2020年11月18日

この世に客に来たと思えば


こんにちは。11月2回目の更新です。

日本は比較的平穏でありますが、
世界的には更なる荒波が来そうですね…


「この世に客に来たと思えば」

この題名の続きは「何の苦もなし。」


この世に客に来たと思えば何の苦もなし。


これは「伊達政宗」の言葉とされることも多いですが
近年の研究では別人の言葉であるようです。

本当に 政宗公の発言 かもしれませんが
どの記録にも残っていない以上、後世の我々に
その真偽を確認する手立てはありません…。


さて、文字通り「この世界に"客人"として
訪れたと思えば、何も苦に思うことは無い。」と。

丁寧にもてなされる場合もあるでしょうが
質素で不便に扱われることも多いでしょう。

しかし、風雨をしのげ、最低限生かされているなら
客人としては文句を言うことないではないかと。

この辺りは、深遠な教えの多くに共通しますね。
「ただ生かされている身」であることの自覚。


この言葉には前後の文脈があるのですが、
この一節だけ取り上げる方が深い気がします。

元の文脈では、

「倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり、
 この世に客に来たと思えば何の苦もなし。

 朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。
 元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。」


・・というように、あくまで質素倹約は
「不自由を忍ぶ心」に核心があるというものです。

もちろん 理不尽な処遇・仕打ちを全て甘受せよ
という趣旨ではありませんが、倹約に留まらず、

外的要因に揺らぐことのない強靭な精神を
養う指針としては奥深いと思います。


コロナ禍での不自由不便な生活は
今後しばらく続きます。冬にかけて
改めて自粛・自律が求められるでしょう。


「この世に客に来たと思えば何の苦もなし。」


悲喜こもごも色々とあるでしょうが
不便・不自由の時こそ「学び」は多いものです。


posted by laluz at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年11月05日

2020年11月の始まり


皆さま、こんにちは。

2020年 第10番の月も過ぎました。
2020年も83%を終えたことになります。

もともとインドア派の方々はともかく
アクティヴな方々は行動範囲が狭くなり
時間経過の感覚も全く違う月日ですよね…

ともあれ 冬がゆっくりと訪れてくる時期。
どのような生活スタイルにせよ
万全の体調で過ごして参りましょう。



もみぢ散る 音は時雨の ここちして
 こずゑの空は くもらざりけり


(紅葉が散る音は 時雨のような心地がしても
 梢の上の空は、曇っていないことだよ。)



『御拾遣和歌集』所収・藤原家経の和歌。

“時雨”とは主に秋から冬にかけて降る、
 降ったりやんだりする雨のこと。

紅葉が一斉に散っていく音は、
雨が降る音のようにも聞こえるもの。
なので、秋雨かと思ったら空の上は
曇っていなかったよ…という優しい作品です。


雨一つとっても、心境によって
翠雨(すいう)や慈雨(じう)と感じたり、
鬱陶しい村雨(むらさめ)だったりするのが人間です。

この歌のように「音だけ聴くと」雨に思えたけど、
雨ではなかったというようなことは日常でもありますね。



そういう意味では、悲喜交々(こもごも)も
案外自分の心境次第だったりするわけです。

まあ、何でも自分の見たいように見る
感じたりするように感じるというのは
浅はかさと紙一重なので難しいですし、

言うまでもなく 相手の状況・心情を無視して
自分の世界観を押し付けるのは愚かです。


ただ、あくまで自分の内面的な捉え方として
周りの事象が変わらないのであれば、
自分の感じ方を変えてみるのは重要です。

現実を直視せずに楽観的に捉えるのではなく
現実を正確に捉えつつも、その解釈を柔軟に
「未来の展開」まで読み込んでいくこと。



…と、まあ紅葉と時雨の和歌で
難しく考えることはありませんが、
全ての事象に対して 趣を感じるのは
秋であろうが冬であろうが変わりません。

四季の移り変わり…秋から冬、冬から春
そういう「悠久の時の流れ」の中で、
その時々の一喜一憂も捉えていくと
人生の奥行きも彩り深くなっていきますよね。


それでは、今回はこの辺りで。

コロナ禍に負けないよう、迫る寒気に
身を引き締めつつ 11月も過ごして参りましょう。

いつもありがとうございます。



(11月は情勢が許す限り 16日前後に
 もう1回更新できれば…と思っています)

posted by laluz at 13:46| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾