2012年01月17日

「学力格差?」


皆様、こんにちは。

「センター試験,数学UB,難化」という検索で
かなり多くの方々が訪れてくれていますが…

それくらい「地雷」だったと思いますね。

後で解き直せば「言うほど難しくない…」と思う
問題でしょうが、本番で感じる「難しさ」は
相応のものだったと推察できます。。

「守り」の姿勢で、必要得点を確保できたか
という判断が、もっとも問われた科目でしょう。


さて・・・

先日「学力格差」の話題を生徒の子と話していて
最近では、分数や中学数学を教えたり、作文の書き方を
教えたりする大学も意外とあるみたい…と私が言うと
「日本の将来はどうなるんでしょう」と憂いていました。

ただ、今も昔も全人類が読み書きそろばんを
完全習得できたわけではなく、極端な仮定の話、
その構図の本質は変わっていないのだとすれば、
国家の将来を憂う必要はない気もします。


(学力水準よりは人口政策の方が国家課題でしょう。
 ただ、ここで「国家」の在り方とは何か?を論ずるのは
 差し控えておきます、有意義ではありますが。。)


古き良き時代には、読み書きそろばんが出来なくとも
温かい人間力で影響力を及ぼしてきた人はいるでしょう。

結局のところ「学問」とは「それで何をするか?」
という「目的」の元に用いられる「手段」であって、
「学問の為に学問をなす」のは過程でしかないはず。


逆に「学問ができない人」を憐れむような
優越感・特権意識に浸る形で働く学力ならば
むしろ有害でしかないと言えるでしょう。


「分数が出来ない大学生」という書物が昔に
話題になったようですが、「分数」についての
「本質を分かっている」人も案外少ないはずです。

円周率について「分かっている」人は
もっと少ないかもしれません。

小学生の男の子たちが挑む「灘中算数」も
解ける大人の方が少ないのが現実でしょう。

しかし、灘中算数が解けない人を指して
「算数もできないの??」とは言いませんね。

結局「相対的な学力尺度」上の僅差でしかなく
五十歩百歩の違いでしかないと思います。


大切なのは他者と比べてどの位置にあるかではなく
「自分の求めるもの」との距離感の中において
「必要な学力」を磨いていくことのみ。

私の関わる生徒の皆さんは、より大きな視野で
各々の「目的」のために日々学力を高めることを
ただ楽しんで欲しいと思います。



それでは、今回はこの辺で。。


posted by laluz at 16:00| Comment(0) | 日記
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