2011年11月04日

人に「教える」


人間は「分かった気になっている」だけの
ことが往々にあります(私も例外ではなく)。

学問・勉強のみならず、対人関係などでも
「自分は分かっている」つもりの結果から
問題が生じ、また問題解決を遅らせることは
古来より人間社会でみられる現象です。


本当に理解していれば「誤る」ことがないはず
なのです(「理解」には何年もかかりますけど)。


確かに「失敗」は成功への下地です。
「失敗」しない人間はいないでしょう。

ここで言いたいのは「失敗内容」です。

安易に理解したつもりにならず、慎重に
目算に誤りがないか再考した結果「失敗」
したなら、その者はさらに修正を加えて
必ず目的を達成していくでしょう。


これに対して「分かったつもり」になって
細部を検討することもなく、その状況に
おいても正しく適用されるか考えないまま
安易に事を進めていった結果の「失敗」は?

後者は「失敗」ではないと私は思います。
ただの愚行・愚策に過ぎません。

分かった気にならず「本質を有機的に探究する」
意識を持つことが、知者への道なのでしょう。


さて、分かった気にならないために「教えている」
わけではないのですが、「人に教える」という
行為は、非常に「良い影響」を与えてくれます。

生徒やご父兄・知人・一般の方からの質問など
自分の視点からは思いもしない疑問について
興味深く考察するきっかけとなります。

また、生徒に教えている最中で、自分自身も
その本質を再発見して、奥深さを感じることも
多いものです。その時ごとに「理解」に近づいて
いるように思い、感謝するばかりです。


…と、ここで時間切れです。。

中途半端ですが、今回はこの辺で。

(16時半から24時まで授業ですので、
 そのあと少し加筆するかもです。。)


【追記】

上記の後、「人に教える」つもりで勉強するのは
分かった気にならず有効ですよ、ということが
言いたかったわけなのです。

私の生徒にも、学校授業は退屈だから半分寝てる
という子は少なからずいますが(成績は優秀です)、

「授業を聴く側」ではなく「授業する側」と思い
「自分ならどう教えるか?」という意識で
授業全体を観察することを勧めています。


「この説明はこうした方が皆は分かり易いかも」
とか、そういう意識で「自分で教える」時間を
過ごすと退屈ではなくなるかもしれません。

「自分で分かる」のと「分からせる」のでは
その難しさが全く違いますので、学校先生方の
ご苦労にも多少は共感できることでしょう。


もちろん、自分の脳内で今までの復習をしたり、
アイデアを創造する時間に徹しても良いですけど
教えるつもりで本質を再考するのも有益ですよ。


というわけで、多くの方々に読んで頂く価値があるか
分かりませんが、いつもありがとうございます。

それでは、また月曜にお会いしましょう。
有意義な週末をお過ごし下さい。



posted by laluz at 16:00| Comment(0) | 「脳」の使い方
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