2013年06月23日

『 火の鳥 』


皆さま、こんにちは。

「夏至」も既に過ぎ去りましたが、日本では
蒸し暑さを増して夏本番を迎える時期ですね?

23日20時32分にsuper moon(超月?)になりました、
次回super moonは2014年8月11日3時頃の予定。


(月は、地球を焦点とする楕円軌道上を動きますが、
地球との距離が最も近い「近地点」で満月となる時
「スーパームーン(super moon)」と言います。(


さて、月だけでなくおよそ地球生命の営みは
果てしなく「太陽の光」に左右されます。

焼けつくような日照りによる猛暑・干ばつだけでなく
磁気嵐・太陽フレアによる現代的影響もありましょう。


その太陽を神格化して敬うのも自然の成り行きです。
古代日本においても「天照大神」を通して太陽を敬い、
万物(八百万?)に対して敬意を払ってきました。



…と(長くなる前に)今回の本題に入りましょうか。

『火の鳥』:手塚治虫が亡くなる前年(1988年)まで約34年に
渡って書き続けられたライフワークと言うべき未完の傑作。


火の鳥は、永遠の命を持つ生命体(宇宙生命の具象)。

太古から超未来へ続く全ての時代を舞台にしながら
人類の興亡を見つめ続けてきた「火の鳥」の視点で、

いつの世でも変わらぬ「人間の生への執着」と
それに関連して起こる「様々な欲」との葛藤、

「限りある命」を精一杯に生きることの尊さ、
連環する生命そのものへの讃歌が壮大に描かれます。


「人間は虫よりも魚よりも 犬や猫や猿よりも長生きだわ。
 その一生のあいだに生きている喜びを見つけられれば、
 それが幸福じゃないの?(黎明編)」


「火の鳥」の血を飲めば、不老不死になれる伝説を
信じて足掻く若者に、火の鳥が語りかけた言葉。

虫たちは人間より短い一生の中で生を全うして死んでいく、
どうして人間は「与えられた今」を満足して生きないのか?

…という『火の鳥』の本質的メッセージの一つです。



「問題は永遠の生命を手に入れて……
 なぜ生きるのかということですよ(復活編)」


2482年、事故死したレオナは最新医療技術によって
脳の半分を人工頭脳にされ(人間的)死から復活します。


医学の進歩により人間の肉体的寿命は延びましたが、
どこまでをもって「治療」というのか??

新しい肉体に「脳」だけ移植して延命させること、
あるいは「記憶」をデータ化してロボット的構造体に
埋め込み、ある意味「記憶」だけで永遠に生きることが
可能になった時、それは「人間」という存在なのか?


「おねがいだ ぼくを人間かロボットか 
 どっちかにはっきりさせてくれっ!」

…とレオナは叫びますが、「なぜ生きるのか?」

それは「有限の生」が与えられた者だけが思う問い、
逆に言えばそれを問えることが「人間」の証明でしょうか。


「虫魚禽獣、死ねばどれもみんなおなじ!人が仏になるなら
 生きとし生けるものはみんな仏だ!(鳳凰編)』


数多くの人々を殺した報いを受けた後に、人の命、
生物の命の大切さに気付く主人公(我王)の言葉。

この「仏」という言葉の内実・定義については
センシティヴな問題ですので(「神」の定義と同じく)

このブログでは深く立ち入りませんけれど、
各々の感性あるいは世界観・宗教観において
じっくり再考されて見るのは有益でしょう。

(考えをまとめたレポートなど提出されるなら
 もちろんコメントを付したいと思います…。)



「なぜ機械のいうことなど聞いたのだ!
 なぜ人間が自分の頭で判断しなかった(未来編)」
 

西暦3404年から始まる「未来編」の世界では、
汚染された地上に住めなくなった人類は地下都市を作り、
コンピューターの計算を「絶対」としていましたが、

ある契機でコンピューターが戦争を決定したため、
3人の人間を残して、人類は滅亡してしまいます。
その生き残った1人、猿田博士の言葉。


計算処理においては現代でも既に、
人間はコンピュータに敵いません。

しかし、客観的データ・表層に現れない要素を
直観的に拾い上げて、臨機応変に微調整していくのは
およそコンピューターでは出来ない複雑な処理です。


「人間は常に合理的判断をするとは限らない」点
まで計算に入れたとしても、個々のミクロ視点と
社会・国家単位のマクロ視点での微調整は至難の業。

(…人間でも出来る人など僅かでしょうけれど)

少なくとも、決断の主体は「自ら」でなければ。
決断は責任を伴いますが、それでこそ「生」に緊張感が。


「今度の人類こそ きっとどこかで間違いに気がついて……
 生命を正しく使ってくれるようになるだろう(未来編)」


「未来編」では、人類は生まれては滅亡するという
サイクルを果てしなく繰り返しますが、その未来編の
最後を締めくくる「火の鳥」の荘厳な願い。

「生命の連環」「輪廻転生」の思想というものは
自身の信念からは相容れない方もおられるとしても、

遍く万物との繋がりを感じ、等しく慈しむことに
特別な障壁があるわけではないでしょう。



・・・と、のんびり書いているうちに
前回更新から10日経過してしまいました、

たった10日しか経っていないことに驚くくらい
有益かつ至高の日々を過ごさせて頂いています。

「与えられた時間を最上に用い、人の生を楽しむ」
これこそが「知力の核」にあるものと思いますが、

自分一人だけが楽しい人生を送るのではなく
自らの周りも健やかに輝かしく過ごせるように
臨機応変に諸事采配するのが「知力」の根幹。


(現在だけでなく、過去、未来の多くの生のために
 真理法則を追究する学問が広く尊ばれる理由も
 ここにありましょう。癌や難病根治の研究など…)


ミクロな視点では我々も不死鳥のように
組織的な死と再生を日々繰り返していますし、

(もちろんマクロな視点でも、人類は世代を
 継いで消滅と再生を繰り返しています。)


「火の鳥」のように雄大かつ優雅に、
 燃え盛る夏の日々を楽しんで参りましょう。


…ちょっとまとまりのない感じですけれど、
さらに長くなりそうなので、今回はこの辺で。

いつもご訪問下さり、ありがとうございます。


posted by laluz at 23:30| Comment(0) | 書物・映画etc..
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