2018年06月04日

2018年6月の始まり



皆さま、こんにちは。

2018年 第5番の月も過ぎました。
2018年の約42%が経過、、速いです!

「時間」とは 比較的仲良くしている方だと
思うので「知らない間に時間が経ってるぞ」
という感想・感覚は 基本ないのですけど
(知らない間にお金が減ってる!が無いように)
最近ちょっと無為に過ごしてる証拠ですね・・

夢時間で3日ほど過ごしてから起きた時に
あれ?まだ今日??というのは増えているので
「知らない間に時間が増えてるぞ?」的に
思った方がいいのかもしれない嬉しい現象で
逆にのんびり怠惰に過ごす割合が増加したか…

…と、どうでもいい自問自答はさておき。



「ラルース進学塾」も皆さまの温かいご支援の下で
7年間という時間を存在し続けていることになりました。

毎年毎回に同じことを申し上げておりますが
どの年次にあっても有り難い時間で包まれました。
それもこれも、各方面各位のご厚恩を賜った故と
心より御礼申し上げる次第です。

「進学塾」というよりは「進学会」とでも称した方が
実態に適うというところでありますが、、個人的な
繋がり・ご紹介によるご依頼ご相談がほとんどの故
特に支障もない限りこのままにしておきます。


引き続きご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。






夕立の はるれば月ぞ やどりける
    玉ゆりすうる 蓮のうき葉に



夕立が晴れると月が宿っていた。(雨露の)玉を
揺り動かしながら落ち着かせていく 蓮の浮葉の上で。



西行の和歌。

雨の雫が 蓮の葉に揺らされながら、
ころころ転がり やがて葉の窪みに
ゆっくり静かに落ち着いた その
小さな雫の中に天の月が宿っている。

幻想的で美しい情景が目に浮かびます。

さて、このように雨露の中に月を詠み込む
芸術性だけ味わっても十分ではありますが、
西行の心情を前提に捉え直すと 更に
深い世界が詠み込まれています。

この「心情」を正確に説明するには
かなりの文章量を必要としますが…
一言で表現するなら「一途なまでの恋慕」。

お相手は、藤原 璋子(たまこ/しょうし、
1101年8月22日〜1145年9月10日)。
幼少から白河法皇の寵愛を受け、16歳で
鳥羽天皇の中宮に(第一皇子は後の崇徳天皇)。
23歳から院号・待賢門院(たいけんもんいん)。

璋子34歳の時、佐藤義清(後の西行)17歳。
鳥羽院の「北面の武士」として奉公する一武士と
中宮との儚き関係。璋子は魅力的だったらしく
年齢問わず奔放に恋愛を楽しんでいたようですが、
皇后相手に若き士の一途な恋が叶うはずもなく。

その想い=煩悩を断ち切る為に
義清23歳で出家したと言われています。

西行は恋歌も相応に遺していますが、
念頭にあったのは間違いなく璋子でしょう。

1145年に璋子が亡くなってからも京に還るたび
彼女の眠る法金剛院の陵墓に参りました。
忘れられない煩悩を恥じながらも
終生 忘れることはありませんでした。



さて、この待賢門院璋子ですが、第一皇子は
夫の鳥羽天皇ではなく、養父ともいえる白河
法皇との子だと信じられており、その辺りから
皇位継承争いに巻き込まれる波乱の晩年を
過ごすことになります。

没後の1156年に「保元の乱」で争ったのは
第一皇子(崇徳上皇)と第四皇子(後白河天皇)
で、後者に軍配が上がりますが、養父・夫・
実子ら権力争いの「核」でもあった女性でした。

この権力闘争を介して源氏平氏ら武家が力を
持ち始め、武家政治への門を開くことになりました。
歴史に「if」はありませんが、最初の藤原忠通との
縁談で 璋子がそのまま摂関家に嫁いでいれば、
後の日本社会は大きく異なっていたかも…。


・・という正に傾国の美女というべき璋子ですが、
時代の流れそのものに人生を大きく揺れ動かされ
続けながら44歳で崩御します。それはまるで
璋子にようやく落ち着くべき所を与えたかの如く。
極楽浄土に咲く蓮葉の上で 静かに安らかに
包まれながら落ち着く露のように。

歌中の「玉(たま)」とは 璋子の「璋(たま)」
であり、その「魂(たま)」でありましょう。

その玉に映える月は何を示しているのか。


哲学的仏教的に解すれば、俗世の迷いを離れたが
故に「月」さえ包み込める無限性・悟りの境地に
至れたとの暗示と捉えることもできましょう。

ただ、一途な想いを胸に秘め続けた西行です、
ここはきっと若き日に共に逢った月のことでも
詠み込んでいるのではないかなぁと思います。
相手の瞳に写り込んだ月を思い返していたり。

それが今、蓮の上の雫の中に 月を見ている。
ああどうか安らかにお眠り下さい 愛しき人
という優しい想いが詰まっている気がしますね。


(彼女の眠る法金剛院は、璋子自ら再興した
 寺院で極楽浄土を表現しようとした
 浄土式庭園は 蓮の名所でもあります。)


・・個人的には「法華経 涌出品」の
 不染世間法、如蓮花在水
(世間の法に染まざること、
 蓮花の水に在るが如し)と併せて

小さな雫(個々人間)にあっても
天の月(宇宙)を宿すことはできる
という流れで終える予定でしたが。

究極的に「語るべきこと」は一つなので
良くも悪くもワンパターンになりますし、
今回は西行の人間的心情に沿う形で終わります。


あらゆる小さなモノにも
偉大なるものが宿っていると知れば
精神が大きく揺れ動くことはありません。

各々にとって「静かに安らげる地点」が
どこなのかは人生で変わってくるとしても
少なくとも「自分の手を求めてきた縁」には
静かに安らげるよう導いてあげて下さいね。


(これは善行でも偽善・理想主義でもなく…
 情けは人の為ならず、全くもって自分の為
 という利己的行為なのですけども)



兎も角も 長くお付き合い下さっている方々だけでなく
あらゆる面でご支援下さっている各方面の皆々様に
改めて7周年の感謝を申し上げる次第です。



7周年ということでお祝いのお言葉を
ご丁寧に下さった方々には重ねて御礼申し上げます。

8年目も輝かしい出会いに充ちていることを
皆さまと共に 心から喜びたいと思います。



いつも本当にありがとうございます!



posted by laluz at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾