皆さま、こんにちは。
もう夏休みの時期ですね、すでに夏季休業に入った人や
まだまだ学校が続く人、いや夏休みなんてものは建前で
補習や特別授業の連続で休みなど存在しませんよ…と言う人、
学校・学年で様々でしょうが、各々有意義な夏で
雄大に進化して下さればと思います
さて、夏休みも例年通り 授業依頼は詰んでいますが、
(先生の時間が許す限り毎日でも授業をお願いしたいと
仰って下さるご家庭も例年少なからずおられるので、
暇な夏はありませんけれど…光栄に思うばかりです。)
夏休みの境目に、所用がてらアート巡拝して来ました。
「<遊ぶ>シュールレアリスム」東郷青児美術館@新宿〜8/25
「ルーヴル美術館展」東京都美術館@上野〜9/23
「 和様の書 」東京国立博物館@上野〜9/8
「プーシキン美術館展」横浜美術館@横浜市〜9/16
「アンドレアス・グルスキー展」国立新美術館@六本木〜9/16
「レオ・レオニ 絵本の仕事」bunkamura@渋谷〜8/4
「おかねの材料とつくりかた」日本銀行貨幣博物館@日本橋
「色を見る 色を楽しむ」ブリジストン美術館@京橋〜9/18
「浮世絵 Floating World(第二期)」三菱一号館美術館@丸の内〜9/8
「ハリーポッター展」も六本木ヒルズであり、
少し覗いてみようかなとも考えましたが、残念ながら
作品を詳しくは知らないので止めておきました…。
(空想の魔法世界ではなく「現実世界」での魔術論なら
実際に知力と敬意を以て接していたりしますけれど。)
他にも、色々と秀逸な展覧会などはありましたし、
(「マリーアントワネットと東洋の貴婦人」@本駒込、
「『深海』展」@上野などは本来行く予定でした…)
芸術に優劣を付けられるものでもありませんが、
「展覧会」の質・本気度という見地で秀逸なのは
文句無しに「 和様の書 」展 でしょうか。

「三跡(小野道風、藤原佐理、藤原行成)」の
高貴で優美な書の数々を拝見できるのみならず、
国宝『御堂関白記』の「藤原道長」書跡を筆頭に
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など天下人の書体を
実際に見比べながら読む機会というのは貴重でしょう。
「書」の成りは「人」の成りを表すと言われます。
名だたる大器が、何を想いながら筆を運んだのか。
奥方や孫娘へのいたわりを示す消息文では
天下人の前に「男」としての温かみを感じます。
時空を超えて天下人たちの書跡が「そこに在る」
(『御堂関白記』は1000年の時を超えています)、
悠久な時筆の流れと、和歌集など和文化の雅を
趣深く感じられる知的な特別展でした。
和様に劣らず心躍ったのは「レオ・レオ二」展、
(昨年末、京都でも開催されていたようですね?)
『スイミー』で有名な絵本作家ですけれど、
私も 幼い頃から大好きな作家の1人です。

「フレデリック」(c)1967, renewed 1995 by Leo Lionni
/ Pantheon Works by Leo Lionni, On Loan By The Lionni Family

「アレクサンダとぜんまいねずみ」(c)1969, renewed 1997 by Leo Lionni / Pantheon
美しい想像の世界を作り出し、読む人たちを
魅惑的な空想の旅へ引き込んでしまう「色の魔術師」。
絵本の原画が展示されていて、絵本では現れてない繊細な
切り絵原画のニュアンスなど、愛読家なら癒されましょう。
大人になって読んでも得るところが多いですし。
絵本スペースではレオ二の絵本が誰でも自由に
読めるようになっていて、実際に小さな子とお母様が
ご一緒に読まれているのは微笑ましく思いました。
私も 絵本はよく読み聞かされて育ちましたし、
どの子も健やかに聡明に育って欲しいと思います!
「グルスキー展」も高度に知的な空間でした…。
地球上に存在する写真の中で最高額(4億3000万円)が
付けられた現役写真家グルスキー、という形容文は
氏の芸術性を 俗的にも受け入れやすくするとしても、
日常の中の非日常、世俗の中に潜む崇高性、
あらゆる視点の集積(神の視点さえ!)
それらと哲学的に対話していくのは集中力が問われます。

ANDREAS GURSKY「カミオカンデ」2007
/ JASPAR, 2013 Courtesy SPRÜTH MAGERS BERLIN LONDON
とりあえず実際の圧倒的なスケール感は
縮小画像や図録サイズでは全く伝わりませんけれど、
日本での初個展ということで3500円と良心的価格
だった図録(写真集)は買っておきました。というか、
展覧会図録は反芻資料として原則持っておく主義ですが、
さすがに膨大になって書庫スペースに困ります…。
グルスキーに感化されて撮ってみた構図。

「ガラスで隔たれた空間は ガラスで統合される」2013(c)ラルースの塔
アングル『聖杯の前の聖母』@プーシキン美術館 は
言うまでもなく神々しい美しさです( 「美しい」と
表現することすら怖れ多い存在ではありますけれど…)

ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル≪聖杯の前の聖母≫1841年
「人間」という永い試みは、それ自体において
「芸術」であり「至芸」でありましょう。
教え子の中には、上記至宝より私を感動させる
アート作品を作った子もいます、非凡な観察眼で。
国宝・名画といった「芸術」と対峙・対話するのは
それはそれで掛け替えのない知的邂逅ですけれど、
全ての生命そのものが「神の芸術」であるなら
どの不完全な現れ方でさえも学ぶところはあります。
アート巡礼のみならず、日々のどの瞬間においても
「芸術」との対峙・対話が隠されていることに
そして「善き指針」を与えられていることに
心からの敬意と感謝を申し上げるばかりです。
いつも本当にありがとうございます!