2011年10月18日

「美しい」ノート?


9月15日の記事「引き出すことを考えて収納する」で
「脳内の記憶倉庫を整理するためのメモですから
一冊に集約されていることが望ましい」と述べました。

「まだまだ注意事項や応用トレーニングなど書くべき
ことは膨大にありますが」と言っていたせいか、
いくつか質問もありました。その中で、

『東大合格生のノートはかならず美しい』という
書籍ノートが一時期に話題となっていましたが
あれは本当ですか?


…という質問は興味深かったので、取り上げてみます。


結論から言えば、「かならず美しい」とは
限らないでしょう、大方の予想通り。。

大学入学後、試験対策プリントを分担で作るような
場合は、確かに自分の担当部分は丁寧に書きます。

コピーして皆が読むので分かりやすく書く方が
良いに決まっていますし、知的プライドもあります。


しかし、他人が読むことを想定していない
「自分だけのノート」の場合、美しいノートを
取る人の方が少ないような気もします。。

ノートを取らないタイプの場合は、検証すべきノートが
そもそも手元にないわけで、集まったものから判断すれば
確率的に「美しいノートが多い」とも言えますし…。


別に批判する意図は全くなく、何が言いたいかといえば

「じゃあ、見出しをつけてキレイなノートを取らないと!」
と、形式にこだわる必要はないということです。

ある人にとって最高の戦略でも、全ての人にとって
最高・最適かと言えば、そうとも限りませんよね?


実際、私は科目ノートを作らず、弱点ポイントのみ
簡単に記していく「要点メモ」を使いましたが、
全ての人にそれが最適とは言えないはずです。


『東大合格者ならば、そのノートはかならず美しい』
この命題が仮に成り立つとしても、その逆、

『美しいノートであるならば、その人は東大合格者だ』
が、必ずしも成り立たないのは明らかでしょう?


メモ・ノートの「取り方」がこそ重要であって
自分が分かれば「様式の美」は問題ないと思います。


ポイントは「ノートを取る意味」を考えることです。

「ノートを取る意味を考えること」が
「勉強」に他ならないのですね、究極的に。

重要部分はどこか、理解している事項でも以前の分野と
新たに関連付けられるアイデアが得られた場合は
そのようにノートする、その熟考こそが勉強です。

考えないままノートするのは「作業」であって
本当の意味での「勉強」ではありません。


勉強に時間をかけているつもりでも、本質的な勉強に
なっていないなら「時間の割に効果が出ない」のは
当然の帰結です。


「どのようなノートが理想的ですか?」
その明確な答えはありません。

「自分が覚えやすいように」という意識の下で
試行錯誤あるのみですし、その試行錯誤こそが
「脳力」を高めていく重要な過程です。


思考傾向は、その人自身にしか分からないのですから。
(というより「そうでなければなりません」)。

特に数学や理科の場合、単純計算ミスや書き間違い
以外は、消しゴムを使わない方がいいでしょう、

自分の間違いを残すのが「ノート」なのですから、
「正解を書く」ことにあまり意味はありません。


英語・国語も同様です。どこをどう間違えたか、
間違えやすいかを後々のために残すのがノートの役目です。

その意味では、訂正ペンが入って、汚くなっている
ノートであればあるほど「良いノート」と思います。



中間考査が終わった人も、これからの人も復習だけは
しっかりして、解き直せば95点〜100点を取れるように
基礎の定着を確実に図っていきましょう。

いつも1位の人も油断せずに
更なる高み(全国1位)を目指して下さいね。


それでは、今回はこの辺で。


posted by laluz at 15:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 「脳」の使い方
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/179586975
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック