2019年07月17日

"virtual" 学び


皆さま、こんにちは。

7月2回目の更新を。

前回(2019年7月の始まり)は
当初もう少し長かったのですけど
長文の上に まとまりが悪かったため
あの分量に落ち着きました。が、

16日前後の更新で続きを書こうかと
思っていたものの、時機を逸すると
今更感が出て 御蔵入り…という
いつものパターンになりました。


健康・アートや それこそ昨今の
新入試制度動向など 題材は尽きませんが
とりあえず 今回のテーマは
"virtual"と学び について。


ヴァーチャル(virtual)とは…

1.(表面または名目上はそうでないが)事実上の、実質上の、実際(上)の、
2.【物理 光学】虚像の、仮想の、
3.【コンピューター語】仮想の、バーチャルな、ネットワーク上の


…という感じです。


ヴァーチャル・リアリティ
(Virtual Reality/VR・仮想現実)
という語も 日常語になりつつありますよね。

このVR技術は、ゲームや映画など
エンターテイメント領域では世界的な
広がりを見せつつあり、廉価汎用品も
粗い部分はありますが、十分実用に
耐えられるレベルに進化しています。


例えば、海に潜ってクジラやサメの
迫力・スケールを感じたり、鳥の視点で
空を飛翔鳥瞰してみたり、果ては
大気圏を脱して宇宙空間の中で
ブラックホールに近づいたり。

あるいは、ミクロの視点で
人体内部を冒険したり…と、

「仮想」ながら「現実のような視覚世界」
を、VRでは体感できる時代になりました。

ノートルダム大聖堂など 様々な世界遺産の
内部(通常、立入りできない場所など)を
じっくりと観察体験することもできます。



これは、教育・知育上も大きな
アドバンテージに成り得ると感じます。

もちろん、本や図鑑をじっくり眺め、
思考想像を巡らせてから、現地現物を
自ら「現実に」体験することの価値は
揺るぎないと思いますし、そこは
むしろ欠かせない核心部分でしょう。

前回の記事で『ただ、子供時代に 前が全く見えない草叢の中を頭と身体を制御しながら分け進むという経験は それはそれで代え難いものと思いますので、大人のフォローの元で、キャンプ・登山などのプチ冒険は何だかんだで重要な気がしますね。。』などと述べているのも同じ趣旨です。


ただ、眼耳鼻舌身(視・聴・嗅・味・触)
の五感覚と"魂"で感じる領域のそれぞれに
ついて、先端技術を上手く利用していく
こととは全く矛盾しません。

実際、書物・図鑑・DVDなどで知見した
対象について、「その全てを現実に
体験・検証する
」ことは時間的費用的
になかなか難しいところです。

とすれば、「本・図鑑」世代の方が
想像力が養われて創造性が高いと
いえる圧倒的な根拠も無いわけで。
(むしろ間違った想像のまま自己完結していることも多い)

視覚聴覚については、まさに本物が
眼前にいるかのようなリアリティで
知覚できるVR体験を上手く活用する
ことで、「勝手な想像による勘違い」を
することなく、ある程度「現実に近い」
知見を得ることができます。

…「現実の体験が不可能」な場面を
ヴァーチャル体験できる世代の方が
やはり創造力の覚醒も多いでしょうかね。

量子論が 我々の想像を超えた世界の
実相(虚像?)を映し出した現代において
そもそも「"現実"とは?」と問う限り、

「"仮想現実"での知覚」も、
「"現実"だと感じている世界での知覚」も
人間各々が幸福に生きる方向での活用なら
virtual(事実上・実際)の意味は
どちらでも優劣なく有益と感じます。



ただ、VR体験は慣れるまで"酔い"ます…
(酩酊=耽溺というリスクもありますけれど)
「乗り物酔い」と似たような不快感というか。

「乗り物酔い」は、身体が動いて内耳(三半規管)は
刺激されているのに、視点は動かない(読書やスマホ凝視で)
ことで、平衡感覚の乱れから自律神経系が混乱を
きたし、体調不良を生じさせるものですが、

「VR酔い」はその逆で(感覚不一致説によれば)
視聴覚は強く刺激されるのに身体は動かない点
感覚の乱れから自律神経系が混乱することが
主な原因と考えられています。


例えば、ジェットコースターVRとか
まさに絶叫するほどの視聴覚体験なのに
身体は全く動いていないので、脳が
混乱する…といえば伝わるでしょうか。

以前は13歳以下VR使用禁止と言われましたが
商業施設では保護者の同意のもとなら
7歳以上〜13歳以下も利用OKと
いうのが昨今の流れのようです。

今後は、視聴覚だけでなく 嗅覚・触覚
までリアルに実感できる領域に入って
いくと思いますが、まだ少し先なので
今のところ 小学生には刺激が少ない
コンテンツに留めた方が賢明でしょうね。
(動きが少ない遺跡探訪・宇宙遊覧・海中散歩とか)



VRに限らず、デジタルコンテンツが
スマホで手軽に試せるようになったため
知育・教育コンテンツとして幼児期から
スマホ・タブレット端末画面を
長時間見る子も増えていると思います。

ただ、「眼に悪い」とか言う以前に
乳幼児期は その時にしかできない行為
(手当たりしだい触ったり叩いたりと
特に触覚をフルに刺激できる時期)を
しっかり過ごすことが一番大切です。


成長してからだと、手当たりしだい
触ったり叩いたり出来ませんからね…
ここで思う存分それをしていないと
大きくなってから「触ったり叩いたり」
の不足を求めていくことになりますし。



…と、そろそろまとめますと、

「学び」の本質は、自他の幸せを広げ高めるために、
各々の世界を正確に把握しつつ、研鑽・修正・調整を図っていく営み。

その視点を核心に置いてさえいれば
何を用いるかを問わず、その思索は
常に有益な「学び」の時空となります。



その意識の元に、VR(仮想現実)の
世界で、様々な体験をしたとすれば
それは今まで以上に刺激的な脳への
知的題材になりうるということですね。

「各々の世界を正確に把握しつつ、研鑽・修正・調整を図っていく」
ために、「今、何が最も大切か?」は
学ぶ者の経験・年齢に応じて変わりますが
それを適時適切に考えていくのは
保護者・指導者の重要な役目です。

スマホやゲーム画面ばかりカブリつかず
外で遊びなさいというのはそれはそれで
正しく意味ある助言です。ただ、多くの
保護者・指導者は、スマホやゲーム画面に
カブリつくほどの娯楽性・幸福感がある
ことをほぼ知らなかったりするので、

多くのデジタルエイジの子達にとっては
旧世代の世迷い言・戯言にしか聞こえません。

私の教え子にも、スマホゲームや
VRゲームなどにハマっている子もいれば、
全く関心を持たない子もいましたが
どちらの立場も深く共感できるので
(知らないゲームで面白ければプレイします)、

その子達がハマるのも分かるという立場から
如何に学習と折り合いを付けていくか
という視点の助言が大事だと思いますね。

まあ、ゲームは昔から色々やってきたし
実際ハマるコンテンツも多々あるけど
やっぱり「自分育成ゲーム」が一番面白いし
目標の達成感は比べ物にならないかなぁ
って言ってるだけですけども。

ゲーム取り上げて「勉強しなさい!」
と叱るよりは、受験ゲームの攻略法を
教えてあげたほうがお互い楽しいというか。


・・と、せっかくまとめたのに
また脱線してしまいましたが、

大学入試制度も揺れ動いているものの
基本スキルを上げていくというのは
変わりませんので、色々な仮想敵を
シミュレートしながら受験ゲームを
楽しんで行かれればと思います。


「"virtual" 学び」というのは
点取りゲームのように表層だけ取り繕う
"仮想・虚像"の学びであるように見えつつも、

その実、目的達成のために自己分析し
最短距離とその過程を把握した上で
自己を律して着実に歩むという
人生における"本質的"な学びと言えますね〜


と、強引にこじつけて今回は終わりに致します。


良い方向で「脳を騙しつつ」
日々幸せな方向に歩んで参りましょう、

いつもありがとうございます!


posted by laluz at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | IQ・知能

2019年07月04日

2019年7月の始まり



皆さま、こんにちは。

2019年 第6番の月も過ぎました。
2019年の半分が経過したことになりますが
諸事において順調でしょうか?

与えられた日々を感謝しながら
生きているなら 順調か否かなど
些事でしかありませんけれど、

2019年後半も充実した日々を
過ごして参りましょう!




夏ふかみ 野原を行けば 程もなく
 先立つ人の 草がくれぬる



(夏も深まり、野原を行くと先に歩く人の姿がすぐ夏草に隠れてしまう。)



『林葉和歌集』所収
俊恵(しゅんえ、1113年〜1191年頃?)の和歌。

随筆『方丈記』を著した鴨長明は歌人でもありますが
歌人 俊恵はその師匠としても知られます。



夏草の生い茂る野原での何気ない風景。

「人が隠れるほど草が生い茂る」という場所は
山奥以外では見られにくい現代と感じますが
人々の安心安全という見地からはやむを得ない
ところなんでしょう(害虫害獣の対策上も)。

ただ、子供時代に 前が全く見えない草叢の中を
頭と身体を制御しながら分け進むという経験は
それはそれで代え難いものと思いますので、

大人のフォローの元で、キャンプ・登山などの
プチ冒険は何だかんだで重要な気がしますね。。


とはいえ、この和歌の「先に歩く人の姿が
草に隠れて見えなくなる」という状況は
現代の競争社会でも意外と当てはまりましょう。

学習・研究あるいは各種組織任務に至るまで
道なき道を行く時に、先人が歩んだ道は
まだ踏み固められておらず、後ろを付いて
いっているつもりでもすぐ見失うことが
容易に起こります。

この「見失い」は先人があえて「後行を撒いた」
からかもしれませんが、競争においてはここで
「先人を探す」かは判断を要する問題です。

先導していた者が 正道を逸れたかもしれませんし
先に行く者を見失っても、自身において進むべき
目的があるなら、それに従い自ら先導として歩むべきです。

先人を探すというのは後塵を拝することを
前提とする後ろ向きの発想ですし。

まあ、先頭を行かせるだけ行かせて
体力を温存しつつ、要所で先行すれば良い
という戦略ならそれはそれで分かりますけど…



ともあれ競争といっても、最大最強の
競い相手は自身でしかありませんので、

絶好調の時の自分を見失っても
ムリに焦って追いつこうとせずに
呼吸を正しながら冷静に歩みを
組み立て直していくのが肝要です。

この道理は、大抵の事象に当てはまるでしょう。


蒸し暑い季節となりますが、
打ち克つべきモノは「自ら」のみ
ということで、澄み切った精神で
涼やかに7月を楽しんで下さいますように。




7月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます!


(今月も情勢が許せば 16日前後に
 もう1回更新しようと思っています)


posted by laluz at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾