2012年02月08日

RELATIVITY


皆さん、こんにちは。

さて、「relativity」=「相対性」です。

アインシュタインは述べました。

「熱いストーブに手を置く2秒間は2時間のように感じ、
 素敵な異性と過ごす2時間は2分間のように感じる。
 それが相対性である。」


要するに、同じ尺度で、同じ長さの「時間」
(光速との関係では「時間」すら相対的ですが、
 地球上においては、ほぼ同じ)であっても、

主体によって長く感じたり短く感じたりする
相対性があることを、ユーモアで表現したものです。

ただ、意外に真実を示唆していると思います。

全ては「相対的」なもの。


同じ86,400秒の日々であっても、
その「相対性」は生命の数だけあります。

あらゆる「価値」も全て「相対的」。


…このブログで、教え子を優秀だと褒めるせいか、

(ブログで書く前からも言われましたが)

「先生の生徒さんは皆さん優秀ですのに、
 うちの子に指導して頂く資格があるかどうか…」

というような趣旨のことを仰るお母様もおられます。
おそらくはご謙遜によるものと理解していますが、

個人的には「優秀ではない人」などいない
(正確には優秀かどうか区別できない)と思います。


確かに、中学1年生から創造的な数学センスで
苦労することなく難関数学まで進んでいく子、
東大の先を見ながら勉強する子は優秀でしょう。

しかし、分数で苦労しながら一生懸命に頑張る子を
「優秀ではない」とは一瞬たりとも思いません。

自分の掲げる目標に対して「覚悟」を持って
向き合う者であれば、そこに差異はありません。


現在の教え子にも、数学が超得意な子もいれば
苦手としている子も、もちろんいます。

ただ、それは「スタート時期」が違っただけで、
(前者は「私」が早期指導をしているだけ、
 後者はそうではなかったというだけの違い)

「脳力」に差があるわけではありません。

「先生の生徒ってみんな頭いいから、
 自分が一番出来が悪いかも…」とか
そういうことを言う子が、たまにいます。

それも一種の謙遜(あるいは自己防衛)だと
理解していますが、私は「比較する」という
視点を、本来的には持っていません。

(それは「社会適応力」欠如と紙一重ですが)

以前にも記事に書きました通り、私は今でこそ
高知能保持者ということになっていますが、
幼い頃は本当に何もできない未熟児でした。

そのような私にとっては「頭脳」の優劣を測る
そもそもの「視点」も「資格」もありません。

「私が教えることになった相手なら、今そう思えるか
 どうかは別として、絶対に大きな才能があるよ」

…そのように答えます、それが本心なので。

そして、本人がそう望めば「必ずそうなります」。



「才能の種」の芽吹きが遅いだけならば、
今までの環境をゆっくりと考えながら、
温かい心を差し向けてみれば良いでしょう、

春の「創造の光」を感じた新芽のように
伸びやかに才能を顕現させる様が想像できます。


(焦ったり、栄養をやり過ぎたりして過度に
 干渉しすぎると「種」や「芽」が腐ってしまいます)


周りのペースはあくまで「相対的」なもの、
自分のペースで「今」に感謝して生きること、

自分がここにいて、自分を支えてくれる存在、
(そんなもの何一つない!と感じるような人は、
 絶望的状況にあっても絶えず鼓動してくれる
「心臓」に思いを馳せるべきです)


それらが「ただそこに在る」という一点でしか
「絶対」というものは考えられないでしょう。

(それらさえ「存在」しないという説や
「絶対」を「神」と呼ぶか等は置いておきます)


それぞれの「目標」「難関」があるわけで、
その高さは客観的に比較できるものではありません。

「万人が称える難関」を越えるのは素晴らしいですが、
「自分にとっての難関」を誇り高く越えていくことが
何よりもかけがえのないことだと思います。


各々の目標を「実現する!」という意志があるか、

私にとってそれだけが「絶対」であり、それ以外は
良くも悪くも私にとって「相対的なこと」なので
正直のところ全く重要ではありません。

「何者かどうか」は他者が決めることではなく
自分が決めれば良いことと思います。



・・・ちょっと説教・説法じみてしまいましたね、

ただ、これも「相対的な考え」でしかありませんので
じっくり考えていかれる方も、失笑してしまう方も
それらはどちらも正しい在り様だと感じます。


それでは、今回はこの辺で。。



posted by laluz at 17:00| Comment(0) | IQ・知能
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