2019年09月04日

2019年9月の始まり


皆さま、こんにちは。

2019年 第8番の月も過ぎました。
2019年の約67%を終えたことになりますね。

暑さ涼しさが入り交じり合う時期ですが
皆さまにおかれましては健やかで
微笑ましい日々をお過ごしのことと存じます。



聞くたびに いつも初音と 思ひけん
心に我は 月を見るかな 




久々の西行の(作とされる)和歌です。
「松屋本 山家集」所収。

2018年9月の引用も西行の「月」でしたね。

さて「初音(はつね)」とは鳥や虫の、
その年その季節の最初の鳴声のこと。

鳥や虫たちの季節の鳴き声を聞くたび
いつも初めて聞くような感動を味わえる
清らかな心の中に 私は「月」を見る…と。



学術的に正確なところは分かりませんが
個人的には『金葉集』所収の初音僧正、

聞くたびに めづらしければ 時鳥
いつも初音の 心ちこそすれ


の和歌を踏まえている気がします。


初音僧正と知られる 永縁(ようえん/
1048-1125年)は 興福寺権僧正・歌人。

永縁の歌ではホトトギスですけど、
現世の季節的には蝉から鈴虫のような
秋の虫たちの鳴声に変わる頃合ですね。

人は実年齢が長くなるにつれて
幼少期に初めて知覚した時のような
印象・感動を一々持たなくなります、
(それは「正常」な反応ですけど)

ただ、全ては無常であり、一時すら
「不変」のものなどない が故に、
実のところ知覚する全て「初見・初音」
ともいえるわけです。



そうはいっても、現実に社会人として
生きていく上では、目にし手に取る全てに
心を輝かせながら感動を隠さない人よりは
常に冷静さを保つ人の方が円滑な人間関係を
維持できることも多いでしょう。

その辺りは、別に「無感動」に
なる必要はなく、感動しながらも
その表現を知的で慎み深いものに
洗練させて行けば良いだけですよね?

「いつも在る日常的なこと」に慣れて
わざわざ感動しなくなるのも正常ながら

「当たり前のことと慣れているだけで、
実のところ 当然であることなど何もない」


と気づけば自然と毎回の「一期一会」に
感動を抱かざるを得ないもの。


現実社会で生きていると
なかなか大変な試練もあって
風流どころでない時もあるかもしれませんが、

理(ことわり)を突き詰めていくと
「余裕があるから風流を味わえる」ではなく
「風流を味わうから余裕が生まれる」です。


万象に対して いつも初めて相対する如く
刺激的あるいは楽しみな心持ちで
接していると 面白いことが起こります。


「己の心は世界を映す鏡」あるいは
「世界は己の心を映す鏡」

この真理の言葉の意味を
どのように解するかで人の生は
全く変わってくるように感じます。

「己の心が世界に映る」という
信じがたい「鏡の力」を呑み込めるか否か。



…と、少し和歌から離れましたが

曇りなき月のごとく磨き上げられた
心の鏡に映るモノが世界に映りますよね


というような感じで
今回は終わりに致しましょう。



9月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。



(今月も世界情勢が許す限り 16日前後に
 もう1回更新できれば良いなと思っています)
posted by laluz at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾