒョンヒョロ (1971年)

ある日、マーちゃんは「お星さまを拾った」「円盤に乗ったウサギさんを見た」と言い出すが、両親は子供の戯言だと信じなかった。その後、マーちゃんは「ウサギさんから貰った手紙」を両親に見せる。手紙には「脅迫状。ヒョンヒョロを差し出さないと誘拐するてす。マーちゃんどの」といった内容が書かれていた。またも大人は信じなかったが、彼らの前にうさぎのような異生物が姿を現し、ヒョンヒョロを要求するが……


子供の話をまともに信じようとしない
大人の浅はかさや、身勝手さへの警鐘
とはいえ、衝撃的な結末です。

個人的はかなり印象深い作品。



カンビュセスの籤 (1977年)

紀元前500年頃、ペルシア王カンビュセスは5万の軍勢でエチオピア遠征を企てたが、やがて食糧が尽き、乗馬も草木も食べ尽くした兵士たちが生きるために選んだ手段は、10人が1組となって籤(くじ)を引き、当たった1人を糧食とする残酷なものだった。籤に当たった兵士・サルクは逃亡するも見知らぬ空間にさまよい、力尽き倒れたところをエステルという女性に救われる。

翻訳の機械が直り、ようやく会話が出来るようになると、互いの境遇を知る。ここは人間同士の終末戦争で荒れ果てて植物も育たない、23万年後の未来の地球だった。1万年の冬眠のたびに籤で1人を選び、食料(ミートキューブ)にして生き延びるという手段をとってきた結果、エステルが最後の1人となっていた。

この話を聞いたサルクは、自分に出されていた食料が"人間"であると知り愕然とする。エステルは2本の籤を差し出し、どちらが食料になるか籤引きで決めると言い、「籤を引いて」とサルクに詰め寄るが…


「何故そこまでして生き延びなければならないのか」
「私達には生き延びる義務があるの」

…というセリフからも「生きるとは?」
を考えさせられる 名作と思います。

"生きるためには食べなければならない"
という固定観念に囚われずに柔軟に
"じゃあ食べずに生きられる身体になろう"
と思える自分はなかなか特異かもながら…

生命倫理を考える上でも秀逸な題材です。



流血鬼 (1978年)

「マチスン・ウイルス」に感染すると吸血鬼のようになる奇病が日本にも広まり始めたある夜、吸血鬼たちがウィルスをガス状にして散布し、主人公たち以外は感染してしまう。両親や近隣住民も吸血鬼と化した街から、秘密の洞穴に逃げ込むと木杭と十字架で吸血鬼たちへの抵抗を始めるが… 吸血鬼の正体は、ウィルスの感染によってより強い生命力を得て進化した新人類であり、ウィルスを感染させて新人類を増やすために吸血を行っていたという驚愕の事実を明かされる・・


吸血鬼=殺人者と見なして、心臓に杭を打つ少年に対し、
「私たちが吸血鬼ならばあなたは流血鬼」と。

吸血鬼を殺して血を流す流血鬼(人間)であるより
人を殺したりせず「血を吸うだけ」の吸血鬼の方が
良き存在ではないですか??

…と、これまた価値観を揺さぶって
考えさせられる作品ですね。

リチャード・マシスンの小説『地球最後の男』
が元になっているとされていますが、
藤子F作品の結末の方が素晴らしいです。


さて…あらすじの分だけどうしても
長くなるのは仕方ないとしても
まだ4作品しか挙げていないのに
このペースは長くなり過ぎですね。

本当にまだまだご紹介すべき名作は
枚挙に暇ないのですけど、

間引き (1974年)
耳太郎(1976年)
未来ドロボウ(1977年)
ぼくは神様 (1977年)
創世日記(1979年)

この辺りは、大人にも子供にも
有益な学びが与えられる名作かと思います。


日々の"当たり前"に縛られずに
柔軟に思考思索していくと同時に、

日々の"当たり前"にこそ掛け替えなき
幸せの鍵が隠されているのだと気付くこと。

「価値観の転換」とは、自分が
未だ気付いていなかった本当の価値を
見出す "きっかけ"にもなります。



"人は失ってみて初めてその価値に気づく"
的なことは、古来から言われてきますが、
どうせなら失う前に気付けた方が嬉しいですよね。

日々支えて下さる周囲全てに
改めて意を配りながら
楽しく歩んで参りましょう。

それでは、今回はこの辺で。

有意義な年末をお過ごし下さいね。


posted by laluz at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 「脳」の使い方
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