2017年11月18日

「映画」のお話


皆さま、こんにちは。

11月は半ば頃にもう1度記事更新します
と申しておりましたけれど既に18日午後…。

当初予定より遅くなってしまいましたので
16日以降チェックして下さった方には
申し訳なく思います。お待たせしましたが
11月第2回目の更新は、映画論のようなものを。

「名言の英語」でボードレール(baudelaire)を
取り上げる構想でしたが、ちょっとまとまり悪く、
なんとなくピンと来ない出来だったので熟成中です。

もう少し寝かせてみて、読むに耐えられるものに
なれば、改めて載せようかなと思います。


さて、以前にも少し触れたかもしれませんが
映画はそこそこ観る方です。年に100本くらい。
多くはないけど少なくもない…微妙な数ですね。

今までには?と問われたら分かりませんけど
1000本は観ていると思います、ここ4年の
鑑賞リストだけでも400本弱はあったので。

玄人的評価が高いものは一応目を通すように
していますが、逆にあまりメジャーな作品は
観ていないことも多々あります。

というわけで、今回は個人的に良かったと
思う映画を(「ラルースの塔」で取り上げて
問題ない範疇で)
取り挙げてみようと思います。


まずは、無難に数学者を取り上げたものから。


奇蹟がくれた数式(The Man Who Knew Infinity,
 2015年/イギリス)


インドの数学者シュリニヴァーサ・ラマヌジャンの
史実に基づいた映画。天才数学者としての苦悩・
差別などにはあまり深く立ち入っていませんが、
(長々描写して冗長になったり退屈になるよりは)
良い意味であっさりとまとまっている良作です。


イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密
(The Imitation Game, 2014年/アメリカ)


第二次世界大戦中にナチスドイツが用いていた
「エニグマ」暗号の解読に取り組み、戦局打開に寄与した
イギリスの暗号解読者アラン・チューリングを描いた映画。
同性愛者としての苦悩も含め、 B・カンバーバッチの
演技は秀逸。TV映画版『ホーキング(2004)』もお薦め。



・・まだまだ沢山ありますが、少しずつテーマを
変えて行くことにしましょう。ほのぼの系で、
あまり有名ではないものを挙げてみますと。


氷の上のふたり (MIDNIGHT SUN,
2014年/カナダ・イタリア)


納屋に迷い込んだ子グマを母グマのもとに帰すため
奮闘する少年のお話。極寒の地の中での温かさが
光るハートウォーミングな作品。映像もキレイで
北極圏での撮影大変だったろうなぁと感心します。
「深み」はないけど、子シロクマが可愛いです。


こねこ (THE KITTEN, 1996年/ロシア)

子猫と家族の触れ合いをハラハラほのぼのと
描いた猫映画。ネコ好きなら観るべきと言われる
隠れた名作ですけど…あまりに名演技過ぎて
過度な演技指導されてなかったか心配なくらい。
(まあネコ好きじゃないとあの映画は撮れないし
 その辺りは大丈夫だと思います)。

主役子猫のチグラーシャが可愛いです。


アップルとわたしのカラフルな世界
(APPLE OF MY EYE, 2017年/アメリカ)


乗馬中の転倒事故で視力を失った少女が、
盲導馬に出会い、新たな人生を歩む姿を描く。
これだけで盛大なネタバレになったような…
それくらい「内容は浅い」のですけど、
ハートウォーミング映画としては良い作品。
盲導馬のアップルが可愛いです。

本当にハンデキャップを負ってしまった方や
ご家族にとっては、そんなに軽いものではない!
と思われるでしょうが…その苦悩を深く描写して
いない点、そこは苦悩を乗り越えて行く過程を
受け手側が加味する必要はもちろんあります。



・・まだまだ枚挙に暇ありませんが、
最後に、ラブストーリー的なものを。


ぼくとアールと彼女のさよなら
(Me and Earl and the Dying Girl,2015年/アメリカ)


映画オタクの男子高校生が余命僅かな同級生女子との
交流を通して成長していくお話(日本未公開?)。
年層によってはおバカな学生ノリは鬱陶しいかも。
学生の皆さんは観る価値があるでしょう。よくある
お涙頂戴的な話ではありませんが、かといって
重すぎず軽すぎず、深いと言えば深い良作。


世界一キライなあなたに(Me Before You,
2015年/アメリカ・イギリス)


障害者の自殺幇助・安楽死を扱った話題作。
ラブストーリーとしても秀逸ですが、幕引きに
ついて賛否両論があったのも理解できます。
アリがちな展開でないのが高評価な点かも?

この映画に限ったことではありませんが
邦題がヒドイことが多々ありまして
この作品も邦題と原題の乖離が激しいです…

「Me Before You」の意味を考えながら
鑑賞されると、より深く考察できるでしょう。


アデライン 100年目の恋
(The Age of Adaline,2015年/アメリカ)


29歳の美しさのまま100年以上生き続けた女性が
真実の愛を見出すまでを描くラブストーリー。

今回取り上げた映画の中では
最も一般受けしやすい映画でしょうか。

数あるラブストーリーの中でも秀作の一つ
に挙げられるものと個人的には思います。



…と、ご紹介に値する作品はまだまだ沢山
ありますけれど、今回はこの辺で。

映画批評ブログではないので…気が向けば
他の作品も挙げてみたいと思います。

(もっと複雑怪奇・難解を極めるような作品も
 脳に有用な範囲で、いつかご紹介できれば)



それでは、久々の月2回目更新でした。
いつもご訪問ありがとうございます!


posted by laluz at 14:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 書物・映画etc..

2017年11月05日

2017年11月の始まり



皆さま、こんにちは。

2017年 第10番の月も過ぎました。
2017年の約83%が過ぎたことになりますね。

収穫の秋を見送りながら冬の到来に備える月ですが、
皆さま 極上の晩秋を楽しんでおられることと思います。

(一昨年=昨年の冒頭部あえて流用しました…2年とは早いもの)



秋の夜を 打ち崩したる 咄かな

(あきのよを うちくずしたる はなしかな)



元禄7年9月21日の夜、車要亭。潮江車要・各務 支考
といった門弟らが集まり、この句を発句として
半歌仙が巻かれました。

*歌仙とは、五七五の句と七七の句を交互に計36句詠む
 俳諧形式の一つ。半歌仙は半分の18句。



秋夜の趣深い静寂さを打ち崩してしまう賑やかさ。
といってもそれは興を削ぐ忌避すべき騒雑さではなく、
ある意味「秋の寂しさ」を打ち壊してくれるような
知己との語らいを指していることでしょう。

この頃、芭蕉門派では主導権争いに関わる対立があり、
師・芭蕉は深く心を痛めていたと言われています。
当日、緊張関係にあった槐本之道(近江蕉門)と
濱田酒堂(大坂蕉門)が同席していました。

言葉少なく しんみりとした寂しい秋夜ではなく
談笑に華が咲くような一門であって欲しいという
師の想いもあったはず(この句が発句なので)。



おもしろき 秋の朝寝や 亭主ぶり  

(おもしろき あきのあさねや ていしゅぶり)



9月22日朝「宵寝はいやしく、朝起きはせはし」と添えて。
まあ 早寝早起きそのものに価値はないと考えている点は
個人的に芭蕉に同意しますね、朝に寝ることに意義あれば
それはそれで是。早寝早起きに意味あればそれが是というか。

亭主がゆっくりとした朝寝をすることで、
客人もゆったりした朝を過ごすことが出来ます。
そういう亭主ぶりと昨夜遅くまで語らった
ひと時を慈しむように詠んだ句。

芭蕉の死期は もうすぐに訪れます。



この道を 行人なしに 秋の暮

(このみちを いくひとなしに あきのくれ)



門弟と談笑する師・芭蕉と、妙なる領域に到達した
俳聖・芭蕉。先の二句が師・芭蕉としての歌なら、
この句は いわば俳聖としての孤独を詠んだもの。
事実上の辞世の句とされています。


「この道」の先にも後ろにも 行く人の姿はない。
芭蕉の歩んできた俳諧の道には、先にも後にも
続く者がいない。至芸の極みに立つことは、
孤独感の中で暮秋に佇むようなもの。

門弟らはどちらが優れているとかどうとか
俗的な醜聞の中で迷い、万物総て芸術として
高めていく精神領域に弟子がないという寂しさは
賑やかな「噺」や「朝寝」では打ち崩せぬもの。


ちなみに『笈日記』では、

人声や この道帰る 秋の暮

・・と記されています。

各務支考の『芭蕉翁追善之日記』に、
「此の道を〜」といずれを残すか考えていた
様子が記されていますが、「人声や〜」の方が
なんとなく人間味を感じます。

「この道帰る」の主語が人々なのか芭蕉なのか
どちらにでも取り得るから かもしれません…


人の声がするから この道を帰る、というのは
芭蕉が弟子たちや世人の賑やかな声を聞き、
孤高に歩んできた道から振り返ってこちら側
(=浮世)を見る、というような感覚で
個人的には解釈したいところです。

世を去る間際に、今までの崇高な歩みを
人声で振り返るという情景も、それはそれで
大きな優しさを感じるものだと思いますけれど。

しかし、芭蕉は「師」ではなく「求道者」として
「誰もいない世界」を詠んだのでした。


『笈の小文』で風雅俳諧の道をこう述べています。


「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一なり。

しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。」

「造化にしたがひ、造化にかへれとなり。」



俳諧という風雅の道は、自然にしたがって
四季の移り変わりを友とすること。
見るもの全てが花であり、思う所全てが月である。
天地自然に従い、天地自然に還りなさい・・と。


この領域からすると、
「この道を 行人なしに 秋の暮」でこそ
芭蕉の風雅は完成したと言えるのかもしれません。

静かに暮れゆく秋のように
この約20日後に芭蕉の命数も尽きるのです。


・・・と、草稿では、この後に続く句も
連ねていたのですが、ちょっと長くなり過ぎて
「11月の始まり」としてはまとまりに欠くので
キリの良いところで留めておきます。


「月初のご挨拶」としてはそうですね…

各々志す「道」を歩んで、或いはこれから
歩んで行かれることと思いますけれど

どの道であっても「究める」には
相応の覚悟と研鑽が無ければならない。

ただ、その道中は孤独の時間が多いかも
しれないが、いつでも振り返ると自らを支え
励まし 呼んでくれる「声」があるはず。

常に孤高の領域を突き進むだけではなく
遍く声に耳を傾け、歩んだ道を振り返ることも
また道を究める過程の一つである、


と、強引にマトメてお許し願いましょう。



というわけで11月、心身ともに寒さを感じ始めますが
四季も全て在るがまま 楽しんで下さいますように。

季節の移り変わりが在るがまま自然であるように
各々の進化も在るがまま自明でありましょう。


この11月も素晴らしいご縁で充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。


*11月は、半ば頃にもう一度
記事更新したいと思っています。



posted by laluz at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2017年10月04日

2017年10月の始まり



皆さま、こんにちは。

2017年 第9番の月も過ぎました。
2017年もすでに約75%を終えたことに。

皆さまにおかれましては 秋の収穫を
優雅に楽しまれておられることと存じます。




川上と この川下や 月の友   芭蕉




・・美しい句です。意訳を付そうとしましたが
ちょっと出来ませんでした。この洗練された美を
長々と説明的に訳することに何の意味があるのか。

シンプルの極致に遍く「繋がり」が凝縮されています。

長年連れ添ったパートナーが天に召される間際に
相手に対して優しい笑顔で「ありがとう」といった時、
横にいる誰かが「この言葉は〜という経緯から
〜という気持ちが込められているのです…」とか
言葉では説明し尽くせないモノがあるように。



句の念頭にある「友」とは山口素堂とされますが
それはひとつのきっかけに過ぎません。

「月の友」はまさしく「この満ちた月」を眺める
全てであり そして「この川」を通じて
全てと繋がっているという。


「私にとっての友」ではなく「月にとっての友」かも?
月が優しく眼下の存在を友のように慈しむ、みたいな。

まあ この辺りは句意から離れるでしょうが、
それでも柔らかな情景の中に、因果連関さえ
詠み込まれているような壮大なスケールを感じます。

「俳聖」といわれる意味が分かるような気がしますね
まさに 神の(というか人智を超えた)視点。


この同じ川上に 同じ月を眺めている友を想い。
「空間」的に離れてあっても「川・水」で繋がっていて
あるいは「時間」的に離れてあっても
「月・光」で繋がっている。

宇宙スケールで考えると、人間さらには動植物全て
一つの小さな球体上で 命を寄せ合う共生体。

ひと時でさえ離れられない「つながり」の中で
(意識できるかはともかく)支え合いながら
せいぜい数十億秒ほどの命を灯しているのに、

些細なことで怒り争ったり、離別を悲しんだり
そんなことを繰り返すのも愛おしいというか
微笑ましいかもしれませんね、月の視点からは。



・・・とはいえ、智の醸成という見地から
対極思考」を旨とする私の立場としては
「全てが全く切り離された世界・時空」を
同時にイメージしても行きますけれど。

次元を超えた先に「因果・縁起」というもの
を想定できるなら、それらを完全に排除した
領域(?)というものはあるのか。

あるとしたら全ての「因」である宇宙開闢・
天地創造の瞬間しかないかもしれませんが、
それさえ絶対的「無」ではないかもしれない。

「アルファであり、オメガである。
 最初であり、最後である。
 初めであり、終りである」点(?)こそ
 原初的「無」と言いたいだけかもしれない。


…まあ「酸素」を吸って生かされている以上
「つながり」のない世界を想起するなどは
現実空間の前提条件を取り払える「夢」の中で
思考実験するしかありませんから、ゆっくり
ウトウト考えていくことにしましょう。。


・・というわけで宇宙まで脱線しましたが
壮大な優しさを感じる芭蕉の句でした。

「水」と「光」の日々の恵みを改めて想い
周囲との「つながり」に敬意を払いながら
宇宙創造の時まで「脳」を遊ばせてみるのも
望月の夜には趣深いことと思います。


ちなみに「宇宙図2007宇宙図2013
(C)科学技術広報財団のリンクを載せておきます。

ご興味のある方は「脳との散歩」のお伴に。


それでは、今回はこの辺で。
いつもありがとうございます!



posted by laluz at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2017年09月04日

2017年9月の始まり



皆さま、こんにちは。

2017年 第8番の月も過ぎました。
2017年の約67%を終えたことになりますね。

すっかり「秋」という風情ですけれど
皆さま満ち足りた日々をお過ごしと思います。




枝ぶりの  日ごとに  変る芙蓉かな     芭蕉


( 日ごとに枝ぶりが変ってゆく様は まさに真の芙蓉のようだ。)



朝開いて夕方しぼむ「一日花」ながら花期は長く
7月〜9月 毎日のように新しい花を咲かせる芙蓉。

学名「Hibiscus Mutabilis」
「Mutabilis」は変わりやすいとか不安定なという意味。
「Hibiscus」=(アオイ目アオイ科)フヨウ属のこと。

日本で名称に使われる「ハイビスカス」は
ハイビスカスティに用いられるローゼル
(Hibiscus sabdariffa)だったり、
仏桑華(Hibiscus rosa-sinensis)など
属名のみの略称で混同しますが、別個体です。

この仏桑華(ブッソウゲ)は マレーシアと
スーダンの国花ですが、ハワイの州花は
Hibiscus brackenridgei で仏桑華
ではありません。大韓民国の国花は
木槿(ムクゲ:Hibiscus syriacus)です。

環境問題で話題となったケナフ
(Hibiscus cannabinus)もフヨウ属です。



という感じで Hibiscus に属する
「芙蓉」の固有名は Mutabilis
= 気分屋さんといったところでしょうね。

ちなみに園芸品種の「酔芙蓉(スイフヨウ)」は
Hibiscus mutabilis cv. Versicolor
(cv.は cultivar の略で園芸品種を示します)
Versicolor = 虹色の、様々に変色する…なので
色がコロコロと変わる気分屋さん という感じです。


…と、Hibiscus考 になってしまうので
この辺りで 今回の句を見ていきますと。

前提なくして自然にそのまま読むならば
「芙蓉は趣深い花だ、日ごとに枝ぶりが変ってゆく」
という花の移ろいを詠んだといえるでしょう。

ただ、この句が「画賛」とされていることを
前提にすれば(伊藤 洋『芭蕉DB』該当頁 参照)
眼前の生花よりは 画題・絵そのものを
念頭に詠んだものと考えるのが自然です。

そうすると、画中の芙蓉は適宜筆が加えられ
まるで真の芙蓉のように刻々と変化する
素晴らしい趣を見事に顕わしているなぁと
最上級の賛辞を贈っているように感じますね。

「時間変化さえ」表現できていると賛することで
その芙蓉画そのものの風合いの変化を通じて
実際の「芙蓉」の変化さえもイメージできるような、
いわば2層の「変化」を読み込んでいるかのよう。

…まあ、実際のところは分かりませんけれど
「時空」の重層構造を詠み込んでいるなら
素晴らしいなぁと個人的には思います。。


芙蓉の花言葉は「繊細な美」。
富士山の美称は「芙蓉峰」とも言います。

古きを脱し、日々新しい花を咲かせる様から
「美」の形容としても有名な花ですけれど、
人間の進化においても当てはまるでしょう。



私も色々な生徒さんと勉強を通じて
各々時間を共有して参りましたが、
文字通り「日々進化する過程」に触れ、
天恵に引き上げられる様は「優美」です。

特に幼少期からお付き合いのある方々は
身体的・精神的変容を壮麗なものに感じます。
保護者・ご家族の方々には尚更でしょうね。


望む望まないに関わらず経年変化とも
付き合っていかねばなりませんけれど、
それも自然の摂理と優しく受容しながら
高く高く日々花を咲かせていく芙蓉の如く、

各々の理念に従ってどの瞬間でさえも
新しく進化して行かれればと願います。



…と、もう少し書き進める予定でしたが、
少し時間が空いてしまって既に5日昼過ぎ…
この辺りで終えて更新しておきます。


昨年度「2016年9月の始まり」は「重陽登高」を
テーマにしていましたが、高みに登るという点では
相通ずるといえますので併せて読み返して頂けば。


それでは、今回はこの辺で。。

9月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。



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2017年08月16日

Lewis Carroll


皆さま、こんにちは。

8月は15日前後にまた記事更新します…と
申していましたので、久々の「名言の英語」を。

ひと昔のように超タイトな授業スケジュールには
しないようにしているのですが、やはり夏休み…
それなりに追加授業をお受けしています。

東京大・京都大を目指す子たちですので
取捨選択しつつ色々と吸収してくれていれば
嬉しく思うことこの上なしです。

今夏は数年ぶりに「午前中」から授業を行う等
炎天下に移動するのもそれはそれで懐かしく。
陽光よりも月光の方を多く浴びる日々でしたので
個人的には趣深い「環境変化」かもしれません。

というわけで、実に2014年1月24日以来
約43カ月ぶりとなる「名言の英語」は
ルイス・キャロル を取り上げてみましょう。



Lewis Carroll,(1832.1.27-1898.1.14)は、
イギリスの数学者、論理学者、写真家、作家、詩人。

本名は Charles Lutwidge Dodgson で
"Charles Lutwidge" のラテン語表記名
"Carolus Ludovicus"をもじったもの。

『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』の
作者として文学世界においても有名です。



ルイス・キャロルについても天才の例に洩れず
聴力障碍・発達障碍(自閉症スペクトラム障碍)と
考えられる徴候を示していた点や、写真芸術として
少女ヌードを撮った点から小児性愛を疑われる等
長年誤解や疑念の対象とされることもある人物でした。

近年の研究で後者は根拠のない俗説と判明し、
世界的な名著とともに文字通り尊敬を集めています。


ルイスキャロルはオックスフォード大を卒業後
母校で数学講師を務めていたこともあって
著作中でも数理要素は満載で、読み解くには
なかなか難しいパズルもあったりします。

『ルイス・キャロル解読―不思議の国の数学ばなし』
で齧った程度ですが、この本は興味深かったです。


前置きはこの辺りにして早速「名言」を。




If you don't know where you are going,
any road will get you there.



この文章は原典ではなく映画版のセリフと思いますが
キャロルの名言として時折引用されています。

「もしあなたがどこに行くか迷っていても
 道が導いてくれます」的な訳例もありますが
『不思議の国のアリス』の名言として引用するなら
実際そこまで「優しい意味」ではないかもです。

"What road do I take?"
"Well where are you going?"
"I don't know."
"Then it doesn't matter.
If you don't know where you are going,
any road will get you there."


どの道を行けばいいの?と尋ねるアリスに
チェシャ猫は「どこに行きたいの?」と尋ねますが、
アリスは「わからないわ。」と答えます。

「じゃあ、問題ないよ。どこに行きたいか分からないなら、
どの道を選んだってそこにたどり着けるんだから。」


要するに「分からないところ」に行くには
どの道を辿っても「そこ=未知」に行けるよと。

アリスの世界にはこういう「言葉遊び」が満載で
そのまま訳出不能のものが多々あったりします。

アリス的には「どの道か」というよりは
「どこに行ったらいいか」を教えて欲しかったと
思いますけれど、「どこに行きたいか」は
「自分しか知らない」=他者が分かるわけない

という意味では本当にその通りですよね。



Everything's got a moral, if only you can find it.
(すべてのことには教訓がある。見つけることができれば…だけど。)


『不思議の国のアリス』で 色々な名言(迷言)を
披露してくれる中の一人が「公爵夫人(Duchess)」。


“If everybody minded their own business,”
“the world would go round a deal faster than it does.”


(みんなが自分のことだけ気をつけていれば、
 この世界は今よりずーっと迅速に回るだろうにね。)



この文章も原典ではユーモアな展開での話ですけど
その場面を離れて読んでも名言と思える一つです。

「自分のことだけ考える」というのが
「他人のことに口出ししない」という裏返しで
実際、人間界では「自分のことはさて置いて、
他人のことに首を突っ込み過ぎる」人もいるはず。

各々が先ず、自分の任務・使命・責務について
真剣に取り組んでさえいれば、世界は今よりも
上手く回っていくだろうというのは頷けますね。


Oh, 'tis love, 'tis love
that makes the world go round.


(ああ、愛こそ、世界を動かすものは愛!)


これも侯爵夫人の言葉ですけど、この辺りは
「意味を分かってないけどそれっぽいことを言う人」
を わざとユーモラスに描いている側面もあるので
侯爵夫人が心から「その真理」に到達しているか
それ自体はともかく、古来から「愛」は全ての鍵
のように色々な場面で掲げられますよね。

このブログでも少しだけ触れたりしますけど
「この宇宙の全ての扉を開く鍵は『愛』なのだ」
と声高らかに言っても、どこまで「真髄」に
触れているかは各々の思考レベルで変わります。

とりあえず『愛』というブラックボックスに
入れておけば誤魔化せる側面もあるでしょうし。
『愛って何?』『キミも進化すれば分かるよ』的な。

その実「この世を動かすのは愛!」という表現は
「訳の分からないものが世界を動かしている」
いうことの端的な裏返しとも言えます。

その意味では侯爵夫人の言葉は真理かも。


Take care of sense, and
the sounds will take care of themselves.


不条理というか、とりあえず何でも
「教訓にこじつけたがる」侯爵夫人ですが
この文章もその一つ。何となく聞きかじったことを
それっぽく吹聴する傾向の人も現にいるでしょう。

これはそのまま訳出するとズレてしまいます。

"Take care of the pence and
the pounds will take care of themselves."
(小銭を大切にすれば大金はおのずと集まる)
(小事を大切にしていれば大事は自ずと成る)


という教訓をもじった「言い間違い」ですからね。
(penceをsense、poundsをsoundsと)

ただ、「深く考えてみると」意外と「言い間違い」
ではない、むしろ高尚な文章にも思えてきます。

「訳の分からない文章・作品」を高尚だと
有り難がるのは愚かさと紙一重でしょうし、
ルイスキャロルもそれを皮肉っているとしても。

(「感覚」を大切にすれば「音」は自然と集まる。)

おー何か「それっぽい」ような。音楽家には至言かも…

(「意味」を大切にすれば「音」は成し遂げられる。)

うん、なんだかすごく深いことを示している気も…。
「音」=人間が織りなせる究極の「交響音」だとしたら?


…と、そんなこんなで不条理と条理のはざまを
行き来し漂えるのがアリス世界の魅力でもあります。



I give myself very good advice,
but I very seldom follow it.

(私は自分にいいアドバイスをするんだけど、 ほとんどそれに従わないの。)

Who in the world am I? Ah, that's the great puzzle.
(私って一体誰なの? ああ、なんて難しいパズルなのかしら。)


上の文章は原典そのままではなくアリス由来のもの
だと思いますが、引用の最後に。


「不条理な世界」とは「不条理な自分」そのもの。

「答え」が分かっているのになぜか行動しない
とか、この訳の分からない「自分」という謎を
解き明かして「自分なりの完成体」に成ることが
出来たなら、世界の全てはシンプルな条理の中で
ゆったり動いていることに気づけるでしょう。

その「理(ことわり)」自体を、人によっては
「神」と言ったり「愛」と言ったりするので
「訳の分からない不条理」感を加速させるだけで。

焦点のズレたレンズでは対象を正確には把握
できないように、世界に対してもまず自分自身が
「ブレない視点・支点」を持たなければならない。

そうして「意図的に」条理と不条理を楽しむことが
できれば、アリス世界のような狂気のお茶会を
日々ゆったり楽しんでいけるでしょうね。


・・・と、寝落ちしてしまって更新が17日9時を
過ぎてしまいました、お待たせしてすみません。。



It's a poor sort of memory that only works backwards
(後ろにしか働かないなんて、ずいぶん貧弱な記憶ですわね)

とか

I can't go back to yesterday
- because I was a different person then.
(昨日に戻ることはできないわ。昨日の私は別の人間だったのだから。)

とかまだまだ興味深い文章はありますが
これ以上遅くなるのもどうかと思いますので
この辺りでおしまいに致しましょう。


それでは、ルイスキャロル
(というよりアリスの国)の名言でした。

8月後半も正気と狂気のハザマを楽しみながら
脳がワクワクする日々をお過ごし下さいますように。

いつもありがとうございます!




posted by laluz at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 「名言」の英語

2017年08月05日

2017年8月の始まり



皆さま、こんにちは。

2017年 第7番の月も過ぎました。
2017年の約58%が過ぎたことになりますが、
情熱的な夏の日々をお過ごしのことと思います!


なるべく月2回更新に…と書いていましたので
7月も15日前後にご訪問下さった方もおられたかも
しれませんね、実際「書いてみた」のですけど。

7月での東京大学卒業生カード(クレジットカード)
の提携サービス終了を受けて、各大学提携カードや
「信用力」について思うところを書いていたのですが
なんとなく「ラルースの塔」っぽくないというか
クレジットカード論とか世俗すぎて興醒めというか。


(プレミアムなカードやら各ステイタスやら
 実際使っている人には今更どうでもいいし
 使ってない人には無用な情報でしょうし)


そのままお蔵入りして8月を迎えた次第です。

(素直に「名言の英語」にすべきでしたね…
8月は15日前後にもう一つ更新しようと思います!)





撞鐘も ひびくやうなり 蝉の声 芭蕉


(つきがねも ひびくようなり せみのこえ)


(眼前の梵鐘までが今にも同調して響き出しそうなほど
 山中に鳴り響いている蝉の声よ。 )




とても荘厳・深淵で…スケールの大きい句。
個人的に好きな句の一つです。

蝉たちの鳴き声が山中に響きわたり、
寺の鐘さえ鳴り出せそうだなぁと
字義通りシンプルに読んでも、夏の情緒が
ありありと目と耳に浮かんできますね。

ただ、梵鐘は仏事において重要な役割を果たし、
その響きは聴く者を一切の苦から解放し、
悟りへと導く功徳があるとされます。


やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声

…の句について2014年8月に触れていますように、

成虫になってから蝉の生は残り短いものですが、
遺伝子を繋ぐために 残された短い時間の中を
精いっぱい鳴きし切る蝉の声は「生の儚さ」よりは
「生の力強さ」こそを感じさせます。

世を去る頃の蝉たちは力なく地に横たわっていますが
その地中には次の世代となる幼虫たちが眠っていて

その骸はやがて地に還り大樹を通して次世代の養分へと
生と死が変わることなく循環していく…ことへの生命賛歌。


この観点から「撞鐘」の句を深く読んでいくと、

生死の苦などに悩み囚われず、ただ与えられた
「生」を賛するか如き、蝉たちの鳴声の集積は
まるで一切の苦しみを解き、悟りへの境地と導く
梵鐘の大きな響きであるように感じられる、と
このようなニュアンスを含むように思えます。


いつもながら個人的な解釈なので
実際どうなのかは分かりませんけれど。
そのような含意を感じながら読む方が
荘厳なスケールを感じて好ましいところです。



実のところ、蝉たちの一生と人間たちの一生とで
どこまで「差異」があるかと言えば、本質的差異は
無いと思いますけれど、だからこそ些事に思い悩まず
自らの生命エネルギーで灼熱を覆い尽くすかの如き
尊大さで、夏の日々を楽しんで参りましょう!

それでは、今回はこの辺で。



8月も素晴らしい出会いで充ちていることを
皆さまと共に心から喜びたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。



posted by laluz at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾

2017年07月02日

2017年7月の始まり


皆さま、こんにちは。

2017年 第6番の月も過ぎました。
2017年の約50%が過ぎたことになりますね。

強大な太陽エネルギーを肌身に感じてくる季節、
皆さまお変わりなく充実されておられましょうか。



合歓の木の 葉越しも厭へ 星の影   芭蕉

(ねむのきの はごしもいとえ ほしのかげ)



意訳・解釈は後に回すとして・・二つの星が逢いに来る七夕。

旧暦本来の時期としては2017年08月28日ごろですけど
新暦ベースの7月7日という時機で今回も取り上げてみます。

(昨年7月も「雨中天」の句を取り上げていますし)

「織姫と彦星の夫婦が1年に1度の7月7日だけ
 会うことを 天帝に許されている」日です。

夏の大三角形でご存知のように 織姫は「こと座のベガ」
彦星は「わし座のアルタイル」とされています。

(七夕伝説の由来も興味深いですが、今回はさておき)

地球からの距離はそれぞれ約25光年、約17光年、
2星間の距離はおよそ14.5光年と観測されています。

物質の速度は光速(299,792,458 m/s)を超えない
というアインシュタイン相対性理論に従う限りでは、
14.5光年の超遠距離恋愛で二者が会うには7年以上必要。



ゆえに1年で1回逢うことは不可能。Q.E.D.(証明終了)
という冷静奇特な方もおられることでしょう。

ただ・・まあ人間目線で「星が近づく」比喩ですし
「愛は光速を超える」という視点でゆったり考えますと。

人間目線で考えるなら人間尺度で換算しないとおかしい!
ということで言えば、織姫と彦星たちの寿命は約10億年。

人間の寿命を100年とすると、織姫と彦星は人間に比べ
単純に1000万倍も長い寿命ということになりますね。

「1年に1回」も1000万分の1で考えるのが公平?
と計算すれば「1年」の1000万分の1は「約3秒1557」。

人間尺度で改めて考えてみると、織姫と彦星の2人は
人間世界的に「約3.2秒に1回逢っている」ことになります。

まあ…ずっと一緒にいるようなものですね・・
むしろどれだけ愛し合っているんだ?って程に。

厳密に言えば「3.2 秒に1回0.0086秒だけ逢える」
ですけど、その辺りはまあ瞬きレベルの誤差と言えて…

いやでも、3.2秒毎と言っても現実に知覚できないなら
それはやはり逢えないに等しいか…むしろツライかも?

天帝は言いました。「1年に1回だけ逢うことを許す」と。

その意味するところ「お前たちの寿命は長い。要するに
ずっと一緒にいていいってことだ」かもしれません、

ただし、実際に見ることも触ることも出来ない。
想える「愛」だけが絶えずしてそこに在る、と。
肉体を超えた星たちの愛の形としては真理かも?



・・という感じで七夕の2人をどのようにみるか
距離・時間尺度の違いでニュアンスも変わるわけですが
今回の句も「厭え」を介して2つ解釈が成り立ち得ます。

1つは、なかなか逢えない2人が1年ぶりにやっと
逢えたのだから、ネムの葉越しであってもじろじろ
見てあげてはいけない そっとしておこうではないか
という我々人間に対して「厭え(遠慮しなさい)」と
温かく見守るスタンス。

もう1つの解釈は、ネムの葉越しといえども
よく見えてしまうから隠れて逢瀬を重ねて下さいね…
という2つの星たちに「厭え(遠慮して下さい)」と
投げかけているスタンス。


3.2秒ごとに逢っている=ずっと一緒にいるという
感覚なら後者の解釈もなかなかに頷けましょう。
愛し合うのもいいけど人目を憚りなさい…的な。

とはいえ、芭蕉の感覚的には前者の意でしょうね。
七夕だー!と衆人がこぞって2星を注視している中
皆さんそっとしておいてあげようという優しい句です。

後回しにした句訳を付すなら…


「合歓の葉越しにも覗き見して1年越しの
 語らいを妨げないように。(稀有な逢瀬に
 歓喜している)星は影さえ美しい。」


こんなニュアンスでしょうか。


ちなみに和名のネムは「夜になると葉が閉じること
(就眠運動)に由来し、漢名の「合歓木」は、
中国においてネムノキが夫婦円満の象徴とされて
いたことから付けられたとのこと(Wikipedia)。

香りは桃のように甘く、花言葉は「歓喜」「安らぎ」。



合歓(ネム)の語つながりで書くと 昨年オープン当初に
滞在したAMANEM は「合歓の郷」内のアマンなので
アマネム:歓喜・安らぎの地という意図でしょうね。
滞在時はサミット準備で物々しい周辺警護でしたけど。


20160428_155906.jpg

ベランダ(縁側?)の開放的なレストスペース。
波や風の音、そして星たちの優しい光を感じながら
ネムネムできます。世俗から離れて過ごすには良い空間。



人の世にあって、愛する人と共有する時間は
かけがえのないもの。家族・伴侶・恋人etc.
それらがどのようなカタチであったとしても
距離・時間尺度はあくまで相対的なものです。

常に一緒に居られる幸運にあるならば、
それがまるで1年に1度の逢瀬の如くに
貴重なものでもあると お互いを思いやり、

物理的・心理的に遠く離れた関係であっても
(先に逝かれてしまった場合を含めて)
愛は物理法則を超えて「常にそこに在る」と知り
相手の存在(或いは非存在)に敬意を払うこと。

そんな感じで、支えて下さる方々に
「歓喜」の気持ちで接して行かれますように。

各々それぞれ10億年ごしにやっと逢えた2星かも
しれませんし、壮大なスケールで生きていけば
俗世の小さなことなど互いに笑い合えるはずです。



というわけで、今年も「七夕」テーマのご挨拶に
なりましたが、皆さまとのご縁も稀有な出会いと
常々感謝申し上げているのは変わりありません。

蒸し暑い季節こそ、周囲の暑さを打ち消すほどの
歓喜の躍動で7月も楽しんで下さいますように!


7月も素晴らしい出会いで充ちていることを

皆さまと共に心から喜びたいと思います。



いつも本当にありがとうございます。


posted by laluz at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラルース進学塾