2012年01月27日

「失敗」を理解する


皆様、こんにちは。

前回、「ダリの言葉」

Mistakes are almost always of a sacred nature. Never try to correct them. On the contrary: rationalize them, understand them thoroughly. After that, it will be possible for you to sublimate them.

を紹介しました。

「間違いは神聖なもの、それを正すというよりは
合理的に考え、徹底的に理解せよ。そうすれば
間違いを昇華することが可能になる。」


という趣旨ですが(「mistakes=間違い」としておきます)
この点について良い質問がありました。


「過而不改、是謂過矣」[論語]

=過ちて改めざる、これを過ち(あやまち)と謂う。


先日『中国古典の名言録』で
紹介した孔子の言葉です。

失敗するのは過ちではなく、それを修正せず
次に活かそうとしない姿勢が「過ち」なのだ
というわけですね。



さて、この上記2つの「意味の違い」は
どのように理解するのか?という質問です。

結論から言えば「核心は同じ」でしょう。


確かに、ダリは「間違いを正そうとするな」と
言い、孔子は「過ちは改めよ」と言っている点、
矛盾しているようにも見えます。


しかし、ダリは続けて「間違いを合理的に考え、
それら間違いを徹底的に理解せよ。」と言います。

例えば、日々の勉強において間違いを犯しても
「あー、ミスした」と考えなく消しゴムで直す
ことに意味はないということです。

なぜそのような間違いをするのか?という点を
じっくり考えて徹底的に理解することこそが
大切なのだとダリは言っているのです。

間違いだと思ったことが、新しい創造のヒントと
なるかもしれませんし(芸術の世界だけではなく)、

失敗について考え抜く姿勢があってこそ
確かな成功に繋がるはずです。


間違いや失敗について「考える」ことが
なければ、その者はいつまでも同じ失敗を
繰り返すことでしょう。

ダリは、そのように考えることなくして
間違いをすぐに訂正しようとする必要はない、
と言っているわけですね。


以前も少し触れましたが、計算ノートについて
単純計算ミス以外は消しゴムを使わない方が良い
と述べているのも全く同じ趣旨です。

自分の間違いを歴史に残すのがノートの
役目であって(後で自分が見返すために)

キレイな正解だけを書いたノートなど
あまり意味がありません。


(実力で全部完答できるならば、その問題はそもそも
ノートに残す意味がないと言っていいでしょう)


答え合わせ時も、赤ペンで答えを書き写すのは
得策ではありません。ポイントだけ書いて
後で解き直すようにすべきです。


・・・と、脱線しましたが、

「過ち・誤りをしっかり消化して、次に繋げなさい」

という核心において両者は同一と思います。



間違いや失敗についてクヨクヨ思い悩んだり、
逆に何も考えずに済ませてしまう姿勢ではなく、

間違い・失敗を「合理的に、徹底的に理解する」

そのことが「去った過ち=過去」を乗り越えて
未来に進む力の源泉と言えるでしょう。



それでは、今週はこの辺で。

また月曜日にお会いしましょう。



posted by laluz at 16:00| Comment(0) | IQ・知能
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