2014年11月05日

2014年11月の始まり


皆さま、こんにちは。

2014年 第10番の月も過ぎました。
2014年の約83%が過ぎたことになりますね。

収穫の秋を見送り、冬の到来を迎える段です。

(…と大体の草稿は1日に書いたまま 更新まで
 随分と時間が経ってしまいましたけれど…)


171年ぶりの「1年に2回目の『十三夜』」も
澄み渡っておりました。心身ともに感覚が研ぎ澄まされ
あらゆる事象を鋭敏に感じ入ることができる時期でしょう。


行く秋の 芥子に迫りて 隠れけり  芭蕉


( 過ぎ行く秋は。まるで芥子粒の中にすっと
 隠れでもしたように。冬の早さを感じるものよ。 )



この句において「芥子」は特別な意図はないとされますが
芥子(けし)について考えることは文学的にも重要です。

芥子(Opium poppy)はアヘン原料として世人を惑わせ
ひいては国家までを惑わせて来ました。今でもそうでしょう…。
ただ、それだけ俗人を惑わせる背徳性に惹かれ 芸術・崇拝の
対象にもなってきたのは皆さまもよくご存じの通りで。


さて、この句における「芥子」に『魅薬』の意を詠み込むのも
趣深いとは思いますけれど、より近いイメージとしては
「芥子粒(けしつぶ)の中に須弥山(しゅみせん)あり」と
示されるような「芥子」こそでしょう。

須弥山とは、古代インドの世界観・宇宙観において
「中心」にそびえるとされている聖なる山。

「小さな芥子1粒の中にも須弥山のように
 壮大な世界が宿っている」という深い言葉です。

芥子粒にさえ発芽自生し繁殖していくというメカニズムが
内在している秘奥を考えると、己自身が小宇宙であり、
自らの中にも「宇宙の構造」が存在するのだ、という。


このような命題を念頭に、芭蕉の句を読み返しますと
小さな芥子粒の中に「秋」という季節が隠れたと見る知機、
そして季節と呼応して生を営む「植物の種子」には時宜に
季節が宿っているという緩やかな時空観を感じられます。

小さな種子には季節のみならず宇宙そのものが宿っている
という理解はなかなか想起できないかもしれませんけれど
一度しっくり来てしまえば 万物がその繋がりの中で
「脈動」に呼応していることが実感できるもの。

今までの記事でも書き述べていますように
人間の精神は「小宇宙」を内在するほどに偉大です。
それをどう使いこなすかは各々次第というだけで。

(搭載機能の10分の1さえ使われないパソコンのように
 多くの才能も十分に使われることなく眠ってしまいますが…)


「自ら」の内は言うまでもなく 周囲全てにそのまま
「世界」が宿っているという秘奥を鋭敏に感じ取りながら
より一層 御身の知性を研ぎ澄ませて行って下さいますように。



11月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。


posted by laluz at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾
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