2016年06月05日

2016年6月の始まり


皆さま、こんにちは。

2016年 第5番の月も過ぎました。
2016年の約42%が過ぎたことになりますね。。


兎にも角にも、皆さまの温かいご支援の下で
「ラルース進学塾」という試みも5年間という歳月を
摩訶不思議と存在し続けていることになります。

5年というのは短いようで長いものですけれど
その期間全てにおいて有り難い時間で包まれました。
それもこれも、各方面各位のご厚恩を賜った故と
心より御礼申し上げる次第です。




雲の峰 いくつ崩れて 月の山   芭蕉


(入道雲がいくつも現れては崩れて行く時の流れの中で
やっと登頂した月山で見る変わらぬ「月」よ。)



とても深い深い句です。前提知識なく読んでも
美しく幻想的な情景が思い浮かびますけれど、
深く踏み込んでいくとかなり哲学的な句です。

この「月の山」とは出羽三山の1つ、月山(がっさん)。
噴火記録がない死火山=「死の山」と言われたことから
死と夜を司る霊山として知られます。その山頂には
夜を司る「月読命」が祀られ、古くは死者を救済する
阿弥陀如来も祀られていたと言われています。

『奥の細道』の一節によれば芭蕉は旧暦6月8日、
霊山の張りつめた寒さの中、険しい岩道を上り、
月山の頂に着いた時は日も沈み月が現れていました。

『奥の細道』3000Kmの旅は悉く「死と再生」を
追究する旅であったとも言われます。

積乱雲たちが現れては消えながら、そのうちに
太陽は上り沈み、月が映える。そういう循環を
幾度も繰り返す中で人々の「死と再生の祈り」を
抱合してきた霊山の登頂、その時に見る「月」は
まさに月読命を拝するかの如く荘厳だったはず。

個人的な印象に留まらず、過去・現在・未来の
「死と再生の祈り」を感じつつ、普遍なる
「月」の光の柔らかさを詠んだ神聖な句です。


ちなみに、芭蕉はこの後「湯殿山」に登ります。
出羽三山の奥の院たる神域。ご神体たる巨岩は
豊穣の象徴、まさしく「再生」を司ります。

人類が創生(創出?)されてから連綿と続く
死と再生の循環ですが、ミクロな観点では
日々一瞬一瞬そのものが死と再生の連続です。
(この辺りは以前にも述べましたけれど)

徹底的に小さなことに拘れば、細胞たちの絶え間ない
死生の循環の前には、世俗のことなど些事。
徹底的に大きな視点で考えれば、星たちの爆発的な
死生の循環の前でも、世俗のことなど些事。

もちろん些事と言うのはどうでもいいという意ではなく。
些事であるからこそ、効率よく対処していきましょう。
人智の及ぶ世界のことなら、原因と結果をしっかり把握し、
自己を律して対処すれば実現・解決は危うからずです。



何にせよ、日々「生かされている」ことに対する
遍くご助力(ご家族を始めとする万物すべて)に
心からの敬意と感謝を忘れなければ「道」は外れません。

(ツクヨミノミコトと言えば、以前触れていたように
 伊勢再訪で月讀宮も参っておりました。やや時間が
 経過しているので記事化もどうかと思っておりましたが
 ご興味ある方もおられるようなので近いうちに…。)


ということで、長くお付き合い下さっている方々だけでなく
あらゆる面でご支援下さっている各方面の皆々様に
改めて5周年の感謝を申し上げる次第です。


5周年ということでお祝いのお心遣い・お言葉を
ご丁寧に下さった方々には重ねて御礼申し上げます。

6年目も輝かしい出会いに充ちていることを
皆さまと共に 心から喜びたいと思います。



いつも本当にありがとうございます。



posted by laluz at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾