2016年07月04日

2016年7月の始まり



皆さま、こんにちは。

2016年 第6番の月も過ぎました。
2016年の約50%が過ぎたことになりますね。

暑さも否応なく本格化してきますが、皆さま
お変わりなく充実されておられることと思います!



七夕の 逢はぬ心や 雨中天   芭蕉


(七夕の日に二つの星は逢いに来たのに、あいにくの雨では天の川も増水して会うことすらできず「雨中天」の心境と言うべきか。)


「有頂天」と「雨中天」を引っ掛けたユーモラスな句。

「有頂天」とは、仏教世界における「天界」の最上位界。
「有頂天になる」=喜びや絶頂に達して我を忘れるという
日本語の意味合いは、本来は仏教用語に由来しますね。

この「天界」最上位という区分も教義宗派によって変わりますが..


仏教における「六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天)」の
「天」について更に「欲界・色界・無色界」の三界に分類されます。

その三界について以下、『欲界』=欲にとらわれた領域である
六欲天(四天王天・忉利天・閻魔天・兜率天・化楽天・他化自在天)、

『色界』=欲望からは解放されたが、物質的感覚は残る領域である
色界十八天(梵衆天・梵輔天・大梵天/少光天・無量光天・光音天/
少浄天・無量浄天・遍浄天/無雲天・福生天・広果天・無想天・
無煩天・無熱天・善現天・善見天・色究竟天)、

そして、欲望や色(肉体や五感などの物質的世界)を超越した
精神領域である『無色界』(空無辺天・識無辺天・無所有天・
非想非非想天)・・・

このように分類される「天界」での色界最高領域「色究竟天」
または無色界最高領域である「非想非非想天」を指して
(ここに教義による差異があります)それを「有頂天」と。



ただ、ここについて疑問に思われる方が多いのですが、
仏道における「天界」とは多くのキリスト教義のような
完全なる神世界というべきものではないんですね..。

あくまで「六道」の最上位といっても、迷いあるものが
輪廻する6種の「迷いある世界」の一つでしかないので
天道にある存在も煩悩に迷い、死を迎えるとされます。

天界の極みである「非想非非想天」に至ってさえ
輪廻を脱した涅槃に到達してはいないので未だ
「迷い」の領域にあると考えられるわけですね…
(もちろんここに教義上の分説はありますけれど)。

ちなみにその輪廻を脱して悟りに至り成仏した存在(?)を
仏陀(如来)といい、その悟りに至るまでの高位修行者を
菩薩(ぼさつ)、広く天界の存在を「〜天」と称します。

民間で広く信仰される、文殊菩薩・毘沙門天といった存在も
天界におわすものの究極的には悟りに至る道中にあって
(その形態=「仏の化身」の場合もあり一概に言えませんが)
極々僅かであっても「迷い」がある存在なわけです。

衆人が迷うように、ともに迷いそれを克服していく努力を
示す「師」だからこそ身近に感じられてきたのでしょう。



・・・と、句の前提解説がやや長くなりましたが
織姫と彦星の1年ぶりの逢瀬で喜びの「有頂天」と
なるはずが、大雨で「雨中天」となってしまったよ…
という、のんびりとした微笑ましい句です。

一切の迷いを離れた領域に到達することは至高ですが
大切に想う人との再会を待ちわびたり、目標達成に
有頂天になるのもまた人間こそ味わえる領域。

そこには適宜、迷いも苦しみもあるのでしょうが
それらを周りの人びとを分かち合っていくことで
同時に喜びも倍加していくことと思います。



というわけで、強引なまとめになった気もしますが
蒸し暑い季節こそ、周囲の暑さを打ち消すほどの
熱情で7月も楽しんで下さいますように!


7月も素晴らしい出会いで充ちていることを

皆様と共に心から喜びたいと思います。



いつも本当にありがとうございます。



posted by laluz at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾
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