2014年06月04日

2014年6月の始まり


皆さま、こんにちは。

2014年 第5番の月も過ぎました。
2014年の約42%が過ぎたことになりますね。。

兎にも角にも、皆さまの温かいご支援の下で
「ラルース進学塾」という試みも3年間という歳月を
のんびりと存在し続けております。

このブログ上でも時宜に触れていますように
「時間」との付き合いが極めて緩やかなため、

3年という歳月以上に永く至高の時間を過ごせましたが
それもこれも、各方面各位のご厚恩を賜った故と
心より御礼申し上げる次第です。



君や蝶 我や荘子が 夢心   芭蕉


(君が蝶なのか、或いは私が蝶の夢を見ている荘子なのか、
相離れていても心はお互いに通じている、夢心地のようだ。 )



夢で胡蝶になって、自分と蝶の区別ができなくなったという
『荘子』の有名な「胡蝶の夢」を踏まえた一句です。

「自分」という現象を知覚できることは大切な知的能力ですが、
「自分」という枠組みに囚われ過ぎると、多くを知覚し損ないます。

「自分」と「自分以外」という境界線を越えて、
(正確には、存在しない境界線への囚われを超えて)
森羅万象と自己との同一性に思いを馳せる時空観は、

とても荘厳で、おそらくあらゆる知的領域において
各々の創造性を深化・進化させてくれるでしょう。



自分は存在しているようで存在していないかもしれないし、
宇宙の時間尺度においては人の一生など儚き夢のよう。

ただ、「儚い」とは「人の夢」と示されるものの、
人は「夢」によって多くの事象を創造することが出来ます。

「自分自身」は「蝶」かもしれないし、その逆も然り?
という観点からは、「自分の一生」こそが「宇宙の一生」
とも言い得るわけで、私はそのような観点で生きています。

「蝶」に限らず、遍く存在は自分自身かもしれないとしたら
どの他存在(と勘違いしがちな)の夢・思考も全て自己の具象、
まさに「夢心地」の世界に思えるものです。


まあ、悲喜こもごも遍く歓喜や憤怒・怨嗟の声が渦巻く人世で
「至福の夢心地」を独り謳歌するのも、眉をひそめられましょうが、

「人の夢」を「儚き」にするか否かは自分自身ですし、
自分の時間こそ宇宙の時間とさえ思って生きるのも
趣深いものです(何より楽しいことこの上なしです!)。



ということで、長くお付き合い下さっている方々だけでなく
もう卒業されて医師・研究者の卵として邁進している教え子、
あらゆる面でご支援下さっている各方面の皆々様と

離れていても感謝と敬意の中で共に在る心境ですので
今回の芭蕉の句を添えた次第です。。


3周年ということでお祝いのお心遣い・お言葉を
ご丁寧に下さった方々には改めて感謝申し上げます。

4年目も美しい出会いで充ちていることを
皆さまと共に 心から喜びたいと思います。



いつも本当にありがとうございます。


posted by laluz at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾
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