2016年11月04日

2016年11月の始まり



皆さま、こんにちは。

2016年 第10番の月も過ぎました。
2016年の約83%が過ぎたことになりますね。

収穫の秋を見送りながら冬の到来に備える月ですが、
皆さま 極上の晩秋を楽しんでおられることと思います。

(昨年の冒頭部そのまま流用しました…1年とは早いもの)



物いへば 唇寒し 穐の風  芭蕉

(ものいえば くちびるさむし あきのかぜ)

( 何か言うと 秋風で唇が寒く感じる季節だなぁ。 )


解釈が分かれているので良くも悪くも有名な句です。

これは句の前詞に

座右之銘 人の短をいふ事なかれ、己が長をとく事なかれ

と添えられているので、それを受けて解釈するかどうかで
説が分かれています。一つは長らく通説とされてきた解釈で、

「他者の短所を悪く言ったり、自らの長所をことさら
説明しようと口を開くと唇が寒くなるものだ。」という
自戒・訓戒の意味を込めたものと捉えるアプローチです。

何やら人の長所短所をことさらに口にすると
肌寒い秋風が吹くように虚しい気がするものだと。

これはこれでなるほどと納得できますし、
俳聖の訓告とすれば説得力もあるというもの。


ただ…芭蕉の句はシンプルの極致を志向していて
そのような下世話な戒めじみた意図はない気もします…。

この句の成立年が正確に分かっていないことも
句の解釈に影響を与えているかと思いますが、
元禄4年という一説に従えば、50歳で世を去る3年前、
47歳頃の作。。「生と死の連関」を追究していた頃の
芭蕉のスケールとしては「口は災いのもとだぞ」的な
そんな小市民的な訓戒をあえて句にするかなぁとも。

季節の移り変わりを旅路の肌身で感じ、自然・宇宙を
洗練された簡潔さで詠んだ俳聖の世界観からすると
「秋風が唇を寒がらせる季節になったのだな…」と
秋風にたたずむ侘び寂びを17文字に圧縮しただけのような。

そう捉える解釈がもう一つのアプローチですが
あくまで個人的には後者の方が好ましいですね。

ただ芭蕉研究者ではないですし、膨大な文献精査など
行っていないので実際のところは分かりません。
句に触れる人それぞれ感じるまま心に響くものがあれば
それこそ芭蕉の句の味わい方だろうと思います。


もちろん「口は災いのもと」という訓示は
いつの時代にあっても有用であることは確かです。

適切な時に適切な対象に適切な分量だけ!というのは
何も「発話」に限ったことではありませんけれど。
料理にせよ調薬にせよ。。およそ人生の営み全てに
多かれ少なかれ当てはまるでしょう。



というわけで11月、肌・唇も寒さを感じる季節ですが
在るがまま 黙々と秋の収穫を終えられますように。

季節の移り変わりが在るがまま自然であるように
各々の進化も在るがまま自明でありましょう。




この11月も素晴らしいご縁で充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。


posted by laluz at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾