2017年09月04日

2017年9月の始まり



皆さま、こんにちは。

2017年 第8番の月も過ぎました。
2017年の約67%を終えたことになりますね。

すっかり「秋」という風情ですけれど
皆さま満ち足りた日々をお過ごしと思います。




枝ぶりの  日ごとに  変る芙蓉かな     芭蕉


( 日ごとに枝ぶりが変ってゆく様は まさに真の芙蓉のようだ。)



朝開いて夕方しぼむ「一日花」ながら花期は長く
7月〜9月 毎日のように新しい花を咲かせる芙蓉。

学名「Hibiscus Mutabilis」
「Mutabilis」は変わりやすいとか不安定なという意味。
「Hibiscus」=(アオイ目アオイ科)フヨウ属のこと。

日本で名称に使われる「ハイビスカス」は
ハイビスカスティに用いられるローゼル
(Hibiscus sabdariffa)だったり、
仏桑華(Hibiscus rosa-sinensis)など
属名のみの略称で混同しますが、別個体です。

この仏桑華(ブッソウゲ)は マレーシアと
スーダンの国花ですが、ハワイの州花は
Hibiscus brackenridgei で仏桑華
ではありません。大韓民国の国花は
木槿(ムクゲ:Hibiscus syriacus)です。

環境問題で話題となったケナフ
(Hibiscus cannabinus)もフヨウ属です。



という感じで Hibiscus に属する
「芙蓉」の固有名は Mutabilis
= 気分屋さんといったところでしょうね。

ちなみに園芸品種の「酔芙蓉(スイフヨウ)」は
Hibiscus mutabilis cv. Versicolor
(cv.は cultivar の略で園芸品種を示します)
Versicolor = 虹色の、様々に変色する…なので
色がコロコロと変わる気分屋さん という感じです。


…と、Hibiscus考 になってしまうので
この辺りで 今回の句を見ていきますと。

前提なくして自然にそのまま読むならば
「芙蓉は趣深い花だ、日ごとに枝ぶりが変ってゆく」
という花の移ろいを詠んだといえるでしょう。

ただ、この句が「画賛」とされていることを
前提にすれば(伊藤 洋『芭蕉DB』該当頁 参照)
眼前の生花よりは 画題・絵そのものを
念頭に詠んだものと考えるのが自然です。

そうすると、画中の芙蓉は適宜筆が加えられ
まるで真の芙蓉のように刻々と変化する
素晴らしい趣を見事に顕わしているなぁと
最上級の賛辞を贈っているように感じますね。

「時間変化さえ」表現できていると賛することで
その芙蓉画そのものの風合いの変化を通じて
実際の「芙蓉」の変化さえもイメージできるような、
いわば2層の「変化」を読み込んでいるかのよう。

…まあ、実際のところは分かりませんけれど
「時空」の重層構造を詠み込んでいるなら
素晴らしいなぁと個人的には思います。。


芙蓉の花言葉は「繊細な美」。
富士山の美称は「芙蓉峰」とも言います。

古きを脱し、日々新しい花を咲かせる様から
「美」の形容としても有名な花ですけれど、
人間の進化においても当てはまるでしょう。



私も色々な生徒さんと勉強を通じて
各々時間を共有して参りましたが、
文字通り「日々進化する過程」に触れ、
天恵に引き上げられる様は「優美」です。

特に幼少期からお付き合いのある方々は
身体的・精神的変容を壮麗なものに感じます。
保護者・ご家族の方々には尚更でしょうね。


望む望まないに関わらず経年変化とも
付き合っていかねばなりませんけれど、
それも自然の摂理と優しく受容しながら
高く高く日々花を咲かせていく芙蓉の如く、

各々の理念に従ってどの瞬間でさえも
新しく進化して行かれればと願います。



…と、もう少し書き進める予定でしたが、
少し時間が空いてしまって既に5日昼過ぎ…
この辺りで終えて更新しておきます。


昨年度「2016年9月の始まり」は「重陽登高」を
テーマにしていましたが、高みに登るという点では
相通ずるといえますので併せて読み返して頂けば。


それでは、今回はこの辺で。。

9月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。



posted by laluz at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2017年08月16日

Lewis Carroll


皆さま、こんにちは。

8月は15日前後にまた記事更新します…と
申していましたので、久々の「名言の英語」を。

ひと昔のように超タイトな授業スケジュールには
しないようにしているのですが、やはり夏休み…
それなりに追加授業をお受けしています。

東京大・京都大を目指す子たちですので
取捨選択しつつ色々と吸収してくれていれば
嬉しく思うことこの上なしです。

今夏は数年ぶりに「午前中」から授業を行う等
炎天下に移動するのもそれはそれで懐かしく。
陽光よりも月光の方を多く浴びる日々でしたので
個人的には趣深い「環境変化」かもしれません。

というわけで、実に2014年1月24日以来
約43カ月ぶりとなる「名言の英語」は
ルイス・キャロル を取り上げてみましょう。



Lewis Carroll,(1832.1.27-1898.1.14)は、
イギリスの数学者、論理学者、写真家、作家、詩人。

本名は Charles Lutwidge Dodgson で
"Charles Lutwidge" のラテン語表記名
"Carolus Ludovicus"をもじったもの。

『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』の
作者として文学世界においても有名です。



ルイス・キャロルについても天才の例に洩れず
聴力障碍・発達障碍(自閉症スペクトラム障碍)と
考えられる徴候を示していた点や、写真芸術として
少女ヌードを撮った点から小児性愛を疑われる等
長年誤解や疑念の対象とされることもある人物でした。

近年の研究で後者は根拠のない俗説と判明し、
世界的な名著とともに文字通り尊敬を集めています。


ルイスキャロルはオックスフォード大を卒業後
母校で数学講師を務めていたこともあって
著作中でも数理要素は満載で、読み解くには
なかなか難しいパズルもあったりします。

『ルイス・キャロル解読―不思議の国の数学ばなし』
で齧った程度ですが、この本は興味深かったです。


前置きはこの辺りにして早速「名言」を。




If you don't know where you are going,
any road will get you there.



この文章は原典ではなく映画版のセリフと思いますが
キャロルの名言として時折引用されています。

「もしあなたがどこに行くか迷っていても
 道が導いてくれます」的な訳例もありますが
『不思議の国のアリス』の名言として引用するなら
実際そこまで「優しい意味」ではないかもです。

"What road do I take?"
"Well where are you going?"
"I don't know."
"Then it doesn't matter.
If you don't know where you are going,
any road will get you there."


どの道を行けばいいの?と尋ねるアリスに
チェシャ猫は「どこに行きたいの?」と尋ねますが、
アリスは「わからないわ。」と答えます。

「じゃあ、問題ないよ。どこに行きたいか分からないなら、
どの道を選んだってそこにたどり着けるんだから。」


要するに「分からないところ」に行くには
どの道を辿っても「そこ=未知」に行けるよと。

アリスの世界にはこういう「言葉遊び」が満載で
そのまま訳出不能のものが多々あったりします。

アリス的には「どの道か」というよりは
「どこに行ったらいいか」を教えて欲しかったと
思いますけれど、「どこに行きたいか」は
「自分しか知らない」=他者が分かるわけない

という意味では本当にその通りですよね。



Everything's got a moral, if only you can find it.
(すべてのことには教訓がある。見つけることができれば…だけど。)


『不思議の国のアリス』で 色々な名言(迷言)を
披露してくれる中の一人が「公爵夫人(Duchess)」。


“If everybody minded their own business,”
“the world would go round a deal faster than it does.”


(みんなが自分のことだけ気をつけていれば、
 この世界は今よりずーっと迅速に回るだろうにね。)



この文章も原典ではユーモアな展開での話ですけど
その場面を離れて読んでも名言と思える一つです。

「自分のことだけ考える」というのが
「他人のことに口出ししない」という裏返しで
実際、人間界では「自分のことはさて置いて、
他人のことに首を突っ込み過ぎる」人もいるはず。

各々が先ず、自分の任務・使命・責務について
真剣に取り組んでさえいれば、世界は今よりも
上手く回っていくだろうというのは頷けますね。


Oh, 'tis love, 'tis love
that makes the world go round.


(ああ、愛こそ、世界を動かすものは愛!)


これも侯爵夫人の言葉ですけど、この辺りは
「意味を分かってないけどそれっぽいことを言う人」
を わざとユーモラスに描いている側面もあるので
侯爵夫人が心から「その真理」に到達しているか
それ自体はともかく、古来から「愛」は全ての鍵
のように色々な場面で掲げられますよね。

このブログでも少しだけ触れたりしますけど
「この宇宙の全ての扉を開く鍵は『愛』なのだ」
と声高らかに言っても、どこまで「真髄」に
触れているかは各々の思考レベルで変わります。

とりあえず『愛』というブラックボックスに
入れておけば誤魔化せる側面もあるでしょうし。
『愛って何?』『キミも進化すれば分かるよ』的な。

その実「この世を動かすのは愛!」という表現は
「訳の分からないものが世界を動かしている」
いうことの端的な裏返しとも言えます。

その意味では侯爵夫人の言葉は真理かも。


Take care of sense, and
the sounds will take care of themselves.


不条理というか、とりあえず何でも
「教訓にこじつけたがる」侯爵夫人ですが
この文章もその一つ。何となく聞きかじったことを
それっぽく吹聴する傾向の人も現にいるでしょう。

これはそのまま訳出するとズレてしまいます。

"Take care of the pence and
the pounds will take care of themselves."
(小銭を大切にすれば大金はおのずと集まる)
(小事を大切にしていれば大事は自ずと成る)


という教訓をもじった「言い間違い」ですからね。
(penceをsense、poundsをsoundsと)

ただ、「深く考えてみると」意外と「言い間違い」
ではない、むしろ高尚な文章にも思えてきます。

「訳の分からない文章・作品」を高尚だと
有り難がるのは愚かさと紙一重でしょうし、
ルイスキャロルもそれを皮肉っているとしても。

(「感覚」を大切にすれば「音」は自然と集まる。)

おー何か「それっぽい」ような。音楽家には至言かも…

(「意味」を大切にすれば「音」は成し遂げられる。)

うん、なんだかすごく深いことを示している気も…。
「音」=人間が織りなせる究極の「交響音」だとしたら?


…と、そんなこんなで不条理と条理のはざまを
行き来し漂えるのがアリス世界の魅力でもあります。



I give myself very good advice,
but I very seldom follow it.

(私は自分にいいアドバイスをするんだけど、 ほとんどそれに従わないの。)

Who in the world am I? Ah, that's the great puzzle.
(私って一体誰なの? ああ、なんて難しいパズルなのかしら。)


上の文章は原典そのままではなくアリス由来のもの
だと思いますが、引用の最後に。


「不条理な世界」とは「不条理な自分」そのもの。

「答え」が分かっているのになぜか行動しない
とか、この訳の分からない「自分」という謎を
解き明かして「自分なりの完成体」に成ることが
出来たなら、世界の全てはシンプルな条理の中で
ゆったり動いていることに気づけるでしょう。

その「理(ことわり)」自体を、人によっては
「神」と言ったり「愛」と言ったりするので
「訳の分からない不条理」感を加速させるだけで。

焦点のズレたレンズでは対象を正確には把握
できないように、世界に対してもまず自分自身が
「ブレない視点・支点」を持たなければならない。

そうして「意図的に」条理と不条理を楽しむことが
できれば、アリス世界のような狂気のお茶会を
日々ゆったり楽しんでいけるでしょうね。


・・・と、寝落ちしてしまって更新が17日9時を
過ぎてしまいました、お待たせしてすみません。。



It's a poor sort of memory that only works backwards
(後ろにしか働かないなんて、ずいぶん貧弱な記憶ですわね)

とか

I can't go back to yesterday
- because I was a different person then.
(昨日に戻ることはできないわ。昨日の私は別の人間だったのだから。)

とかまだまだ興味深い文章はありますが
これ以上遅くなるのもどうかと思いますので
この辺りでおしまいに致しましょう。


それでは、ルイスキャロル
(というよりアリスの国)の名言でした。

8月後半も正気と狂気のハザマを楽しみながら
脳がワクワクする日々をお過ごし下さいますように。

いつもありがとうございます!




posted by laluz at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 「名言」の英語

2017年08月05日

2017年8月の始まり



皆さま、こんにちは。

2017年 第7番の月も過ぎました。
2017年の約58%が過ぎたことになりますが、
情熱的な夏の日々をお過ごしのことと思います!


なるべく月2回更新に…と書いていましたので
7月も15日前後にご訪問下さった方もおられたかも
しれませんね、実際「書いてみた」のですけど。

7月での東京大学卒業生カード(クレジットカード)
の提携サービス終了を受けて、各大学提携カードや
「信用力」について思うところを書いていたのですが
なんとなく「ラルースの塔」っぽくないというか
クレジットカード論とか世俗すぎて興醒めというか。


(プレミアムなカードやら各ステイタスやら
 実際使っている人には今更どうでもいいし
 使ってない人には無用な情報でしょうし)


そのままお蔵入りして8月を迎えた次第です。

(素直に「名言の英語」にすべきでしたね…
8月は15日前後にもう一つ更新しようと思います!)





撞鐘も ひびくやうなり 蝉の声 芭蕉


(つきがねも ひびくようなり せみのこえ)


(眼前の梵鐘までが今にも同調して響き出しそうなほど
 山中に鳴り響いている蝉の声よ。 )




とても荘厳・深淵で…スケールの大きい句。
個人的に好きな句の一つです。

蝉たちの鳴き声が山中に響きわたり、
寺の鐘さえ鳴り出せそうだなぁと
字義通りシンプルに読んでも、夏の情緒が
ありありと目と耳に浮かんできますね。

ただ、梵鐘は仏事において重要な役割を果たし、
その響きは聴く者を一切の苦から解放し、
悟りへと導く功徳があるとされます。


やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声

…の句について2014年8月に触れていますように、

成虫になってから蝉の生は残り短いものですが、
遺伝子を繋ぐために 残された短い時間の中を
精いっぱい鳴きし切る蝉の声は「生の儚さ」よりは
「生の力強さ」こそを感じさせます。

世を去る頃の蝉たちは力なく地に横たわっていますが
その地中には次の世代となる幼虫たちが眠っていて

その骸はやがて地に還り大樹を通して次世代の養分へと
生と死が変わることなく循環していく…ことへの生命賛歌。


この観点から「撞鐘」の句を深く読んでいくと、

生死の苦などに悩み囚われず、ただ与えられた
「生」を賛するか如き、蝉たちの鳴声の集積は
まるで一切の苦しみを解き、悟りへの境地と導く
梵鐘の大きな響きであるように感じられる、と
このようなニュアンスを含むように思えます。


いつもながら個人的な解釈なので
実際どうなのかは分かりませんけれど。
そのような含意を感じながら読む方が
荘厳なスケールを感じて好ましいところです。



実のところ、蝉たちの一生と人間たちの一生とで
どこまで「差異」があるかと言えば、本質的差異は
無いと思いますけれど、だからこそ些事に思い悩まず
自らの生命エネルギーで灼熱を覆い尽くすかの如き
尊大さで、夏の日々を楽しんで参りましょう!

それでは、今回はこの辺で。



8月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。



posted by laluz at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2017年07月02日

2017年7月の始まり


皆さま、こんにちは。

2017年 第6番の月も過ぎました。
2017年の約50%が過ぎたことになりますね。

強大な太陽エネルギーを肌身に感じてくる季節、
皆さまお変わりなく充実されておられましょうか。



合歓の木の 葉越しも厭へ 星の影   芭蕉

(ねむのきの はごしもいとえ ほしのかげ)



意訳・解釈は後に回すとして・・二つの星が逢いに来る七夕。

旧暦本来の時期としては2017年08月28日ごろですけど
新暦ベースの7月7日という時機で今回も取り上げてみます。

(昨年7月も「雨中天」の句を取り上げていますし)

「織姫と彦星の夫婦が1年に1度の7月7日だけ
 会うことを 天帝に許されている」日です。

夏の大三角形でご存知のように 織姫は「こと座のベガ」
彦星は「わし座のアルタイル」とされています。

(七夕伝説の由来も興味深いですが、今回はさておき)

地球からの距離はそれぞれ約25光年、約17光年、
2星間の距離はおよそ14.5光年と観測されています。

物質の速度は光速(299,792,458 m/s)を超えない
というアインシュタイン相対性理論に従う限りでは、
14.5光年の超遠距離恋愛で二者が会うには7年以上必要。



ゆえに1年で1回逢うことは不可能。Q.E.D.(証明終了)
という冷静奇特な方もおられることでしょう。

ただ・・まあ人間目線で「星が近づく」比喩ですし
「愛は光速を超える」という視点でゆったり考えますと。

人間目線で考えるなら人間尺度で換算しないとおかしい!
ということで言えば、織姫と彦星たちの寿命は約10億年。

人間の寿命を100年とすると、織姫と彦星は人間に比べ
単純に1000万倍も長い寿命ということになりますね。

「1年に1回」も1000万分の1で考えるのが公平?
と計算すれば「1年」の1000万分の1は「約3秒1557」。

人間尺度で改めて考えてみると、織姫と彦星の2人は
人間世界的に「約3.2秒に1回逢っている」ことになります。

まあ…ずっと一緒にいるようなものですね・・
むしろどれだけ愛し合っているんだ?って程に。

厳密に言えば「3.2 秒に1回0.0086秒だけ逢える」
ですけど、その辺りはまあ瞬きレベルの誤差と言えて…

いやでも、3.2秒毎と言っても現実に知覚できないなら
それはやはり逢えないに等しいか…むしろツライかも?

天帝は言いました。「1年に1回だけ逢うことを許す」と。

その意味するところ「お前たちの寿命は長い。要するに
ずっと一緒にいていいってことだ」かもしれません、

ただし、実際に見ることも触ることも出来ない。
想える「愛」だけが絶えずしてそこに在る、と。
肉体を超えた星たちの愛の形としては真理かも?



・・という感じで七夕の2人をどのようにみるか
距離・時間尺度の違いでニュアンスも変わるわけですが
今回の句も「厭え」を介して2つ解釈が成り立ち得ます。

1つは、なかなか逢えない2人が1年ぶりにやっと
逢えたのだから、ネムの葉越しであってもじろじろ
見てあげてはいけない そっとしておこうではないか
という我々人間に対して「厭え(遠慮しなさい)」と
温かく見守るスタンス。

もう1つの解釈は、ネムの葉越しといえども
よく見えてしまうから隠れて逢瀬を重ねて下さいね…
という2つの星たちに「厭え(遠慮して下さい)」と
投げかけているスタンス。


3.2秒ごとに逢っている=ずっと一緒にいるという
感覚なら後者の解釈もなかなかに頷けましょう。
愛し合うのもいいけど人目を憚りなさい…的な。

とはいえ、芭蕉の感覚的には前者の意でしょうね。
七夕だー!と衆人がこぞって2星を注視している中
皆さんそっとしておいてあげようという優しい句です。

後回しにした句訳を付すなら…


「合歓の葉越しにも覗き見して1年越しの
 語らいを妨げないように。(稀有な逢瀬に
 歓喜している)星は影さえ美しい。」


こんなニュアンスでしょうか。


ちなみに和名のネムは「夜になると葉が閉じること
(就眠運動)に由来し、漢名の「合歓木」は、
中国においてネムノキが夫婦円満の象徴とされて
いたことから付けられたとのこと(Wikipedia)。

香りは桃のように甘く、花言葉は「歓喜」「安らぎ」。



合歓(ネム)の語つながりで書くと 昨年オープン当初に
滞在したAMANEM は「合歓の郷」内のアマンなので
アマネム:歓喜・安らぎの地という意図でしょうね。
滞在時はサミット準備で物々しい周辺警護でしたけど。


20160428_155906.jpg

ベランダ(縁側?)の開放的なレストスペース。
波や風の音、そして星たちの優しい光を感じながら
ネムネムできます。世俗から離れて過ごすには良い空間。



人の世にあって、愛する人と共有する時間は
かけがえのないもの。家族・伴侶・恋人etc.
それらがどのようなカタチであったとしても
距離・時間尺度はあくまで相対的なものです。

常に一緒に居られる幸運にあるならば、
それがまるで1年に1度の逢瀬の如くに
貴重なものでもあると お互いを思いやり、

物理的・心理的に遠く離れた関係であっても
(先に逝かれてしまった場合を含めて)
愛は物理法則を超えて「常にそこに在る」と知り
相手の存在(或いは非存在)に敬意を払うこと。

そんな感じで、支えて下さる方々に
「歓喜」の気持ちで接して行かれますように。

各々それぞれ10億年ごしにやっと逢えた2星かも
しれませんし、壮大なスケールで生きていけば
俗世の小さなことなど互いに笑い合えるはずです。



というわけで、今年も「七夕」テーマのご挨拶に
なりましたが、皆さまとのご縁も稀有な出会いと
常々感謝申し上げているのは変わりありません。

蒸し暑い季節こそ、周囲の暑さを打ち消すほどの
歓喜の躍動で7月も楽しんで下さいますように!


7月も素晴らしい出会いで充ちていることを

皆さまと共に心から喜びたいと思います。



いつも本当にありがとうございます。


posted by laluz at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2017年06月14日

「小さな歪み」


皆さま、こんにちは。

前回に書き留めておきましたように
「小さな歪み」のお話の続きです。


とりあえず月初のご挨拶(芭蕉の句を添えて)のみ
というのが恒常化していて、それ以外の記事を
更新する日というのはいつ以来か!…どうやら
2015年3月22日「芸術との共振」以来のよう。

27カ月ぶりです、控えめに言っても短時間ではない。
私と面識がある方々なら27カ月ぶりとは奇跡的速さよ!
と絶賛してくれるかもしれませんけれど。

そもそも当ブログの存在意義さえ定かでありませんが
(生徒募集や広告収入といった付随目的も全くない上
 そもそもblogという形式自体が旧時代の遺物…)

のんびり続けることに意義があるということで。
いつもご覧下さる方々には心から感謝しております。

此岸(或いは彼岸)のあれこれを語りたいという
稀有な方々は、私と直接お話しできる方でしょうし、
実際どれだけの方が「ラルースの塔」という記事から
プラスのモノを得ておられるか分かりませんけれど。

創世記18章で、神がソドムの街を滅ぼそうとされた時
アブラハムは神の行われる正義について懇願し、主は
「その十人のために私は滅ぼさない。」と答えました。

このブログについて意義を感じて下さる方がおられるなら
私も「その10人のためにラルースの塔を滅ぼさない。」
という心持ちで、ゆったり存続させておこうと思います。



…前置きが長くなりましたのでそろそろ本題に。


この世で観念できる「組織」は概ね様々な階層ごと
適切なバランスを取りつつ動くことが想定されています。

微小組織におけるバランスを無視して
とりあえず大きな枠組みでのバランスのみを
図るということは往々にありますが、
小さな歪みはやがて大きな亀裂となって
枠組みを歪めてしまうことは必然の理です。


・・と、いう前回の流れで書きますと

例えば機械組織であれば小さな部品であっても
僅かなズレ・欠陥で長期的には大きな負荷となって
全体を大きく歪め、損傷を与えることはあります。
機械部品なら不具合があれば交換修復で問題ありませんが
人的組織・有機生命組織であればそうもいきません。

大きな社会組織において、全体のバランスを図るために
末端・下部組織を棄捨するというのは常道でしょうが、
バランスの取り方というのが非常に難しいので
単純に切り捨てるだけだと後顧の憂いを残し
長期的には大きな歪みとなる原因となったり。

人体組織においても、単純に患部位を切除するだけでは
根本的解決に至らず、中長期的には修復不可能な歪みと
なって、なんとかバランスを取り戻そうと軋む苦痛の中
残る命数を数えることになったり。

・・・と、このような流れで書いてしまうと
どうしてもお説教ぽくなるので、視点を変えて。

ほんの僅かな歪みはやがて修復不能なほどの歪みとなる
というのは、概ねの組織に共通することだと思いますが、
数値による視覚化をしてみると把握しやすいでしょう。


まず基準となる状態を1とします。

そして毎日0.01%ずつ前日より減少するとした場合
(0.9999)^365=0.9641 となり、約1年で3.6%
衰えたといえます。まだ許せる範囲差ですね。

しかし、これが10年という期間になると
(0.9999)^3650=0.6941となって
基準値からの減少が明らかとなってきます。

20年ならば…0.4819 となって約半分以下に…。



「身体的老化」について考えると上記数値は
何となく実感が沸くことでしょう。若い時の状態から
経年劣化により少しづつ摩耗していき、数十年単位では
身体的機能は著しく低下して行ってしまうという。

これが0.01%という設定であって この有様です。
0.01%の摩耗というのは日々のメンテナンスに
気を配っていても生じ得るレベルかもしれません。


例えば、日々0.1%の減少であったらどうかというと
(0.999)^365=0.694 となり1年で30%減となりますね。

暴飲暴食・過剰な飲酒喫煙などで心身を蝕むなら
このように短期間で機能が減退する数値イメージです。

これは「基礎学習」の面においても当てはまります。

日々学習したことを定着させるように意識だけは
していたとしても、実際1%ずつ減少していたなら
1年で(0.99)^365=0.0259 と全く実力として
身についていない様子を冷酷に物語ります。



日々全力=100%で生きなければならない!というのは
上記イメージを考えるとなかなか至言と言えるでしょう。

ただ、毎日全力投球するのは疲れます。

自分にとっての基礎値=100%というのが何か?を
考えるとき、長期戦でいくなら基準値は低めが良いです。

リハビリでもそうですよね、以前出来ていたことを
基準にしてしまうと「何でこんなこともできないんだ…」
と、ネガティブになるのと同様に。勉強が苦手な子でも
基本からクリアしていくことで「おお!進化してるな〜」
と、毎回達成感を感じて「勝ち癖」が付いていくもので。

基準値1から0.1%減るのではなく、0.1%上昇するとしたら
(1.001)^365=1.44 となり約1.4倍にまで進化します。
1%上昇するなら(1.01)^365=37.78となり約37倍!

毎日1%上昇など身体的機能についてはあり得ませんが
学習面においてはあり得なくないと納得されるでしょう。
毎日たった1%だけ進化するように心がけて1年頑張れば
37倍にまでなっていく!というイメージが大切です。

昨日の2倍がんばれ!といってもムリですけど
毎日たった0.5〜1%だけ上乗せして行こう!なら
誰でも出来そうだなと思えるのがポイントというか。


基礎値自体が極めて高い優秀な頭脳においては
毎日0.1%の進化というのも難しくなってきますが
少なくとも機能低下させないようにすることが肝です。


「歪み(ひずみ・ゆがみ)」とは何か?と言っても
対象組織の各々で異なってくるでしょうが、
イメージとしては0.01%という小さな摩耗でも
中長期的には無視できない減衰になるという訳です。

必ずしも物理的減退に留まらず、心理的影響による
機能不全・低下というファクターも考慮に入れると
各組織運営において「歪み」は小さなうちに正せ!
というようなことが共通して言えるでしょう。

国家レベルの歪みについては歴史的不幸もあって
なかなか簡単に修復できなくなってしまいますが、
家族間・友人・恋人の間の行き違いについては
どんなものも基本的には修復可能だと思います。。

(あえて修復せず離れるのも悪くありませんが…)


何にせよ、今ある基礎値にこそ感謝と敬意をもって
(足りない…と不平不満で嘆くのではなく)
それを無為に損ねることなく存分に用いながら
ほんの0.01%でも少しずつ高めていければ
それだけで既に「人の生」の活かし方としては
合格点なのではないかと思いますね。

「今 あること」を存分に活かすどころか
「歪み」によって減らすことがないようにすれば…
というのが今回のお話でした。



久々でしたのでムダに長話となりましたが
まあ27カ月ぶりの戯れということでお許しを。

「名言の英語」とか草稿自体は色々眠っているので
気が向いた時に適宜引っ張って来たりしつつ
月2回更新にしようと企んでいるところです。


それでは、今回はこの辺で。
6月後半も素晴らしい日々をお過ごし下さいね。

いつもありがとうございます。


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2017年06月04日

2017年6月の始まり



皆さま、こんにちは。

2017年 第5番の月も過ぎました。
2017年の約42%が過ぎたことになりますね!



「ラルース進学塾」も皆さまの温かいご支援の下で
6年間という時間を存在し続けていることになりました。

毎年毎回に同じことを申し上げておりますが
どの年次にあっても有り難い時間で包まれました。
それもこれも、各方面各位のご厚恩を賜った故と
心より御礼申し上げる次第です。

「進学塾」というよりは「進学会」とでも称した方が
実態に適うというところでありますが、、個人的な
繋がり・ご紹介によるご依頼ご相談がほとんどの故
特に支障もない限りこのままにしておきます。


引き続きご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。





命なり わづかの笠の 下涼み   芭蕉


(命をまさに感じるものだ。西行が歌に詠んだこの地で、
笠の下に涼を得ていることに。)



次の西行法師の歌(新古今和歌集)を踏まえた句です。


年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山


(年老いてから再びこの山を超えることができるとは、いや
思ってもいなかった。佐夜の中山を越えることができるのは
今まさに命があるからこそだな。。)



当時、関東に抜けるには、鈴鹿峠(三重)・
佐夜の中山(静岡)・箱根峠(神奈川)という
東海道の三大難所を越えなければなりませんでした。

晩年、難所の山を再び越えることができるのも
無事に生きてこられたからだという「命」への
有難み・喜びをシンプルに謳った句です。

この西行の句を受けて、芭蕉は同じ地で
「わづかの笠の下涼み」に「命なり」と
生命賛歌を同様に詠んだのでした。


シンプルで美しい句を、殊更に「人生訓」の
ように語るのは無粋とは思いますけれど、

晩年、人生を達観する領域に在っては自然と
このように「命なり」と謳えるのでしょうね。


優しく降り注ぐ雨に「水」を感じ、
情熱的に照らす太陽に「火」を想い、
ふっと通り過ぎる風に「大気」を感じ、
我々を重力で抱き寄せる「大地」を想えば、

あらゆる生命は本当に様々な「基・礎」の上に
紡がれてあるなぁと自然と感動を覚えます。

外的のみならず、内的にも観念できる
水・火・風・地 という構成要素たちが
それぞれ精妙なバランスを保ちつつ
心身を脈動・躍動させている「今」を想うと
まさに「命なりけり」の心持ちでしょう?



この世で観念できる「組織」は概ね様々な階層ごと
適切なバランスを取りつつ動くことが想定されています。

微小組織におけるバランスを無視して
とりあえず大きな枠組みでのバランスのみを
図るということは往々にありますが、
小さな歪みはやがて大きな亀裂となって
枠組みを歪めてしまうことは必然の理です。

ここで…と、更に展開していくと今回のテーマから
やや脱線してしまいそうなので、強引に話を戻します。

この「小さな歪み」の話のつづきは近いうちに改めて。
具体的には?…遅くとも今月15日までには書きます。
ご興味がある方はその辺りで一度チェック下されば。




現代の社会においても各々にとって「難所」と
いうべき局面に入ることはあることでしょう。

難関を越える!自分の限界を超える!と
日々研鑽している学生諸君はもちろん、
人世への貢献に繋がる日々の重責・任務に
粉骨砕身されておられるご父兄各位も、

ふっと力を抜いて水分補給できる瞬間を讃え
深呼吸をしながら大気の流れを取り込みつつ
ご家族や先人たちの導きの火で大いなる地を
歩めることを歓喜なさって下さいますように。

自分の意識が「生命への歓喜」に満ちていれば
外的・内的な礎たちは、在るべき完璧なバランスを
引き寄せ合って、活力や閃きも不思議と降りてきます。

実社会でどのような「組織」に属しているか問わず
少なくとも「自らの心身」組織については各々こそ
最高責任者であり、統率者であり支配者ですので
構成因子たちが喜びに満ち満ちて、身体組織が
完璧なバランスで運営されることを楽しみましょう。




兎も角も 長くお付き合い下さっている方々だけでなく
あらゆる面でご支援下さっている各方面の皆々様に
改めて6周年の感謝を申し上げる次第です。


6周年ということでお祝いのお心遣い・お言葉を
ご丁寧に下さった方々には重ねて御礼申し上げます。

7年目も輝かしい出会いに充ちていることを
皆さまと共に 心から喜びたいと思います。



いつも本当にありがとうございます。



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2017年05月05日

2017年5月の始まり



皆さま、こんにちは。

2017年第4番の月も過ぎていきました、
2017年の約33%が早くも経過しましたね。。


*先月に書きとどめておりましたようにサイトアドレスが
 変更になっています。この文章をご覧になっておられる、
 ということは改めてご案内する必要ありませんけれど。
「更新に代えて」など内容のない記事は削除しました。

 また、URL変更に伴って、コメント・トラックバックは
 失われてしまいましたので、以前コメント等下さった方には
 心苦しく 申し訳ありませんが、ご理解下されば幸いです。

 それ以外は何も変わりませんが、
 改めて宜しくお願い申し上げます。。



・・・というわけで、
年の3分の1の時間を終えたわけですけれど
第2節目の4カ月も至福の日々を過ごして参りましょう。




しばし間も 待つやほととぎ す千年   芭蕉


(しばしまも まつやほととぎ すせんねん)


(ホトトギスの鳴声を今かそろそろかと待つ時間さえ、
数千年も経ったかと思うほど長く感じられるものだ。。)




この4カ月を一瞬に感じる方も多いと思います半面で、
日々の一瞬を非常に長く感じる経験もおありでしょう。

必ずしも最近でなくとも 今までの人生において
重要な発表や回答・返事を待つような場面では、
少しの時間さえ長く感じた…というような。

「時間」とは本当に不思議なものです。

先端の物理学においてさえ「時間」の本質に
ついて見解が一致しているわけではないので、
(そもそも「本質」というものさえあるのかどうか…)

各々の世界観に最も整合・適合する「時空観」こそ
至上のモノとして捉えればそれこそ是と思いますが、

ともかく「思考」は時空の限界に束縛されませんので
時間の流れが主観的に伸長していくのも必然です。

…と、ちょっと分かりにくい表現ですね。。
まあ、この辺りは適当に読み流して下さい。


句に戻りますと、ホトトギスが啼く季節、
耳を立てて鳴声に意識を集中していると
そろそろ鳴くかな…と思っている時ほど間が空き
おやおやなかなか鳴かないものだな…と思ったりと
そんなちょっとの間も数千年の長さにも感ずるものだ
と、初夏の風情を詠んだのんびりとした句です。

「待つ」は「松」に掛かり、「千年の松」も含意します。

ホトトギスが鳴いている情景のうちには、
古い松の木たちも溶け込んでいるのでしょうか。

ホトトギスが「鳴いていない」その静寂の間、
千年の松はしんと佇んで、鳥たちを見守っている、
そんな壮大ながらも涼やかな彩りが浮かんできます。



「有」「無」の基盤は、観察者の意識の向き方でしかなく
全ては最初からただそこに「在るべくして在り」ます。

ホトトギスの鳴きやんだひと時の静寂においてさえ
「悠久なる数千年」に通ずることが出来ます。


Live as if you were to die tomorrow.
Learn as if you were to live forever.


(明日死ぬと思って生きなさい。
 永遠に生きるかのように学びなさい。)



…と、ガンジーは述べました。
(以前も取り上げましたけれど)


大切な存在(人・モノetc.)と共有する時間は
僅かな時でさえも、悠久の流れで出会った必然に
互いに感謝しながら思いやり、

出来れば避けたかった試練・苦難を耐え忍ぶ時間は
人世の時の流れなど宇宙のペースでは無視できる誤差と
笑い飛ばして、来るべき歓喜のイベントを今か今かと
ワクワク楽しんで待てばよいだけです。

日々の何気ない一瞬にさえも永遠に繋がる叡智が
宿っていると気付いて、時間を優しく律することが
出来れば、もう人生を卒業したようなもの。

残りの人生はボーナスステージですよね…


…と、そんな感じでホトトギスの鳴き声から
数千年の時まで包み込む 芭蕉の句でした。


あらゆる出会いの中で必然に導かれたまま
長いお付き合いをさせて頂いている皆さま、

新しくご縁ができた方々からのお心遣い諸々に
毎月のことながら感謝を述べさせて頂きます。


優しい緑が照り映える5月も至福の時で充ちていることを
皆様と共に心から喜びたいと思います。

いつもありがとうございます!




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