2017年10月04日

2017年10月の始まり



皆さま、こんにちは。

2017年 第9番の月も過ぎました。
2017年もすでに約75%を終えたことに。

皆さまにおかれましては 秋の収穫を
優雅に楽しまれておられることと存じます。




川上と この川下や 月の友   芭蕉




・・美しい句です。意訳を付そうとしましたが
ちょっと出来ませんでした。この洗練された美を
長々と説明的に訳することに何の意味があるのか。

シンプルの極致に遍く「繋がり」が凝縮されています。

長年連れ添ったパートナーが天に召される間際に
相手に対して優しい笑顔で「ありがとう」といった時、
横にいる誰かが「この言葉は〜という経緯から
〜という気持ちが込められているのです…」とか
言葉では説明し尽くせないモノがあるように。



句の念頭にある「友」とは山口素堂とされますが
それはひとつのきっかけに過ぎません。

「月の友」はまさしく「この満ちた月」を眺める
全てであり そして「この川」を通じて
全てと繋がっているという。


「私にとっての友」ではなく「月にとっての友」かも?
月が優しく眼下の存在を友のように慈しむ、みたいな。

まあ この辺りは句意から離れるでしょうが、
それでも柔らかな情景の中に、因果連関さえ
詠み込まれているような壮大なスケールを感じます。

「俳聖」といわれる意味が分かるような気がしますね
まさに 神の(というか人智を超えた)視点。


この同じ川上に 同じ月を眺めている友を想い。
「空間」的に離れてあっても「川・水」で繋がっていて
あるいは「時間」的に離れてあっても
「月・光」で繋がっている。

宇宙スケールで考えると、人間さらには動植物全て
一つの小さな球体上で 命を寄せ合う共生体。

ひと時でさえ離れられない「つながり」の中で
(意識できるかはともかく)支え合いながら
せいぜい数十億秒ほどの命を灯しているのに、

些細なことで怒り争ったり、離別を悲しんだり
そんなことを繰り返すのも愛おしいというか
微笑ましいかもしれませんね、月の視点からは。



・・・とはいえ、智の醸成という見地から
対極思考」を旨とする私の立場としては
「全てが全く切り離された世界・時空」を
同時にイメージしても行きますけれど。

次元を超えた先に「因果・縁起」というもの
を想定できるなら、それらを完全に排除した
領域(?)というものはあるのか。

あるとしたら全ての「因」である宇宙開闢・
天地創造の瞬間しかないかもしれませんが、
それさえ絶対的「無」ではないかもしれない。

「アルファであり、オメガである。
 最初であり、最後である。
 初めであり、終りである」点(?)こそ
 原初的「無」と言いたいだけかもしれない。


…まあ「酸素」を吸って生かされている以上
「つながり」のない世界を想起するなどは
現実空間の前提条件を取り払える「夢」の中で
思考実験するしかありませんから、ゆっくり
ウトウト考えていくことにしましょう。。


・・というわけで宇宙まで脱線しましたが
壮大な優しさを感じる芭蕉の句でした。

「水」と「光」の日々の恵みを改めて想い
周囲との「つながり」に敬意を払いながら
宇宙創造の時まで「脳」を遊ばせてみるのも
望月の夜には趣深いことと思います。


ちなみに「宇宙図2007宇宙図2013
(C)科学技術広報財団のリンクを載せておきます。

ご興味のある方は「脳との散歩」のお伴に。


それでは、今回はこの辺で。
いつもありがとうございます!



posted by laluz at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾
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