2015年10月03日

2015年10月の始まり


皆さま、こんにちは。

2015年 第9番の月も過ぎました。
2015年の約75%が過ぎたことになります。

皆さまにおかれましては 申し上げるまでもなく
充ち足りた実りの秋をお過ごしのことと存じます。

( しばらく「2014年」になっていたようでご指摘下さいました
 前年度の記事を再編集して上書きするとこういうミスが出ます…
 この誤植に限った事ではありませんがご丁寧にありがとうございます!)




行く秋や 手をひろげたる 栗の毬   芭蕉


( 心地よい秋が過ぎ行くのを名残惜しむように 栗たちも
 イガを広げてそれを引き留めようとしているようだ。 )



栗たちも毬(いが)を開いていく秋の季節。
毬とは外敵から身を守るためにあるものですが、
栗たちもその毬を開いて秋の行く手を邪魔しているようだと。
そういう 柔らかで微笑ましい一句です。

この句に触れたときの個人的な第一印象としては
いつもは毬で身を守り心を開かない栗さえも
秋が過ぎ行くにつれて別れを惜しんで手を広げているよ
…というような雰囲気を勝手に感じていましたが
この句が詠まれた状況を考えると上述の解釈が
なんとなく妥当かなというところでしょうか。


もう昔になりますが、初めてマンダリンオリエンタル東京に
滞在した際、この句を添えたメッセージカードが置かれていて、
とても微笑ましく思ったのを一層に懐かしく思います。

ウェルカムフルーツetc.に季節の句を添えた礼状のおもてなしは
一時の和みを提供してくれますが、この句を選ぶ意図が
なかなかに面白いと感じたもの(・・毬なの?的な)。
今も適宜に訪れますが時季の句のチョイスを楽しむという
味わい方もあるので 個人的には落ちつける滞在先ですね。



いずれの解釈にせよ 秋の柔らかさと栗のイガの対比、
秋独特の物寂しさなど ふんわりと纏めてある上品な句。

緩やかな心持で世の生命体を眺めていると
浮かんでは消えていく条理の中でも生を謳歌して
雄大な時の流れに充たされているように思えます。

悲喜交々の現世においては時に人間もイガをまとって
心身を外周からガードしたくなることもありましょうが
栗たちさえ秋にはイガを広げて別れを名残惜しみます。


受験や家事・職務など各々に課せられた任務において
疲労困憊することもありましょうし、だからこそ
周囲に対して刺々しくなることもありましょうが、

そういう時こそ不器用ながらも殻を開いて参りましょう。
別れを惜しむ時が来てからイガの心を開くのではなく
時間を共有できていること自体を楽しんで
各々在るべき道を歩んで下さいますように。



・・と、月初の挨拶だけになって久しい上に
記述内容もややワンパターン化していますが
まあ…叡智が行き着くところは「なんとなく
ひとつのところ」に収束していきますからね・・
良い意味でのワンパターンだと善解して下されば。


この10月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます!


posted by laluz at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾