2020年09月18日
秋の光
皆さま、こんにちは。
少し遅くなりましたが 9月2回目の更新です。
すっかり秋らしく、過ごし易くなりましたが…
コロナウイルスとの共生という社会においては、
大小様々な影響が圧し掛かっていますね。
とはいえ、後ろ向きになっても無益ですし、
有難き日常に一層感謝できるだけでも有益です。
三日月の 野原の露に やどるこそ
秋の光の はじめなりけれ
藤原俊成(ふじわら の としなり/しゅんぜい)
(1114年〜1204年12月)の和歌です。『千載和歌集』の撰者でも。
三日月が野原の露に宿るのが 秋の光の始まりなのだ…
という非常に優美な情景ですね。
「野原」という場所自体が都市部では無くなりましたが
それでも「露」は見ようと思えばどこにもあります。
ただ、その露に宿る「三日月」をみつけ、
その光を感じるというのは…心を静かに
意識的に見ようとしないと絶対に無理ですよね。
光害の中では、露の中の光どころか
天空にある三日月さえ感じにくい現代ですが、
少なくとも心持としては、それくらい穏やかに
ほのかな光を感じられるほどのゆとりを持って
日々の風流を忘れないようにしたいものです。
人との距離感が変容し、ギスギスしがちな今こそ
日頃気付けなかった「至近距離」を再考するのも
また有意義な秋の学びかと思います。
それでは、今回はこの辺で。
季節の変わり目で体調管理が難しい時期です、
くれぐれもご自愛下さいますように。
2020年09月04日
2020年9月の始まり
皆さま、こんにちは。
2020年 第8番の月も過ぎました。
2020年の約67%を終えたとは速いものですね…
大空に 群れたるたづの さしながら
思ふ心の ありげなるかな
『拾遺和歌集』284番 伊勢の御 の和歌です。
「たづ」とは「田鶴」=「鶴」のこと。
大空に群れて飛ぶ鶴も 一つの方向を指して行く…
さながら彼らにも思うところがあるかのようだ
この和歌を詠んだのは祝賀の意だったので
「思うところ」は「祝賀の心」を意味します。
現代社会はコロナ禍で、祝賀ムードには
なりにくい世情ではあるましょうが…
ただ、気持ちの持ちようは「人生の浮沈」も
左右しますからね、内心では幸福感を持ちつつ
日々生きていくのに越したことはありません。
そういうわけで、「鶴」はともかく
日々の何気ない「事象」においても
ああ、何かを祝っているのかなぁと
穏やかな心持で過ごして参りましょう。
「2019年9月の始まり」でも述べましたが
自身の「心」が、鏡のように世に映る
という信じがたい真理を、改めて考えるに
「秋」というのは相応しい季節ですからね。
それでは、今回はこの辺で。
素晴らしい9月の日々をお過ごし下さい。
(今月も情勢が許す限り 16日前後に
もう1回更新できれば良いなと思っています)