2011年10月05日

「孤独」は天才の学校?


私の蔵書中に埋もれているのでふと見返しましたが
アンソニー・ストー『 孤独 』という書物があります。

「たとえば、世界の偉大な思想家たちの多くは家族を
 つくらなかったし、人間的に密接な結び付きをもっていない。

 デカルト、ニュートン、ロック、パスカル、スピノザ、
 カント、ライプニッツ、ショウペンハウエル、ニーチェ、
 キルケゴール、そして、ヴィトゲンシュタインがまさに
 そうである。(中略)彼らのうちで結婚した人は一人もなく
 ほとんどの人が生涯の大半を独りで暮らしたのである。」


…というように、書かれていたりします。

邦訳副題は「天才の学校」となっていますが、
エドワード・ギボン(Edward Gibbon)も
「会話は理解を豊かにする。しかし、孤独は
 天才の学校である。」
と述べていますね。

読者の皆様は「孤独」についてどのような印象を
お持ちでしょうか?一般的には「孤独な人」という
響きは良い印象を与える表現ではないかも…。

ただ、「孤独」というよりは「創造的思考に集中
没頭できる時間」は知育上、不可欠だと思います。


個人的には「集中思考モード」に入りさえすれば
喧噪雑踏の中でもノイズは耳に入らなくなり、いわば
「周りに左右されない孤独な世界」にいるわけで
「孤独状態」かどうかは問題ではない気もしますね。

実際、「天才科学者」とされる人々においても、
同志の科学者に手紙を送って意見を求めたり
議論を交わして「証明の穴」を埋めていった
事例の方が多いように思いますし、天涯孤独では
多くの「偉業」「発見」はなされなかったでしょう。


芸術分野については、確かに「世俗的感性」に
感化されることなく、純粋な神性というべき
「全き美」を追求することが至上かもしれません。


それでも、パトロンの援助を得るため積極的に社交
していた著名芸術家も少なくないですし、それらの
芸術家が天才ではなかったとは言えないはずです。

「五感」のいずれかを失うことの代償に、残った
「知覚」が類まれなレベルに研ぎ澄まされた天才も
少なくないでしょうが、そのような天才たちは、

「光のない世界」「音のない世界」あるいは
「物体感覚のない世界」という「孤独」の中で
「隠された何か」を見ることができたのでしょう。


「孤独」というより「集中的に思索に没頭できる時間が
十分にあること」が「天才性を育むための素地」
であることには間違いないはずで、その意味で
「孤独は天才の学校」であると思います。


「世俗的な常識・先入観」に惑わされずに「創造的
思索の芽」をじっくり育てるには一般的懐疑の目から
離れて「根」を張っていく必要があるとしても、

多くの批判に晒されながらそれに負けない「強い意志」
を最後まで持ち続けることができたかどうかこそが
「天才」かどうかを分ける最大の要素だと感じます。


私の教え子だけでなく、ブログ読者の皆様も
その秘められた才能(あるいは開花した才能)に
日々感謝して磨いていって下さいますように。


それでは、今回はこの辺で。



posted by laluz at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | IQ・知能
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