2019年12月31日

2019年の終わり


皆さま、こんにちは。

いよいよ2019年を見送って
2020年を迎える時となりましたね。

2019年の日々も 皆さまには
公私にわたって大変お世話になりました。

毎年毎回 同じことを申し述べておりますが
2019年も有り難い日々を過ごせましたのも
ひとえに皆々様の温かいご支援のお蔭と
ただただ感謝するばかりです。



冬ながら 空より花の 散りくるは
 雲のあなたは 春にやあるらむ



冬なのに空から花が降ってくるのは、雲の向こう側は春なのだろうか。



古今和歌集(巻六330) 清原 深養父
(きよはらのふかやぶ)の和歌です。

清原深養父は 平安時代中期の歌人
(中古三十六歌仙の一人)で
清少納言の曽祖父(高祖父との説も)。



ちらちらと雪の降ってくる様を
花びらが舞い散るに喩えて、

雲の下は厳しい冬だけれども
雲の向こうには春がすぐそこに
来ているんだなぁという優しい和歌。 

まあ、雪国の方々からすれば
所詮は雪の怖さを知らない貴族の戯言よ…
と冷笑を浴びるのかもしれませんけれど、

寒い日々の細やかな心配りなどを
花の温かさのように感じることは
きっとあることでしょう。

「雲のあなたは 春にやあるらむ」
という語意とは完全にズレますが、

寒い中でも背筋を正しながら、
優しい花のような笑顔の人物なら
まるで「あなたは春にやあるらむ」と
周囲を温かい気持ちにさせるはず。

現実の季節がどうであっても
周囲や自分の心境・心持が厳寒の
大吹雪なら人生は冷たいままでしょうし。

そういう意味では、結局のところ
自分の心持次第で、ある程度は
優しい季節を近づけたり遠ざけたり
できるものかなと感じますね。


大掃除やらで身の回りの整理をされた方も
そうでない方も、少なくとも「精神」は
一新して2020年の訪れを心待ちに。

2019年が万事順調だった方も反省点が
多かった方も、2020年は素晴らしい日々
になると確信とともに寿ぎましょう。

自分自身はもちろんのことながら
周囲にも「春」を感じさせるように
優雅な日々を楽しんで参りたいものです。


兎にも角にも 2019年の終わりに際し、

私と時間を共有している生徒さんやご家庭、
関係諸子の方々全てに心から御礼申し上げます。

この1年間の御高恩に対する謝意を
言い尽くすことはできませんが…
2019年も本当に有難うございました!


posted by laluz at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2019年12月20日

価値観の転換


皆さま、こんにちは。

中旬と申し上げていた
12月の2回目更新です。
(下旬になってしまいすみません…)

このラルースの塔でも適宜書いて
来た「対極思考」ですけど、

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感情論としてはNO だけれども、YES の立場になり切って考えてみると、状況はどう見えるか?そのように変化していくと考えられるか?現状で存在する(と考えられる)メリット・デメリットというものは、どう変化するか?ということを「壮大なスケール」で考える試み、それが「対極思考」の核心です。(2012年05月01日

要するに、今まで見ていた景色や状況を正反対の立場から眺めてみると、今までの思考スタンスは変わりうるのかどうか?という思考の検証です。
「対極思考」のポイントは、あらゆる事象に対してさまざまな思考が存在するということを知り、そのどれについても執着することなく自由に思考を行き来することができるかどうか?が「脳の柔軟性」を極端に高めるということです。

先入観に囚われることなく自由な発想で色々な角度から事象を探究してみることは(もちろん人間心理についても同様です)、今まで気づきにくかったことを浮かび上がらせ物事の微細な美しさを知ることにも繋がります。(2012年04月25日

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・・・というように述べました。

非合理的な常識・固定観念に囚われず、
視点・焦点を柔軟に変化させながら
全容を俯瞰して観ようとすることが、
知能を大いに刺激するということです。


そのことに関連して、何かコツとか
先生が意識していたことはありますか?
という質問など受けることもあります。

そう問われてふと思いつくのは
藤子・F・不二雄のSF作品など
"価値観を揺さぶるようなテーマに
多く触れること" が一つに挙げられます。


藤子・F・不二雄(藤本 弘)
(1933年12月1日 - 1996年9月23日)は
言わずとしれた『ドラえもん』の作者。

『パーマン』『キテレツ大百科』
『エスパー魔美』など子供向けの作品で
有名な漫画家ですが、SF短編として
奥深く哲学的な作品も多く遺しています。


この"SF"はScience Fiction ではなく
Sukoshi Fushigi(スコシ フシギ)とのこと。


SF短編だけでも110編を超える中で
そのほとんどが秀逸なのですけれど
個人的に印象強く残っているものを
ご紹介してみようと思います。


ミノタウロスの皿 (1969年)

宇宙船が故障してしまい、地球のような惑星「イノックス星」に不時着した主人公は、そこで偶然出会った少女・ミノアに助けてもらう。この星では、牛のような姿をした"ズン類"が世界を支配しており、ミノアたち人間は"ウス"と呼ばれ、"ズン類"に食用、愛玩用として飼育されていたのだった。主人公は喜んで食べられようとするミノアを助け出そうと説得に奔走するが…

…という、人間と家畜の立場が逆転した世界のお話。

人が牛豚などの家畜を当たり前に食べている中、
それが逆だったら?と、価値観の転換を
考えさせられる作品です。

今の私は ほぼ菜食("卵"は頂きます)に
なっていますし、昔から食肉は好きではなかったので

個人的には衝撃という訳でもありませんが
この作品が50年前に書かれたことは驚きです。



ヒョンヒョロ (1971年)

ある日、マーちゃんは「お星さまを拾った」「円盤に乗ったウサギさんを見た」と言い出すが、両親は子供の戯言だと信じなかった。その後、マーちゃんは「ウサギさんから貰った手紙」を両親に見せる。手紙には「脅迫状。ヒョンヒョロを差し出さないと誘拐するてす。マーちゃんどの」といった内容が書かれていた。またも大人は信じなかったが、彼らの前にうさぎのような異生物が姿を現し、ヒョンヒョロを要求するが……


子供の話をまともに信じようとしない
大人の浅はかさや、身勝手さへの警鐘
とはいえ、衝撃的な結末です。

個人的はかなり印象深い作品。



カンビュセスの籤 (1977年)

紀元前500年頃、ペルシア王カンビュセスは5万の軍勢でエチオピア遠征を企てたが、やがて食糧が尽き、乗馬も草木も食べ尽くした兵士たちが生きるために選んだ手段は、10人が1組となって籤(くじ)を引き、当たった1人を糧食とする残酷なものだった。籤に当たった兵士・サルクは逃亡するも見知らぬ空間にさまよい、力尽き倒れたところをエステルという女性に救われる。

翻訳の機械が直り、ようやく会話が出来るようになると、互いの境遇を知る。ここは人間同士の終末戦争で荒れ果てて植物も育たない、23万年後の未来の地球だった。1万年の冬眠のたびに籤で1人を選び、食料(ミートキューブ)にして生き延びるという手段をとってきた結果、エステルが最後の1人となっていた。

この話を聞いたサルクは、自分に出されていた食料が"人間"であると知り愕然とする。エステルは2本の籤を差し出し、どちらが食料になるか籤引きで決めると言い、「籤を引いて」とサルクに詰め寄るが…


「何故そこまでして生き延びなければならないのか」
「私達には生き延びる義務があるの」

…というセリフからも「生きるとは?」
を考えさせられる 名作と思います。

"生きるためには食べなければならない"
という固定観念に囚われずに柔軟に
"じゃあ食べずに生きられる身体になろう"
と思える自分はなかなか特異かもながら…

生命倫理を考える上でも秀逸な題材です。



流血鬼 (1978年)

「マチスン・ウイルス」に感染すると吸血鬼のようになる奇病が日本にも広まり始めたある夜、吸血鬼たちがウィルスをガス状にして散布し、主人公たち以外は感染してしまう。両親や近隣住民も吸血鬼と化した街から、秘密の洞穴に逃げ込むと木杭と十字架で吸血鬼たちへの抵抗を始めるが… 吸血鬼の正体は、ウィルスの感染によってより強い生命力を得て進化した新人類であり、ウィルスを感染させて新人類を増やすために吸血を行っていたという驚愕の事実を明かされる・・


吸血鬼=殺人者と見なして、心臓に杭を打つ少年に対し、
「私たちが吸血鬼ならばあなたは流血鬼」と。

吸血鬼を殺して血を流す流血鬼(人間)であるより
人を殺したりせず「血を吸うだけ」の吸血鬼の方が
良き存在ではないですか??

…と、これまた価値観を揺さぶって
考えさせられる作品ですね。

リチャード・マシスンの小説『地球最後の男』
が元になっているとされていますが、
藤子F作品の結末の方が素晴らしいです。


さて…あらすじの分だけどうしても
長くなるのは仕方ないとしても
まだ4作品しか挙げていないのに
このペースは長くなり過ぎですね。

本当にまだまだご紹介すべき名作は
枚挙に暇ないのですけど、

間引き (1974年)
耳太郎(1976年)
未来ドロボウ(1977年)
ぼくは神様 (1977年)
創世日記(1979年)

この辺りは、大人にも子供にも
有益な学びが与えられる名作かと思います。


日々の"当たり前"に縛られずに
柔軟に思考思索していくと同時に、

日々の"当たり前"にこそ掛け替えなき
幸せの鍵が隠されているのだと気付くこと。

「価値観の転換」とは、自分が
未だ気付いていなかった本当の価値を
見出す "きっかけ"にもなります。



"人は失ってみて初めてその価値に気づく"
的なことは、古来から言われてきますが、
どうせなら失う前に気付けた方が嬉しいですよね。

日々支えて下さる周囲全てに
改めて意を配りながら
楽しく歩んで参りましょう。

それでは、今回はこの辺で。

有意義な年末をお過ごし下さいね。


posted by laluz at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 「脳」の使い方

2019年12月04日

2019年12月の始まり



皆さま、こんにちは。

2019年の約93%が過ぎ去りましたが、
充実の日々をお過ごしのことと存じます。

皆さまの御蔭で2019年も平穏に過ごせ
無事に師走を迎えることができました。

知覚出来るもの出来ないもの問わず
諸々の必然が 本当に有難いです。



おほぞらの 月の光し きよければ
 影見し水ぞ まづこほりける



(大空の月の光が清らかに冴えるので
 その月影を見た水が何よりまず凍ったことよ。)


『古今和歌集』巻六 316
作者は不明ながら綺麗な和歌ですね。


2018年12月は「張り詰めた寒気で 全てのモノが襟を正すがごとく、水が張っていない地面さえも 月光に照らされて氷のように白く研ぎ澄まされていく情景」として西行の、

さゆと見えて 冬深くなる 月影は
水なき庭に 氷をぞ敷く


を引用しましたけれど、
身が引き締まるほどに冴え渡る月
というところに通ずる趣があります。


"影見し水" の語意については解釈が分かれる点も
あるようですが、ここでは素直に「月を見た水」
と捉えておきます。


月を見る"水"とは何かについては
「月と水」に関連して2018年度に
触れたので(例えば2018年7月の始まり
今回は深入りしませんが、

シンプルに"水"=湖・池の水面が
静かに凍っていく情景を捉えても
美しい冬を感じられると思います。


神域聖域・祭祀遺跡etc.において
心身が凍るほど引き締まるというのは
体感される方も多いでしょうし、

現実においても、人格的に高潔で
凛とした佇まいの中に、圧倒される
オーラを感じさせる賢人というのは
今も昔もおられましょう。

ただ、この"凍り付く"というのは
冷徹な感覚というのでもなく、
思考停止状態に固まるものの
どこか落ち着くような優しさを
確かに感じられるというような。



この「澄み渡るほどの冷気で心身が凍り付く」
体験で個人的に思い入れが強いものが一つあります。

(詳しく書けませんが)天下人らによって
受け継がれて来たとされる御神剣を
握らせて頂く御縁があり、

その時の感覚は今でも忘れ得ぬほどの
圧倒的なプレッシャーというか…
それこそ澄み渡る神気を前にして
心身が凍り付くという感覚でした。

汝はこの剣を握るに足る者か?と
問われているかのような威圧感、
それでいて見守るような優しさと
吸い込まれそうなほどの美しさ。
身体はともかく精神は畏れ多く震えました。

今は世俗を離れてのんびり生きている
身ですが、心身にハリがなくなりそうな時は
当時の感覚を思い起こしてピンと張り詰め
改め直す契機にしています。



…と、脱線してしまいましたが

冬の月は、1年の疲れや達成感で
緩みがちな心身をピンと張り直して
くれる、冷たくも優しい光です。

20191106_211116.jpg
<2019年神迎祭 境内の月>


2018年12月のまとめをあえて流用しますが、

ただただ「寒さに襟を正す」ことで
精神の再調和を意識的に行えば
それに越したことはありません。

日々 心が乱された方もそうでない方も
来る2020年を前に 心音を整えながら
年末を過ごして参りましょう。



それでは、今回はこの辺で。

2019年の最終月も清き時間に充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。


(今月の中旬更新は未定ですが…簡単でも何かしら更新したいと思っています)
posted by laluz at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾