2012年05月03日

「 忍耐力 」


皆さま、こんにちは。

「〜力を考える」というわけで、
今回は「忍耐力」を取り上げます。


「忍耐力が足りない」とか耳にしますが、
「忍耐力」ってどういうものなのでしょうね?

簡単に一般的「定義」を見ていくと…

「忍耐力」= 苦しみやつらさに耐える力。
つらい事などを、たえしのぶ力。辛抱する力。


…というところが辞書的意味のようです。


この「忍耐」は西洋の四元徳(cardinal virtues)

「正義(justice), 思慮分別(prudence),
 節制(temperance), 忍耐(fortitude)」

に列挙され、古来より重視されてきました。


ただ、fortitude は苦難・逆境に耐える力、
不屈の精神という勇気・強固な意志・剛毅性を
表すニュアンスで、辛抱強さ、我慢強さという
patience,endurance とは趣が異なるでしょう。

人間の徳目としての「忍耐力」とは、他ならぬ
「不屈の精神」あるいは「勇気」の表れであって、
誇り高く耐え忍ぶものでなければなりません。

自分の「信じるもの」あるいは「守るべきもの」のために
逆境・苦難に屈することなく試練を乗り切る強い意志、

それこそが「忍耐力」の本質でしょう。


自分はこうしたいけど仕方ないから従うのは
それはそれで有益な社会適応力の一つと思いますが
褒められるべき「忍耐力」とは思えません。

自分の信念を持って、それを実現するために
試練に対峙するというのが核心になければ。

以前の記事でも「現実社会というものは、必ずしも
合理ではない」という趣旨のことを書きましたが、

現実の諸事は「理不尽」であることも多々あります。


私とともに学んでいる生徒の皆さんは聡明ゆえに
大学入学あるいは卒業する頃には、ある程度
「合理的に行動できる者」になっているでしょう。

しかし、現世は「計算の前提」自体が不安定で
一見「理不尽」であることの方が多いものです。

「ルールが明解で、一般的知能を有する者なら
合理的と考えるであろう行動を皆が取る」という
仮想モデル世界ならば、全て計算していけますが、

現実世界は問題そのものが与えられておらず
ルール自体も共有されていないことが多いもの。


数学で「前提条件」が明示されていなければ
詳細に場合分けした上で証明しなければならないように、

現実においても諸々の「場合分け」をしながら
「最適解」を検討していかなければなりません。

聡明な皆さまにとって最も必要な「忍耐力」は
「理不尽をどう受け止めることができるか?」

これに尽きると思います。


自分の「論理性」や「常識(と信じるもの)」と
相容れないもの、あるいは自己の裁量を超える不遇
(不慮の事故etc.)といった「受け入れがたい事象」、

それらにどう対処するのか。無視するのか、
完全否定するのか、感謝しつつ受け入れるのか、

同じ「忍耐」という行為でも、その先に
何を見つつ耐え忍ぶのか?で大きく違います。

耐え忍ぶことで何が見える?という意識なければ
ストレスや精神的苦痛で押しつぶされてしまうでしょう。

しかし、試練に打ちのめされ地面に這いつくばる、
そのような時期があるとしたら、それは「先を見よ」
という趣旨ではないだろうと私は思います。

むしろ「足元を見よ」「自分自身を見つめよ」
という趣旨の方がおそらく多いことでしょう。


傲慢・怠惰・強欲・暴食…そのように「自己管理」
できていない時期に、己を見つめ直させるため
試練は用意されているのかもしれません。

先を見すぎて足元を見ないでいると転びますし、
足元ばかり見ていて周囲に目を配る余裕がないと
大切なものに気づかず通り過ぎていきます。

忍耐力とは何か?

走りすぎた時は、立ち止まる勇気、
転んだ時は、ゆっくりと立ち上がる勇気、


それらに近いような気がしますね。


…例によってまとまりにかける文章ですが
今回はこの辺で終わりましょう。


いつもありがとうございます。



posted by laluz at 15:00| Comment(0) | 「力」を考える
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