2012年03月06日

「メビウスの輪」


皆さま、こんにちは。

(今日も更新が遅い時間となりましたが…)

今日は「表」と「裏」について考えてみようと思います。

「表(オモテ)」と「裏(ウラ)」と
いうものは日常生活で重要な概念ですよね、

平面上の物を手にすると、どちらが「表」
なのかを無意識に考えてしまうくらいに
表裏の概念は「刷り込まれて」います。

それは生活上必要なことなので良いのですが、
表と裏を同時に見ることなく「表」だけを見て
全体を判断してしまう愚を、人は犯すもの。


自分と正対している面を「表」としても、
その「裏」側も確かに存在しています、、

その対象は、「表と裏」があってこそ
「全体」を構成しているわけですから。

特に、日常の3次元物体については、
外見上の表・裏だけでなく、その内面についても
「総体」として見ていく必要があります。


この「表・裏」の概念は、人の性格などについても
用いられます、あの人は裏表があり過ぎるとか、
あの態度には何か裏がある、というように。

しかし、この「オモテ」というものは、表面上
見え易い要素と考えられているだけであって、

対象においては表も裏もなく「全体」として
ただそこに存在しているだけです。

ということは、自分にとっての「オモテ」が
相手自身にとっても「オモテ」とは必ずしも
限らないという事実を想定しておく必要があります。


全ては「相対的」なのですから。

本来的には、「人の性質」のようなものは
「メビウスの輪」のように表も裏も区別ない
形相なのではないかなと感じます。


遠目から見たら、オモテのように見える面だけを
見て、惹かれたり(あるいは不快に思ったり)
しますが、距離が縮まり共有時間が増えると
オモテからは見えなかったウラ面が見えてきて、

逆に幻滅したり(あるいは見直したり)する
ということが、一般的にはあるでしょう。

しかし、それはどちらも相手の要素であり、
時間をかけていくとウラもオモテもなく、

良くも悪くも「全体」を外観できたという
だけに過ぎないのだろうと思います。


このことは人体・健康面においても同様で、
オモテに見える外見だけでなく、ウラとも
いうべき(個人的にはウラと思いませんが)
内臓など体内組織・諸器官についても、

まさに眼前に見ているかのごとく把握して
労わってあげるかどうかが健康のカギになります。

目に見える部分を知覚・認識できるのは当然、
目に見えない部分(隠されたウラ)について
どこまで「意識を配れるか」が知力と思います。


これはもちろん、疑心暗鬼になることを意味しません。

オモテだけではなくウラもあってこその全体である
という認識があれば、「本質」に近づけた意識こそあれ、
悪い意味の「変化」と捉えて驚くことはありませんし、

そもそも「未知の要素」がどのように現れてくるかは
我々自身の対応次第で、良くも悪くもなります。


人間関係にあっても、相手の変化に戸惑うより
相手の変化を楽しめば良いでしょう。

どんなに高価で貴重な革製品でも、経年劣化とともに
変化していきますが、お手入れや愛情のかけ方で
その経年変化が至高の風合いに変わるものです。

新品の頃はキレイだったのに…ボロボロになった…
というのは自身の扱い方の未熟さを露呈しているだけで

物を知る人によっては、同じ経年数でも
「好ましい変化」となっていることでしょう。


「変化」を受動的に捉えるのではなく、
「変化」はともに創り出すもの、という意識であれば

「諸行無常」の世界も意外と楽しいものです。


そもそも「諸行無常」の世界でなければ、
「自身の思うように事象を変化させる」ことが
最初から出来ないですからね…。

そういうわけで、どうせなら「変化」を楽しみ、
望ましい「変化」を自ら創り出していきましょう。


それでは、今回はこの辺で。。



posted by laluz at 21:00| Comment(0) | IQ・知能
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]