2012年09月12日

「 発言力 」


皆さま、こんばんは。

今回は久々に「力を考える」を更新します。

(前回の「表現力」が、7月19日付けでしたので
 約2か月ぶりということになりますね。。)


テーマは「発言力」ということで。

「発言力」とは・・・

発言によって他人に影響を及ぼすことのできる力
[精選日本国語大辞典]

発言で他人の意思に影響を及ぼす力[広辞苑]

・・・というように定義されています。


「発言力がある」とは「影響」の
大きさでもあるようですね。。

発言音量の大きさとかではなく。
発言内容も、さほど重要ではないかも…。

その言葉に込められた力というか、
威厳というニュアンスもあるでしょう。

英語では、「発言力」というものは、
a voice, a say などで表現できますが、
まさに「声」という意味そのものに通じます。

相手の「耳」に、正確に言えば「心・精神」に
自らの「声」すなわち、意見・主張を
いかにして届けることができるか?

というのが「発言力」の核でしょう。


武力や威圧によって相手を物理的精神的に抑圧し、
反論・反抗を許さない状況下で「発言」すれば
その主張は通るでしょうが、「発言力」があるとは
言えないでしょう。それは単なる「命令」です。

「相手の精神」に響かせるように
「相手の行動」に浸みわたるように
「発言」するには、発言内容も重要ながら、

声のトーン・リズム、発言に相応しい表情、
を含めた立ち居振る舞いも大切になると感じます。


私自身「演説」というものは苦手ではないのですが、
(東京にいる時はそのような機会に恵まれていました)

私の演説を聴いた方々が褒めて下さった時に
「どの辺りの内容が良かったですか?」と尋ねると、

「内容は良く覚えてないけど(笑)引き込まれます」
という感想をよく頂いたことを覚えています。

これは別に「自慢」とか下らない意図ではなく、

演説というのは「内容より、もっと感情的な部分」で、
聴衆が話者と「対話」していると感じるかどうかが
鍵だと、それらの経験から結論付けました。


表情豊かに、身体を使って表現するというか。
ある種のパフォーマンス能力に近いと思います。

「発言」とは、単に「言葉」を発するに留まらず
いかに相手の精神までメッセージを届けるか?

そこまで意図されたものであるべきです。


相手の心にいかに届かせるか?という視点を欠く
言葉などは、ただの「ひとりごと」であり
「ぼやき」でしかないでしょう。

自分の精神に強く言い聞かせる場合も含め、
「発言」の先にある意志が明確にあるならば、

その「発せられた言」は強い力を有するでしょう。


その力強い「言」を放つ人は「発言力」があると、
そのように評すことができるのだと思いますね。

いかに「伝える」かということまで意識しないなら
「発言」というのは無意味ですし、有害ですらあります。

「口は災いの元」と言われるように。

しかし「口」ではなく「心」から発せられるなら
それは災いになるはずがないと私は考えます。

明確な意志で、力強くも柔らかな「言葉」を
発する人は、その先の「心」を響かせることでしょう。


「始めに、言(logos)があった。」の福音の如く。
(一個人だけでなく、各々の運命さえも!)


…と、長くなりましたし、
更新が遅くなるので今回はこの辺で。

いつもありがとうございます。


posted by laluz at 23:55| Comment(0) | 「力」を考える
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