2020年12月05日
2020年12月の始まり
皆さま、こんにちは。
2020年の約93%が過ぎ去りました。
今年も無事に師走を迎えることができましたが
2020年も平穏に過ごせたと自分本位のことを
申し上げられないくらい激動の年でした。
「でした」と過去形で語るには早いですし、
実際「これから」がコロナ禍の本番なので
予断を許しませんが…。
知覚出来るもの出来ないもの問わず
諸々の必然が より一層有難く感じます。
かぞふれば わが身につもる 年月を
送り迎ふと なにいそぐらむ
(数えてみれば、ただ自分の身に積もる年月、
それを送り迎えると言って 人は何をそんなに急ぐであろうか。)
『拾遺和歌集』巻四 261 所収
平兼盛(たいら の かねもり)の和歌です。
まあ、そうですね〜というある意味で「真理」を
淡々と詠んでいますが、かといって冷ややかでもない。
どちらかというと笑いに変えているような感じです。
日々過ぎている「月日」であるのは同じなのに
年末年始だけ「年を送り新年を迎える」と
正月準備でバタバタと忙しくなるのが世の常。
「時間」は同じで 感じ方が違うだけとはいえ
そこに「意味」を置くのが人の世というもの。
年月日という、分かりやすい「節/区切り」が
あることで、メリハリが付くとも言えるでしょう。
日々どの瞬間でもメリハリを付けて過ごし
生きている人間にとっては、滑稽極まりないですが
その慌ただしさも含めて人間の風情というものです。
2020年は、例年とは大きく変わる部分もあり、
否応なくメリハリの付け方も変わると思いますが
それでも「時間の価値」は同じのはずです。
平穏無事な時の「年の積もり方」と
不安激動の時の「年の積もり方」は、
単に「感じ方の違い」と割り切れませんが、
慌てふためいても何も好転しないので
人事を尽くして心機一転していくのみです。
こういう時期にこそ気付けるものがあり
そこに「気付く」か否かがその後を大きく
左右するというのも真理だろうと思いますね。
それでは、今回はこの辺で。
いつも本当にありがとうございます。
(中旬更新は無く、次回は恒例の年末ご挨拶の予定です)