2012年05月23日

「対価」について


皆さま、こんにちは。

これから定期考査だ!という方もおられますが
多くの教え子においては概ね「峠」を越えたので、
私としても少しずつ平穏を取り戻せそうです。


小学生〜中1生から私が教えている子の多くは
実際のところかなり先取りしていたりするので
定期考査前でも悠然と難関演習など解いていたり
あえて試験前の授業をお休みにしたりしますが、
(定期試験対策は私としなくても出来るので…)

高校生から指導担当した生徒さんの場合は、
どうしても定期試験対策の時間が増えます。。

進学校の場合、定期考査であっても大学入試問題が
容赦なく出題されますので気が抜けませんけど、

その分、定期考査対策をしっかりして理解を確実に
していけば入試対応力が付くということなので、
頑張ってフォローアップして欲しいと思います。



・・・前置きはさておき「対価」について。

「対価」とは…

「ある給付の代償として相手方から受け取るもの」


…このように定義しておきます。

事物の売買・賃貸借など日常契約においても
正当な「代価」の支払いは必要でしょう。

その「代価」「対価」とは如何ほどか?
という点については、個々人で異なります。


経済学のお話になるので深入りしませんが、
「需要と供給」のバランスで価額は決まりますね、

その価額でも適正だ(むしろ安い)という人は
合意すればよいですし、高価だと思えば
契約しなければよいだけのこと。

(情報の非対称性や経済心理学・経済行動学的には
 そう単純化できないことも多いですが原則的には。)


ただ、「対価」を適正評価するための情報が偏在せず、
消費者に対して広く提供されている条件下でも、

情報がここまで多量に溢れている場合は
情報の真偽を判断し、取捨選択するコストが
想像以上にかかってしまうことになります。

(この辺りは昨年6月の記事「Rankingの意味」でも
触れましたので、ここでは繰り返しません。)

(…導入部分があった方がいいかなと思いましたが
 ちょっと時間が足りなさそうなので、本題に!)


今回の記事が想定する「着地点」は、

「対価」は過不足なく、喜びを持って支払う、

ということの重要性です。


「対価」というものは必ず発生します。

それがどんなものであったとしても。

自ら自主的に「対価」を喜んで支払えば、
その対価の給付は必ず得られることでしょう。

(一般的な「善行」もここに含まれます。)

逆に、何らかの利得を得たにもかかわらず
「対価」を支払わないならば、それがどのような
形態をとって現れるかは別として、必ずその
「対価」を否応なく支払わされるものです。


「質量保存法則・エネルギー保存法則」をここで
持ち出すのは非科学的との誹りを受けましょうが、

案外、理に適っている法則のように思います。

支出については嫌々ではなく「喜んで支払う」
その意識だけで、その対価・行動についても
一層の意味を持ち出すことでしょう。

一時的な「損失」を愚かしく嘆くのではなく
その「対価」を自主的に支払ったと捉えるだけで
事物の移り変わりは驚くほど好転するものです。


支出についても感謝しながら行うことで
更に多くの友を連れてその対価は戻ってきます。

その「対価」をまた、人々が豊かになる方向で
感謝して送り出してやれば、また里帰りしてくる、
その繰り返しのような気はしますね。。

輝く知性が、金銭に振り回されるのは本末転倒です。

かといって金銭を蔑視するのも浅ましきこと。


接し方を正しく理解すれば「お金」というものは
「自分」「社会」を高めてくれる強力な武器です。

「自ら」に対する敬意と同様の敬意をもって
「対価」を考えていくことは、自分自身を支配する上で
間違いなく不可欠な要素と感じます。。


…相変わらずまとまりに欠けますが、
今回はこの辺りで終わりとしましょう。

いつもありがとうございます。


posted by laluz at 15:00| Comment(0) | 「脳」の使い方
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