2011年12月12日

「不安」と「安心」


こんにちは。週明けの記事ということで
「おそらく皆既月食のことを書くであろう」
予測されている方もおられるかもしれません。

相手の予測通りに動くよりは、予想外の行動を
あえて取ることを旨としてきた者ですので、、
今回は違う記事にしようと思います。

しかし、私の特性を把握しようとするチャレンジングな人
においては「哀れな…そう来ると読んでいましたよ」
言わしめることになるかもしれません。

そうなれば「…と先読みされたことも計算済み」という
トラップを、少し先に置いておく必要もありますね。

…というような頭脳戦はなかなか面白いものです。

たまに、「先生の思考を読んでやろう」とする子も
いますが、それはそれで観察眼が養われるでしょう。
(人間把握なら、私以外の方が良いと思いますが)

まあ、「…ということも予測していた」という読合いは
相手を選びますし、日常的には「別にどちらでも良い」
ですよね、私も常時そのようには考えていませんし。

(むしろ、あまり考えてないように映るようです、
 「何を考えているか全く読めない」という意味で)


さて、こんなどうでもよい話を長々続ける意図はなく。

「AかBかCか」という読み合いは他者との間だけでなく
「自分自身との対話」でもそのまま当てはまるという
ことが今回のポイントです


「AかBか、それとも?」という自問・葛藤。

Aを取りたい自分と、Bの方が良いんじゃないかと
囁く(ささやく)自分、その内心での対話は、上記の
「頭脳戦」そのままです(その「難度」は別として)。

Aを取りたいけど、もしかすると〜かもしれないし
それならBの方が将来的にはいいんじゃないかな…
でもやっぱり〜のことを考えると…

というような情報錯綜下での「やり取り」で、
人は悩み、不安を覚えます。


自問自答で「ワケが分からなくなる」と仲裁者を
求めます(すなわち、人に相談するわけですね)。

私も、そのような人生相談の大小様々を昔から
よくされましたが、本質はその「頭脳戦」の補佐です。

相談者として「結論は決まっている場合」には
本当にその決断で良いという「後押し」をし、
(自ら結論した道を行く上での注意点のみ示せば)

どこで悩んでいるのかさえ分からない場合については
当面の目的と最終ゴールは何か、その為の時間コストは?
というような乱雑に散らかった情報を集約化させて、
選択可能な道筋を、ぼんやりと示すこと。


私のことを「軍師」といって各々の重要局面で
アドバイスを求めてくる人もいたりしますが、

一番重要な助言は「自分を確信せよ」です。

自分自身で「上手くいかないんじゃないか」など
思っているようでは、「頭脳戦」では勝てません。

「勝利を確信していてダメだったら余計苦しい」とか
そう思うんだったら、挑戦しない方が良いでしょうね。

ずいぶん昔の記事でも書きましたが、この世界で
自分だけが自分の最大の理解者であり、自分を
信じている者でなければなりません。


「安心」も「不安」も、どちらを選びたいかだけの話。

「安心」とは他者が与えてくれるものではなく、
「不安」と向き合ってそれを克服した者にのみ
与えられるものです。


「皆既月食」も古代の人々は、不吉の予兆として
「不安」を覚えたり、逆に天恵と捉えて「安心」したり、
と、その捉え方は様々だったことでしょう。

全ての事象を、どのように捉えるかは自分次第です。
(時代の解釈に流されることなく自分の解釈で)

同じ事象を捉えて「不安」になるのも自由、
「安心」するのも自由。シンプルな理です。



…と、ちょっとまとまりが悪いですが
時間切れなので、今回はこの辺で。。

今週もよろしくお願い致します。




posted by laluz at 16:00| Comment(0) | 「脳」の使い方
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