2018年07月16日

ささがにのいと



皆さま、こんにちは。

15日前後に改めて更新しますと
申し上げておりましたが、16日も終わり
17日を回ろうとする時間となりました。

15日頃にチェックして下さった方々には
お待たせしてしまいまして すみません。


さて、毎年7月は「七夕」をテーマに
ご挨拶をしておりましたので後日改めて
と書き残しておりましたが、2018年の
新暦七夕は未曾有の豪雨が重なりました。

…6日夜は普通にご家庭先で授業でしたが
遠くで特別警報など鳴り響く真下でも
岡山県でここまで被害が大きくなるとは…
というのが偽らざるところです。

被災された皆様ならびにご家族の皆様に
心よりお見舞い申し上げます。

被災地の一日も早い復旧を
心よりお祈り申し上げます。




このような状況下で、七夕の和歌を
のんびり鑑賞するというのもどうか
と思いますが・・鎮魂の意を込めて。



天の川 流れてくだる 雨を受けて
玉のあみはる ささがにのいと



ささがに(笹蟹)とは蜘蛛の古名。
「玉=魂」の暗喩のこともあります。


天の川から落ちる雨を受けて
まるで大切な宝玉を飾るように
蜘蛛が糸に散りばめていく様。。

本来は解説を加えるべきところ
ですけれど、個々の感じるがまま
その解釈に委ねます。


雨は、有機生命体には欠く事の
できない天恵でありながら、
惨事をも齎(もたら)します。

遺された我々においても、
小さな縁を大切に想いながら
日々を全うさせて参りましょう。


これから暑さも増してまいりますが
くれぐれもご自愛下さいますように。


本当にいつもありがとうございます。


posted by laluz at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2018年07月04日

2018年7月の始まり



皆さま、こんにちは。

2018年 第6番の月も過ぎました。
2018年の半分が経過したことになりますが
年頭計画に照らして諸事順調でしょうか?

まあ・・与えられた日々を感謝しながら
生きているなら 計画通りか否かなど
些事でしかありませんけれど、

2018年後半も充実した日々を
過ごして参りましょう!




むすびあぐる 泉にすめる 月かげは
 手にもとられぬ 鏡なりけり


(両手に掬い上げても 泉に宿る月影は、
 手には取って見ることはできない鏡のようなもの…)




むすぶ(掬ぶ)=左右の手のひらを合わせて
(水などを)すくう という古語ですね。
「結ぶ」の意も掛けていると思いますけど。

澄んだ泉の水面には、月影が微笑ましく
揺蕩う(たゆたう)、そんな優しい情景。

その月影を両手に掬い上げようとしても
実際に手に取ることはできません。

ただ、両手に掬った水面にも月は映ります。
まるで手鏡のようなものだけれど、それに
自分を実際に映すことはできないという。

(両手を傾けると水は溢れるし、水面に
 顔を映そうとしたら 月影が隠れます・・ )


泉に澄み映える月、両手の水面に浮かぶ月、
その狭間にいる自分、という幻想的な
反映が綺麗な和歌だと思います。



もちろん、西行の作品なので 洗練とした
言の葉の中には奥深い叡智が宿っています。

釈迦の教えでは、水面に映った月に
仏や真理を見る喩えはよく用いられますが、

有名な文章では『正法眼蔵』第一 現成公案に
述べられています。少しだけ引用してみますと。

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人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。
月ぬれず、水やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も彌天も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる。
さとりの人をやぶらざる事、月の水をうがたざるがごとし。
人のさとりを礙せざること、滴露の天月を礙せざるがごとし。
ふかきことはたかき分量なるべし。


(補訳)
人が悟りを得るのは、水に月が宿るようなものである。
そのとき、月は濡れもせず 水が壊れることもない。それは広く大きな光りでありながら、ほんの僅かな水にも宿り、月のすべて天のすべてが草の露に宿り、一滴の水にも姿を宿す。
悟りが人を壊さないのは、月影が水を穿つことがないのと同じ。
また人(の小ささ)が(大いなる)悟りを妨げないのは、
(小さな)露が(大きな)月を拒まず受入れるのと同じである。
一滴の水に映る天月の深さは、実際の天月の高さに等しい。


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・・というように。(拙訳ではありますので
高僧老師には誤りを諭されるかもしれませんが
「大いなる叡智」の探究という見地からは
大きく乖離していないと信じます。)



それを踏まえても、両手に掬い上げた水面に
月を映しながら それに自分を映すというのは
知的な遊び心を感じて 興味深い試みです。

あえて奥深く読み込むと、悟りの境地に至れば
もはや「自我」はなく「叡智の鏡」に自らが
映ることは無くなる…とも言えましょうか。


ただ、先月も書きましたように、西行は
煩悩ともいうべき恋慕の情を あえて
捨て去ろうとしませんでしたので
この和歌についてもそこまで説法じみた
無粋な意図はないように感じます。

水月は、文字通り「目前にあって手に届きそう
なのに自分のものにすることはできない」
=叶わぬ恋 の暗喩としても用いられますし、

その意味では「結び」=縁を結ぶという
意味で、待賢門院璋子との恋を重ねている
と 微笑むこともできましょう。


…という感じで、30余りの文字の配列に
天と月・悟り・恋・・と詠み込む西行の歌でした。

情景的にも涼やかで、蒸し暑い時期に
脳への清涼剤にもなる気が致します。

ちなみに『正法眼蔵』は難解ですが
「第一・現成公案」の巻だけは
今一度お読みになると良いでしょう。
「悟りとは何か」を示したものです。

現代語訳も色々ありますが、中には
ちょっとこれは誤訳かな…という類も
あるので、何通りか目を通しながら
自分なりに思考していくことが大切です

(「学び」全てに言えることですね )。


※ 長らくお付合下さっている方々には繰り返しになりますが、私という者は特定の宗派教義に与しておりませんので、宗教的な(怪しげな?)表現があっても特定の信仰を念頭には置いておりません。

むしろ…あらゆる教義・諸法・賢書が説き示す叡智の根源は「一」であると日々感じていますけれど、その信条さえ唯一絶対のものとは思っていませんので、へーこんな考え方もあるんだなぁ程度に お気楽に思索を楽しんで下されば幸いです。



かなり中途半端ではありますけれど
(想定の着地には長文過ぎたので)
今回はこの辺で終わります。

蒸し暑い季節となりますが、天月・森羅万象を
自らに投影させるがごとく澄み切った精神で
涼やかに7月を楽しんで下さいますように。


7月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます!




2016・2017年と「七夕」テーマのご挨拶でしたし
2018年はスルーというのもモヤモヤするので
例のごとく15日前後にでも改めて
書き置こうかなと思っています。。


posted by laluz at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾