2012年05月09日

「 自己愛 」


皆さま、こんばんは。

今日も更新が遅くなってしまいました…

「書かなければならない」とか「遅れないように
 更新しなければならない」とかいう意識はないので、

( 義務感を伴うと楽しめませんからね。)

皆さまものんびりお付き合い下さればと思います。

正直、このブログの「意義」は分かりません。

一応「塾ブログ」という形になっていますが
宣伝や勧誘などするわけでもありませんし、

(基本的には「遠ざけている」でしょう!)

じゃあ個人ブログかと言えば、そうとも言えません。

(私の個人ブログなら対象テーマが広範囲に
 なりますし、より「非日常」にシフトします。
 読みたいというお声はたくさんあるようですが。)

「何のために書いているのか分からない」けれど
「毎日書き続けてみる」という試みは
 なかなか面白いものだと楽しんでいます。

今まで合理的にしか行動しなかったので
「合理か否かの判断を越える実験(遊び)」です。


「今日の食事メニューは何にしようかな」と
日々考える方々のように、「今日の記事は何に
しようかな?」と考えるのは、創造的思考を
遊ばせる上では悪くない習慣というか。

その延長線上で、ブログを楽しんで下さったり、
知的栄養を得て下さる方々が多くおられるなら
それはプラスアルファで嬉しいことですし。

さて、前置きが長くなりそうなので本題に。

「自己愛」という言葉は、日本ではあまり
歓迎されないような、微妙な雰囲気を感じますが、

このブログを長期間お読み下さっている方々、
「現実世界」で私にお付き合い下さっている方々は
既にご承知のように、私は「自分」が大好きです。


(私を実際ご存じない方々にとっては「はあ…」と
 微妙なリアクションしかできないと思いますが)


「自己愛」というのは、なぜ消極的イメージなのでしょう?

まず「自己愛」の定義を一般的辞書で確認しますと、

【 自己愛 】
 1 ナルシシズム。自分自身を愛の対象とすること。
 2 自己陶酔。


…というような意味合いです、なるほど
これはちょっと困った感じですね。。

「自己愛」と一口で考えずに、健康的・適応的な側面と
不健康的・不適応的側面とで区別すべきでしょうに。

要するに、健全な形での「自己愛(self-love)」と
不健全な形での「自己愛(narcissism)」に分けて
考えていくことが大切なのではないかと思います。


精神が未熟であれば、「自己愛」の形質もネガティブ、
すなわち自己中心思考・行動や、過剰な自己顕示、
他者を受け入れない批判傾向、といった形で
「残念な方向」で現れてしまいます。

一般的に「自分大好き」人間が嫌われるのは自己顕示が
強すぎたり、同意が得られないと不機嫌になる、
相手の批判をするくせ自分への批判には耳を貸さない…

などの人格的未熟性を有する傾向が多いことが
その原因なのだろうと推測します。。


「自分の世界」だけに耽溺してしまい、
周りが見えないというのは悲しいものです。

そのような未熟で不完全な傾向は、
この記事でいう「自己愛」ではありません。

自己を愛するというよりは、未熟な自己を外敵から
守るための「鎧」「殻」でしかないでしょう。


(精神疾患としての「自己愛性人格障害」として
 自分と戦っておられる方々については、もちろん
 配慮が必要だと思います。無事に克服されますように。)


健全な「自己愛」とは「在るがままの自分を
絶対的に信頼し、心から感謝し、愛すること」です。


今までの記事でも何度か触れてきましたが、

「運命を支配する」ことは「自分を愛すること」から
始めるといっても過言ではないと思います。

「この世界に存在していて良い」と決めるのは
他者でも、ましてや「神」でもなく「自分」です。


絶対的「肯定」。

健全な「自己愛」に充たされた者においては
遍く存在のすべてが「肯定」されたものです。

自分が自分を愛するように、他者のそれぞれも
等しく愛されるべき存在であると知る者。

それこそが「自己愛」の本質だと思います。



弱い自分を守る「鎧・殻」としての自己愛ではなく
自分を含めた人々を優しく包み込める「自己愛」なら、

とても印象的に受け入れられることでしょう。

この「私」についても温かく受け入れて下さる
皆さまのご高徳には、いつも感謝しています。

それでは、今回はこの辺りで。



posted by laluz at 23:00| Comment(0) | 「脳」の使い方
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