2012年04月26日

「精神力」


皆さま、こんにちは。

今回は「〜力を考える」ということで
「精神力」について考えてみましょう。


精神力が強い・弱い、とか、
精神力で最後まで成し遂げた、とか、

そのように言われることから考えると
「精神力」は高い方が良いのでしょう。

この「精神力」とはどのようなものなのか。

(そもそも「精神」とは?というところまで
 考えると、高度な哲学論議になりますので、
 ここでは問題提起しかできませんけれど。)



【精神力】とは・・・

 精神を支えている力。精神の強さ。気力。
 何かをやり抜こうとする意志の力。根気。


【精神】とは・・・

1 人間のこころ。また、その知的な働き。
2 物質的なものを超越した霊妙な実在。
  生命一般の原理とみなされた霊魂、たましい。

3 物事を成し遂げようとする心の働き。気力。
4 物事の根本的な意義・理念。
5 歴史的過程や共同体などを特徴づける意識形態。
  個人を超えた集団的な一般的傾向。時代精神。


…といった意味合いのようですね。


知能に関わる「精神年齢」についても

1 精神の発達程度を測定年齢で表したもの。知能年齢。
  (1908年にビネーが考察。知能検査に基づく。MA。)
2 ものの考え方や行動からみた、精神的な成長の度合い。


…と、「精神」という言葉は多岐に関わります。

「精神年齢」という時は「心の知的働き」の意味合いで
「精神力」という時は「物事を成し遂げようとする
 意志」という意味合いでしょうか。

「精神力」が強いというのは「物事を成し遂げよう
とする意志、困難を克服できる気力」が強いという
ニュアンスで理解しても間違いではなさそうです。


さて、この意味での「精神力」ですけれど
「精神力」を鍛えるとか必要なんでしょうか?

「物事を成し遂げようとする意志」
「困難を克服できる気力」というものは、
本当にそう覚悟していれば、伴っているのでは?

真剣に物事を成し遂げようと思っていないのなら
物事を成し遂げられないのは当然だと思いますし、
「精神力の差だ」という表現は負け惜しみでしょう。

「精神力の差」というより「本気で取り組んだか」
だけの差の気がします、ハンデの有無はあるとしても。


「獅子は兎を狩るにも全力を尽くす」の例えが
ここにおいて適切かはわかりませんけれど、

「目的に対して真剣でない」なら「精神力」云々
以前の問題で、勝負の土俵に立っていないというか…。

上記の見地で「精神力を鍛える」というのは
悪い意味での「ゆとり」教育的表現に感じます。

「自分に甘える」なら、そこまでの器量でしょう。

大災害で生死を彷徨った方々は、決死の覚悟で
生き抜かれたことと思います、正に「精神力」で。

そういうものは甘えを克服する云々ではなく
運命に対して本気になれるかどうかだけだと
どうしてもそう思ってしまうわけですね。


全ての事象に対して生死をかけて全力投球するのは
エネルギー消耗が激しいですし、暑苦しいですが、

決めるべきところは覚悟を持って真剣になる、
その程度は「言われてやる」ものではないはず。


(私の生徒にも「決める時は決める」子が多いので
 その点は「さすがだな」と感心しています。)

「精神力」というものは結局よく分かりませんが、

運命に対して真剣に向き合う姿勢という意味では
間違いなく「人生の鍵」なのだろうと思います。


…と、説法のようにお堅くなりましたが、
そんな回もあるということで。

それでは、今回はこの辺で終わります。



posted by laluz at 17:00| Comment(0) | 「力」を考える
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