2012年03月26日

「プライド」論


皆さま、こんにちは。

春というのに冷え込みが戻ったりして
体調をコントロールしにくい時候です、
くれぐれもご自愛下さいますように。


さて、今回は「プライド」について考えてみましょう。

私は昔から「プライドが高そう」と言われてきました。
今でもそう思われることがあるでしょう、きっと。

ただ、それは必ずしも褒め言葉でないはずですが、
「高そう」ではなく「ありえないくらい高い」ですよと
和かに訂正すると、相手も和やかに微笑んでくれます。


そういう訳で、人々の言う「プライド」とは
どういう定義なのだろう?と幼少から考えてきた
言葉なわけですが、改めて整理してみることに。


(一般的には「プライドが高そう」に見える子が、
 教え子に多いので、その見地からも有用でしょう。)


まず、「プライド」とは・・・

『広辞苑』では「誇り。自尊心。自負心。矜恃(きょうじ)」

『日本国語大辞典』では、「自分の才能や個性、また業績などに自信を持ち、他の人によって自分の優越性・能力が正当に評価されることを求める気持ち。また、そのために品位ある態度を崩すまいとすること。誇り。自尊心。自負心。矜恃(きょうじ)」

・・・とあります。さらに以下それぞれ、

「自尊心」=「自分を尊び他からの干渉を受けないで
        品位を保とうとする心理や態度。」

「自負心」=「自分の才能などに自信を持つ気持ち」

「矜持」=「自分の能力を優れたものとして、他に
      誇ること。尊大、荘重な態度をとること。」


というニュアンスのようです(『日本国語大辞典』参照)。


なるほど。あまり好ましい意味ではないようです。

こういう使われ方から「プライドが高い」というのは
必ずしも称賛する意味ではないのでしょう。

「プライドを傷つける」という表現もありますね。

しかし、「プライド」というものは
「傷つくこと」があり得るのでしょうか??

何物にも触れられないほど至高の精神、
究極に純化した「自我」そのもの、

そのレベルで自分に自信を持っていれば、
他者や浮世の状況によって惑わされることや
ましてや傷つき、汚されることなどないはずで。



「プライドを傷つけてしまった」という表現は
本来、成立しない性質のものだと思うわけです。

「豆腐でダイアモンドを割る」といった具合に。

シェークスピアの対義結合レトリックのように
「冷たい炎」「醜い美女」「傷ついたプライド」、

そのような「修辞表現」であれば機知に富んでいますけれど

実際にはプライドは傷つくものなのだと
思われているように感じてしまいます。。

傷つくようなプライドは、そもそも
「プライド」と言えないはずでしょう、

簡単に傷が入る石がダイアモンドではないように。

そして、ダイアモンドが自分が本物であることを
他に誇示したりしないように、「誇り高き者」も
自分自身を他者に誇示したりしないはずです。


優越感や他者を見下したりは未熟さを露呈するだけ。

ただ、超然と自分がそこに在るということが
真理であり、重要なことだと思いますね。


精神が成熟する過程においては、自分を守るための
自分勝手な理想を「プライド」と思い込んで
他者に押しつけることはあるでしょう。

特に男の子は「プライドの生き物」として
思春期になると「彼のプライド的なもの」を
尊重しないと扱いは難しくなったりします。


逆にいえば「彼のプライド的なもの」をうまく
褒めて育ててあげれば、芯の強い精神力に導いて
あげることができるわけですけれども。

(女の子は、男の子より精神成熟が早いので
 下らないプライドに踊らされることは少ないとしても)


幼虫・サナギ・羽化した成虫と進化していく昆虫も
進化の節目はまだ柔らかく、容易に捕食されてしまいます。

その節目節目で、まだ十分固まっていない各々の
「プライド的な何か」を、ご家庭や周りの支援者が
温かく保護してあげて、本当の意味での「プライド」に
高めていくことも、教育の大切な要素かも知れません。


私の教え子にも、負けん気が強く、自分の才能に
自信を持っている子は少なからずいますが、
今はまだ「辞書的な意味のプライド」だとしても

事象に左右されない「真の誇り」にまで
育ってくれると教育者としては嬉しい限りですね。


「プライド」論 とした割には中途半端ですが、
これ以上長いのも読みにくいので、この辺で終えましょう。


それでは、今週も宜しくお願い致します。



posted by laluz at 16:00| Comment(0) | IQ・知能
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